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年長組奮闘紀行

後期高齢者の人生年長組員が勝手気ままに綴るほろほろ日誌

電子カルテ化に驚いたと便り

2014年10月06日 | 健康医療

 知り合いの奥さんががんの手術で入院した。付き添いで何年ぶりかに入院病棟を訪ねたが、様変わりしている病院内部の風景にびっくりしたと伝えてきた。一番驚いたのはカルテの電子化だそうで、看護師全員がカートにパソコンを載せ、病室や廊下を往来している様子だったという。病院の日々の様変わりを知らなかっただけ、それだけ病気と無縁だったわけだ。健康でうらやましいと返信した。

 長年通っているの病院でも電子化で風景が一変した。受付機に診察カードを入れると、呼び出し用のPHSが飛び出し、待合室にいる必要はない。医者はプログラマーのように、パソコン画面に向かって、ひたすらデータを打ち込む。感心するのはその入力のスピード。当然キーボードは見ない。「記者会見に出られるよ」と冷やかし大笑いした。診察や検査を終え、自動精算機にカードを入れれば瞬時に支払いも終わる。


9月は70歳代最後の月

2014年09月07日 | 健康医療

 人生70歳代、最後の月になる9月を迎えた。遠い昔話かと思っていたが、到達地点に達し、自身の人生行路を省みると、気分は至って複雑だ。昨日は東京駅近くの寿司屋で仕事仲間の会合があった。全員が60歳以上になるが、半数が70歳代を迎えていた。若いと思っていた勉学家の1人も7月に70歳代に入ったと言って苦笑した。これからお互いにどう終活期を過ごしていくのか。まだまだ意欲満々の皆さんの向上心に感心した。日本人の男の平均年齢は80・21歳に延びたと先日、厚労省が発表した。追い越すのは年々大変だよな、と変な励まし合いをしながら別れた。


がんの放置治療法

2014年02月17日 | 健康医療

 がん治療を紹介した「がんもどきで早死にする人、本物のがんで長生きする人」という告発本を読んだ。臓器の切除手術や抗がん剤治療を受けると、9割以上の人が確実に命を縮めると警告する。がん経験者にとっては、心穏やかではない。著者は慶応大学医学部の放射線科講師。これまで何冊ものシリーズ本を出版し、2年前に出版された「医者に殺されない47の心得」は昨年の販売部数調査でミリオンセラーになった。

 症状がなく検診で見つかる乳がんは99%、前立腺がんは90%が転移能力のない「がんもどき」と断定し、受診者を惑わす検診の忌避を勧める。治療をしない「がん放置療法」を唱え、臓器切除と抗がん剤投与で早死にした芸能人らの治療例を紹介。痛みなどの症状がない限り、がんは放置しておくのが最大の対処法という。ただ、放置したままがんと共生していくには患者にとっても、よほどの覚悟が必要になる。

 20年近く前に下咽頭がんの放射線治療を受け、最近も新たに食道がんの切除手術を受けた。内視鏡による手術は思ったより短時間で終わり、4日目に早々と退院した。話題になっている放置療法も考えないわけではなかったが、主治医から早期切除を勧められると、拒否する勇気はなかった。ここは長年経過観察している主治医を信頼するしかない。今後どうなるのか。がん治療の選択肢は限られていることを痛感した。(14/02/17)


4回目の食道がん手術

2014年01月31日 | 健康医療

 4回目の食道がんの切除手術を受け、予定通り3泊4日の入院で昨日退院した。約2時間半の手術だったが、粘膜層を2カ所切除し、点滴を一晩しただけで解放された。食事はまだおかゆだが、1週間すれば普通食でOKとの献立だった。20年前に下咽頭がんが見つかり、放射線とリンッパ節を廓清して以来、がんの手術は食道、前立腺を合わせて今回で計6回に上る。主治医は「出てきたら早いうちにその都度採ればいいんだ」とキノコ狩りのようなことを言って笑わせるが、これからもがん細胞の悪霊と仲良く共存して生きて行くしかない。


再び脳梗塞の知らせ

2014年01月21日 | 健康医療

 同じ職場で一緒に働いていた同僚が脳梗塞で倒れ、リハビリ中という連絡が入った。幸い家族が自宅で気付き、対応が早かったため、1カ月後にはリハビリ病院に転院したという。右半身が歩くのに少し不自由のようだが、ゆっくり話せば会話は通じるという。何より症状が軽くてよかった。昨年も団地の友人が脳梗塞で倒れているが、身近な人の相次ぐ脳梗塞の知らせはショックだ。早期の回復を祈ろう。


