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七月披講

        兼題  金魚玉  滴り   

  天   ヒロシマの一瞬の黙金魚玉   模楽宙
うまい!取り合わせの妙だ。「黙」がこの句を引き締めている。ヒロシマのカタカナ表記が決まっているのはなんだろう(雅田如)

  天   ヒロシマの一瞬の黙金魚玉   模楽宙
灼熱の白い閃き マグネシウムの閃光 そして一瞬の黒い闇 さしずめ悪魔の黙示録
金魚玉の世界は 別次元の別空間 かっての鮮烈な記憶すらも そこに無い透明の虚無(変竹)

  天   ヒロシマの一瞬の黙金魚玉   模楽宙
ヒロシマとなぜカタカナにしたのか始め意味が解らなかったが、作者は八月六日のあの一瞬に限定した広島を言いたかったのだろう。原爆が炸裂した閃光に一瞬すべてが沈黙した。縁側に置かれた金魚玉も例外ではない。地に動くものすべてを跡形もなく消滅させた原爆の禍々しさを金魚玉の沈黙に象徴させてお見事(ありま茜)

  天   ごきかぶり叩きしまでの大きさよ   模楽宙
ふてぶてしい程逞しく、黒光りする此の昆虫も、ひとたび人の手にかかった姿を目のあたりにすれば、やはり一抹の憐憫の情が湧くものならん(粒石)

  天   一陣の風に滴りのなほあらわ 粒石
一定の規則正しい滴りの水が突然の風によって、大きく形を崩されそうになるが、必死に元の姿を維持しようとする。そのけなげな様子を『なほあらわ』によって想像されます(模楽宙)

  地   鬼やんま海の蒼さへ引き返す     雅田如
すいすい気分良く飛んでいたら海へ出てしまった。これはいかんと引き返しかけたが、あまりに海が蒼いもので、もう少しだけ先へ行ってみようと、また羽を沖へ翻した、そんな光景だろうか。鬼やんまの気持は作者のきもちなのだろう。面白い(ありま茜)

  地   緑り濃き中に朱塗りの仁王門   塩     
この人の句は常に実景 だから仁王像でなく仁王門 この句も栃木への旅での詠とか
深く濃い緑の中にあっては 憤怒の仁王 真っ赤な瞋恚さえが 柔和な慈悲仏にヘンげ(変竹)

  地   滴りや昼は陽の色夜は月の   ありま茜
滴りの季語をこんな風に表現出来るのだと驚きである。詠者の感性に感動した(雅田如)

  地   キルギスの草原を風が金魚鉢   変竹
金魚鉢は夏の季語だが、風が吹いている草原によって暑さよりも涼しさを感じさせてくれます。金魚鉢を覗くと、太古のキルギスの戦乱に明け暮れた歴史が見えてくる様です(模楽宙)

  地   チベットの峠の石や盂蘭盆会   変竹
草木も絶えて渺渺たるチベットの大地に身を措けば人間の小智など一握の芥にも等しいと感じるのではなかろうか(粒石)

  人   チベットの峠の石や盂蘭盆会   変竹
チベットを旅していて峠の石積みを見た。何か宗教的ないわれのある石か。ふと季節柄遠い日本のお盆を思い出した、というような意味だろうか。はるかにヒマラヤの峰々を臨む景観が儲けものだが、 チベットの石積みを(写真でも)目撃した人でないと「峠の石」がわからないかもしれない(ありま茜)

  人   天からの滴りみちて水の星   変竹
水の星とは地球のことか、あるいは全くの別世界なのか、とにかく滴り続けて湖がいっぱい有る星、又は海だけの世界か。天からは休みなく滴り続け、恵みの水となるが、しかし人間にとっては少し憂鬱かも(模楽宙)

  人   白百合の神が授けし白さかな   粒石
敬虔なクリスチャンのような穢れのない透明な心と自然界への畏敬の念を持ち合わせた人でなければ出てこない発想だ。やわらかくあたたかい包み込むような白である(雅田如)

  人   白百合の神が授けし白さかな     粒石
かぐわしき清楚な香り 純潔無垢な少女の白 神以外のたれが創造しえるものか
一方で 「百合族」「薔薇族」の世界もある この「美」もまた神の与えしものなるや(変竹)    

  人   はるけくも鍾乳石の滴りし   模楽宙
まこと気の遠くなるような年月を経て、今目の前に滴り落ちる水滴、畏怖の念を禁じ得ない(粒石)

