技術者の技術者による技術者のためのブログ

理系離れ著しい今日,技術者の地位を改善しなければ技術立国日本は滅びます。日本を「おしん」の時代に戻してはなりません。

東芝ワープロ発明訴訟事件 15:第一回裁判

2008年01月17日 | Weblog
日本テレビの「スッキリ」番組表 -- http://www.ntv.co.jp/sukkiri/


 第一回裁判を本日14:45から東京地裁代46部でおこなってきました。こちらの訴状と相手方の答弁書の確認と次回の期日を決める程度ですぐに終わりました。日本テレビの記者が傍聴と取材をしてくださいましたので,ニュースで見られた方も多いことと思います。(1/17(木曜夕・夜) リアルタイム,ZERO,1/18(金曜朝)スッキリ,ズームイン)

 争点は「単独発明は認められない」と,「額」になりますが,前者に関しては,単独発明は厳然とした事実ですから,それを枉げることは,虚偽を申し立てるのでなければ,誰にもできません。私の単独発明の主張は,私の挙げている2つの特許に関しての話で,それ以上のことは何も言ってはいないのです。本件に関わる,河田さんの発明は河田さんのもの,武田さんの発明は武田さんのもの,森さんには発明はありませんという,ごく自然な事実確認の主張にすぎません。このようなごく自然な主張にすぎません。それが東芝にとって裁判で争わなければならないほどのものでしょうか?勿論,それだけの事情はあるのです。

 「天才とは99%の汗と1%のひらめきである」とはエジソンの言葉ですが,この場合,「天才」を「発明」と換えても構わないでしょう。エジソンは発明王なのですから。毎日毎日,汗水たらして実験をしているという精神の集中状況の中で1%のひらめきが生まれ,それが発明となるのです。気楽に会議をしていて,最先端の大発明が生まれるようなことはありうべくもありません。京大再生医科学研究所の山中伸弥教授が皮膚の細胞から万能細胞を作る方法を発明しましたが,こんな事が机上で会議をしていて考えられますか?しかし,その方法を公開した途端,誰もができるようになりました。最先端科学技術の大発明とはそういうものなのです。


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東芝ワープロ発明訴訟事件 14: 技術者の名誉にかけてJW-10はユーザ本位の設計に徹しました

2007年12月31日 | Weblog


この画像はJW-10のキーボード右上の部分の操作卓にあるスイッチ類です。


 左側に,「漢字指定」/「文節指定」と「一括選択」/「逐次選択」の切り替えスイッチがあります。「漢字指定」,「文節指定」は入力モード切替です。入力中,いつでも切り替えることができます。

 ところで,読者の皆様は「文節」を正確に説明できるでしょうか?99.9%以上の方はできないと思います。文節の概念は学校文法と言われる橋本文法で提案されたものですので,中学校で習ってもよいのですが,実際には国語の先生でさえ正確には説明できない面倒な「机上の理論*」なので教えられていないのではないでしょうか。私自身,習った記憶がありません。精々「ネ」を入れられる切れ目,程度の知識しか教えられていないと思います。「今日ネ,駅前でネ,松葉カニのネ,大安売りをネ,していたよ」のようにです。


  *:橋本文法では概念を述べているだけですので,具体的な文を文節に区切る区切り方の正解というものはありません。文法学者の「説」に分かれてしまうのです。もちろん,概念にさえ一致しない完全な間違いというものはあります。例えば,「今日,駅前ネでネ・・・」は完璧な間違いです。また,「文節などという概念は存在できない」という反対説もあります。東京女子大学教授をされていた水谷先生とある学会の懇親会の席上でご一緒した時,「天野さん,文節などはないのですよ」と具体的な例を挙げられてのお説を拝聴したことがあります。ただ,機械に教える論理的な方法としては文節が最も綺麗な体系であることは確かなのです。



 JW-10を研究しているとき,ためしに情報システム研究所の研究者たちに,A4で1ページの文章を出して,文節の切れ目に「/」を入れる問題をアンケート方式でやってもらいました。世間的には,超優秀な人たちということになっていますが,結果は悲惨なものでした。誰も,文節など知らないのです。

 それで作ったのが「漢字指定式」モードでの入力法です。時々見かける説明で,「漢字をカッコでくくる」方式で,「(さくねん)の(こっかよさん)は・・・」のように入力すると書かれていますが,これは誤りです。考えれば分かると思いますが,漢字と平仮名は交互に出てくるため,頻繁に切り替えが起こります。「」,「」というカッコはシフトキーを用いて入力しなければならない面倒な記号です。しかも,頻繁に使う記号ではないので,使い難い位置にキーを割り当ててあります。そのような方法を考えるというだけで,既に研究者ではありません。ユーザにそのような負担をかけてはいけません。そもそも,文節を見極めることが難しいからというユーザを思いやる動機で作られたモードでユーザ不在の方法を考えてはいけないのです。当然,使いやすい方法を考えました。

 当時の普通のキーボードは親指の位置に長いスベース・バーが置いてありました。長いのでキーと言わずバーと呼びます。今のパソコンのスペース・バーの2倍ほどあります。英文タイプでは単語の切れ目にスペースをおくためのバーです。もっとも頻繁に使われるものなので,左右どちらの親指でも使えるようにそのようにしてあるのです。親指は大きくて,力が強く,打鍵にもっとも使いやすい指ですね。

 JW-10では,このスペースバーを2等分しました(実際には,英語ほどは使わないとは言え,スペース・キーも必要なので少し小さくなっています)。左を「漢字シフト」バー,右を「ひらかなシフト」バーとして,親指で漢字と平仮名を楽々と切り替えられるようにしたのです。ですから,頻繁に漢字←→平仮名の切り替えが起きても負担になりません。

 このように,「漢字指定」モードとは,漢字と平仮名をシフト・バーで指定して入力するというモードなのです。文節で切るということは考える必要がありません。JW-10はこのシフト情報を見ながら自動的に文節を推定して切ってくれるのです。私は,これを「自動分かち書き」という特許にしました。

 ついでながら,「一括選択」と「逐次選択」は同音語をいつ選択するかを指定するモードです。今の仮名漢字変換は,同音語をその場で決めないと次を入力できませんが,JW-10では,どんどん入力できました。「一括選択」というのが,そのモードで,普通はこのモードで使われていました。JW-10では同音語は選択せずに記憶されていますので,文章を作り終えてから,選択キーを押せば自動的に最初の同音語の位置にカーソルが飛んでいきます。そこで「次候補」キーを押せば,今のワープロやIMEのようにくるくると変わります。ちなみに,このくるくると変わる方式も(他にこのような機械は存在しないので)当然ながらJW-10で考案されたものです。そこで適切なものを「選択」すると,カーソルは次の同音語の位置に自動的に飛んでいきます。このようにして,一括で簡単に選択できる方式なのです。

 この方式と,今問題の訴訟の対象となっている「一度選択した単語が次からは最初に出てくる」という特許を組み合わせていますので,実際には選択キーをポンポンと押しているだけで良く,次候補キーでクルクルまわす必要がありません。これは使ってみると分かりますが一つのキーから手を離す必要がありませんので非常に楽な操作で,強力な同音語選択方式なのです。
「逐次選択」方式は言うまでもなく,現在普通に用いられている方式です。

