璋子の日記

Beside you

芸術家がつまづくもの

2006年05月30日 05時14分48秒 | 日々の日記

昨日は、早々に寝入った。
ある画家の盗作問題のことが念頭にあったせいか、疲れた。
今後、どういった展開になるかは分からないけれど、やはり、「盗作」としか言えない情況だろう。

≪有名無実≫、≪無名有実≫という言葉がある。
芸術に関わる人たちには、とくにアーティストたちには、
この言葉の意味をよくかみ締めてもらいたい。
いや、アーティストなら、分かるだろう。

ここは、闘病のためのささやかなブログだけれども、
和田義彦という画家への、「オマージュ」たる作品、そうした作品を作ろうとしている人たちもいらっしゃるかもしれないことに思いを馳せ、彼の作品を改めて眺めてみることにした。

 

 

 

 

 

 

ある年代になったとき、日本の画壇で名誉ある地位に着くということ、
それまでに自分がやってきたことが、その業界で実績の積み上げとして見られるようになっていく過程で、政界や財界関係者に販路をもつ大手デパートの美術部門の人間と交際する機会ができること、または、商売として実績と信頼のある画商と縁をつくり交友をもつということ、あるいは大手新聞社の美術評論を手がける記者や編集者を始めとする美術界メディアに働きかけること、
こうしたものによって、確かに広がる世界もあり、また経済的な安定によって画業がさらに発展していくということもあるだろう。

けれど、作家の目が、
そうしたところに向けられるようになったとき、
「芸術の女神」は遠のいていく。
これは、画家に限った話ではない。

昨日、疲れて寝入るとき、ある人とあるときに交わした会話が、唐突に思い出された。新幹線でたまたま、ごいっしょすることになったときの忘れがたい会話。芸術をこよなく愛し、若い芸術家たちを支援し育てていらっしゃる方だけれど、そのときの、次の話が、鮮明に記憶に残っていた。

「自分の娘が将来、どう生きようと自由だけれども、あえて言うなら、≪芸術家≫とは結婚してほしくないなあ。さらに言えば、≪芸術≫と結婚するような人生だけは、娘には送ってほしくないと思うんだよ、僕としては、親としては」

彼は、
芸術家というものが、何につまずくかをよく知っていた。

 

 

 

 

 



 


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