-中途失聴者のSilent Life-


聾者とも違う、難聴者とも違う。
ある日突然、音のない世界に生きることになった中途失聴者のたわいない日常です。

ご報告。

2010-03-06 18:07:59 | 受診・経過
ご報告です。

あ、その前に。
ずいぶんと更新をさぼってまして申し訳ありません。

引っ越しやらなんやらでバタバタしていて、まだネットが整っておらず…。
でも、姿をくらましている間にいろんなことがあり、
皆様にも報告しなければと思っていましたので。

今日は、ネットカフェからの更新です。
そんなわけで、コメントをいただいてもお返事がものすごく遅い可能性がありますがご承知おきくださいませ。。。




先日、耳鼻科受診してきました。

月初にとったABRの結果について。
とりあえず、このABRの結果は以前よりまた少し悪くなってました。


今回の診察までにいろいろ考えた結果、
人工内耳の手術はしないことに決めました。

主治医とも話をしました。

今まで、手術に向けていろいろな情報収集をしたり検査をしたり、まさに手を尽くしてくれた主治医には本当に感謝しています。
これだけしていただいて結局やめます、では先生に申し訳ないなぁという気持ちも少しありつつ、
最終的に人工内耳をしないことに決めたのは、不安とか成功率の問題ではなく、
私自身がこの先どう生きていくかについて、真剣に考えた結果です。


正直、一年前に受診した時にはまさかこんなことになるなんて思いもしなかったし、
病気も原因も分からないことへの不安、どこまで悪くなるのか…など、
とにかく不安でいっぱいでした。

聞こえなくなってすぐの頃は、何とかしてもう一度聞こえる世界に戻りたいと思っていたけれど。
今では、ひとりぼっちだったこっち側の世界に、私の居場所が確実にできつつあります。


この数ヶ月で、いろんな人と出逢いました。
ろうとして生きる人たちの姿からは、聞こえないことを後ろめたく感じる様子は微塵もなく。
出会った人たちはみんな、「障害者」という言葉のイメージからはおよそかけ離れた、エネルギッシュで素敵な人たちで。

その中で、あるろうあの人との出会いが、決定的に私の気持ちを決めるきっかけになりました。

初めてその人の手話を見たとき、ショックを受けました。
手話が違う!
…分かるんです。
ほとんど知らない表現なのに、なぜか、その人の言いたいことが分かるんです。
その手話は、私が今まで、教室や友人たちの間で見てきた手話とはまったく違うものに思えました。
彼が手を動かすたびに、私が見ている目の前で、彼の頭の中にある世界が作り出されていく。

ナチュラルサインとの出会い。
手話の持つ本当の魅力を知った瞬間でした。

「聞こえないことはマイナスではない」
ろう者の多くが主張するこの言葉の意味が、初めて分かりました。
聞こえたことがないからそんなことが言えるんだ、と思っていました。
聞こえるのと聞こえないのと、比べたら聞こえるほうがいいに決まってる。
そう思っていました。

でも、聞こえない人にとって、聞こえないのは当たり前であり普通のこと。
聞こえる人とはコミュニケーションの手段が違うだけのこと。

背の高い人がいて、低い人がいるように、
肌の色が黒い人がいて、白い人がいるように。
寒い国に住む人がいて、常夏の島に住む人がいるように。
住む人や土地柄によって、独自の文化が発達してきたように、
聞こえない人たちには、聞こえない人たちが発達させてきた独自の文化がある。
自分達の生活を恥じることも卑下することもなく、
ただ自分たちの人生を楽しむために作ってきた生活や文化がある。

郷に入って郷に従うのも悪くない。
私は聞こえないんだから、聞こえない人として生きていきたい。
そう思うようになりました。


今の私は、聞こえないことを決してマイナスには捕らえていません。
知らない土地に移住した人が、最初は文化の違いに戸惑っても、
徐々にその文化になじみ、愛着を感じるようになるのと同じように。
今の私は、聞こえない世界を、普通に自分の住む世界として受け入れつつあります。

もっとも、そう思えるようになったのは完全に聞こえなくなったからで、
少しでも聴力が残っていれば、やっぱり聴くことへの思いはそう簡単には消えなかったと思いますが。。


