あ、どうも朴です。
くどくてすみません。藤沢駅改札口の神様についてもう少し書かせて下さい。
例えば、手のひらにある幸せが同じカタチで永遠に続くことは限りません。いつかカタチを変えたり、そこから零れ落ちるのが自然。須らくは泡沫、流転、諸行無常なのです。
同じように、神様がとある朝、改札に来てみたら何故か毎日当たり前のようにあった『踏み台』がもし無くなっていたら、神様はどうするのでしょう。
今朝あった『踏み台』が明日朝、そこにある保証はないのです。神様の存在を疎ましく思う通勤客はきっと大勢いるはずで、揉め事が嫌いな駅員は『踏み台』を撤去することが最も簡単なソリューションと心得ているに違いありません。
朝、改札口に来た神様はそこにあったものがなくてきっと右往左往されるでしょう。座る場所がなくてきっと途方にくれるでしょう。哀しみのため息をつくことでしょう。
座ることによってあった存在は座るべき場所を失い、その存在を否定され、神様は通勤客の記憶から消えゆくのでしょう。
神様、神様は何故毎日毎朝そこにお座りになるのでしょう。
もし、その意志が我々の救済のためにあられるのだとしたら、神様の強い意志を以て『踏み台』に替わる御自身の『セコンド椅子』をお持ち下さり、あなたの深い愛を以て我々を守り給へ。
守り給へ。
くどくてすみません。藤沢駅改札口の神様についてもう少し書かせて下さい。
例えば、手のひらにある幸せが同じカタチで永遠に続くことは限りません。いつかカタチを変えたり、そこから零れ落ちるのが自然。須らくは泡沫、流転、諸行無常なのです。
同じように、神様がとある朝、改札に来てみたら何故か毎日当たり前のようにあった『踏み台』がもし無くなっていたら、神様はどうするのでしょう。
今朝あった『踏み台』が明日朝、そこにある保証はないのです。神様の存在を疎ましく思う通勤客はきっと大勢いるはずで、揉め事が嫌いな駅員は『踏み台』を撤去することが最も簡単なソリューションと心得ているに違いありません。
朝、改札口に来た神様はそこにあったものがなくてきっと右往左往されるでしょう。座る場所がなくてきっと途方にくれるでしょう。哀しみのため息をつくことでしょう。
座ることによってあった存在は座るべき場所を失い、その存在を否定され、神様は通勤客の記憶から消えゆくのでしょう。
神様、神様は何故毎日毎朝そこにお座りになるのでしょう。
もし、その意志が我々の救済のためにあられるのだとしたら、神様の強い意志を以て『踏み台』に替わる御自身の『セコンド椅子』をお持ち下さり、あなたの深い愛を以て我々を守り給へ。
守り給へ。