 JW-10では現在のワープロあるいは,かな漢字方式に比して,このように様々な工夫が凝らされていました。残念なことに,多くの企業が参入する中で,人工知能も言語学も知らないと思われる技術者のためにワープロの中核技術は堕落の道を歩んだのです。ハードウェアだけは半導体技術の進化のおかげで進歩しましたが,言語学的,人間工学的(ヒューマン・インタフェース)には,一部の製品を除いて退化の方が激しかったと思います。産みの親としては残念に思います。

  とはいえ,携帯電話の「予測入力」は便利ですね。あれは,NHKのプロジェクトX第95話で,河田氏がマジックの話で思いついたと話していた「予測」方式の途中結果という舞台裏を表示してしまっているものです。もちろん,加えて多少の工夫はしているでしょう。パソコンなどのキーボードでは,キーを叩くスピードのほうがカーソルを移動しているスピードより速いので不要の機能ですが,ケータイの不便なキーでは非常に便利な機能で,重宝しています。

 また,東芝には「ルポエース」と言う「一文丸ごと変換」の素晴らしい変換率を持つIMEがあります。これは私の功績ではありません。後継者たちが汗水たらして開発したものです。まことに,「青は藍より出でて藍より青し」,出藍の誉れなのです。私がWindowsに搭載されているMS-IMEの言語学無視のあまりの変換率の低さに閉口していた時に,同僚がその存在を教えてくれたものです。その変換率の素晴らしさに感動したものです。しかし,残念な事に,東芝からは次の発表がされています。 有償で販売できないならば,日本の技術の世界遺産とも言うべき,このソフトはパブリックドメインにして,ソース公開すれば良いと思います。しかし,東芝がそのような社会的貢献を行うというアナウンスは聞いていません。実に惜しいことです。これも技術軽視の一端なのでしょう。

== お知らせ ==

Rupo ACE Ver.3.0 の販売は都合により休止いたしました。
また、ソフトパーク以外から購入する方法もございません。
http://softpark.jplaza.com/software/rupoace_stop.html

 
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東芝ワープロ特許訴訟事件 13: 技術者の名誉にかけて:携帯でメールできるわけ

2007年12月30日 | Weblog


沖電気のワープロ一号機: JW-10を発表したのが1978年9月でした。沖電気は1979年5月には既にこの一号機を出して最も早くJW-10を追いかけてきました。

 --情報処理学会コンピュータミュージアム http://museum.ipsj.or.jp/ より引用

 

 携帯は便利です。いつでもどこでもメールができます。電話がはばかられる車内でも,シルバーシートの近くでなければ問題ありません。第一,電話は通信料が非常に高いし,相手がすぐに出てくれないことも多いしで意外に不便です。

 もし,かな漢字変換が実用化されなかったら携帯電話でメールをするということはできないことでした。写真は沖電気の第一号ワープロです。ケータイでメールをしようとすると,このような大きなキーボードを持って歩くことになるのです。不可能ではありませんが,事実上,できませんね。

 仮名漢字変換はソフトですから,大きさがありません。仮名かローマ字*を入力できるキーボードと小指の爪ほどのコンピュータさえあれば実現できます。ケータイのような小さな機械で日本語メールができるのはこの理由によるのです。

*:ローマ字かな変換は極めて簡単で中学生でも作れます。a-あ,ba-ば,のような表を作るだけです。

 しかし,2000字ほどもある漢字をそのまま入力する機械では,このように漢字キーボードが巨大になってしまうのです。東芝でも,私が入社する前は,そのような発想しかできず,「アタッシェケース型のポータブル漢字入力タブレット(左のサイトのページで一番下までスクロールしてください)」を試作していました。新聞記者が持ち運んで,記事を現場で入力するために作ったそうですが,さすがに採用されませんでした。

 更に,ワープロ機能により,いくらでも書き換えとメールの保存ができることは,空気のように自然なことなので,その有難さに気がついていない人が多いでしょう。それに気がついている人が,我々以外にも居ました。下の記事を書いた方です。


ワープロ今昔物語

文章を書く人にとって、ワープロの一番ありがたい点は、右寄せとかセンタリングなどの「芸」ではない。最も単純な「訂正」「削除」「挿入」こそが驚きなのだ。

原稿用紙に向かって、ペンを握ったまま、ああでもない、こうでもないと悩み、「ある日……」と書いては紙を丸め、「私の……」と書いては引きちぎり、くずかごや周辺はごみだらけとなる。それというのも、傑作意識だけでなく、紙に向かって書くという作業は、訂正も削除も、ある種の覚悟が必要だからである。書き出しがスムーズにいかないと、文の流れは極めて悪い。ところが、ワープロで文章を考える場合、気に入らなかったらすぐ消せるし、それで紙が無駄になるということもない。気を入れて清書したのに、1つの間違いから気分台無しになるということもないのだ。また、文の流れを気にせず、思いついたまま、メモ的に文を書いておき、あとで「移動」や「挿入」で立派な文章を組み立てられる。その結果、きわめて楽な気持ちで文章を考えることができ、構える必要もなく、アイデアが湧いてくる。もちろん、つぶやきにすぎないものや、単なる思いつきも記憶しておけるから、あとで「しまった!取っておけばよかった!」と悔やむこともない。
考えてほしい。文字発明以来、こういう作業は何千年間も不可能だったのだ。
 --http://homepage2.nifty.com/maeno-sc/page008.html


 JW-10で,「訂正」「削除」「挿入」の3機能大きなキーとしているのは,まさにこのためなのです。



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東芝ワープロ特許訴訟事件 12: 技術者の名誉にかけて:1980年代前半のワープロ技術

2007年12月29日 | Weblog

 ブラザー工業から1984年に発売された「電子タイプライタ」の「ピコワード」です。一字づつ変換する単漢字変換方式なのですが,カタログには「かな漢字変換」と謳われています。
  --ピコワードのカタログより



 まだ私の発明した局所意味分析を用いた二層型かな漢字変換*に追いつくどころか,1960年代に試行されたが使い物にならず断念された方式が採用されていたのです。

  *: これは,ソフトの構成の観点からの命名で,機能的な観点からは
     「統合分析型かな漢字変換」と呼んでいます。

 http://homepage2.nifty.com/maeno-sc/page005.htmlに,1985年,つまり,JW-10が発表されてから7年たった時代が描写されています。当時の雰囲気を彷彿とさせます。


   ワープロ今昔物語

1985年-パーソナルワープロ元年 (2)

              中略

辞書を内蔵し、鉛筆と消しゴムとノート、それに定規と印刷機に魔法の記憶装置まで備えた、文房具の集大成、それがワープロなのであった。こいつはすごい!これは単なる日本語清書機械ではない。日本語の在り方を変えるほどの可能性を持った機械ではないか。興味はたちまち沸騰点に達した。

              中略

打ってびっくり。
「にほん」とキーを打っても「日本」にならない。「にっぽん」でもダメ。
(ええっ?何がいけないんだろう?)

