そうして、わたくしの一夜は過ぎ、待ち望んでいた夏も終わった。
まるで、小説の書き出しのようで、苦笑する。
Soul のフォルダは、十分に満たされた。
でも、こんなとき、
愛猫の温もりがとても恋しくなる。
この20年間、こんなときはいつも温もりをくれた。
その愛猫が逝って、明日は三七日(みなのか)
とても、恋しい。
息を引き取った瞬間の、最後までわたくしに温もりを与え続けてくれた愛猫の顔。愛猫の生前、娘との約束の写真。
娘が泣きながら撮ってくれたものだ。
このとき、既に視界は閉ざされ暗闇だったろう。それでもなお、わたくしを見つめ続け温もりを与え続けてくれていたのだと思うと、この忠猫の愛の大きさに、その愛の篤さに涙が出てくる。
愛というのは、温かい。
生身の生きた体であればこそ、魂だけではなくこころも体も温まるくらいに。
魂は、意識を媒介すると観念に走る。
感覚は、けれど、記憶となって体に刻まれる。
生きてる限り、その記憶に慰められ勇気付けられる。
愛は、温かいのだ。