
「鉄男 THE BULLET MAN」
監督:塚本晋也
出演:エリック・ボシック、桃生亜希子、塚本晋也
2010年作品
<あらすじ>
東京で働くサラリーマンのアンソニーは、妻ゆり子と息子トムと3人で幸せに暮らしていた。しかしある日、突然息子が謎の男“ヤツ”によって轢き殺されてしまう。息子を失い、感情を抑えられなくなったアンソニーに変化が起き始める。黒いオイルと蒸気を噴き出し、身体は徐々に鉄に蝕まれていく。アンソニーの身体の変化はかつて父・ライドが進めていた『鉄男プロジェクト』によるものだった。やがて『鉄男プロジェクト』の証拠隠滅のためにアンソニーに向けて特殊部隊が送り込まれる。しかし、「鋼鉄の銃器」と化したアンソニーの前に、隊員は次々と殺されていく。
同僚の男性(30代後半、既婚・子持ち)が未だに頭の半分ではガンダムのことを考えていると言っていたのを聞いて、すごくびっくりしたが、この映画を観てから、私も頭の80%くらいが「鉄男」のことでいっぱいになってしまった。
この映画は、金属に肉体を侵食される男の暴走を描いた、塚本晋也監督による‘89年のパンク・ムービーの続編(?)。破壊願望を鮮烈に描き切った第1作目は世界各国のファンの熱狂的な支持を受け、‘92年にはパート2も作られている。
十代の頃、「どれだけカルトか」が、映画マニアコミュニティのなかで優位に立てる唯一の基準であると信じ、「究極のカルトエンターテイメント」という宣伝文句につられて、観てしまった「鉄男」。
「なんなのこれは!!!!」
映像が目に飛び込んできたとたん、音楽が耳に入ってきたとたん、体中を電気のような衝撃が走り、あっという間に「鉄男」に侵食された。
「鉄男」の良さは、その片鱗でさえも言葉では言い表せない。
なぜなら、雲の切れ間差し込む光が大地を覆っているとか、生まれたての赤ちゃんの馥郁とした香りとか、石造りの教会にこだまするパイプオルガンの音色とか、そういう最小公約数的な、誰もが共感するような要素は何もないから。
パンクでバイオレンスでハイスピードな映像と音楽で綴られ、これが「映画」なのかすらもわからない。
1番よくわからないのは、自分がこんなに夢中になってしまうのはなぜななのか。
もしかしたら、六本木ヒルズ(行ったことないけど)とか、表参道とか、イルミネーションが煌く美しい世界より、ふ頭の倉庫街とか、工業地帯とか、朽ちかけた廃屋とか、取り壊し中の建物とか、工場なんかの風景にときめいてしまう嗜好だからかもしれない。
煙突からモクモク出ている煙とか、金属的なものとか、機械音とか、むき出しのコンクリートとか、さびれた感じの佇まいとか、ああいう無機質なものになぜか胸がきゅんとするんだよね。
前世が産業革命の時代にああいうところで働く労働者だったのかも、とか、今なら冷静に分析できますが、青春時代の一時期、私は「塚本晋也×鉄男」に完全に耽溺していました。
あああ、懐かしすぎる。
「鉄男」はバーチャルだけど、「監督塚本晋也」は実在の人物。
今考えてもおかしい(っていうかアブナイ)ほど、マジ惚れでしたね。塚本晋也に。
確かに、塚本晋也監督は、自ら製作、監督、脚本、撮影、美術、編集から主演までこなす天才。
学校を卒業したら、塚本監督の主宰する「海獣シアター」に弟子入りしようと本気で思いつめ、当時、撮影準備中だった新作「東京フィスト」のスタッフ&ヒロイン公募に応募した(笑)
あああ、本当に好きだったなあ。
1年半も片思いした先輩を好きになったきっかけも、「鉄男」を知っていたことと、苗字が「塚本」だったからだとかそうじゃないとか。
あっさり振られるわけだ。ぜんぜん彼氏ができなかったわけだ。
そんな封印していた(忘れかけてた)過去を、この映画を観て久しぶりに思い出した。
はっきり言って、塚本作品のエッセンスは「鉄男」に凝縮されている。
「鉄男」以外の作品はそのエッセンスが数滴入っただけのぼやけた作品ばかりで、私はあんまり好きじゃない。
監督にマジで恋焦がれていた私は、監督の描くヒロイン像があまりにも私とかけ離れていたので、ずっと好きでも仕方がないなあと思ったのが、片思いをやめたきっかけ(こういう発想自体がやばい)。
あれから、15年。
それなりに経験を積み、性格も趣味も変わっているはずなのに、「鉄男」をみると、麻薬みたいに痺れちゃうあたり、「好きなもの」って本当に変わらないのねーとつくづく思う。
「好きなもの」を追求したかったら、もう開き直って生きてくしかないね。
今日の毒舌度:0
☆おまけ☆
1度はまったら抜け出せない、塚本晋也の世界
http://makotoyacoltd.jp/tsuka2010/