家はベニヤ板で出来ていて
階段は梯子状で
トイレは水洗で
風呂はなくシャワーだけ
父は月給50万貰っていたが
家賃がとても安かったのと
福祉の援助が受けられるので
ここから離れなかった
車も購入せず
そんな暮らしをしていたが
食べ物に関しては粗末なものは与えられなかった
近くには10階建ての市営住宅が2棟あり
そこには沢山の家族が住んでいた
僕は団地の人たちが羨ましかったが
団地に住む人たちは
僕の住む地域の事を妬んでいた
団地の子供たちと僕は交流はほとんどなかったが
めがねをかけて小柄な女の子のひな祭りパーティで
行ったことがある
父は指定地域外に
家を一軒購入した
そして学生に貸した
家は指定地域外にあるので
子供がいわれなき迫害を受けないように
住所を貸してくれないかという
申し出がいくつかあったのを覚えている
団地の子供たちは
自分達の境遇を自覚しており
みな何かに怯えていた
自分は自分の取り囲む環境に無知だった
家は40年一回改築があったが
親は住み続け
そして親は二軒目の家を伏見に買った
その後市の立ち退きにあい
新しく市が建てた市営住宅に住んだ
伏見の家は妹に譲ったようだ
生まれすんだ土地の二棟の市営住宅の周りの
区画整備は今もなお市が行っている
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