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sou16の物理学的な週末 ~sou16's Physical Weekends.

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(無題)

2017年01月11日 | 日常
五島旅行第1日目の日記を書き上げました。
こちらからどうぞ。

今朝はMDと卒業演奏会で弾く予定の
ルトスワフスキ作曲 2台ピアノの為のパガニーニ変奏曲
を初めて二人で合わせてみました。
かなり現代チックな曲でリズムが複雑なので
想像以上に合わせるのが難しいです。
合っているのかどうかさえ判然としない部分さえある…
聴いている分にはとても楽しい曲なのですが、
弾いて楽しくなるにはまだ相当な練習を要しますね…

午後は特別実験。
相変わらず中澤先生は多忙だな…
やる事が無かったのでレポートを書いていたら、
レポートが書き終わりました。
締切は今月末なんだけど、かなり早く終わってしまった。
締切に間に合わないよりは良いのでしょうか。
しかし、現代物理学入門のレポートの方は
明日締切なのに1問解き終わっていないという。
優先順位を付け間違えたな…


(無題)

2017年01月10日 | 日常
冬休みが明けてすぐに三連休だったので
実質的に今日が冬休み明けのような気持ちです。
が、明けたと同時に火曜の授業である
原子核物理学は終わってしまいました。
もう大学4年生も終わりが近いんだな…

今日は特別実験の日。
恐らくこれで最後になるであろう実験をしました。
修論審査会の関係なのか、
先輩達が皆出払っていて線源を暫く借りられず
大分もどかしい思いをしました。
年度末は皆忙しいんだな…
追い込みを掛けるタイプだと危ないところでした。
レポートも早めに仕上げてしまわないと。


(無題)

2017年01月09日 | 日常
五島旅行第4日目。
今日は福江島を巡ります。


6:52、起床。
今日もまた熟睡したな…
朝食を済ませてから、まずは徒歩で市街を巡ります。
ここ福江は日本で最も「新しい」城、石田城で有名。
明治維新の際に天守閣は取り壊されてしまいましたが
石垣や濠は比較的良く残されており、
城址には様々な公共施設が建てられています。


五島市立図書館。
城を模した造りになっています。
古文書ばかり置いてありそうな図書館ですね。


五島観光歴史資料館。
これまた城を模した造りになっています。
五島列島(下五島)についての歴史や
自然についての展示があります。
開館時間前でしたが、館長さん(?)が出て来て
福江島について色々と説明してくれました。


今度はやけに人通りの多いこの門。
中には何があると思いますか?


何と高校です。
この長崎県立五島高校は全国でも珍しい
城址の、それも内濠の中に建てられた高校なのです。
標語も「躍進 ~夢を紡ぐ城跡~」となっています。
校舎も若干お城チック?


今でこそ四方を繁華街に囲まれた石田城址ですが、
築城登場は三方が海に面した日本唯一の海城でした。
黒船の来襲に備えて幕末に築かれたとか。
良く見ると元々地続きだった南西方向だけ上り坂があり、
その他の方向は真っ平らになっていて
海城だった頃の面影を窺い知る事が出来ます。


海城だった石田城の見張り台だった常灯鼻。
神社のようになっています。
灯台の原型でしょうか。


車で街を離れて次にやって来たのは鬼岳です。
福江市街の多くの場所からも望む事が出来、
福江島のシンボル的存在になっているそうです。
毎年野焼きしているそうで
神社の傍を除いて木は1本も生えていません。


登山道らしき踏み跡があるので登ってみます。
遮るものが何も無いから風が凄まじい!


火口が見える位置まで登ってきました。
北側に大きく開いた形になっているので
もしもう一度噴火したとしたら福江市街は全滅ですね。
ここからお鉢巡りをするように踏み跡は続いています。


鬼岳山頂(標高317m)に到着。
小さな看板が置いてありました。
大きいと風で吹き飛ばされるんでしょうね。


結構高いように感じるけど、
これで東京スカイツリーの半分の高さなのか…
現代の建築技術は凄い。


次にやって来たのは奥浦湾。
この舟って座礁しているんじゃないよな…


遠浅の砂浜が干潮で美しいグラデーションを描いています。
中潮なのにこんなに潮が引くものなんだな…
大潮の時とかどうなるのでしょうか。


頭上ではトンビとカラスが魚を巡って
熾烈な争いを繰り広げています。
トンビとカラスって戦うんだな…


さて、ここでの目的はそんな空中戦ではなく、
明治41年創建のこの道崎天主堂です。
五島列島の他の教会と違って中は資料館になっており、
入館料も取られる事になります。
江戸時代の隠れキリシタンについての展示が多く、
嘗ては鐘ではなくホラ貝でミサを知らせていたなど
面白い事実を知る事が出来ます。


喉が渇いたので道崎天主堂の隣にあった喫茶店で一服。
こんなハイカラな店構えだから
三、四十代のサーファーみたいな人がやっているんだろう…
と思ったら、何と八、九十代のお婆さんでした。
キリスト教徒だからハイカラという事なのか…?


