8月9日、十五夜の月。
当日は消息不明の息子に宛てて届くことのない手紙をしたためて過ごした。
9日は、インドの詩人タゴールと同じ、息子の誕生日だったから。
8日、友人来訪。二泊三日滞在し、昨夜帰京した。
わたくしの病気見舞いに来たというよりも、こころの静養に来たと言った方がいいかもしれない。彼女はわたくしが今回も病魔を克服すると信じて疑わないでいるのだろうか、それとも、病状を案じるこころのゆとりがなかったのか、あるいはわたくしが病人には見えなかったからか、病気の話題は皆無に等しかった。
代わりに、彼女の疲れた心の世界を月夜に映すがごとき会話に終始し、フルムーンとなった写真の月を、深夜いっしょにテラスから眺めて過ごした。
十五夜の月というのは、深夜に一番煌々と輝くのでつい見入ってしまう。
そうした過ごし方が悪かったのか、
今朝から体調が芳しくない。
久しぶりの再会となったので、彼女のこころを占めていることに耳を傾けたけれど、
人というのは切ない生き物だということを改めて一人思う夜になった気がする。
フルムーンに熟年の夫婦の姿を象徴させるというのは、JRのCMのキャッチコピーが最初だろうか。
誰が考え出したのだろう・・・、
当時、月への冒涜に等しいとまでは言わないけれども、フルムーンを熟年夫婦に重ね合わせるなど、随分現実とは違うものだと違和感を抱かされたものだ。下界に住む人間というのは、愚かで切ない生き物なのだ。
夫婦関係に「虚しさ」や「寂しさ」や「諦め」といった感情が一方に生まれた場合、
もう一方はどうなんだろう・・・と、わたくしなどはつい考えてしまうけれど、
「寂しさ」に「諦めた」心というのは、なかなか治癒は難しい。
外からは分からないどうにもならない心の溝が出来てしまったとしても、作ってきたものなら作り変えることもできるのではないかと思いつつも、口にすることは憚られた。
相手の心が求めていない話は、聞いてはもらえず、
心に届かない話ほど虚しい話はないから。
結婚は、だれと結婚しても同じだと言ったのは、
誰だったろう・・・