パジャマお兄さんの「遺された断想」

新宿系自作自演漫才師「ルサンチマン」の「パジャマお兄さん」こと浅川渉のブログ

とどのつまり、僕は「お笑い」がたいして好きではない。ではなぜ目指すのか?自問自答は永遠に続く

2011年11月20日 05時12分12秒 | 日記

お笑い芸人には、二種類いる。

お笑いが好きで芸人をやっている人と、そうじゃない人。

私は、後者である。

いや別に、「笑う」という行為そのものが嫌いなわけではない。むしろ僕はよく笑う、はっきりいって笑い上戸だ。

しかし、それは、日常の、なんとないところに笑うポイントを見つけたときに、笑ってしまうのであって、決して意図されたもので笑っているわけではない。

あと、芸人のネタを見て笑うのは、「裏笑い」のときがほとんどである。

だから、そもそもそんな人間がなぜお笑いをやっているのか?

という問いの前に、

「好きじゃないからこそ、続けている」

というアンチノミーな答えしかでない。

「お笑いが好きで芸人やってたら、三年ぐらい売れなかったらつらくて挫折している」ような気もする。

 

そもそも何もうまくいかなくて、はけ口としてお笑いをやっていたのが芸暦一年目ぐらいのころ。

だからコンビ名を「ルサンチマン」とした。狂気と闇をモチーフに、めちゃくちゃやってた。

いろいろあって、この初期設定も忘れていたな。

 

「お笑い好きじゃないなら芸人やめちゃえばいいジャン」なんて声も聞こえてきそうだが、そんな単純な問題でもなくなっている。

いや、むしろここで赤裸々に「大して好きではないけど続ける」と公表する私は、逆にかなーり良心的な芸人だということだ。

「本当に黒いやつは、明るいアプローチをする。」という法則。

PS・・・とにかくブログを書くと、肩が凝る。


老成したインディーズ芸人は、メジャーになれるのか問題(今までやったことを振り返る)

2011年11月18日 14時47分49秒 | 日記

インディーズ芸人として七年間(活動停止休止期間ふくむ)、たいがいのことは経験した。

 

全く評価されない時代もあった。

手のひら返したように評価された時代もあった。

M-1でダークホースとして扱われたこともあった。

賞レースでグランドチャンピオンになったこともあった(スタ誕、FMお笑い道場)。

ほとんど全部の事務所にネタ見せにいった。

単独ライブもやった(2007年7月)。

主催ライブもやった(頼むから笑えるかどうかだけで判断してくれ!)。

動画サイトも作ってもらった(ユートピアンのディストピア)。

一年間、同じメンバーでトークライブもやった(THE POP)。

合同で大喜利ライブも主催した(世界大喜利サミット)。

路上ライブもやった(現在も)。

自宅でネット放送もやった(ユースト・カタルシスTV)。

故郷のイベントにゲストとして出た(活竹祭)。

「解散」も「再結成」も経験した。

それぞれピンでも活動した。

 

どうだ!ルサンチマンはインディーズ芸人ができることは、ほぼ全てやっているのだ。

しかし、インディーズのまま。

インディーズで老成していくことが、メジャーになることに直接つながっていないのだ。もちろん、「経験」として、インディーズでやってきたことがこの先のどこかで役に立つことはあるかもしれないが、インディーズでの経験値を上げることが、メジャーになるための手段だと考えるのは浅はかだということ。

 

そう、必要なのはメジャーになるための切符だ。

 


ブログを書くことが大切な何かにつながるのなら、僕は喜んで、毎日ブログを書こう。

2011年11月17日 15時11分18秒 | 日記

そんなこんなで、またブログを書き始めようと思います。

時流に乗ってツイッター何かをはじめてみたものの、あまりフォロワーも増えず、今後も大きく増えていく気配がまったくと言っていいほど感じられないので、やはりブログです。まぁツイッターはツイッターで細々と続けるけど。

決して、勝間和代の「目立つ力」をよんで影響を受けたわけでもないです。カツマーでもナカターニでもトマベーチでもワダヒデーキでもないので(やたら本を出す四人)。

 

いや、私もね、「ルサンチマンという業界的に一度は詰んだコンビ」を再興させるためにはどうするか?ということを常々考えてるんですが、やはり何年もやっていると調子の波というか、上り目と下り目があるわけなんですが、ブログの更新頻度が多いときは、やっぱり調子がいいんですね(ナミヨリ大臣に荒らされて、ブログを閉鎖に追い込まれたこともあったけど…)。

「ルサンチマンという業界的に一度詰んだコンビ」が、二度詰まないために、ブログの更新もがんばろうと思います。

なんせ二度目はないと思っているので。