信じられないことに、「ピコワード」のおつむには「熟語」が入っていなかったのだ。ではどうするかというと、「日本」を出すなら、まず「ひ」と打って変換キーを押し、出てくる「1日 2火 3秘 4費 5否」の候補から、数字を選んで決定する。「ほん」も同じように「1本 2翻 3奔」から選ぶのだ。これでようやく「日本」のできあがりである。
「だーっ!!やってらんねえっ!」

悲しいかな「ピコワード」は「単漢字変換」の機種だったのである。考えながら文章を書こうとする場合、これじゃ使い物にならない。原稿がすでにできあがっていて、それを清書する場合、それも時間がたっぷりかかってもかまわない場合にしか使えない。この煩わしさから解放されるためには、豊富な辞書が必要なのだった。しかしそれでも「じしょ」、「ほうふ」といった熟語は変換してくれるが「美しい」などの活用形はダメ。「び」で変換、「しい」で無変換。話すようには書けないのだ。

これを見事に解決してくれるのが、高度な文法解析による「文節変換」である。1985年当時は、この「単漢字変換」、「熟語変換」、「文節変換」がごちゃまぜなまま、同じ「ワープロ」という名前で、しかも同じような価格で売られていた、そんな時代だった。

 

 ところが,ここで述べられている「高度な文法解析による「文節変換」」でさえ,1970年代には変換率の低さから(それでも現在のMS-IMEよりは優秀でした)実用にならず,そのような方式では,英文タイプのようにキーボードを見ないで打つことができる日本語タイプなど「できる道理がない」と言われていたのです。

 私の研究と発明は,この技術の壁を破るものだったのです。1978年のJW-10には,文節解析を遥かにしのぐ「二層型=統合分析型」仮名漢字変換が実装されているのですが,世間の認識は,まだこの程度でしかなかった時代でした。それほどに私の技術は,京大,九大の数人を除いては想像さえできないものだったのです。

 とは言え,電気や機械の企業に言語学を習得し,コンピュータに「言葉を計算させる」ことのできる人工知能の技術者など居ない時代だったのですから,他に方法はなかったのです。
続く


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東芝ワープロ訴訟 11:企業の発明者はなぜ社会に知られないのか,あるいは間違って知られるのか

2007年12月28日 | Weblog

恩師,坂井利之先生の「翻訳するコンピュータ」(1969年発行)の表紙の裏につづった天野の夢。
ホッブズのような哲学者でさえ,「運動」しか人工生命として想像できないでいました。今では,「知性」までも人工生命として模倣されていることを知ったらどれほど驚くことでしょう。


読者は,次の質問に答えられるでしょうか?

 ディジタルコンピュータの発明者はだれか?

 大型コンピュータという巨大なコンピュータを,小指の爪ほどに小さくしたマイクロコンピュータの発明者は誰か?
(嶋 正利氏はブリタニカのマイクロコンピュータの項からは排除されているとのことです。間違いなく,最も功績のあった方でしょう。アドレナリンの高峰譲吉・上中啓三が米国で排除され,飛行機のライト兄弟がやはり米国で排除されていた過去があります)

 これらについてはその分野の相当の専門家でも知らないでしょう。一方で,相対性理論が何であって,どんな恩恵を受けているかは知らなくても多少勉強をした人ならアインシュタインであると知っていることでしょう。今をときめく,iPS細胞の作成法を発明した京都大学の山中教授の名も,多少とも新聞を読む人なら知っているはずです。

 科学技術と一口に言いますが,科学と技術(工学)では,まったく異なるものなのです。科学は発見に属し,技術は発明に属します。自然科学は宇宙の構造を解明する発見的な仕事であり,技術はこの世に存在しない新しいものを発明する創造的な仕事です(改良もありますが)。工学にはノーベル賞は与えられません。科学に与えられるものということになっています。ノーベル物理学賞とか,ノーベル化学賞はあっても,ノーベル情報工学賞とか,ノーベル電気工学賞などはありません。

 このように技術は常に下に見られています。一つには,技術は科学の発見した法則を利用した発明であることが原因です。しかし,今,この世界から電車,自動車,飛行機,パソコン,インターネット,携帯電話,あるいは薬の抗生剤などが消えたら,我々は江戸時代に逆戻りするしか仕方ありません。

 仮名漢字変換の実現には科学と技術の両方の研究が必要でした。一応,古典的な言語学などはあるにはあるのですが,極めて不完全なもので,そのままではコンピュータに利用できません。そもそも,言語学というものは,個々の文法規則を作る学問ではなく,人間はどのようにして言葉を習得するのであろうかということを明らかにすることがその最大目的なのです。しかし,それではコンピュータは言葉を習得してくれません。コンピュータに言葉を教えるための学問が必要で,そこから研究を始めなければなりませんでした。NECの技術者の話を下に引用しましょう。当時の状況がよくわかります。

文字とともに歩む
        ――伊藤英俊氏に聞く
    ・・・
    中略

日本語処理の体制を作る
――邦文タイピストを意識した製品はあくまで過渡期的な製品ですよね。本命はJW-10のようなカナ漢字変換だったのではありませんか?

伊藤 将来の個人向けということではそうです。邦文タイピスト向けの製品で徐々に浸透をはかる一方で、カナ漢字変換の開発を進めました。仮名漢字変換を実現するには仮名漢字変換用の辞書を作らなければなりませんが、これもやる人がいない。ハード関係、ソフト関係は錚々たる専門家がいましたが、文字や国語のわかる人はいなかった。

注: フォントの緑色は天野がつけました。
  
--http://www.horagai.com/www/moji/int/ito.htm


 そこで得られた科学的知識はアインシュタインの相対性理論のように社会に知られることはありません。なぜなら,企業はその科学的知識を独占して,そこから発明により新しい製品を作るために,社外秘とされるからです。これが発明者が知られない一つの理由でもあるのでしょう。発表は企業名で行われます。「東芝,日本語ワープロを発表」という形で新聞発表されます。「東芝の天野真家氏,日本語ワープロを発明」というような発表は行いません。ここにすべての問題が,技術者の立場の低さが凝縮していると言ってもよいでしょう。企業はその代償として,内輪の中で表彰し,処遇を与えてその名誉を称えます。私の場合,その名誉が,真の発明者である私に与えられなかったということです。人事権者の怠慢と言うほかないでしょう

 NHK大河ドラマ「風林火山」が終わりを迎えましたが,戦国の武将は部下の論功行賞に努力を注ぎました。このドラマの中でも武田信玄が論功行賞を行う場面が何度かありました。命を懸けて戦っている部下の功績を間違えれば部下は離れていくことになり,それは自家が滅びることにつながるからです。

 「技術者は好きなことをやっているのだから待遇が悪くても良い」という言い方が時にされますが,趣味ではなく,仕事として行うのですから重大な責任がともないます。好きも嫌いもありません。納期と機能・性能を守るという重圧がずっしりと肩にかかってきます。大型コンピュータ全盛時代には新しい次期モデルを開発するとあまりの重圧に耐え切れず,一人は自殺者が出るといわれたものです。友人の他社のワープロ技術者にあなたはワープロでよかったですねと言ったところ。「ワープロだけで毎年数人の鬱病を出していました(管理職含む)。」との返事が帰って来ました。私と武田さんも,青梅工場に通っていた1年半の間,寝ている時を除いては開発に明け暮れていました。寝ている時はバグ(プログラムの誤り)が取れた夢を見ていました。もっとも,起きてしまうと,バグがなぜ取れたか思い出せません。所詮,夢の中のできごとなのでした。その上,青梅工場には「短距離出張」で処理したためタイムカードもなく,すべてサービス残業でした。

