本日は <三代目店主のつぶやき>なり~
僕の御袋は常に他人の目を気にしていた。
「お前は長男だから!」「同い年の誰々は学年1番だけれどお前は・・・」
「人がお前を見たらどう思う」「皆と同じ様にネクタイを締めた職業に付け」・・・・。
学生時代は髪を伸ばしギターを搔き鳴らし、アルバイトでお世話になったアクセサリー・ショップに
就職する事を決めたと知った時の落胆と罵倒する言葉は辛かった。
祖父母が亡くなってからは特にその傾向が増し、自分の考えが絶対に正しいと言い切っていた。
「この家が今あるのも私がいたから!」「私の言うとうりにしていたら間違いなどない!」と
言い張っていた・・・。
親父にも常に上から目線で少々小馬鹿にしていた様に僕には映っていた。
(親父は職人で無口で寡黙な人だった・・)
頑固な祖父母、陰湿なイジメを繰り返す2人の小姑達。(僕の小学校時代はホント酷かった。
何度も僕と妹を連れて家出をしていたと記憶している)
立ち向かえない立場上、強い精神力と想像を絶する忍耐が必要だった事ぐらい僕にも解る。
気丈な母親だった・・・・。
自分の病気が解ると一転、世話をしてくれる妹の言うが侭に。
仕方がない事だが見ていて悲しくもあり哀れにも映る事もあった。
御袋の為に何かしようと相談すると「妹に聞いて!」の一点張り。
妹の気に入らない事、妹の耳に入ってない事をする事が恐かったんだろうナ。
たとえそれが御袋が望んでいた事としても。(自分で言えないから、言ってよっ!とお願いされたが
それこそプライドの高い妹との喧嘩が目に見えているので、自分で言う方が伝わるよと諭すと、
まるで何もなかった様に妹の言うがまま・・・何度も繰り返し同じ愚痴を言っていた)。
余命を宣言され車椅子の暮らしの中、近くの河川敷まで満開の桜を2人で見に行った。
車椅子を引きながら「奇麗だね」と言う僕の言葉にただ黙って頷いていた。
仏壇には未だ御袋の遺骨が・・・永平寺に納めに今年こそ行かなきゃ。
親父が待ってる永平寺に・・・・・。
メンバーチェンジを繰り返すネーネーズだが無性に聞きたくなる歌がこの歌。
サザンの桑田さんの作詞・作曲だと知った時には少しばかり驚いた。
沖縄の哀しみは僕達には計り知れない。
ただ同じ日本人と言うならば、沖縄が背負った負の歴史を今一度考えてみる事が大切だと思う。
僕達日本人が・・・・2度と同じ過ちを犯さぬ様に。
ネーネーズ『Live in TOKYO~月に歌う』ライブDigest