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そらいろ

旅とアートの雑記帳… 旅・自転車・写真・音楽・陶芸など身近な話題を気の向くままに…

Cappadocia カッパドキア 洞窟と岩の家

2013-03-11 | 旅行

 カッパドキアの続きです。

 「掘りやすい」岩盤を活用して、大きな岩の中に穴を掘って実際に今も現地の方が生活しています。その昔(4~5世紀頃)、キリスト教徒が迫害から逃れるために、岩の中や地中に身をひそめて暮らしたとのことで、いくつかの地下都市も見つかっています。











 実際に生活しているご家族の家出お茶をごちそうになりましたが、観光コースとして受け入れているようです。
 この目玉のような飾りはお守りです。お土産にもいい感じです。




 岩山の城塞も遠くに見えました。




Cappadocia カッパドキア奇岩

2013-03-10 | 旅行
 再びカッパドキアにもどります。

 世界遺産の「ギョレメ国立公園およびカッパドキアの岩石遺跡群」は、色々な形をした奇岩を見るだけではなく、その地に住む人々の厳しい歴史を知ることができます。双方とも、岩盤が柔らかいため、「浸食されやすい」または「掘りやすい」という特性に由来しています。

 初めに、奇岩の方をいくつか… 












 このような景観を気球から眺めるツアーが盛んなわけですが、下の写真は「ローズバレー」といって、夕焼けが反射して、波打つ岩肌がピンク色に染まるポイントです。あいにく夕刻には雲がかり、「いつもはもっと美しい」とガイドさんが嘆いていましたが、それでもなかなかきれいでした。





 
 カッパドギアの記事はさらに続きます。


Bergama ベルガマ

2013-03-10 | 旅行

 ゴンドラで天空へ!




 ベルガマの街並みを一望出来るアクロポリス遺跡。大劇場やトラヤヌス神殿など、ローマ時代の歴史的建造物が山の上に立ち並びます。











<トラヤヌス神殿>


<山肌を利用した円形劇場>





 ゴンドラの頂上駅にはお土産物屋さんがいくつか軒を並べていましたが、ここでも猫ちゃんたち(ノラちゃんでしょうか)が、気持ちよさそうでしたよ。








エフェソスへ 2

2013-03-09 | 旅行

 昨日はシルエットで登場しましたが、地元で有名な(勝手にそう思ってるんですが)猫ちゃんです。

 



 エフェソス遺跡のいくつかをご覧ください。この日はとても暑かった…











<図書館のようです>




<水洗トイレ>


<円形劇場>


 エフェソスは広大でした。
 遺跡の入口(出口かも)から入って、1時間30分ほど歩いたかもしれません、反対側の出口にバスが回っていました。


 またまた、話は前後しますが…
 このエフェソスの前に立ち寄ったのが、天空に築かれたベルガマの遺跡でした。ゴンドラで昇る途中、山の斜面にヤギ(ヒツジ?)が放牧されていました。








 ゴンドラ乗り場には、「ベルガマ」のマスコット「ガマ」君がにらみをきかせていましたよ。



 
 つづく…








エフェソスへ 1

2013-03-09 | 旅行
 話が行ったり来たりですが、トルコの話に戻ります。

 エーゲ海に面するトルコにはギリシャやローマ的な遺跡があちこちにあります。旅の二日目はイスタンブールから海峡を渡り、「トロイ」を経て、エーゲ海が見えるアイワルクのホテルに宿泊しました。

<ワイマルクの朝>





 翌日、朝早くに出発し、歴史のあるイズミールの街を経由して、エフェソスへ。
 この遺跡を発見したのは、イギリス人ジョン・ウッド。彼らは、1863年から7年にわたり発掘を続け、1869年アルテミス神殿跡を発見したそうです。東方の古代遺跡発掘のさきがけとなり、このあと、シュリーマンがトロイアやミケーネを発掘しました。最も古い神殿は、紀元前700年ごろのものと推定されています。




 この猫ちゃんは有名みたいです。(眠いので、つづく…)

 