長崎県道162号で戸岐湾添いを走ります。
カーナビではこの道を使わずに5km近くも遠回りして
わざわざ福江市街に一度戻らせるほど細い道です。
法面から崩れた石が路上にゴロゴロ落ちています。


そんな狭隘区間を抜けて岐宿町に辿り着きました。
福江島は中通島に比べると平地が多くて田畑もあります。
余り島らしくない風景ですね。


岐宿町も抜けて三井楽町にある
道の駅遣唐使ふるさと館にやって来ました。
離島にあるという珍しい道の駅です。
ここで昼食にしました。
休日はバイキング形式になっているようです。
観光客よりも寧ろ地元客で賑わっていました。


道の駅の名に「遣唐使」が入っている事からも分かる通り、
この福江島は遣唐使縁の地、
それも遣唐使が日本で最後に立ち寄った地だったりします。
その為、三井楽町の柏崎には空海が残した
「辞本涯」の句が刻まれた石碑が立っています。


ここもまた滅茶苦茶に風が強い!
波が岩で砕けて飛沫がここまで飛んできます。
授業で遣唐使は命懸けだったという話を聞いても
中国に行って帰るだけで大袈裟なとか思っていましたが、
これを見ると確かに命懸け以外の何物でもありませんね…


辺りには粗末な造りの小屋が建ち並んでおり、
最果て感をより一層高めています。
ちなみに、「辞本涯」とは
「日本の果てを去る」という意味です。


この辺りは塩害の所為なのか強風の所為なのか
荒涼たる草原が広がっています。
この地形を活かして五島牛も飼育されているようです。
農地の間の細い赤茶けた道を走って福江島の西岸へ。


魚藍観音から俯瞰した高浜海水浴場。
福江島きっての海水浴場です。
ターコイズブルーに妖しく輝く海が綺麗。


その反対側も溶岩流で出来た事が良く分かる
玄武岩質の海岸が良く見えて素晴らしいです。
ちなみに、奥の島は嵯峨ノ島と言い、
ここは堆積した火山灰が波で削られた
火山海食崖という地形で有名です。
この嵯峨ノ島も行ってみたかったのですが、
今回は時間の都合上断念。
五島列島はとにかく島が多いので
まともに全部回ろうとすると1週間でも足りません。


工事中の長崎県道50号を抜け、
この旅行最後にやって来たのは
福江島の南西端にある大瀬崎です。
長崎県の有人島としては最西端、
嘗て北緯30°以南の島々がアメリカの占領下にあった時は
日本最西端の有人島でした。
(無人島も含めると同じく五島市に属する
男女群島の女島が最西端になる。)
ここから見る景色も十分素晴らしいけど、
やっぱり出来る事なら灯台の傍まで行きたいよなぁ…


そう思っていたら、灯台に続く
1.2kmの遊歩道があったので歩いてみます。
昼なのに薄暗い鬱蒼とした雑木林の中を進みます。


不意に視界が開けました。
大瀬崎灯台です!


荒々しい東シナ海に洗われる大瀬崎。
正直、与那国島の西崎よりも最果て感がありますね。


海食崖も見事です。
旅の最後に相応しい絶景であった…
…じゃあ、そろそろ帰るか。
レンタカー屋に車を返却して空港へ。


五島福江空港。
現在、五島列島で唯一定期便が就航している空港です。
帰りは飛行機を使いたいと思います。


17:55発ORC76便に搭乗。
さらば、五島よ…!