また,次のような話もあります。


ワープロの開発.膨大な人員で一年中毎日が徹夜の連続。一つの機能毎に開発要員が数人張り付く。従って開発人員は国家予算と一緒で単調増加の一途。思いついた機能は直ちにプログラミングそして検査。時には検査中に新機能が必要となり慌てて人の手配から始めることもある。15万円のパーソナルワープロから500 万円のビジネスワープロまで年間12機種も開発していると盆も暮れもない。毎日々々が先の見えない開発の連続.xx工場勤務の時の年間TAXI乗車回数は 200回を超えていました*。xx工場で勤務開始後お酒を飲んだのは3回/半年でした**。(大変少ないという意味)

 * 大きな工場の前には夜10時ころから駅前のようにタクシーが並んで待機しています。深夜残業で公共交通機関がなくなるので,家までタクシーで帰るのです。正規労働時間が176時間/月の時代に,300時間の残業をしたという情報処理センターの友人がいて,いくらなんでもそれは無理ではないかと尋ねたところ,簡単ですよ。家に帰らなきゃいいんですとの返事にはさすがにあっけにとられました。(天野注)

 ** この著者は定常業務でしたからまだ半年に3回もお酒を飲む閑があったのですが,私と武田さんは緊急の新製品開発プロジェクトでしたから,青梅工場での1年半の間,そのような閑はありませんでした。毎朝,小作駅から工場へ行く途中のガラガラ(青梅=小作は田舎ですのでね)で,すぐに食べられる喫茶店でモーニングセットを掻き込んでの出勤でした。


なお,理系の処遇の悪さの調査があります。
 理系と文系の報酬格差について検索で調べると「研究者(発明者)の側から見た職務発明制度」(渡部俊也・東大先端科学技術研究センター教授)に元は阪大による調査で「生涯賃金 文系4億3600万円 理系3億8400万円」のデータが示されている。5000万円の差である。

   -- http://dandoweb.com/backno/20040311.htm

 最近,コマーシャルで「xxさんはyyの研究をしています」という形で研究者個人を出すようなことを行っていますが,あれが本当なら非常に良い試みですが,単なる企業イメージの改善という目的で,特に成果のあるわけでもなく,都合の良い人だけを出しているとしたら,今度は研究者間で名誉の争奪戦になり,不満も出ることでしょう。あまり感心したことではありません。

 東芝でも私がマネージャのときに,ちょうど男女の雇用均等がうるさく言われていた時代,功績ある男性研究者を措いて,何の功績もない女性研究者を先に昇進させたことがあります。その時の役員の言い分は「東芝は女性を大切にしているというイメージを作りたい」というものでした。逆差別だと私と私の上司は怒ったものでした。
続く

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東芝 ワープロ訴訟事件 10: 私に送られてきた河田さんの文書

2007年12月27日 | Weblog


 河田さんから私に送られてきた文書の一部です。ほんの些細な思い違いをのぞき,ほぼ正しい記述になっています。

 ここで河田さんが主張したかったことは,

 ・「かな漢字変換」を提唱したのは自分
 ・仮名漢字変換と辞書の作成担当は,プロジェクトXの物語につながる前までは自分
  (つまり,従来技術のキャッチアップは自分)
 ・森さんはマネージャであり,しかも,ほとんど何もしていない。

ということです。

 河田さんとは,そして武田さんにも,各自の発明は,それぞれ各自に属する発明であると話しています。河田さんには長期学習と呼ばれる正式名称「辞書自動更新装置」と呼ばれる発明=特許があり,武田さんには一字単位変換関連の特許があります。それらは彼らの発明に帰します。

 当然のことを言っているだけですが,これには意味があるのです。発明は製造とは異なり,それぞれが独自に行った実験における個人的経験を基礎にした知恵から出ているからです。最先端の発明は,会議室での合議などででるものではありません。誰にでも分かる会議の議題の対象となる「製造」は日常の業務です。自動車などは産業用ロボットが製造しています。発明の「創造」とはまったく違います。製造からは,特許による「超過利益」は生まれません。特許が問題になるのは,独占の利益である超過利益という大変に大きな利益が生まれるからで,それがなければ特許そのものの意味がありません。企業あるいは個人が特許を取るのは独占により莫大な利益を受けることを狙うからなのです。

続く


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1960-1970年代の京都大学の先端的人工知能の研究

2007年12月24日 | Weblog


上左側: 1965年: 長尾真先生の博士論文。1965年です。既に,この年に言語解析と文字認識の研究が行われています。

上右側: 1978年: 京大の同期の友人である辻井潤一氏の博士論文です。言語理解という究極の研究がなされています。河田氏が1972年に京大で行っていた研究は,この研究の「はしり」の部分のおすそ分けであったと思われます。辻井氏が博士論文までまとめるにはそれから6年もかかっているのです。私が「二層型仮名漢字変換」をまとめてワープロとしたのも奇しくも同じ1978年です。

下: 1969年発行のブルーバックス。タイトルの通りの内容です。紹介文によると,既に1961年に「会話を聞いて自動的にタイプする」音声タイプライタの研究が行われています。
続く


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東芝ワープロ発明訴訟事件 9: ワープロのbefore and after

2007年12月24日 | Weblog


         1970年代に使われていた和文タイプライタ

 -- NHK プロジェクトX 第95回 ~ワープロ・日本語に挑んだ若者たち~,
   1992年9月3日 より


 私がワープロを発明した様子は,ちょうど魔法の国から来た技術者が和文タイプ技術しか持たなかった日本という後進国で,人工知能という魔法の杖を使ってワープロを実現してみせたようなものでした。ワープロ以前の時代を物語っている分かりやすいホームページがあります。少し引用してみましょう。
 

日本語ワープロ発明 Before and After

機能高分子学科 太田 和親

20031210日 随筆

 

 現在45歳以上の方なら、覚えておられるかもしれません。今の様に日本語のワープロがない時代、公式の文書を清書するのには、印刷屋さんへ行って頼むか、自分で、とても一人では運べないような極めて重い日本語タイプライターを買って、一字一字鉛の活字を拾って打つかしなければなりませんでした。だから、1982年に私が運転免許証を横浜の二俣川へ書き換えに行った時、警察の人が、「この申請書をそのままコピーして作りますので、氏名住所が手書きのまま交付されますが、いいですか。もし活字がよかったら、前にあるお店でタイプで打ってもらって申請して下さい。」と言われました。そこで、行ってみると、日本語タイピストの女の人が、猛烈な速さで鉛の活字を選んで、私の名前と住所を打ってくれました。「さすがプロ!」などと思って感心しました。

 一方、私の家内の日本語タイプライターの思い出は、逆に悲惨です。彼女は独身時代、大阪大学工学部応用化学科で塩川二郎先生(前塩川正十郎財務大臣の実弟)の研究室で技官として勤めていました。その頃、塩川先生の日本化学会賞応募のため大変分厚い申請書類を作成する必要から、塩川研でわざわざこの植字式の日本語タイプライターを購入したそうです。そして幸か不幸か、その書類のまとめを、彼女が担当することになりました。彼女は化学の出身の技官で秘書ではありませんし、また日本語タイピストの資格を持っているわけではなく、全くの素人でした。それでプロじゃないので、2800字に及ぶ鉛の活字がどこにあるのか判らず、一つ一つ探すのに大変苦労しました。遅々として進まず、またその上、一度間違えると修正がもう大変で、精根尽き果てたといいます。

