タクさんの日記で「音楽」についてのエントリがありました。
まだ耳が聞こえていた頃、私の生活は、音楽と切っても切れない関係にありました。
「歌のお姉さん」なる仕事をしていた私。
毎週のようにマイクを手に子供達と遊んだり、歌を歌ったりしていました。
実は、「歌」でなくても、MCの仕事には正確な音感が必須です。
イベント会場などでは、流しているBGMと自分の声がケンカしないように、
常に自分の声のトーンをBGMに合わせて調節しながら喋っているんです。
さて。
ご存知のように、感音性難聴の場合は音が歪んで聞こえます。
「ド」が「ファ」に聴こえたり、「ミ」が「シ」に聴こえたりして、
普通どおりの音としては聴こえなくなります。
つまりは、ものすごい不協和音。
中途半端に音楽を聴いたり、口ずさんだりしてしまうと、
ものすごく音痴なメロディに聴こえてしまう。
絶対音感を持っている私には耐えられない、拷問にも近い不快な状況です。
そんなこともあり、難聴になったごく早い時期から、
私は音楽を聴くことをあきらめていました。
とはいってもMCの仕事はぎりぎりまで続けていたのですが、
自分が出したはずの声と、耳で聞く自分の声があまりにも異なっているので、
正直かなり苦労しました。
…そういえば、少し話が脱線しますが。
難聴が進行してすぐの頃、私の難聴の症状があまりに非典型的だったので、
主治医の先生と、
「絶対音感があるなら、キーボードでドから順番に音を聞いて、
どの音に聴こえるか記録したら聞こえ方のパターンがわかるかな」
などという企画(?)をしました。
実際、先生がキーボードを探してくれてたらしいのですが、
キーボードが見つかる前に私の聴力がどんどん落ちてしまい、検査が不可能に。
あれ、検査できてたらどんな結果が出たのか、ちょっと興味があります。
惜しいことをしたなぁ…。
置いといて。
全く聴こえなくなった今となっては、
もはや音楽を聴いて楽しむことは出来なくなったわけですが。
実は今でも、音楽を頭の中で脳内再生して楽しんでいます。
間違っても口ずさんだりはしない。
口ずさんだ音が聞こえないと分かった瞬間、現実に引き戻されてしまうので(笑)
ベートーベンが、音を失っても作曲を続けた気持ち。
聴こえなくなったからこそ、音楽にこだわり続けた気持ちが分かるような気がします。
今となっては、聞こえる間にもっといろんな音楽を聞いて、
脳内再生のレパートリーを増やしておくんだったなと思います。
最近の流行の歌は全く分からないわけですが、
歌詞と楽譜を見て、歌っている歌手の声を思い浮かべれば、
だいたいどんな曲なのか想像はできたりします。
これは、「音」というものがどんなものなのかを知っている中途失聴者だからこそ楽しめる、
「難聴者の音楽」なのかもしれませんね。
ろう者の友人に、和太鼓をやっている人がいます。
音階は分からないけれど、リズムを楽しむことができるからとのこと。
そういえば確かに、夏に阿波踊りに行ったとき、
音は聞こえなくても、腹に響く太鼓の音でぞめきのリズムを感じたのを思い出しました。
聴こえる人が感じる音だけが音楽じゃない。
聴こえなくても、いろんな形で「音楽」を楽しむ方法が広がれば良いなと思います。
まだ耳が聞こえていた頃、私の生活は、音楽と切っても切れない関係にありました。
「歌のお姉さん」なる仕事をしていた私。
毎週のようにマイクを手に子供達と遊んだり、歌を歌ったりしていました。
実は、「歌」でなくても、MCの仕事には正確な音感が必須です。
イベント会場などでは、流しているBGMと自分の声がケンカしないように、
常に自分の声のトーンをBGMに合わせて調節しながら喋っているんです。
さて。
ご存知のように、感音性難聴の場合は音が歪んで聞こえます。
「ド」が「ファ」に聴こえたり、「ミ」が「シ」に聴こえたりして、
普通どおりの音としては聴こえなくなります。
つまりは、ものすごい不協和音。
中途半端に音楽を聴いたり、口ずさんだりしてしまうと、
ものすごく音痴なメロディに聴こえてしまう。
絶対音感を持っている私には耐えられない、拷問にも近い不快な状況です。
そんなこともあり、難聴になったごく早い時期から、
私は音楽を聴くことをあきらめていました。
とはいってもMCの仕事はぎりぎりまで続けていたのですが、
自分が出したはずの声と、耳で聞く自分の声があまりにも異なっているので、
正直かなり苦労しました。
…そういえば、少し話が脱線しますが。
難聴が進行してすぐの頃、私の難聴の症状があまりに非典型的だったので、
主治医の先生と、
「絶対音感があるなら、キーボードでドから順番に音を聞いて、
どの音に聴こえるか記録したら聞こえ方のパターンがわかるかな」
などという企画(?)をしました。
実際、先生がキーボードを探してくれてたらしいのですが、
キーボードが見つかる前に私の聴力がどんどん落ちてしまい、検査が不可能に。
あれ、検査できてたらどんな結果が出たのか、ちょっと興味があります。
惜しいことをしたなぁ…。
置いといて。
全く聴こえなくなった今となっては、
もはや音楽を聴いて楽しむことは出来なくなったわけですが。
実は今でも、音楽を頭の中で脳内再生して楽しんでいます。
間違っても口ずさんだりはしない。
口ずさんだ音が聞こえないと分かった瞬間、現実に引き戻されてしまうので(笑)
ベートーベンが、音を失っても作曲を続けた気持ち。
聴こえなくなったからこそ、音楽にこだわり続けた気持ちが分かるような気がします。
今となっては、聞こえる間にもっといろんな音楽を聞いて、