この便を運航するオリエンタルエアブリッジは
嘗て小値賀空港や上五島空港にも
定期便を飛ばしていた航空会社で、
ブリテン・ノーマンBN-2アイランダーという
副操縦士席にも乗客を乗せられる機体も運航していました。
残念ながら、現在はDHC8-201だけですが。
羽田への乗り継ぎ割引運賃が売り切れだったので
どれだけ混んでいるのかと思いましたが、
39人乗りの機体に僕等を含めて9人しか居ませんでした。

長崎空港で19:15発ANA670便に乗り継ぎ。
こっちは405人乗りのB777-200がほぼ満席だな…
落差が凄い。
そんなこんなで20:52、羽田国際空港に到着しました。


東京に居ると中々ご縁の無い西の長崎県。
その中でも更に西の果てにある五島列島でしたが、
日本の原風景と異国情緒が絶妙に入り混じって
とても心地の良い場所でした。
食べ物が美味しいのも素晴らしい。
観光のシーズンは夏だそうですが、
観光客の少ない島本来の姿が見られたので良かったです。
九州ももっと色々行ってみたいな…


(無題)

2017年01月08日 | 日常
五島旅行第3日目。
今日は中通島を巡ります。



6:56、起床。
生憎の天気…
ゆったりと朝食を済ませてから出発します。
まずは島の北部へ。


険しい山道を走ります。
小値賀島とは違い、中通島はかなり険しい地形です。


そして、流石は隠れキリシタンの島。
普通の場所での神社仏閣と同じレベルで教会があります。
今は日曜の朝なのでミサをやっている教会もありました。
地元のお爺さんお婆さん達が軽トラや
徒歩で教会に集まっています。
軽トラは定番としても、この急坂ばかりの中通島を
徒歩で教会までやって来るって辛くないのかな?
まして、教会は集落よりもかなり高い場所にあるし。
まあ、信心があれば坂なんてどうって事無いのか。


集落内の細い道路を抜けて北端を目指します。
写真は中通島最北の学校、上五島町立津和崎小学校です。


駐車場に車を停めて歩きます。
長崎県なだけあって亜熱帯な雰囲気です。


津和崎灯台。
てっぺんが展望台のようになっていますね。


津和崎から見た小値賀島と愉快な仲間達。
こう見ると小値賀島はとても平坦です。
あと、かなり属島が多いですね。
ここから海岸に降りる階段があったので降りてみる事に。


途中で野性味たっぷりの野良猫が居ました。
竹島と言い、離島の野良猫は逞しいです。


海岸に辿り着きました。
野崎島がすぐ間近に見えます。
舟森集落跡は残念ながら見えないな…
キャンプ場があると看板に書かれていたのですが、
石だらけでテントを張れそうな場所は見当たりません。
また、潮流がかなり速いので遊泳にも不向きです。
何の為の場所なんだろうか。


今日の最終目的地は中通島のほぼ最南端なので
ここから南下しつつ見所を巡っていきます。


まずやってきたのは猫の多い漁港です。
やはり島は猫が多いですね。


この漁港から見えるのが赤ダキ断崖です。
この付近に噴火丘があり、
それが東シナ海の荒波で削られて
酸化した鮮やかな赤いスコリアが露出しています。
知夫里島にも赤壁というのがありましたね。
こちらは南国らしい碧海との対照が美しいです。
曇天の冬の色ではないよなぁ…


上の道路に戻ったところで
丁度赤ダキ断崖の場所にだけ陽光が射し込みました。
おお、神々しい…


今度は赤ダキ断崖の向かいにある
要塞のような岬に行ってみます。


その前に青砂ヶ浦天主堂に寄り道。
明治43年に完成した赤煉瓦造りの立派な教会です。
「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」として
世界文化遺産暫定リストにも載っていましたが、
残念ながら見直しで外れてしまったとか。


そんなこんなで矢堅目公園までやって来ました。
矢尻のような形をしているから矢堅目なのかと思ったら、
敵を見張る為に矢(守備兵)で堅めた事から
その名が付いたのだそうです。
確かに、絶好の見張り場の形をしているもんな…
ただ、とにかく風が強い!
真っ直ぐ歩くのが難しいくらいです。


丁度晴れてきました。
奈摩湾を挟んだ赤ダキ断崖も綺麗に見えます。
さて、朝から動き回っていたからお腹が空いてきたな…


五島列島名物の五島うどん。
うどんにしては細めの麺で、
椿油が使われているらしく喉越しつるつるです。
あご出汁も美味しい。


腹拵えを済ませたら観光再開。
島の東端にある頭ヶ島天主堂です。
鐘を鳴らすと集落の人達が集まってしまうから
鳴らさないようにとの注意書きがありました。
余り大きくない集落なので本当に全員集まりそうですね。