 したがって、今から20年前の当時では、プロの資格を持っている人以外、日本語のタイプライターに触れることは、私の未来の家内以外、まずほとんどなく、まして、自分の家に1台持とうなんて思うことなど念頭にすらありませんでした。当然、一般の人は皆文書は手書きが普通でした。学会の講演予稿集なんかも、確か1985年くらいまでは全部手書きでした。それで、字が上手な人は立派な教養人に見えたものです。字が下手だと、何だか講演内容も安っぽく、その人物もぱっとしないのではないかと勘ぐったりしたものです。だからでしょうか、歴史上有名な人の手紙など、達筆だと額に入れて、「何でも鑑定団」に出されて高額な評価を得たりするわけです。教養人=字の上手な人というのが、2000年近く日本における長年の評価基準でした。ところで、皆さん知っていますか?信州大学繊維学部の前身、上田蚕糸専門学校の初代校長針塚長太郎先生の書が、少なくとも二つ学内に残っていることを。一つは、農場建物脇の石碑の碑文「蚕霊供養塔」が、針塚先生の書です。碑の裏面によると大正12年に建立されたようで、今年で丁度80年になります。また、図書館脇の古い建物「旧千曲会館」の床の間の掛け軸「啄徒啄師(たくとたくし)」も針塚先生の書だと聞きました。極めて達筆で流麗です。字を見てやっぱり大変立派な人物だったとお見受けします。

 話がそれましたが、今はほとんどの人がパソコンで日本語の文章を作成したり、携帯(電話)で(電子)メールを送ったりしています。これらは全く「日常茶飯事」となりました。現代風に言い換えると、「日常パソコン・メール事(ごと)」と言えるでしょうか。しかし一体誰が、このように、コンピューター上で日本語を扱えるようにしてくれたのでしょう。以前はローマ字しかコンピューターで処理できなかったはずです。これは、日本語の大革命だと私は思います。

    -- http://www-lib.shinshu-u.ac.jp/seni/online/no49/1.html



 もっとも,この筆者も誰がワープロを発明したかについては東芝の言葉を素直に信じてしまい,誤っています。

 内橋克人著「新・匠の時代 1(文藝春秋社)」(現在「新版 匠の時代 第三巻」が発行されています)26ページには次のように書かれています。

 それにはまずコンピュータ言語学*からモノにすることが,必須条件と考えられた。
 森は社内にひろく適任者を求めたが当時はまだそういう分野を修めた研究者を社内に見つけだすことはできなかったのである。

 *:コンピュータ言語学という専門用語はありません。「計算言語学」,「自然言語処理」などのことでしょう。

 東芝社内には技術者がいなかったからこそ河田氏を,私が大学院生として人工知能を研究していた京大に研究生として送り込んだのです。しかもその技術は,九大の栗原教授,NHKの相沢博士が何年も挑戦して,なおかつ成功しなかった技術なのです。河田氏も彼らの従来技術をキャッチアップした後は,私にその先を託した,そのような困難な技術を,単なる研究管理者が易々と実現できるなどという話にどのような現実味があるか,考えるまでもなく分かると思うのですが・・・
それでも,
ここには誤謬に満ちた物語が語られています。
http://www-lib.shinshu-u.ac.jp/seni/online/no41/2.html

 それらの誤りをいちいちここであげつらうことはしないでおきます。ここで語られていることは,森氏の功績ではなく,私と,私の部下たち,それに事業部の研究所の技術者たちが,JW-10後の第二期とも言える時代に行った技術開発であるとだけ言っておきましょう。

 JW-10の時代と,その後,私が機械翻訳の研究開発を一段落させて再度,仮名漢字変換に戻った第二期の時代の話が渾然一体に語られていますので,私でなくても,第二期の時代の(私より)若い研究者が見てもすぐに分かることです。

 成功した発明には,このような事実誤認が満ち満ちているのです。


 「成功には100人もの生みの親がいるが、失敗はいつもみなし児である

  -- 第35代アメリカ合衆国大統領 ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ

続く
 

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東芝ワープロ発明訴訟事件 8: 誰がアクロイドを殺そうと

2007年12月23日 | Weblog

1989.8.24 毎日新聞「10歳のワープロ社会3」
当時の漢字かなまじりぶん(普通の文書)の入力風景と弓場氏の「ワープロのようなものができるとは,思っていなかったんですが」発言。この発言は,記者が書いているような謙遜などではありません。それでは,第一話で「想像もできなかった」と書かれたSF作家小松左京氏に失礼というものです。

 

誰がアクロイドを殺そうと」(どうでも良い事だ)とは,斬新な手法で書かれたアガサ・クリスティの「アクロイド殺人事件」への批判論文です。同様に,おおかたの人には「誰が仮名漢を唱えようと」と言うところでしょう。しかし,企業はそれをきちんと評価しなければばりません。「何が技術者を殺すのか」という論文もありますが,技術者の評価を適切にしない企業が技術者を殺すのです

 仮名漢字変換の概念は1960年代中ごろに現れています。仮名漢字変換を私と河田勉氏が始めることになったきっかけというものを,当時新人だった私は正確には知りません。1975年前後,河田氏から我々二人が「かな漢字変換をすることになった」と聞いたのが最初です。これを誰が言い出したのかは推測しかできません。結論から言えば,森健一氏は当時,漢字入力の必要性を感じていました。その具体的方法として,かな漢字変換という方法を提案したのは,私に送られてきた河田氏の文書に書かれた主張によれば河田氏だということです。この河田氏の主張には信ずべきそれなりの裏づけがあります。森氏自身が自分が言い出したのだというような主張をしていないということも強力な裏づけのひとつです。

 森氏は,「毎日新聞からの依頼で,その記者のために漢字入力機器を試作した」という意味のことを言っていますが,仮名漢字変換の採用を発案したとは一言も言ってはいません。そもそも,私が「毎日新聞」云々の話を知ったのはJW-10を発売した後のことで,それも森氏に聞いたわけではありません。1989年8月22日の毎日新聞に掲載された「10歳のワープロ社会」連載で読んだのが最初でした(「匠の時代」に匿名で出てきてはいます)。つまり,発売後10年も後のことでいかにも不自然です。河田氏は「あれ(毎日新聞の依頼で仮名漢字変換を始めたという話)は後で付けた話です」とその時,私に告げたのですが,正確に読めば,「毎日新聞の依頼でかな漢字変換を始めた」とはどこにも書いてありません。世間がかってにそのように想像したにすぎません。あるいは想像するように書かれていると言ったほうが適切かもしれません。この連載のいたるところに出てくる言葉は「漢字かなまじりぶん入力機」です。つまり,上の写真の漢字テレタイプをもっと便利にした程度の機械ということでしかありません。

 それを更に裏付ける次の発言があります。

 毎日新聞1989年8月24日号「10歳のワープロ社会 3」の中で(最後の部分),で弓場氏は次のように語っています。
  「ワープロのようなものができるとは,思っていなかったんです

 また,森氏は,1998年12月9日,立教大学産業関係研究所主催の“日本語環境の未来---ワープロ誕生20年と今後”と題したシンポジウムにおいて「森氏らのグループは当初、漢字かな混じり文に変換する技術を研究し始めた。同氏によれば、「必ずしも現在の“ワープロ”を目指して開発を進めたわけではなかった」と語った」と報道されています。

 弓場氏も森氏も私のワープロ構想などには思いも至らなかったので,そのように思ったのは当然のことでしょう。

 今でこそ,空気のように自然な機械であるワープロですが,30年前までは誰も想像さえできない機械だったのです。岩波新書に「零の発見」という本があります。私たちが何の疑問も抱かずに使っている「0」はインド人によって発見されるまでこの世界には知られていませんでした。

インドにおける零の発見は,人類文化史上に巨大な一歩をしるしたものといえる.その事実および背景から説き起こし,エジプト,ギリシャ,ローマなどにおける数を書き表わすためのさまざまな工夫,ソロバンや計算尺の意義にもふれながら,数学と計算法の発達の跡をきわめて平明に語った,数の世界への楽しい道案内書.

