一般的に、聴覚障害者は「ろう」と「難聴」に分けられています。
これには医学的な意味合いだけでなく、社会的な区分の面が多分にあるため、
中途失聴者はそのどちらにも、正確には当てはまらないと言えます。
医学的な意味合いにおいて、
「難聴」とは、聞こえが悪いこと。
「ろう」とは、音がまったく聞こえないこと。
障害認定基準では、両耳100db以上の障害を全聾と呼んでおり、
中途失聴者は、医学的な意味では「ろう者」に属します。
ところが。
社会的な区分では、
「ろう者」とは、先天的な聴覚障害を持ち、ろう者会で育ってきた人を指します。
つまり、人生のある一定の時期までを健聴者として生きてきた中途失聴者は、
「難聴者」の区分に分けられているのです。
しかし実際には「聞こえにくい」のではなく、まったく聞こえない。
これが、多くの中途失聴者たちが苦しんでいる点のひとつです。
医学的には「ろう」の状態なのに、社会的には「難聴者」として扱われること。
ろう者からは「あなたはろう者じゃない」といわれるし、
難聴者の集まりの中では、やはりその「違い」を感じてしまう。
「聞こえにくいけどわずかでも聞こえる・聞く方法がある」状態と、
「何をやってもまったく音が入らない」状態には、
実は天と地ほどの違いがあります。
ちなみに、中途失聴者であっても、補聴器や人工内耳である程度まで聴力を補える人もいます。
「聴覚障害」とひとくちにいっても、その障害のレベルは実に様々です。
私自身はその状態を経験していないので分かりませんが、
(私は補聴器の適応がないため使用していません)、
そのような補聴手段を用いている人にはまた、独特の悩みがあるのだろうと思います。
ちなみに、別に私は難聴者よりも中途失聴者のほうが大変だとか、
そんなことを思っているわけではありません。
難聴者には難聴者の大変さがあり、中途失聴者には中途失聴者の大変さがあります。
自分のほうが大変だと自慢し合ったところで、それは何の気休めにもなりません。
ただ、同じ状況で悩みや辛さを共有し合えるかという意味では、
やはり難聴者の中にいると、「違うな・・・」と感じてしまうことが多いのです。
たとえば。
「声や音は聞こえるけど何言ってるかがまったく分からない」
これは難聴者にとって一番困っていることだと思います。
切実な悩みです。
聞き返すと「なんだ、聞こえてるんじゃない」と言われるし、
かといって聞き取れているわけじゃない。
難聴者が、仕事や友人関係のなかで一番苦しむところです。
でも。
中途失聴者がそれを聞くと、
「音がしていると分かるだけでもうらやましい・・・」
と思ってしまうのです。
もちろん、口には出しません。
私自身も、その「聞こえるけど聞き取れない」という段階を経験して、
その辛さもイライラする気持ちも経験してきてその大変さが分かるから、
そこで「聞こえるだけいいじゃない・・・」とは言えません。
そこで、自分の辛いことや大変なことは言うことができず、
同障者の中にいても、やっぱり自分の中だけで悶々としてしまう。
決してひがんでいるわけではないのですが、
これが、私が難聴者と中途失聴者の違いを一番強く感じる場面です。
きっと、難聴者の中にいて、同じようなギャップを感じたことのある中途失聴者は、
他にも多いのではないかと思います。
だからこそ、難聴者同士が集まれるように、
同じ「中途失聴者」という状況の人どうしがもっと集まれれば・・・。
このブログを公開したのには、そんな思いがあったります。
これには医学的な意味合いだけでなく、社会的な区分の面が多分にあるため、
中途失聴者はそのどちらにも、正確には当てはまらないと言えます。
医学的な意味合いにおいて、
「難聴」とは、聞こえが悪いこと。
「ろう」とは、音がまったく聞こえないこと。
障害認定基準では、両耳100db以上の障害を全聾と呼んでおり、
中途失聴者は、医学的な意味では「ろう者」に属します。
ところが。
社会的な区分では、
「ろう者」とは、先天的な聴覚障害を持ち、ろう者会で育ってきた人を指します。
つまり、人生のある一定の時期までを健聴者として生きてきた中途失聴者は、
「難聴者」の区分に分けられているのです。
しかし実際には「聞こえにくい」のではなく、まったく聞こえない。
これが、多くの中途失聴者たちが苦しんでいる点のひとつです。
医学的には「ろう」の状態なのに、社会的には「難聴者」として扱われること。
ろう者からは「あなたはろう者じゃない」といわれるし、
難聴者の集まりの中では、やはりその「違い」を感じてしまう。
「聞こえにくいけどわずかでも聞こえる・聞く方法がある」状態と、
「何をやってもまったく音が入らない」状態には、
実は天と地ほどの違いがあります。
ちなみに、中途失聴者であっても、補聴器や人工内耳である程度まで聴力を補える人もいます。
「聴覚障害」とひとくちにいっても、その障害のレベルは実に様々です。