  佳作  日暮るるや浴衣の柄は大輪に   ありま茜
ぎすぎすしている今日の世相にあって一服の清涼剤だ。昭和の中頃までは、夕涼みには浴衣が定番だった。現代と較ぶれば、哀れなほど貧しい暮らしではあったが、何故か楽しかった。人々から笑顔が絶えなかった。あの頃の笑顔は何処へ征ってまったのか(粒石)(老人のボヤキなり)

  佳作  日暮るるや浴衣の柄は大輪に   ありま茜     
新珠三千代逝って以来 浴衣の艶な女優が浮ばない 昼顔のカトリーヌドヌーブは如何…?
それはともかく さすが「写実派」の巨匠 夕闇になればこそ 大輪の花が艶やかにとは(変竹)

  佳作  もう一人の己が映る金魚玉     雅田如
この世の隣りには もうひとつの小さな宇宙が となりあっているパラレルワールド
その小宇宙にも もう一人の己が生きている その己は 善をなすや 悪をなすや(変竹)

  佳作  明日また来るねとタッチ蓮の花    雅田如
かれん蓮の花は 朝ぽこっと 愛想良く 咲く 夕刻 さよならサンカクまたきてシカクと
ステップで帰って行く そしてまた 朝 ぽこっと愛想よく咲いて 花蓮にハイタッチ(変竹)

  佳作  大利根や遥かに嶽を滴りし   模楽宙
句の形に破綻はないが、発想に新味はない(ありま茜)

  佳作   背泳の女が一人夜のプール  雅田如    
実景とすれば破綻はないが、「女が一人」にやや作為が見える(ありま茜)

  佳作  緑濃き中に朱塗りの仁王門   塩
この静寂の中に身を措くと、何か心が揺さ振られる。それは、吾々が普段識らず識らず心の中で求めている自然への回帰の予兆かも(粒石)

  佳作  人の世のことなど知らんと金魚玉   粒石
どろどろした混迷する社会、時々こういう心境になりますよね。昨今の報道のあり方に疑問を感じる。当方の考えですが、中8の「と」はなくてもいいのでは。言いっぱなしのほうが、投げやりな表現でおもしろいかも(雅田如)

  佳作  金魚玉たたく手をもて鎌をとる   ありま茜
なんとも不可思議な俳句である。泳いでいる格好が鎌を持って草刈に勤しんでいるように見えたのだろうか。ランチュウか出目金かいずれにしても、その格好は滑稽だ。実はもっと深い味があるのだろうか・・・・(雅田如)

  佳作  人の世のことなど知らんと金魚玉   粒石
金魚玉の金魚にとっては今住んでいる所が全て。外の世界が見えているのかどうか、見えたとしても歪んだ異次元の世界か、そしてその異次元世界によって、金魚玉の運命が左右されてしまう事も知らずに悠々と泳いでいる(模楽宙)

  佳作  梅雨晴間遠くに見ゆる紫衣の山   塩
梅雨の間の僅かに日がさすとき、湿気を帯びた空の彼方にむらさきがかった山がうかんでくる。幽玄な情景が浮かんでくる句です(模楽宙)


      次回兼題   踊一切  天の川
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七月投句

        兼題  金魚玉  滴り 

緑り濃き中に朱塗りの仁王門      塩   
白百合の神が授けし白さかな       粒石     
チベットの峠の石や盂蘭盆会      変竹        
鬼やんま海の蒼さへ引き返す      雅田如
子にあらば水にざんぶと日の盛り    ありま茜  
ヒロシマの一瞬の黙金魚玉         模楽宙
背泳の女が一人夜のプール        雅田如
金魚玉たたく手をもて鎌を取る      ありま茜  
明日また来るねとタッチ蓮の花      雅田如
蘭鋳や紺碧の空に田を零る        模楽宙     
人の世のことなど知らんと金魚玉     粒石
もう一人の己が映る金魚玉        雅田如
キルギスの草原を風が金魚鉢      変竹  
金魚玉竜宮城のこそばゆき       ありま茜    
見とおして未来みつめる金魚鉢     変竹
大利根や遥かに嶽を滴りし        模楽宙
滴りや苔はれんめん太古より      変竹   
はるけくも鍾乳石の滴りし        模楽宙
滴りや昼は陽の色夜は月の       ありま茜    
前頭葉に滴り落ちる蜜の味        雅田如
天からの滴りみちて水の星        変竹           
この宇宙時空の淵をしたたれる      模楽宙
一陣の風に滴りのなほあらわ       粒石
買ひ来たる風鈴にわが軒の風      ありま茜    
梅雨晴間気分軽やか旅にでる      塩      
日暮るるや浴衣の柄は大輪に      ありま茜
つゆ明ける東海の天仰ぎみる      変竹    
一面に板碑を覆う凌霄花        雅田如
今日の日を己のままに麦の秋       粒石
ごきかぶり叩きしまでの大きさよ     模楽宙
梅雨晴間遠くに見ゆる紫衣の山     塩     
                                                       