-- http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/40/0/4000130.html

  「1020 x 809」 は小学生でも簡単に計算できますが,「0」を持たない漢数字で 「一千二拾 x 八百九」をどのようにしたら計算できるか考えてみれば分かるでしょう。何事にも,今では当たり前のことが当たり前でなかった時代があるのです

 森氏が1960年代から70年代にかけて漢字入力の方法を模索していたことは,毎日新聞の上記記事中にある漢字の全文字配列タブレット(毎日新聞の記事が出るまで下にスクロールしてください)を試作したことや,あるいは,東芝総研に残されている漢字を1字づつ入力するソフトを彼の配下に開発させていた報告書でも明らかです。この一字単位での入力法の開発は,私が東芝総研に入所する1973年の1年前,1972年に報告書が出て終了,チームも解散していました。当時,通産省の電子技術総合研究所でも同じ方法が模索されていたような,ごく普通に考え付くポピュラーな方法でした。

 これは,理系の普通の(情報工学専攻でさえない)大卒と高卒*の人たちによるチームが行った開発ですので,このような方法しか考えられなかったのです。しかし,この方法はたった一字を入力するにも大変な手間がかかるため実用には程遠く,全文字配列タブレットの方がはるかに実用的ですから,森氏はこのような発想での漢字入力には限界を感じたのでしょう。それで河田氏を京都大学に研究生として派遣することを考えたのだと思います。


  *:後に大いに私を助けてくれることになったこのチームの一人の武田氏が,この時の経験で,JW-10に一字入力の補助機能をつけることになります。たとえば,「入力機」は,MS-IMEで変換できませんから,実験してください。このように辞書に言葉がない時,JW-10では「入力」と変換し,「機」を一字入力機能で入力できました。もっとも,私はわずらわしい一字入力機能を使わず,「機器」と入れてから「器」を削除していましたけれど。今も,そうしている人が多いのではないでしょうか。


 京都大学は人工知能研究のメッカで,最新の言語理論を用いて日本語を「字」ではなく,「文章」として扱うという研究を進めていました。当時の日本の大学にはようやく情報工学科が設置されたばかりで,その急先鋒である京都大学さえまだ卒業生が出ていない時期であることに注意してください。京都大学は電気工学教室が情報工学の講座をもっていました。坂井研究室です。この講座の助教授であった長尾先生の下に,河田氏が研究生*として派遣されたのです。


*: 河田氏を「京大大学院に国内留学させた」という表現が記事で散見されますが,河田氏自身はまじめな方でそのような虚偽は口にしていません。政治家の学歴詐称が問題になった事件がありますが,それと同じことになるからです。「大学院」というのは制度であり,また組織であります。難関の入学試験があり,工学修士または工学博士の学位記が修了者に発行されます。彼はそのような組織には属していません。河田氏は社内報告書に「研究生」であったと正確に書いています。研究生とは,教授がさまざまな事情で私的に研究室に預かった人のことです。坂井研には大学院浪人,企業からの派遣者などが研究生として居ました。


 坂井研究室の人工知能の研究は,通常の理系の学科しか出ていない技術者にとって見れば,江戸時代の日本人が欧米の近代文明に触れたように衝撃的なものでした。小さな木造の帆船しかもっていなかった江戸時代の人々が,ペリーの蒸気エンジンで動く鋼鉄製の巨大な軍艦を見て「太平の ねむりをさます 上喜撰*(蒸気船) たった四はいで 夜も寝られず」と歌ったような状況であったでしょう。人工知能技術による言葉の処理は,技術者でさえ想像できないような余りにもきらびやかな技術だったのです。「数学の計算をする機械で,言葉を計算する」という発想は人工知能技術を知らない技術者には想像もできなかったのです。

 * 上喜撰 上等なお茶。これを沢山のむとカフェインのために眠れなくなります。かけことばになっています。ペリーは4隻の艦隊で東京湾に侵入してきました。

 河田氏が文節解析の初歩技術である形態素解析技術を京大で勉強したという誤りがワープロの歴史を書いた書き物で散見されますが,これは想像で書かれたか,ためにされた虚言です。京大ではそのレベルの研究は10年近く前に終了しており,長尾先生は70年代にははるかに難しい「意味解析」を研究していました。私の同期の友人の辻井潤一氏(現東大教授)が長尾先生に師事し,格文法のモチーフに基づいて統語解析と意味解析を統合した日本語理解のための解析法を研究していたので,河田氏はその一端をテーマとしてもらって日本語の統語・意味解析を研究していたのです。使っていた計算機はFACOM230-60という大型計算機センターの超大型機をテレタイプからタイムシェアリングで用いるという形態です。いうまでもなくこの時期のFACOMには漢字を使う設備はありません

 とにもかくにも京大の人工知能研究のフレーバを嗅いだ河田氏が自然言語処理に関するいくつかの用語を知り,東芝に持ち帰ったであろうことは容易に想像できます。その一つに「かな漢字変換」という言葉と概念があって,東芝に帰り,何を研究するのかと上司に聞かれて「かな漢字変換」を一つの候補に挙げたというところが真相ではないかと思われます。 
続く
 

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東芝ワープロ特許訴訟事件 7: 技術者の名誉にかけて (その3)

2007年12月22日 | Weblog

 この画像は,日付が1993年になっています。当時,社内研究報告をマイルストーンにして日本語ワードプロセッサJW-10の開発履歴を記したものです。ここに挙げた社内研究報告は元東芝総合研究所の図書館に保存されています。

 社外的には前回12月19日のブログに挙げた学会報告がありますが,それより肌理細かく報告されているのがわかります。誰が,何時ごろ,何を担当していたかが一目瞭然にわかります。
続く

 

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東芝ワープロ特許訴訟事件 6(続き): 技術者の名誉にかけて (その2)

2007年12月19日 | Weblog

 

 かな漢字変換とワープロに関して,初めて学会発表したもの(初出と呼びます。それ以外は学界では意味をもちません)を,それぞれの技術ごとに時系列で並べると,上の図のようになり,技術への貢献は天野,河田の2名,あるいは武田を加えた3名以外にありません。 この3名の役割については,東芝ワープロ発明物語:車上のワープロ技術史で詳しく述べてあります。

 一番上が「かな漢字変換」の初出です。この時点で,唯一,正統的な文法解析による仮名漢字変換を行っていた1963年の京大・相沢,1965年の九大・栗原,1973年のNHK・相沢と続く系譜の技術レベルをキャッチアップしました。このために1974年中は,河田,天野が二人でミニコンのOS,漢字入出力装置などのコンピュータ環境を開発し,河田さんが3ヶ月で仮名漢字変換を作り上げました。この時期,私はミニコンの上でかな漢字変換ソフト(文節分析ソフト)を動かすために,自動分かち書きソフト,エディタなど総合的な開発を担当しました。