脳内再生のレパートリーを増やしておくんだったなと思います。
最近の流行の歌は全く分からないわけですが、
歌詞と楽譜を見て、歌っている歌手の声を思い浮かべれば、
だいたいどんな曲なのか想像はできたりします。
これは、「音」というものがどんなものなのかを知っている中途失聴者だからこそ楽しめる、
「難聴者の音楽」なのかもしれませんね。
ろう者の友人に、和太鼓をやっている人がいます。
音階は分からないけれど、リズムを楽しむことができるからとのこと。
そういえば確かに、夏に阿波踊りに行ったとき、
音は聞こえなくても、腹に響く太鼓の音でぞめきのリズムを感じたのを思い出しました。
聴こえる人が感じる音だけが音楽じゃない。
聴こえなくても、いろんな形で「音楽」を楽しむ方法が広がれば良いなと思います。
脳で記憶してる部分と実際耳から入ってくる音が折り重なって普通に聞こえてるんじゃないかなと思ったりします。
その証拠に新曲は全く頭に入ってきません。
覚えられないんですよね。
曲になってないから。
でも、過去にしっかり覚えてる曲は
全く普通にメロディーが流れていきます。
不思議です。
太鼓の響きは胸で聞こえますよね。
心臓が聞いてくれるみたいに。
自分に可能な方法で音楽楽しめたらいいですね。
Ayamiさんの文章のリズムと、あるあるネタが多くて一気読みしちゃいました。
市役所の対応、マジありえない…。
そして、年齢、もしかしたら同い年かも
音楽は私も自分で脳内再生してました。
あと、車の中など音の振動が伝わりやすいところで、リズムだけを感じたりもしてました。
あと、意外に大声で歌うのもたまにはアリですよ。
胸に手をあてて歌うと、自分の声の振動が伝わって、自分の体が楽器代わりになってお勧めです。
私の場合、息子にどうしても童謡を歌ってあげたくて、歌っているうちに歌ってる自分に癒されました(ナルシストって言わないでくださいね)
中途失聴者の場合、聴こえていなくても自分で頭の中で「音を作り出してる」面ってあるのかなって。
たとえば、お皿を割ったとき、実際には聞こえてないんだけど割れる音を頭の中で聞いちゃうとか。
特に音楽なんかは感情的なものだから、そういうすり込み(?)が強いかもしれないですね~。
コメントありがとうございます♪
同い年ですか!
いちおう、57年生まれの早生まれなんですが・・・同じくらいかな?
年齢が分かるってことは・・・ブログ、もしかして全部読んでいただいたんですかね?
凄い量!
ありがとうございます♪
「大声で胸に手を当てて歌う」今度やってみます♪
声の大きさがわからないから超近所迷惑になるかも(笑)
聾唖者の方と、クリスマスコンサートをすることになったのですが、音よりもリズムを感じられるようにと考えていますが、ピアノやギターでは少し感じられるのでしょうか?
鈴やタンブリンの打楽器とかの方が感じやすいのですか?
知識不足で悩んでいます。もしよろしければ教えてもらえないでしょうか?
正直言って、「これなら大丈夫」というものはないと思います。
難聴・聾といってもそれぞれに音の感じ方は違いますから、
全く音を感じられない人もいますし、補聴器である程度感じられる人もいます。
なので、あまり一般的なことを言うことはできません。
ちなみに私は、ピアノもギターも鈴もタンバリンも全く聞こえません。
聴こえるとしたら、もう「音」というよりも「振動」に近い重低音、
たとえば、太鼓の音くらいでしょうか。
それも、音として聴こえるわけではなく、
体に響くのでリズムは感じられる、という程度です。
なので。
多くの場合、聾の人には、音楽を楽しむという概念自体がありません。
だからといって、コンサートが無駄だというわけじゃないんですよ。
コンサートの楽しみ方って、音を聞くことだけじゃないですよね。
たとえば、歌手やバンドのコンサートに行ったら、
曲を聴くだけじゃなくて、衣装やダンスや映像や、舞台のセットや照明まで、
いろんなことが合わさって、いいコンサートになってると思うんですよ。
聴こえない人は、歌詞の世界を楽しみます。
だから、歌詞のある曲目を選んで、その歌詞を目で見て分かる形で伝えたり。
クリスマスなら、サンタやトナカイの衣装を着て、
歌のリズムに合わせて踊ってみるとか映像を流してみるとか。
そうなってくると「そんなのコンサートじゃない!」と思われるかもしれませんが。
音が聞こえない以上、「聞いて楽しむ」ということにこだわっていたら、
聾者が音楽を楽しむことは限りなく不可能です。
せっかくのクリスマスコンサートなので、「演奏」にこだわりすぎず、
その曲が持つ歌詞や、歌や音楽の世界を、
音だけではなく目に見える形で表現する方法を考えてみてはいかがでしょうか。
「見えるコンサート」ってコンセプト、素敵だと思いませんか♪
なんだか抽象的な答えになってしまってすみません。
私は今高校生で、先天性の聴覚障害を持っています。
全聾ではなく、ある程度の音は
聞こえるのですが、感音性難聴なので
友達の言ってる内容が聞き取れなかったりすることがよくあります。
そこで質問なのですが・・・
聴覚障害者が音楽の面で[音程]を取るのは、特に感音性難聴の人に取っては難しいのでしょうか?
CMです。
私の習ってる手話の講師、手話うたパフォーマーふうちゃん、
真夏の太陽コンサート、きらめき、2017年7/28、阪急曽根駅、大阪府豊中市の、アクア文化ホール、夜7時から。
抱っこスピーカー体験できます。
翌日開催、じゅうたんスピーカー手作り教室。江坂駅近く。
詳しくは、Amebaブログ、『ふうちゃんのてのひら日記』