技術者の技術者による技術者のためのブログ

理系離れ著しい今日,技術者の地位を改善しなければ技術立国日本は滅びます。日本を「おしん」の時代に戻してはなりません。

東芝ワープロ特許訴訟事件 6(続き): 技術者の名誉にかけて (その2)

2007年12月19日 | Weblog

 

 かな漢字変換とワープロに関して,初めて学会発表したもの(初出と呼びます。それ以外は学界では意味をもちません)を,それぞれの技術ごとに時系列で並べると,上の図のようになり,技術への貢献は天野,河田の2名,あるいは武田を加えた3名以外にありません。 この3名の役割については,東芝ワープロ発明物語:車上のワープロ技術史で詳しく述べてあります。

 一番上が「かな漢字変換」の初出です。この時点で,唯一,正統的な文法解析による仮名漢字変換を行っていた1963年の京大・相沢,1965年の九大・栗原,1973年のNHK・相沢と続く系譜の技術レベルをキャッチアップしました。このために1974年中は,河田,天野が二人でミニコンのOS,漢字入出力装置などのコンピュータ環境を開発し,河田さんが3ヶ月で仮名漢字変換を作り上げました。この時期,私はミニコンの上でかな漢字変換ソフト(文節分析ソフト)を動かすために,自動分かち書きソフト,エディタなど総合的な開発を担当しました。

 真ん中が,「仮名漢字変換による日本語ワープロ」のビジョンを打ち出した初出です。今でこそ「ワープロ」は誰でも知っている言葉ですが,この頃は誰も知らないに等しい言葉でした。もちろん,「ワープロ」などという略語はありません。私は,ここから画期的な日本語革命の道の開拓を始めたのです。河田さんは1976年早々上記文節分析ソフトを開発すると本務に戻り、代わって武田さんが入ってきました。

 しかし,文節分析方式では漢字への変換率は,従来最高の技術であったNHKシステムを超えず,まだ実用になるほど高くありませんでした。これを何とかしなくては成功は程遠いのです。私は,実験に継ぐ実験の末,下記技術の発明を行ったのです。

 一番下は,「二層型かな漢字変換」を実現した「局所意味分析」の技術の学会報告の初出です。この技術で飛躍的な変換率向上をみて,さらに,短期記憶を用いた同音語選択方式とあいまって製品化が成功裡に終わりました。
続く


このブログの第一回
東芝ワープロ特許訴訟プレスリリース
東芝ワープロ発明物語:車上のワープロ技術史
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東芝ワープロ発明訴訟事件 6: 技術者の名誉にかけて (その2)

2007年12月19日 | Weblog

 先日,2007年12月6日に友人から上記ような本の一ページとその本に関する情報が送られてきました。それを見て私は呆然としました。「ワープロが日本語を覚えた日」という本だということですが,このような本の存在を知ったのは,この日でした。友人が送ってくれなかったら,存在さえ知らなかったでしょう。

 友人が読んだ結果,次のことがわかったそうです。

「最初の日本語ワープロの開発者たちのうち、河田勉さんについては、『新人が入ってきたばかりのときに言語学の勉強に大学に行ってもらったんです』といった表記がされているのですが、『新人』という表現しかないのですね。非常に軽く扱われています。『新人』という表現がもう1回、「その人』という表現が2回、『研究者』という表現が1回でしょうか。最後まで読んでも、天野さんへの言及はついに見つけられませんでした。『研究チーム』や『研究・開発するチーム』という表現で言及したということでしょうか。」

 さらに,「「八十年,かな漢字変換方式による日本語ワードプロセッサに関する研究」で科学技術庁長官賞受賞」という事ですが,これについても,ワープロの発明者である私は聞かされていません。科学技術庁長官賞を受賞するためには相応の物証を出さなければなりませんが,上の学会発表には天野,河田,武田の3人の名前しかありません。

 科学技術庁長官賞は,受賞候補者の所属企業が担当官庁に推薦するという手続きで選考に入るのですが,東芝はどのような理由をもってこの本の著者を推薦したのでしょうか。

 このような事はこれ一件だけではありません。これが私が「技術者の名誉をかける」と言っている意味なのです。

続く

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