むらくも

四国の山歩き

正善山~権現山(徳島県)

2009-07-18 | 剣山系


正善山(しょうぜんやま)・権現山(ごんげんやま)

標高  1229m、1055.4m
登山口 徳島県美馬市杖立峠
駐車場 道沿い広いところに駐車可
トイレ  なし
水場   なし




大雪山系遭難10人死亡、衝撃的なニュースが飛び込んできた。なんらかの形で山に親しんでおられる方はテレビや新聞に釘付けになったのではないだろうか。この山では過去にも多くの似たような遭難事故を起こしている。6月の初旬にはまだミゾレが降るような山で、7月に入っても山頂が一桁台の気温しかない日もあるとのことだ。

どの記事をみても大勢は旅行会社の計画に無理がなかったか、あるいはガイドの行動や判断に疑問、中高年登山者の遭難事故の急増などに焦点が当てられていた。高年に入る私としてはなんだか肩身の狭い思いをする内容だ。

16日の第一報から、時間が経過するたびに具体的な内容が明らかになってきた。14日に入山し旭岳・白雲岳・忠別岳・トムラウシ山を経て16日夕方に下山する計画だった。距離41.5km、これを3日間で歩き通すにはやはりベテランの方たちだったのだろうと推察される。問題の16日はヒサゴ沼避難小屋を午前5時半に出発している。気温は7度、雨は前日から降り続いており、さらに風は強まり暴風雨状態。ツアー参加者からは出発を危ぶむ者もいた。4人いたガイド・ポーターのうちポーター1人は小屋にとどまる。風がやや収まったので出発。

倒れた登山者の救助にあたった隊員からは「遭難者の装備は夏用のシャツで特別な防寒具は持っていなかった」の証言。一方で下山し救助された登山者については、診察に当たった医大の教授によると、登山用のウエアや雨具・服装はしっかりしていた」と話している。

今回のこの遭難事故、問題点はいっぱいあるだろう。若くはない高齢者の登山、旅行会社の寄せ集めのツアー、ガイド、山岳協会のこの山に対する認識などなど。しかし、山歩きをする者にとって、最も大切なのは、生死の分かれ目に関する一点だけの結果を十分過ぎるほどに見極めないといけない。

①その山の最新の情報と知識 ②登山用具と装備 ③行動計画と非常時の対策 ④普段の健康と体力  
山は楽しく、達成したときは最大の歓びを得ることが出来る。しかし、自然は決して人間にとって都合のいいことばかりではない。一旦牙を剥けば、人間の知恵など簡単に打ち砕かれるし、ときには準備したはずの装備さえ何の役にもたたないときもあることを肝に銘じるべきだろう。しかし、助かった者の装備はやはりしっかりしていたようだ。この山に対する認識があったということだろうか。



心を痛めながらも三連休の初日の今日、日本百名山とは無縁の、四国徳島、木屋平の名峰といわれる山に行ってきました。この山に登るにはいくつかのルートがあるようだが、杖立峠から登ることにした。剣山参詣道としての杖立峠へは穴吹から492号線を走る。木屋平中学校を少し過ぎたところから438号線を中尾高原方面へおおよそ5km走ったところを林道杖立線(アスファルト道)へと右折する。杖立峠の標識に従って走るとやがて看板や記念碑のある峠に到着する。虫は少ないようだったが念のためハエ取り線香を点け、磁石をジャンクションピークに合わせてスタート。




標識のある山道へ入るとすぐに桧林の林道に出て、すぐ奥で再度右の山道に入る。赤テープや標識がところどころにあり、やがて明るい自然林へ。オオルリ?だろうか綺麗な楽しそうなさえずりが聞こえてくる。しばらく歩くと今度はカケスの羽が道に散っている。どうやら何かの小動物がここでカケスを補食した跡のようだ。ナツツバキの花が一面に散っていた。見上げるがなにもない。岩場を過ぎて尾根に乗る。




展望の良い場所に出た。前方には高城山から天神丸への稜線が見える。




右手には一の森・剣山、そして中尾山高原のグラススキー場が展望できた。(ズーム)