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六月披講

       兼題  蟻一切  油照

  天   木の橋に菖蒲の風の渡りをり    塩 
菖蒲園にかかる木の橋が近づくと、早くも菖蒲の薫りがただよっている、そんな趣き。美しい菖蒲見たさに逸る思いが伝わってくる好句だが、すんなり詠まれすぎて面白みが足りない。「渡り来る」とすればどうか。「をり」を「来る」に変えるだけで薫りを含んだ風が作者を出迎えるニュアンスが出てくる。俳句は適度に「引っかかり」を作った方が面白くなります。勿論効果的な「引っかかり」です(ありま茜)

  天   この列に加わるべきと蟻の声    雅田如
どうも 長い列にならぶのは苦手だ… 我ながら特別な理由は思いつかぬのだが…
小さな正直者の はたらき蟻さんに そう言われてもねぇ ちょっとねぇ…(変竹)

  天   一条の光り天空ありじごく    変竹
人生どうにもならない命の果て、しかし、そこに慈悲深き観音のしなやかな指先が幽かに招いている。すがる煩悩に溺れた衆生の群れ。一幅の宗教画だ。「ありじごく」をひらき文字にした詠者の心情に感動した(雅田如)

  天   二の腕に蟻がもの言ふ仕草かな    ありま茜
知らぬ間に、二の腕に這い上がってきた蟻を必死に払いのけている。『もの言ふ仕草』によって、その姿を容易に想像させてくれます(模楽宙)

  天   白といふも力さまざま夏の雲    ありま茜
蒼天を背にして浮かぶ白雲、混然とした下界を睥睨しているかのようだ(粒石)

  地   二の腕に蟻がもの言ふ仕草かな    ありま茜    
二の腕に乗った蟻は たしかにご主人さまに なにごとか訴え掛けてもいるようだ
さすが「写生派」宗匠の観察眼 「写生」とすれすれの擬人化ユーモアも いい(変竹)

  地   蟻の塚利根の氾濫なき如し    模楽宙 
利根川そばの蟻塚にふと目を留めた作者。川が氾濫したらどうなるか、そんな気がかりなどどこ吹く風といった蟻塚のいつもと変わらぬ風景。とくに利根川の大と蟻塚の小を同じ目線に置き、大にも負けぬ小のしたたかさを感じさせるところが面白い。が「利根の氾濫なき如し」では過去に氾濫がなかったように聞えるかもしれない。そこでわざと字余りにして(参考)「蟻塚や利根の氾濫なきが如し」として将来の氾濫に比重を移す。字余りも適正に使えば「引っかかり」になります(ありま茜)

  地   現し世にメール充満す油照    模楽宙
もしメールに質料があれば、歩きながら身体にゴツゴツぶつかるかもしれない。そのくらいメールが氾濫している現代風俗を油照のじりじりした季節感で捉えたところは秀逸。但しメールは現世にきまってるからわざわざ云うことはないと思うが。それに「充満す」が未熟。中七の字余りはできればしないほうがいい。リズムが壊れる。参考「現し世にメール飛び交う油照」メールは飛び交うイメージでは? これで無用の字余りも消えます(ありま茜)

  地   赤信号次ぎは何色油照り    粒石
記憶が鮮明なのは今でも不思議だ。場所は銀座8丁目博品館前の信号で午後1時過ぎた頃、信号が赤になり横断歩道で信号を待っていた。そして、なかなか信号が変らない、まだ変らない、まだまだ、と思っているうち、座り込んでしまった。当時の持病の「眩暈」でどこをどう歩いたか、気がついたのは新橋駅(雅田如)

  地   日和見の動き哀しき青蜥蜴    雅田如
蜥蜴が草むらから出ると、人の目を意識してか、一瞬動きを止める。こちらに合わせているかの様でもあり、危険を察知すると身をすぐ隠す。しかし尾だけが見えていて、なにか哀れな、又コッケイな感じがするものです(模楽宙)