 真ん中が,「仮名漢字変換による日本語ワープロ」のビジョンを打ち出した初出です。今でこそ「ワープロ」は誰でも知っている言葉ですが,この頃は誰も知らないに等しい言葉でした。もちろん,「ワープロ」などという略語はありません。私は,ここから画期的な日本語革命の道の開拓を始めたのです。河田さんは1976年早々上記文節分析ソフトを開発すると本務に戻り、代わって武田さんが入ってきました。

 しかし,文節分析方式では漢字への変換率は,従来最高の技術であったNHKシステムを超えず,まだ実用になるほど高くありませんでした。これを何とかしなくては成功は程遠いのです。私は,実験に継ぐ実験の末,下記技術の発明を行ったのです。

 一番下は,「二層型かな漢字変換」を実現した「局所意味分析」の技術の学会報告の初出です。この技術で飛躍的な変換率向上をみて,さらに,短期記憶を用いた同音語選択方式とあいまって製品化が成功裡に終わりました。
続く


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東芝ワープロ発明訴訟事件 6: 技術者の名誉にかけて (その2)

2007年12月19日 | Weblog

 先日,2007年12月6日に友人から上記ような本の一ページとその本に関する情報が送られてきました。それを見て私は呆然としました。「ワープロが日本語を覚えた日」という本だということですが,このような本の存在を知ったのは,この日でした。友人が送ってくれなかったら,存在さえ知らなかったでしょう。

 友人が読んだ結果,次のことがわかったそうです。

「最初の日本語ワープロの開発者たちのうち、河田勉さんについては、『新人が入ってきたばかりのときに言語学の勉強に大学に行ってもらったんです』といった表記がされているのですが、『新人』という表現しかないのですね。非常に軽く扱われています。『新人』という表現がもう1回、「その人』という表現が2回、『研究者』という表現が1回でしょうか。最後まで読んでも、天野さんへの言及はついに見つけられませんでした。『研究チーム』や『研究・開発するチーム』という表現で言及したということでしょうか。」

 さらに,「「八十年,かな漢字変換方式による日本語ワードプロセッサに関する研究」で科学技術庁長官賞受賞」という事ですが,これについても,ワープロの発明者である私は聞かされていません。科学技術庁長官賞を受賞するためには相応の物証を出さなければなりませんが,上の学会発表には天野,河田,武田の3人の名前しかありません。

 科学技術庁長官賞は,受賞候補者の所属企業が担当官庁に推薦するという手続きで選考に入るのですが,東芝はどのような理由をもってこの本の著者を推薦したのでしょうか。

 このような事はこれ一件だけではありません。これが私が「技術者の名誉をかける」と言っている意味なのです。

続く

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東芝ワープロ訴訟事件 5: 発明の使われ方と,実績に対する支払い例

2007年12月16日 | Weblog


 私が発明した「かな漢字変換」と「ワープロ」の基盤技術である二層型仮名漢字変換方式(統合分析方式とも呼ぶ)と短期学習同音語選択方式は2007年現在までに次のシステムで使われてきています。これらの技術を使わずに現代の高性能仮名漢字変換システムを作ることはできません。勿論,特許には20年という有効期間がありますから,この全ての量がライセンス料になるわけではありませんが,私の発明はこのような貢献をしていることを示しているのです。

・WindowsなどのIME   2億本前後
                          
 マイクロソフトは出荷本数を公開していないので,
                                            調査会社の調査などで推定。

・ワープロソフト 一太郎 1800万本

・専用ワープロ       3000万台 (3兆円市場)
                もちろん、初期の他社ワープロは、カナ
                漢字変換を使っていませんので、それは
                除きます。

・携帯電話など       2007年現在9000万台を超えています
                のでiモードが始まった1999年2月以来の
                累積台数は数億台になるのではないで
                しょうか。 

 

 もっとも,東芝が私に支払った実績補償は,1996,1997年度分で上記の写真程度です。1997年度は異常に多いのですが,これは相当のライセンス料を得たためだと説明を受けました。1997年といえば、ジャストシステムが一太郎販売累計1000万本突破を高らかに宣言した年でした。1996年も、実は、それまでよりちょっと多く,通常はそれ以下でした。

 しかし,私は記者会見でも申したように額を問題にしているのではありません。それを問題にするのなら,退職する以前,時効になる前に問題にするでしょう。私が問題にしているのは,発明者の名誉と技術者の処遇なのです。

 

ジャストシステムのニュース

 News Release 1997.09.18
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パソコン用ビジネスアプリケーションソフトで日本初
「一太郎」、累計出荷1,000万本を突破
-「一太郎Office8」明日発売、初回出荷20万本-

http://www.justsystems.com/jp/news/97l/news/j9709182.html より。
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続く



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東芝ワープロ特許訴訟事件 4: 発明は会議室で起きているんじゃない。

2007年12月15日 | Weblog

 

発明はどこでおきているのでしょう?

発明は会議室で起きているんじゃない。現場で起きているんだ!

踊る大捜査線の青島俊作の声が聞こえてきそうです。

言うまでもなく「事件は会議室で起きているんじゃない。現場で起きているんだ!」がオリジナルです。

 1970年代の漢字入力方式の最先端の研究は図のようなものでした。1973年,私が東芝総合研究所に入る直前にはこのような研究が行われていましたし,当時の最先端を行く国の研究所でも同様でした。


 人工知能,特に,形式言語理論,計算言語学,自然言語処理理論,言語理論 --形態論,統語論,意味論など-- の存在さえ知らない一般の工学部出身の研究者には,一字入力法以外の方法は想像外のことであった時代なのです。科学技術の最先端の領域では,何も知らない人たちが会議室にこもって,いくら議論しても何も生まれません。そこが一般的な,例えば家電製品の,商品企画のようなものとは異なるところです。本来,数値の計算を行う,文字通り電子計算機で,言葉を扱うなどはほとんどの技術者の想像外のことだった時代なのです。ましてワープロは会議なんて開くような体制ではなく,隠しテーマで1976年以後,その中核部である仮名漢字変換とエディタは,私一人がひっそりとやっていたものなのです。それらに関するさまざまなアイデアは私しか考え付くことができるものではなかったのです。

 当時の1字単位の入力法(単漢字入力)と,今のように普通に文章として連続して入力していく方法との間には,月とすっぽんどころではない差があるのです。

 これはパソコンでも簡単に体験できます。メモ帳かワープロソフトで
「1972年の報告では,1字単位の入力法が追求されています」という文章を当時の方法で入れてみて下さい

1.「1972」  これは簡単ですね。

2.「ねん」と入れてスペースを2度叩いてください。そして,右下に現れる「>>」印をクリックしてすべての同音異字を表示してください。これで,当時の状態になりました。当時は,上の図のように最初からこのようなすべての字を表示した状態になるのです。ここから好きな漢字を選ぶのですが,当時はマウスなどありませんから,カーソルを「←→↑↓」キーで字のところにもっていくなどして選ぶのです。

3.「  これはひらがなですのでそのまま。

4.「ほう」上記2.と同じ方法で,「報」の字を探して選択します。

5.「こく」 同上。

 以下,省略しますが,おわかりでしょうか。現在のように平仮名を連続していれて,次々と漢字に正しく変換できるということがいかに画期的であり,効率的であるかが。

 当時,文節解析だけの仮名漢字変換はあるにはありましたが,まだまだ効率が悪くて,英文タイプのように日本語をキーボードを見ずに入れることなどできる道理がないと考えられていたのです。この不便さを,来る日も来る日も研究所の建物の北側の薄暗い実験室に一人で閉じこもり,ひたすらキーボードとモニターに向かって文章入力の実験をおこなっていた私は,その体験から,変換率を飛躍的に上げるための「二層型かな漢字変換方式」を着想し,特許にしたのです。有意義な本物の発明は実験室の中で生まれるのです。