ブルーモスク

2013-03-06 | 旅行
 イスタンブールはトルコ周遊の旅程初日と最後日でした。昔からの東西文化の交流点として、歴史にもたびたび登場するパワフルな都市ですが、別の名前の「ビザンチン」とか「コンスタンチノープルと」いうと世界史の教科書を思い起こします。庄野真代の「飛んでイスタンブール」も懐かしい…

 街中は数々の歴史建造物や文化で華やぎますが、今回の旅では美しい「ブルーモスク」が印象に残りました。ツアーでなかったら、何泊でもして旧市街の隅々まで歩いてみたいと思いました。





〈夜は…〉



《ウンチク》 
 オスマントルコ帝国当時のスルタン、アフメット一世が建築しました。別名「スルタンアフメットモスク」といいます。ミナレット(モスクの周りの塔)が6本あり、世界で唯一のものです。(通常は1~4基)
 AllAboutによりますと、当時スルタンの命令を受けた建築家が「アルトゥン(金)」を「アルトゥ(6)」と聞き間違えたという説が有力らしいです。

 モスクの内壁は16~17世紀初頭に作られたイズニックタイルで覆われています。







 ステンドグラスも美しかったですよ。



 宿泊は、「コンラッド」でした。朝食がとてもおいしかった。




 2020年のオリンピック開催を我らが「東京」と競っているイスタンブールですが、放射能や地震への不安を抱える「東京」は、隣国シリアから火花が飛んできそうなこの都市に勝利することはできるのでしょうか。

Pamukkale(パムッカレ)

2013-03-05 | 旅行
 過去の旅行の記事を少々 … 
 不謹慎かも知れませんが、先日の「気球」 → カッパドキア → トルコ旅行を思い出してしまいました。その時のコースを振り返り、印象に残っている場所をいくつか書き留めてみます。

 まず初めに、「パムッカレ」。
 イスタンブールの南方でエーゲ海から内陸に入ったあたりに位置します。パムッカレとは、この地方が綿花の産地であったことに由来しており、トルコ語で「綿の宮殿」という意味だそうです。「宮殿」とはヒエラポリス遺跡のことでしょうか。

 炭酸カルシウムが溶けた地下水が地熱で温められて地表に湧き出し、その温水中から石灰が沈殿して純白の棚田のような景観ができています。「秋芳洞の百枚皿」とか中国の「黄龍」が純白になったようなイメージです。






 果てしなくというわけではありませんが、かなり広い範囲が真っ白で、しかも、流れているのは温泉です。朝早い時間に訪れたので、湯気が立ち込めて、なかなか壮観でした。








 「足湯」ができます。でも、スリップにご注意!




 近くにはヒエラポリス遺跡があり、








ローマ帝国の時代には、温泉保養施設となっていたそうです。14世紀の地震で廃墟になりましたが、温泉の中に遺跡が沈んでいて、日本の温泉とは趣が異なります。



 


 旅行の前にテレビで放映されて、実際に見てみたいと思った場所でした。納得!!

熱気球はトルコにも

2013-02-27 | 旅行
 
 エジプト南部のルクソールで起きた熱気球の爆発・墜落事故は、日本人4人を含めて世界からの大勢の観光客が犠牲になりました。万が一に備えて消火器ぐらい積んでいたと思いますが、このエジプト人操縦士は火を消すどころか、観光客を残したまま真っ先に飛び降りて逃げていたとの報道。そのおかげで、重量が軽くなった気球は再び上空に舞い上がってしまったようです。操縦士も最低ですが、安全対策や危機管理を怠った事業者にも大きな責任があると思います。(ニュースで映されていたボンベからは、構造的には消火器は役に立たないみたいですが)
 古代遺跡を空から見てみたいという気持ちはよくわかりますし、今回のような事故が起きるとは予想だにしていなかったのではないでしょうか。

 2年前を思い出しました。トルコのカッパドギアでも熱気球に乗って上空から自然の奇景を眺める観光が盛んに行われています。その情景をバスの車窓から見上げながら、次に来たときは気球にも乗ってみようかと思いましたが、今回の事故でその気持ちは小さくしぼんでしまいました…