隠れキリシタンの拷問(石抱)に使われた
石が外に展示されていました。
あんなものを膝の上に載せられるのか…


教会のすぐ傍には白浜海水浴場があり、
美しい海を目の前にしたキリシタン墓地もあります。
こんなに開放的な墓地も珍しいですね。


頭ヶ島天主堂は全国でも珍しい石造りの教会で、
沖合のロクロ島には石切り場らしき場所が見えます。
篠島と名古屋城とは違って近くて良いですね。


頭ヶ島のもう一つの観光名所(?)、上五島空港。
そう、中通島には空港があるのです。
嘗ては福岡空港や長崎空港への便がありましたが、
欠航率の高さに加えて海上交通の発展もあり、
利用者数が低迷して平成18年に全定期航路が廃止。
実質的に廃港状態になっています。
波照間島もそうでしたが、
離島交通は現代でも船便が一番強いですね。


ちなみに、上の写真の左側にある階段は封鎖されておらず、
テラスのような場所に上がる事が出来ます。
定期便が発着していた頃は
ここから飛行機オタクが写真撮影に勤しんでいたんだろうな…


しかしまあ、よくこんなところに空港なんか造ったものです。
中通島には平地らしい平地が皆無とは言え、
これなら海を埋め立てた方が遥かに楽だったのでは…


島の中央部まで戻ってから国道384号で南へ。
そう言えば、中通島ってちょっと十字架っぽい形ですね。
だからこそ隠れキリシタンが逃れて来た…?


中通島南端の奈良尾港まで来ました。
ここでレンタカーを返却。
今日の船はここから出ます。
でも、出港まではまだ少しだけ時間があるな…


という事で、徒歩で奈良尾集落を巡ってみます。
奈良尾港からはほんの100mかそこらの距離ですが、
峠を越えなければ辿り着けません。
現在はトンネルが掘られていますが。


峠にあるふるさと観音公園。
隠れキリシタンで有名な中通島ですが、
昔からの住人はやっぱり神道や仏教徒です。


アコウの大木で有名な奈良尾神社。
アコウはガジュマルのような絞め殺しの木です。
アコウは奈良尾集落のシンボルらしく、
アコウ通りなる街路まであります。
おっと、船の出港時刻がそろそろだ!


16:40発九州商船ジェットフォイルに乗船。
空路から旅客を奪った高速船航路です。
上五島空港を廃止に追い遣っただけあって大きいです。


17:10、福江港に到着。
野崎島から始まって南に進み続けて辿り着きました、
五島列島の南西端に位置する、五島で最も大きい福江島です。
名実共に五島の中心地と言えるでしょう。
今日はもう日が暮れてしまったので
宿に荷物を置いてから夕食を食べに出掛けます。


島と言ったらやっぱり海鮮!
このハコフグの味噌焼きとか驚くほど美味しかったです。
観光客はビーチを求めて夏に大挙して訪れるようですが、
冬の島旅というのもまた乙なものですよ。


(無題)

2017年01月07日 | 日常
五島旅行第2日目。
今日は野崎島を巡ります。



4:40、小値賀島小値賀港に到着。
五島列島北部、長崎県最小の自治体小値賀町です。
「おぢか」と読みます。
朝よりも未明と言うべき時間で辺りはまだ真っ暗。
眠い…


そんな人の為に旅客ターミナルには仮眠室があります。
仮眠室と言っても男性用は間仕切りで仕切られた
4畳分のスペースだけですが。
4人しか仮眠出来ないので気を付けましょう。
博多港ではなく佐世保港からの船に乗れば
昼間の普通の時間帯に島へ着けますが。


仮眠を終えたら小値賀港から笛吹港へと移ります。
天気が悪いという予報でしたが、晴れていますね。


7:25発小値賀町営船第三はまゆうに乗船。
わざわざこんなにも早い時間にやって来たのは
この船に乗る為だったのです。


離島の更に離れ小島へと向かいます。


8:00、野崎島野崎港に到着。
これこそが今日の目的地、野崎島です。


一時は600人以上もの人が暮らしていたそうですが、
昭和41年に南部の舟森集落が無人化したのを皮切りに
昭和46年には中部の野首集落が、
1990年代には最後まで残っていた野崎集落も無人化、
平成13年に最後の島民であった沖ノ神島神社の神官が
離島して遂に無人島となってしまったのです。
但し、平成19年に隣の小値賀島から1人だけ移住し、
現在ではそのたった1人の前田さんが島を守っています。