健聴者→難聴者→失聴(ろう)という段階を経験して。
結局、一番大変だったのは、「難聴者」だった時だと思います。

少しでも聞こえる方がいいに決まってる、というのは健聴者の思い込みで。
聞こえてないのに、聞こえる世界で、聞こえる人と同じ生活を要求される大変さは並大抵のことじゃなく。

周りからは「どうして分からないの」と言われ。
自分では、聞こえないことで仕事にも対人関係にも不自由さを感じ。
常に「聞き取らなければ」というプレッシャーの中で、自分の耳鳴りにまで神経を尖らせて。
それだけ頑張っても、やっぱり「聞こえない」「分からない」と思い続けて生きていくのはしんどすぎます。

完全に聞こえなくなった時、もう聴かなくていいんだ…とホッとしたのは、私だけではないようです。


ろう者が、難聴者が、聞こえなくて何が悪い。
聞こえないんだから、聞こえない人として生きていきたい。

開き直りに聞こえるかもしれませんが、そう思えたとき初めて、
本当の意味で聞こえないことを受け入れ、前向きになれたと思っています。


聴覚障害者のほとんどは、人生のいつかの時点で、自分のアイデンティティを自分で決めるときが来ます。

自分がどんな人として生きていくのか。
聞こえる世界で生きていくのか。
ろう者として、聞こえない人として生きていくのか。


私は、聞こえない人として生きることを選択しました。

21年、健聴者。そのあと6年、難聴者。
もう結構いろいろ楽しませてもらいました。

せっかく聞こえなくなったのだから、
人生の後半は、ろう者として生きていこうと思います。

一粒で二度おいしい人生です。
私は100まで生きるから、まだ70年はあります。



とは言っても、聞こえなくなった原因も病気もまだ分かっていないので、引き続き受診はするけれど。

とりあえず、そういうことに決めました。


以上、ご報告でした。



最新の画像もっと見る

12 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
決められたのですね (Ruisui)
2010-03-06 19:09:18
人工内耳の手術、どうされるのだろうと思っていましたが、Ayamiさんが、素直な気持ちを尊重した答えが出たのですね。

「自分のアイデンティティを自分で決める」
いつかは決めないと、いつまでも宙ぶらりんだと、あっちでぶつかったから居心地の良いこっちを選んだり、でも、やっぱりあっちにも未練があったり。
そんな気持ちだと、結局、同じところで立ち止まったまま、もしくは、グルグル目が回るまで回ったままかも、と思いました。

今は、メールも当たり前のように使える時代だから、「音」以外の情報をもっと有効活用&利用出来るようになればいいですね。
返信する
はじめまして (chiko)
2010-03-06 20:25:26
手術はされないんですね。
最近、こちらにお邪魔してました。

私は、今年1月にの難聴と診断されました。
何んとなく感じていましたが、やはり
ショックはありますね。

20年前に、循環器の病気を克服して
なにもなく過ごしてきました。
でも、眼でなくてよかったとすぐに
思いました。

障害を申請するには、検査の値が足りなくてまだできません。

今は、気圧の調整がうまくいかななくて痛みがあるので、薬を飲んでいます。
これは、治りますが聞こえには関係ないそうです。
返信する
Unknown (みみべ~)
2010-03-06 23:33:57
びっくり…。でも、納得。
決断されたんですね。


人工内耳のメリット・デメリットではなく、いかに自分らしく生きるかで判断されたのが、すごくAyamiさんらしいです。

ナチュラルサイン。
もし、私も、手話との出会いが違ったら、そんな選択肢もあったのかなぁ。

どうしても子供の声を再び聞きたい思いが強かったので、なにがなんでも人工内耳って思ってたんですが、求めてるモノは人それぞれですね!


自分と誕生日も近くて、健聴から失聴した仲間なAyamiさん。
もう1人の自分のように感じてたので(図々しくてすみません)、もう一つの世界でどんな70年を過ごすのか楽しみです。
返信する
Unknown (ナオ)
2010-03-07 08:54:53
Ayamiちゃん、おはよう!