  地   三畳間なすこともなし油照り    変竹
「三畳間」なる熟語を耳にするのは何十年ぶりのことであろうか。昭和初期までは多くの家の玄関の上がりがまちには三畳間がしつらえてあった。懐かしい情景だ。而し、エアコンなどとは無縁の暮らし、往時の蒸れかえるような暑さが思い出されてならない(粒石)

  人   蟻地獄つい見てしまふ事故現場    模楽宙
折しも真夏の事故現場。通りがかりについ覗いてしまうのはまるで蟻地獄に引き込まれるに似ている。「蟻地獄」と「事故現場」に野次馬の心境を重ねたのは面白いが、「蟻地獄」と「事故現場」の置き場所がしっくりこない。それに中七の「つい見てしまふ」が未熟。と言って適当な例もないが、(参考)「事故現場覗いてみたき蟻地獄」 覗きたい野次馬根性を事故現場と蟻地獄両方に掛けてみたが、もしニュアンスが違ったら失礼(ありま茜)

  人   現し世にメール充満す油照    模楽宙     
一詠 電子メールの多さに うんざりしている作者 かなと思ったが そうではなくて
広告郵便のことかも ましてや それを配布してる人を想像すると 油照りは堪える(変竹)

  人   武蔵野はついのすみかか蟻の塔    模楽宙
「武蔵野」と言えば国木田独歩だ。豊かな自然の武蔵野の風景を描いた清新な名文と聞く。下5の季語で自然界が日々繰り返す営みが表現されて、何気ない一日が過ぎてゆく安らぎを感じる(雅田如)

  人   蜜豆や窓際に居る束ね髪    雅田如
「蜜豆や」とキレを入れたのは立派。だがあとの「窓際に居る束ね髪」との関連性が薄く、句意を読みにくくしたのが惜しい。評者なりに判断すると、風呂上がりで濡れ髪を無造作に束ねた女性が、窓際の風にあたりながら冷やした蜜豆を食べている図。湯上がり女性のしどけなさとしっとり感がある。ここは素直に(例句)「蜜豆と窓際に居る束ね髪」でいいのではないか(ありま茜)

  人   二の腕に蟻がもの言ふ仕草かな    ありま茜
二の腕と言えば何故か艶やかな女性像が浮かぶ。無粋だがこの小さな生物が「人間達よもう一寸とまともになれないものか」と問いかけているように思えてならない(粒石)

  人   あなかしこあなまっしぐら蟻の道    変竹
延々と続く蟻の行列を、驚嘆の声を発するくらいに興味しんしんと眺めている。句頭韻をそろえた風変わりな句です(模楽宙)

  佳作  木の橋に菖蒲の風の渡りをり    塩    
爽やか 涼やか この人の詠には いつも清新な風が吹いている お人柄のなせる技か
なつかしい木の橋を渡るのは 菖蒲田を抜けて来た風なのか 詠者自身なのか?(変竹)

  佳作  木の橋に菖蒲の風の渡りをり    塩
菖蒲園にそよ風が吹き、橋に佇んでいると菖蒲の香りが見えて来るような句です。木の橋がいかにも菖蒲園を思わせてくれます(模楽宙)

  佳作  草むしり昨日も今日もわら帽子    粒石
夏草の勢いは逞しい むしっても毟っても 伸びてくる生命力 それとの対比での
麦藁帽子は 飄々としていてユウモラス 青き若さと 円熟の醸成の 人生風景也や?(変竹)

  佳作  菜の花へいつのまにやら童歌    粒石
菜の花にみとれるうちに、いつかわらべうたを口ずさんでいた、という句意。きれいな句だが、菜の花に童歌は付き過ぎではないか。「付き過ぎ」とはイメージが似通った言葉を使うことで、付き過ぎの句はイメージが広がらない欠点があります(ありま茜)

  佳作  赤信号の次ぎは何色油照り    粒石
暑い昼下がりに信号待ちでジリジリとしている。その様なとき、信号が変わるまでは余計に時間がかかるように思われるものです。油照りでその心境が現れています(模楽宙)

  佳作  ハンカチの折り目深きや紅の色    雅田如
その昔、ハンカチと言えば白一色、そして火のしが効いたものが定番であった。その頃のお洒落はきりっとして奥床しかった。それにしても紅の色とは意味深長だ(粒石)

  佳作  見迷いしオオタカの巣や夏来る    雅田如
以前 来た時には たしかに この辺りにあった大鷹の巣 若鳥たちが 巣立ったのか?
もっとも おおたかの森に ある日突然 巨大なビル群が林立するご時世 見当はずれ?(変竹)

      次回兼題   金魚玉    滴り
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