今日はそんな前田さんに案内してもらって
島の守り神である王位石と
それを祀る沖ノ神島神社に行ってみます。
まずは野崎集落跡の道を抜けて登山口へ。


荒涼とした火山灰の大地になってきました。
この辺りは昭和62年に台風が来た際に塩害を受け、
30年以上もの間そのままになっているのだとか。


登山口から振り返って見た野崎集落方面。
絶景!
日本離れしているというか、
諏訪之瀬島を彷彿とさせる雰囲気がありますね。
諏訪之瀬島は一応日本ですが。
ほぼ無人島なのに電柱が立って電線が張られているのは、
この島が九州本土から小値賀島への
送電の中継地点になっているからです。


ここからは樹林帯の中を歩きます。
この辺りは火山ではなく海底地形の隆起なので
野崎集落周辺とは植生が全く違います。
嘗ては参道として整備されていたそうで
所々に石段の跡が見受けられます。
また、シカがとても多いです。
5分に1匹は見ます。
イノシシも海を泳いで渡ってきているそうで、
前田さんはスリングショットを手にしています。
クマは居ないのがせめてもの救いか。


野崎島最高峰の平岳(標高350m)。
展望は皆無です。
ここからは下っていきます。


野崎島北部は中部の火山の影響を余り受けていないのか
ゴツゴツした岩が多く露出しています。
斜度もキツいので慎重に降りていきます。


出発から1時間10分、沖ノ神島神社に到着。


後ろに聳える鳥居のような形の岩が王位石です。
自然にあんな形になったのかな?
人為的に作られたという説もあるそうですが、
詳しい事は未だに良く分かっていないとか。
元々はこの王位石を単に崇めていたところに
704年、遣唐使が小値賀島を経由するようになった事から
航海の安全を祈願して神社が創建されたそうです。
辺鄙なところに見えて海上交通の要衝だったんですね。


王位石の裏にも登ってみます。


着きました。
この王位石は磁鉄鉱で出来ているようで
方位磁針が反応しています。


王位石の間から小値賀島が見えます。
この直線状に本宮の地ノ神島神社があり、
嘗ては夏に小値賀島の集落がクジ引きで順番を決めて
地ノ神島神社からここまで舟で参拝していたそうです。
良く見ると小さな桟橋が残っていますね。


それでは戻ります。
良く見たらパタゴニアのように木々が風で曲がっていますね。
凄い風の強さだな…
昨日は今日より天気が良かったものの、
強風の為に船が欠航したのだとか。
冬の島旅では必ずしも快晴が嬉しい訳ではないのです。


島の中央部にある火口。
直径50mほどの穴が空いています。
結構な大きさの噴火口ですね。


野崎集落跡まで戻ってきました。
ここにもシカが居ます。
完全にシカの島ですね。


港に置いてあった軽トラの荷台に乗って
野首集落跡に向かいます。
こんな車幅ギリギリの道を良くノンストップで走れるな…


速い速い速い!
間違い無く30km/hは出ています。
振り落とされそうなほどです。
小さい島なのに何故そんなに急ぐのか。
サービス精神なのでしょうか。

野首集落にあった旧・小値賀小中学校野崎分校を改装した
野崎島自然学塾村で一休み。
前田さんの住居でもあり、
素泊まりのみながら宿泊も可能になっています。
wifiも使えます。
携帯電話は通じませんが。
雨雲が近付いているようなので
休憩も程々にして今度は野首周辺を散策します。


野首教会。
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の一部として
世界文化遺産に申請される予定の教会です。
中に入る事も出来ました。
アルゼンチンとかの教会と比べると大分ちゃっちいような…
まあ、そもそも迫害されていたキリシタンが
命辛々ここに辿り着いて造った訳で、
大層な教会を大っぴらに造ったりは出来ないか。


野首集落跡全景。
野崎島自然学塾村の為に整備したのかも知れませんが、
野崎集落に比べて民家が非常に少ないですね。
野首集落は隠れキリシタンが拓いた新しい集落で、
元々そんなに居住には適していなかったのか
昔から人の住んでいた野崎集落に比べて
早くに無人化してしまいました。


その野首集落跡のすぐ隣にある野崎ダム。
今使われている建物は野崎島自然学塾村だけなのに
こんなに大きなダムが何故要るのか、って?