私自身はその状態を経験していないので分かりませんが、
(私は補聴器の適応がないため使用していません)、
そのような補聴手段を用いている人にはまた、独特の悩みがあるのだろうと思います。
ちなみに、別に私は難聴者よりも中途失聴者のほうが大変だとか、
そんなことを思っているわけではありません。
難聴者には難聴者の大変さがあり、中途失聴者には中途失聴者の大変さがあります。
自分のほうが大変だと自慢し合ったところで、それは何の気休めにもなりません。
ただ、同じ状況で悩みや辛さを共有し合えるかという意味では、
やはり難聴者の中にいると、「違うな・・・」と感じてしまうことが多いのです。
たとえば。
「声や音は聞こえるけど何言ってるかがまったく分からない」
これは難聴者にとって一番困っていることだと思います。
切実な悩みです。
聞き返すと「なんだ、聞こえてるんじゃない」と言われるし、
かといって聞き取れているわけじゃない。
難聴者が、仕事や友人関係のなかで一番苦しむところです。
でも。
中途失聴者がそれを聞くと、
「音がしていると分かるだけでもうらやましい・・・」
と思ってしまうのです。
もちろん、口には出しません。
私自身も、その「聞こえるけど聞き取れない」という段階を経験して、
その辛さもイライラする気持ちも経験してきてその大変さが分かるから、
そこで「聞こえるだけいいじゃない・・・」とは言えません。
そこで、自分の辛いことや大変なことは言うことができず、
同障者の中にいても、やっぱり自分の中だけで悶々としてしまう。
決してひがんでいるわけではないのですが、
これが、私が難聴者と中途失聴者の違いを一番強く感じる場面です。
きっと、難聴者の中にいて、同じようなギャップを感じたことのある中途失聴者は、
他にも多いのではないかと思います。
だからこそ、難聴者同士が集まれるように、
同じ「中途失聴者」という状況の人どうしがもっと集まれれば・・・。
このブログを公開したのには、そんな思いがあったります。
また、同じ難聴者でも、ネイティブな難聴者と中途で難聴になった者では捉え方が違うようです。
「中途失聴者」が早く、このブログを見つけてくれることを願います。
ホントにその通りだと思います。
同じ聞こえに障害があっても、お互いの聞こえ方に違いがあるとなかなか分かりにくい部分も出てきますね。
よく似た聞こえの人と気持ちを分かち合えるといいですね。
私も「中途失聴者」が、このブログを見つけてくれることを願っています。
あ、それからブックマークですけど・・・
そんなのあったんですね。
遅くなりましたが、私のブログにもAyamiちゃんのサイトを入れさせてもらいますね~。
よろしくお願いします
確かに、難聴者でも先天性の人と中途難聴ではやはり受け入れ方も違うでしょうね。
私も片耳難聴→両失聴という経過をたどっているので、
「聴こえるのに聴こえない」ことの大変さも嫌というほどわかります。
子供のころか、大人になってからかでもやはり受容が違うでしょうしね。
まだまだ細々と続けているブログですが、見ていただいた方に役立てていただけるようまとめて行きたいと思っています。
本当に、聴こえの障害って千差万別ですね。
プードルさんのような聞こえ方は特に他の人に理解されず大変だろうと思います。
もう少ししたら、またAuditory Neuropathyについても書くつもりでいます。
あ、ブックマークありがとうございます♪
「中途失聴」という自分の状況を、ここまで的確にはっきりと伝えてくれた人が今までいなかったので。
ろう者とも難聴者とも、やっぱり違いますよね。
そういえばこないだ、あるブログで「自分は軽度ろう者です」と言ってる人がいたけど・・・
軽度のまったくきこえない人?
どういう意味?
と思わずツッコミ入れてしまいましたw
ありがとうございます。
「中途失聴」という状態については、私自身も自分の状態を自分なりに把握するのにとても時間がかかりました。
自分はろう者ではないんだ、というのは分かっていたけれど、難聴者の中にいても何か違う、違和感と言うか疎外感のようなものを感じていたりして、
その理由が今では分かった気がしています。
同じように悩んでいる人たちに少しでも助けになれば嬉しいです。
「ろう」と「難聴」の違いを、聴覚障害者であっても理解していない人って結構多いのかもしれませんね。
「軽度ろう」・・・確かにツッコんじゃうかも。
ある日突然何も聞こえなくなった時の事は今思い出しても辛すぎて、受け入れ難いものでした。
今は人工内耳で音は入りますが耳で聞くのではなく頭で聞いているので感覚も全然違いますし、音もデジタル音ですから気づかないうちに疲れやストレスが溜まってしまいます。
でもそれでも音が少しでも聞こえているのは不安を軽減してくれるので人工内耳には感謝してます。
中途失聴者の方どこに行けば一番会えるんでしょうね…