気持ちの良い落葉樹林の道を歩いていると目の前をアサギマダラがふわっと浮かんですぐにどこかに消えた。周りにはヒヨドリバナなどどこにもない。笹が深くなってきた。三角点が目についた。




ジャンクションピークだろうか、直進へも踏み跡が続いているが直角に左に折れる。(直進すると麻衣集落へ降りて行くようだ。)
折れてすぐに林道が見えた。どうやら峠登山口すぐに在った林道の続きの終点のようだ。リョウブ、ナツツバキ、ツツジ、カエデ、アセビなどなど爽やかな尾根道を歩く。ジャンクションから丁度20分で正善山山頂に着いた。




山頂から東に見える山々は高丸山や雲早山方面だろうか?




南に見える稜線の頂にはレーダーサイトが小さくぼんやりと見えている。高城山のようだ。傍らの枯れたような梢に小さな鳥が止まった。思い切りズームにして撮ってみたがさえずりを聞くことも出来ず、名前は分からない。




正善山は通過点にすぎないので、そのまま権現山へと進む。ナツツバキの済んだ花が道にいっぱい落ちている。見上げたら2~3輪枝先に残っていた。テンナンショウだろうか、よく分からない。




地図を見ながら権現山を目指したが、意外と遠い。40分から50分くらいで着くだろうと高を括ってたが正善山から1時間20分もかかって、やっと正面に小高いそれらしい山が見えてきた。えーっ!1時間20分?いくらなんでも掛かりすぎ、変だ。ケチョピーツツピー、鳥が笑ってるように鳴いた。赤松の梢の脇下には林道が見えた。




社のある山頂に着いた。




山頂標識には赤い字で権現山1055.4mと記されており、もう一方の杭には同じ赤書きで和田学校と記されている。傍らには祠の屋根だけが崩れて転がっている。???、頭の中で???が踊りだした。地図では権現山の一つ先の1060mの頂きに鳥居が印されている。なにかの間違いでは…。ひょっとすると「権現山」にも祠があって、その先の頂にも鳥居があるんだろうか?社の裏に回ってみると濃い踏み跡が下っている。行ってみよう。しばらく歩くとアンテナのあるところに。




行けども行けどもそれらしいところはない。標高が1000mを切り、970mになる。道の先を見るとまだ下っているように感じた。時刻は12時半をまわっている。諦めて引き返そう。再度祠のある山頂に戻り、ここでお昼ごはんにするか、それとも赤松のあった展望の良い場所まで戻るか、思案の末、赤松まで戻ることにした。ほえ~!やっとお昼ごはんにありつける。インスタントおみそ汁を作って、巻きずしを頬張る。食べながらも腑に落ちない自分がいて、落ち着かない。




杖立峠までの帰り道、単純なノンコで一生懸命考えた。なるへそ、そうか、先ほどの赤松のあった頂が1055.4mの権現山だ。祠のある山頂が実は権現山ではなくて1060mの「城の丸」、別名「城の丸権現」だ。祠の神体は権現さんと呼ばれて親しまれていたので、山頂標識が権現山になったのだろう。
地図では権現山には「南張三角点」が埋設されている…はず…確かめていない(-_-;)トホホ。もう確かめに行く気力はない、暑さも手伝って、バテてしまった。




<参考>
杖立峠登山口9:21-ジャンクションピーク10:23-正善山10:43-赤松ピーク(権現山山頂か?)12:08-城の丸山頂?12:20-折り返し点12:36-城の丸?12:59-13:04権現山?13:30-正善山14:48-ジャンクションピーク15:13-16:04杖立峠登山口

※ジャンクションピーク手前の三角点は「正善山三角点」、城の丸からアンテナ方向への明瞭な登山道は確認はしてませんが大久保林道もしくは南張へ降りる道と思われます。また城の丸にある権現さんのご神体は別な場所に移されているようです。

      

(注)クリック拡大、なおGPSログではなく、概念図です。