〈夜明けととも〉




〈こんな地形です〉


〈小高い丘から撮りました〉
 

 確かに一見の価値はあると思うんですが…

アンコール遺跡からハノイへ

2013-01-16 | 旅行

 アンコール遺跡の次に訪れたのが観光コースには必ず含まれる「ハロン湾」の景観です。(この翌日…最終日に、データ一杯のコンパクトデジカメをすられてしまったことを思い出してしまうのですが)
 一眼の方で撮影したお写真をいくつか…










 ベトナムは南北に長いという地理的なことの他、歴史的な背景もあってか、ハノイとホーチミンは街の様子や住民のイメージもかなり異なっている印象を受けました。

 

 

アンコール遺跡群 その4(トピックs)

2013-01-15 | 旅行

カンボジアについて

《歴史にふれる》
 現地のガイドさんは、小さいお子さんがいるという男性の方。日本にはまだ行ったことがないよと言っていましたが、とても日本語がおじょうずでした。
 その彼が、「この国は、子供は多いが壮年から老年にかけての人口が極めて少ないんですよ。ポルポト派に虐殺されたからです。自分の親戚も殺されました」と話されていました。

 クメール人のこの国は、16世紀頃からポルトガルやスペイン、その後17世紀になるとフランスに支配され植民地人となっていました。第二次大戦後、シハヌーク国王の下で1949年に独立したものの、ベトナム戦争の影響を受け内戦状態となり、戦後ポルポト政権下では、わずかな期間に飢餓、虐殺などで100万~200万人以上の死者をだしたとされています。教師、医者、公務員、宗教関係者など良識ある人々が強制収容所に送られ、その殆どが帰らぬ人となりました。1979年にベトナム軍の侵攻によりポル・ポト政権は打倒されましたが、しばらく混乱は続き、1990年代にようやく、憲法の制定や議会制の発足が見られました。

 シェリムアップには大きなホテルが立ち並び、一見大都市のように見えますが、国全体はまだまだ貧しく、諸外国の支援に期待しているとのことです。産業の芽出し、学校の設立や地雷の撤去など、実際に日本も含め、多くの外国人や企業・NPOが頑張っているようです。

 お土産として有名な「クラタコショウ」の農園や「アンコールクッキー」のお店は、日本人が経営し地元の雇用に貢献しています。

 ガイドさんは、また、「(車窓から見える)この公園は日本のイオンが造ってくれた」、「カンボジアには発電所が無いので、隣国から電気を買っている」「50万円あれば、学校がひとつ作れます」「次代を背負うのは子供たちなので、教育には力をいれないと…」などとも話していました。

 
《入国について》
 ベトナムは短期間の観光ならばビザも入国カードも不要でしたが、カンボジアは観光旅行者でもビザが必要です。
 取得方法は色々ありますが、ネットから申請用紙をダウンロードして郵送での手続きもできます(パスポートも一緒に送らないといけない)し、また、「e‐VIZA」でネット申請も可能になったようです。

 でも、何事も経験と思いカンボジア大使館まで出かけました。メトロ「青山一丁目」から10分ぐらいですが、ちょっとわかりにくいかも…。現在は、午前中だけの受付のようです。パスポートと申請用紙、写真が必要です。申請書の書き方は見本が置いてあります。見本の氏名が「車寅二郎」だったような気がします。
 申請に1日、受け取りに1日と二日間かかると聞いていたのですが、その日は空いていたのか、「少し待ったらできるよ」と言われたので、30分ほど待ってゲットすることができました。でも、何日か余裕を持った方がいいと思います。
 ツアーなら旅行会社に頼んでもいいのですが、手数料はかなりお高いようです。私が行った時も、パスポートの束をもった旅行会社の人を何人か見かけました。
 カンボジアの空港や国境でも発行してくれるようですが、事前に取得した方が確実だ思います。なお、ビザは有効期間があって、再訪の時は取り直しになります。

 さて、ジェムリアップ空港で入国審査ですが、こちらも厳しかったです。時間をかけられた上に、おそらく初めての入国だったからだと思いますが、指紋まで撮影されました。でも、「楯突いちゃいけない」みたいです。

 
 以上、参考までに…