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将門ブログ

このブログは、歴史上の人物『平将門』公を探求する、ポータルサイトです。

藤岡市1(群馬県)

2007年11月17日 | 縁地探訪(群馬県)
2006年秋、埼玉県神川町の城峰公園の冬桜を見ましたら、対岸の群馬県藤岡市(旧鬼石町)の桜山の冬桜を見たくなり、ついでに将門伝説を追って出かけてきました。

【鬼石神社】藤岡市(旧鬼石町)鬼石字宮本
JR高崎線新町駅前から上野村行きのバスで「鬼石町役場・中学校前(今は町でなくなりバス停名が変わったかも)」下車。鳥居から長い参道が「鬼石神社」まで続きます。まず、鬼石伝説について、『鬼石町誌』には次のようにあります。
《上野国志御荷鉾山の條に「土人相伝、往古此山頂に鬼ありて人を害す。弘法大師の為に調伏せられ、鬼石を取り抛ちて去る。其石の落ちる地を鬼石といふ。」》
つまり、昔、御荷鉾山に悪事をはたらく鬼が住んでいて、人々に危害を加えていた。人々が困り果てていたとき、偶然立ち寄った弘法大師に人々が助けを求めた。弘法大師が護摩を焚いたところ、鬼はたまらなくなって近くにあった大きな石を放り投げて逃げていった。その石が落ちたところを「鬼石」というようになった。また、御荷鉾には「投石峠」という峠もあり、そこから石を投げたともいわれています。そしてその投げられた石は、その名も“鬼石”とよばれ、現在の「鬼石神社」の御神体として祀られ、建物の横の方からその姿(鬼石)を覗くことができます。この神社は、将門の霊あるいはその公達を祀り、将門の甲冑像を御神体としていたといわれています。また、以前は「鬼石大明神」といわれ、社殿の鬼石の下に将門の首を埋めたとも伝えられていて、古くは将門のゆかりのある社であったといいます。
http://www.city.fujioka.gunma.jp/f_kikaku/gappei/fo-gappei-syusei/onitoonishi.htm

次は。神社の左から「桜山公園ハイキング道」の道標を見ながら歩きます。「クマ出没注意」の看板が目障りです。
http://www.city.fujioka.gunma.jp/kanko/f_sansaku_sakurayama_cource.htm

【尾之窪城址】藤岡市(旧鬼石町)鬼石字下三波川
ハイキング道が峠状となり、山道に入る入口の南側が「尾之窪城址」だと思われます。金剛寺の北側上部にあたります。この城は、天慶年間、平貞盛が将門を追討するために、築いた砦だと伝えられています。付近には、勝負台とか勝どき丘などの地名も残っています。

次は、ハイキング道を歩いて「桜山」に向かいます。桜山は「桜山森林公園」として整備され、以前訪れたときとはずいぶんと様変わりしました。冬桜7,000本の開花時期は壮大です。今が丁度見ごろとなっていて、多くの車と観光客であふれていました。前に来たときは花見の酒盛りができましたが、ごみが多くなっていたためか、現在は酒盛り禁止、山頂の売店でもアルコールは売っていませんでした。桜山を守るため、これでいいのだ。
「桜山」
http://www.city.fujioka.gunma.jp/f_sanken/a001.html

【平滑の魔峰】藤岡市(旧鬼石町)三波川字平滑
この地の「魔峰」というところで、将門と国香(将門の叔父)とが戦ったところだと伝えられています。ただ、魔峰がどこなのか確認できませんでした。

【大内平】藤岡市(旧鬼石町)三波川字大内平
平滑から近いところに「大内平」があります。ここで平国香の愛馬が、井戸に飛び込んで死んだという。そのため、この地では井戸を掘ることを禁じられたといいます。

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/取材:源六郎/平将門関連書籍将門奉賛会


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