何故なら、このダムは小値賀島の水瓶になっているからです。
小値賀島は降水量が長崎県本土に比べてかなり少なく、
最高点が海抜111mと平坦な地形ではダムも造れませんでした。
それに対して野崎島は目と鼻の先の距離ながら
小値賀島より2~3割も降水量が多い上に
標高350mの平岳に代表されるように
急峻な地形が多くてダムも造り易かった為、
この野崎島にダムを造って
海底パイプラインで小値賀島に送水しているのです。
無人化した島も色々と役に立っているんですね。


ダムの下にある野首港。
野崎港よりこっちの方が遥かに小値賀島に近いんだし、
町営船もこっちに着ければ良いのでは…
船をチャーターして野崎島に来る際は
基本的にこの野首港からの上陸になるそうです。


折角なので、島の南端にある舟森集落跡も目指してみます。
何故か排水溝のように散策路が整備されていますね。
山に降った雨を野崎ダムに送るのでしょうか。


まだまだ排水溝は続きます。
テキサスゲート的なものなのかとも思ったのですが、
シカは普通に飛び越えていたので違いますね。


排水溝が途切れて登山道に変りました。
と同時に雨が降り出してきてしまったので
残念ながらここで撤退。
まあ、そもそも帰りの船の時刻的に
舟森集落跡は大分厳しかったけどな…


野首海岸まで戻ってきました。
野崎島自然学塾村のすぐ下にある砂浜で
長崎県屈指の美しさを誇る海水浴場です。
と言っても、雨天の1月では泳いでいる人など居ない…
と思ったのですが、何と1人居ました。
いや、この島は緯度で言ったら佐世保よりも北で
今日とか普通に12℃くらいしかないのですが…
見ているだけで寒い!


海岸の傍には無造作に置かれた罠が。
イノシシ用のようですね。
こんなところに置いて掛かるのかな?


雨が強まる前に港へ戻ります。
中々に景色の良い道です。
しかし、年度末で色々工事している所為か
かなりの頻度で軽トラが通るのでちょっと危ないです。
余り無人島感は無いな…


それにしても美しい海です。
とても冬の雨天下の海ではない。
夏だったらこんな軽トラの行き交う急坂じゃなくて
岸沿いを泳いで港まで行ったのになぁ…
いや、潮流が危険なんだろうか。


打ち棄てられた段々畑。
水は乏しいが平地の多い小値賀島の正反対で
水は豊富だが平地がほぼ無い野崎島では
このような段々畑で耕作が行われていました。
傾斜のキツい舟森集落のものは特に有名です。


打ち棄てられた神社。
隠れキリシタンで有名な五島列島ですが、
昔から住んでいた人達は普通に神道を信仰していました。
特に野崎集落はほぼ全員が沖ノ神島神社の氏子でした。


打ち棄てられた民家。
壊れていくままになっています。
人が住まなくなった家は脆いです。
何故なのかな?


水に富んだこの島は嘗て
小値賀島にもまして裕福な島でした。
しかし、戦後の経済成長に取り残され、
現金収入を得る手段に乏しい野崎島は捨てられてしまったのです。
離島や山村は貨幣経済には不向きですね…


15:10発小値賀町営船第三はまゆうに乗船。
小値賀島に戻ります。


折角なので小値賀島もちょっとだけ散策します。
小値賀島を含む小値賀町は平成の大合併の際に
佐世保市長がやって来て合併を打診したものの断り、
長崎県最小の自治体としてやっていく道を選んだガッツのある町です。


笛吹港から徒歩圏内にあった観光スポット、阿弥陀寺万日堂。
裏手から大勢の犬の鳴き声が聞こえてくるのが気になる…
小値賀島も様々な観光名所があるのですが、
今回は時間が無いのでここで戻ります。


17:05発五島産業汽船ありかわ2に乗船。


狭い!
広角レンズで撮ったので広く見えてしまいますが、
驚くべき狭さです。
客席9席と雑魚寝スペース6畳弱のみ。
雑魚寝スペースは天井まで150cmくらいしかありません。
高々35分しかないような航路なのに
この狭さで雑魚寝スペースを設けるのか…
有難く寝かせてもらいました。


17:50、有川港に到着。
新上五島町の中通島です。
ここで親と合流してレンタカーで宿へ。


隠れキリシタンの島だからなのか
教会チックでハイカラな宿に泊まりました。