 さらに,上の例でも,「年」は最初に出てきたので,そのままで良く,非常に楽に入力できました。しかし,「報」は5番目,「告」は7番目でした。短期学習機能がなければ,常に一覧表のなかでカーソルを動かすなどして選択しなければなりません。短期学習機能があれば,一度使った漢字は最初に現れます。この便利さは使ってみれば即座に納得いくと思います。

1.すらすらと平仮名で連続して入力できる。

2.同音語があっても短期学習機能で選択が簡単。

 この2つの機能がなければ,どれくらい不便か。このブログなどのように長い文章は,到底作る気にはならないでしょう。

  かな漢字変換は,日本中で数人の研究者がやっていただけなので一般にはまったく知られておらず,JW-10が突如としてこの世に現れたときには世間はそれが何であるかもわからず,とにかく凄いものが現れたらしいと驚きの目をもって迎えたのでした。

 日本のSF界を代表する小松左京さんは英文ワープロの存在を知っていましたが,「日本語ワープロ」と聞いても,それがかなで入力して漢字に変換できる機械だとは想像もできなかったと毎日新聞にそのエピソードが掲載されています。仮名漢字変換は江戸時代の人々がテレビや携帯を思いもつかないのと同様に,1970年代の人々には-- 一般どころかほとんどすべての技術者でさえ --思いも付かない技術だったのです。

 日本で初めてノーベル生理学・医学賞を受賞した利根川進さんの研究の話を書いた「精神と物質」(文春文庫,立花隆著)という本があります。「わかっている人はほかにはほとんどいない」,「肉体労働」,「まず道具作りから始める」という事が書かれています。科学技術の最先端はどの分野でも同じなのです。

 

定職のなかった利根川さんは,スイスの免疫学研究所に何とかもぐりこみます。そこの所長はヤーネ。利根川さんは免疫とは関係のない分子生物学をやっていました。

以下,--は立花氏の質問,「」は利根川氏の回答です。

第四章 サイエンティストの頭脳とは

--よくやらせてくれましたね。他にも,免疫と関係ないことをやってる人がいたんですか。

「いや,僕だけでしょう。ヤーネは心がブロードな人で,自分で所員の研究を一人一人掌握して管理していこうなんて考える人でなかったから,そういうことが許されたんですね。彼にとってはぼくなんか,いわばどこの馬の骨とも知れない人間で,ダルコッペが推薦したから採ったというようなもんで,何を研究しようとあまり気にかけてなかったのかもしれないですね」

--逆にヤーネのほうでは,利根川さんのやっておられた分子生物学研究がどういうものかわかっていたんですか。

「いやあ,まあ,ほとんどわかっていなかったといっていいでしょうね。ヤーネだけじゃなくて,そのころの免疫学者なんてみんなそうでしたよ。前のダルコッペの手紙にあったように,まだ免疫学の研究に分子生物学的方法論がもちこまれていなかった時代なんですから」

    -- p.147

 

第六章 サイエンスは肉体労働である

(ほんの小さな一つの実験をするのに)

--結局,この実験をはじめてから成功するまでにどれくらい時間がかかっているんですか。

「はっきり覚えてないけど,だいたい半年くらいだろうと思いますね」

--半年もですか。やっぱりそれぐらいかかるもんですか。

「そりゃかかりますよ。だって,例えば,制限酵素でDNAを切るといっても,まず制限酵素をつくるところからはじめなくちゃならないわけですよ」

--そうか。いまは制限酵素なんていくらでも金をだせば買えるけど,当時は,研究者が自分でつくらなくちゃならなかったわけですね。だけどこれを作るといっても,どうやって作るわけですか。

「制限酵素というのは,細菌が菌体内で作る酵素ですから,基本的には,その細菌をもらってきて大量に培養してから,その細菌をすりつぶして,その中から問題の酵素をよりわけるわけです」

                     -- pp.228-229

 

(続く) 

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東芝ワープロ訴訟事件 3: 和解交渉

2007年12月14日 | Weblog

写真はロシアマスメディアによる日露戦争の戯画。日本など物の数ではないというところです。

個人と巨大企業の間の訴訟もこのようなものなのでしょう。

 

和解交渉

 これに関しては,別に秘密保持覚書を取り交わしてもいませんし,訴状にも書いてあるのでここに書いても問題ないと思います。

 9月に提訴をしようとしたところ,ぜひとも和解の話し合いをしたいと東芝から言われ,その席につきました。東芝の主張はただ1点でした。「発明を一人でおこなったとは言ってくれるな」です。もう少し正確な口調では,「単独発明は認められない」というものでした。別に東芝に認めてもらわなくても,事実は事実として厳然として動きませんし,証拠はたっぷりあります。ですから,「東芝に認めていただく必要はない。社会に認めてもらう。」と主張しました。名誉とはそもそもそういうものです。

 しかし,これでは平行線で和解に至らないので「私の主張は変わらないが,主張を括弧に入れておくことはかまわない」と譲歩したのです。そして,あらかじめ作ってあった上記,単独発明を証拠立てる書類一式を渡したところ,和解金の金額交渉に至ることなく,後日,決裂を言い渡されたのです。11月の下旬のことでした。この交渉は一体なんだったのか今でも不可解です。わざわざ,こちらが想定もしていない「単独発明」を持ち出すなどは,森氏をスケープゴートにして逃げるつもりなのでしょうか? 現社長の西田氏とは1997年,彼が米国アーバインにある東芝アメリカ・インフォメーション・システムズの社長時代,一緒にロスアンゼルスで食事をしたことがあります。彼は,この二度目のTAIS社長には森氏に送り込まれたという因縁があります。因果はめぐるものです。

 

相手方弁護士

和解交渉の相手方弁護士は竹田さんというかたで,元東京高裁の(知財権担当?)総括判事だそうです。

 フラッシュメモリーの舛岡さんは最後は和解し「満足しています」という声明を出しておられます。が,恨みを呑んで辞めていかれた彼のその物言いの後ろに無念の思いを透かし見たのは私だけでしょうか。彼はご自分の貢献を40億円と算定していました。それが約70分の1の6000万円でした(遅延のための利子を含め8700万円)。満足のはずがないと思うのです。

 この結果をもたらしたのが竹田弁護士かどうかは調べていませんが,どちらにしろ,私の目的は名誉回復と技術者の地位の向上を社会に訴えることですから,権威がどれほどの役にたつか。私は, 西郷南洲翁(隆盛)が言われる「命もいらず,名もいらず,官位も金もいらぬ人は始末に困るものなり*」に近く,命はともかく,「名」を欲しているだけなのですから。始末に困った挙句の和解決裂だったのでしょうか。

  *: 「此の始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり」と続きます。

舛岡教授のインタビューが朝日新聞(3日付経済面)に掲載されており、提訴の背景が語られている。一番の思いは研究者に正当な評価をし遇して欲しいだった。「私自身、東芝で研究所長になったが、その後は研究費も部下もいない閑職に行かされそうになった。だから、給料は減っても研究が続けられる大学に移った」。

      --http://dandoweb.com/backno/20040311.htm より

(続く)

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