Ayamiちゃんの決心を読んで、この人はなんて強い人なんだろう!と感心してしまいました。

私も失聴した時は、もう中途半端な聴こえなら、聴こえなくていいやと思っていたのですが、それを実行することはできませんでした。

私とAyamiちゃんには、それぞれの生活や周りの状況や考え方があります。
それに対して自分がいいと思ったんだから、私はAyamiちゃんの決心を応援しますよ。

Ayamiちゃんは100まで生きるんですね。
私はそれほど長くなくていいです(笑)
それぞれの人生が自分の納得いくような人生に
なりますように!
返信する
Unknown (ぷーどる)
2010-03-07 12:10:09
しない選択をしたのですね。

すごく理解できます。
Ayamiちゃんの求める居心地のいい状態が一番です。

手話の世界を知り、自分の場所を見つけられたことは素敵なことです。

確かに、手話バーに行くと、皆さんのエネルギッシュなパワーに驚かされます。

その時その時、最善と思う道をお互い進んで行きましょうね。

応援しています。
返信する
あらら (くま)
2010-03-07 12:29:28
こんなところでAyamiさんを発見してしまいました。
mixiでお世話になっているくまです。

偶然、人工内耳のことで検索していてたどり着きました。
こんな場所があるのならもっと早く教えてくださればよかったのに…(笑)

中途失聴者のアイデンティティのお話や、ろう者として生きることを決めるに至った考えの変化。
すべてが僕にとっては、新鮮といったら語弊がありますが、
聴覚障害を不自由、不幸、治さなければならない障害としか受け止められないでいた僕にとっては、
本当に新しい世界を発見したくらいの衝撃です。

そして、「まったく聞こえないよりも少しでも聞こえる方がいい」と思っていたことも。
掲示板で、軽度~中等度の難聴の方たちの苦しみや悩みを拝見して、自分の考え方がいかに甘かったのかを知らされました。

子供達が将来大きくなったとき、Ayamiさんのように考えるときが来るのなら。
僕は子供達の人生の選択を邪魔してはならないのかもしれません。

あやみさんの、アスファルトに咲くタンポポのようなしなやかな強さを、僕の子供達にも抱いて育ってもらえたらと思います。
返信する
日本語対応手話 (風紋)
2010-03-07 12:58:17
 Dプロの森荘也は、手話を選ぶかどうかは世界観の問題だ、と言ってますね。聞こえる世界と聞こえない世界のどちらを選択するかの問題だと。
 いささか明快すぎるのですが、わかりやすいのも事実です。
 もっとも、手話もDプロのいう手話とDプロのいわゆるシムコム(simu-com, simultaneous communication)つまり日本語対応手話とは別個のものといってよいほどの開きがありますけれど。
返信する
Unknown (海香)
2010-03-08 16:16:19
自然な流れの感じがします。
100まで長生きしたいと思えることは素敵ですね。応援してます。
返信する
尊重 ()
2010-03-11 13:02:26
こんにちは。

決断を尊重します。

同じ個性を持つ仲間が増えるであろうAyamiさんにおススメの本です。

『ろう者のトリセツ聴者のトリセツ』(星湖舎)

少しは参考になると思います。
返信する
お久しぶりです (さくらえみ)
2010-03-15 12:42:25
こんにちは。
Ayamiさんのコメントをまた、読むことができて嬉しく思います。

とても前向きなAyamiさん。
中途失聴者の方それぞれ違う考え方だと思いますが、これからも充実した人生を送られるのでしょう。きっと。



私の方も人生の変化と言うか・・・先日、80歳の父が他界しました。急な出来事で、慌ただしく日が過ぎて行き、これから一人暮らしの母が心配です。

親孝行って何だろう・・・最近、よく考えるようになっていた矢先の出来事でした。



昨日、要約筆記者の研修会に参加してきました。
講師は伊藤真氏「日本国憲法と人権思想」というタイトルで講義がありました。なんだか難しい内容かと思ってましたが、とても身近な話題で興味の持てる内容でした。
『私たちは憲法を守る義務はない、守らせる側だ』という言葉が印象に残りました。

「現代は少数派を守る傾向にあり、強い立場を縛り、弱い立場を守る(逆の立場の人は憲法を知らない人)傾向になってきている」

2時間の講義を終え、憲法が身近に思え、少し理解でき、得をした気分になりましたよ。良い講義でした。


春も、もうそこまで来ていますね。
Ayamiさんにも新しい出会いがあったようですね。
私も明るく元気に生きて行こうと思います。



返信する