脳梗塞の仲間が退院

2013年10月01日 | 健康医療

 脳梗塞で倒れ、入院していた仲間が半年ぶりに退院した。連日、リハビリに励んだ結果、右手の運動と話し言葉は、まだ一部不十分だが、歩行は一人で出歩けるまでに回復した。昼間、自宅で倒れた後、30分以内に近くのリハビリ施設がある救急病院に搬送されたのが幸いしたという。1日朝、久しぶりにいつもの珈琲店に仲間が集まり、本人も参加して、モーニングセットを食べながら雑談、退院を祝福した。


前立腺がん5年目検査

2013年06月13日 | 健康医療

 前立腺がんの年1回の定期検査を受けた。手術してから5年目。腫瘍マーカーのPSAは0.03まで下がった。泌尿科と放射線科の診断を受けていたが、来年以降は年1回のPSA検査だけになった。放射線を出す小さなカプセルを前立腺内に埋め込む小線源治療だったが、術後の障害もなく、どうやらがん細胞を封じ込め、退治することができた。前立腺内にはヨウ素125という放射性同位元素が83個密封されているが、日常的には何の影響もない。先日受けたMRIの検査でも問題なく受診できた。やれやれだ。


来春も花見ができる

2012年12月18日 | 健康医療

 食道がん切除後の1年目の内視鏡検査を無事パスした。1週間前に内視鏡で2カ所から細胞を摘出していたが、主治医から「見つからなかったですよ」と告げられと、一気に緊張感が和らぐ。病院内の飲食店でゆっくりコーヒーを味わいながら、心配しているかみさんに「来年も花見ができる」とメールを送った。病院の玄関を出る時の気分は、何度通っても患者でないと分からない。

 


前立腺がんは経過良好

2012年06月11日 | 健康医療

 前立腺がんの手術をして4年目。血液検査で「PSA」の数値が基準値「4.0」を大幅に下回って「0.05」になった。担当医師から「完治に近い」と宣言され安堵。次回検査はこれまでの半年後から1年後になった。小線源治療を選択して正直、ちょっぴり不安もあったが、術後に一時、排尿時の痛みが出たが、深刻な副作用もほとんどなく、順調に経過した。担当医師から小線源治療の感想を聞かれ、経過良好で推移し治療に満足していると謝辞を述べ帰宅した。


3カ月検診は無罪放免

2012年05月31日 | 健康医療

 3カ月前に内視鏡で手術した食道がんの検査観察で、シロと判定された。1週間前に内視鏡で食道3カ所から細胞を摘出していた。検査結果を聞くのは毎回、いやなものだが、「無罪放免」と告げられ、緊張感が一気に和らいだ。病院玄関を出る時の爽快感は、がん患者でないと分からない。今後も半年ごとの検査観察が続くわけだが、この日だけはささやかな祝杯が上げられる日でもある。

 最初に下咽頭がんが見つかり、放射線治療を受けたため、副作用でのどの筋肉が委縮、食べ物の通りが悪くなった。日常的にはほとんど不自由しないが、内視鏡検査による検査などでファイバースコープを通す時に大きな障害になる。一般的な管が使用できないので、一番細い管を使用するが、細い管でも性能が劣らない新しい機器を開発しているという。今度、手術する時には間に合うだろうと主治医はいうが、もう手術はご免だ。


白血病だった仲間が死去

2012年02月08日 | 健康医療

 麻雀とカラオケ仲間だった団地の友人がなくなった。発病してから7年間、長い長い白血病との闘いだった。麻雀が憎らしいくらい上手で、満貫で上った時の誇らしげな解説が今でも聞こえてきそうな気がする。カラオケでムード歌謡を歌わせたら天下一品の音声で仲間をうならせた。輸血して病院から戻ると、携帯メールでよく召集令状が掛かった。団地近くに開店した喫茶店「コメダ」に集合しろという命令だ。

喫茶店では常時5、6人が午前中に集まり、闘病生活やプロ野球談議など世間話をして解散するのが習わしだったが、その会合も昨年12月24日開催のコメダ会が最後になった。新年に入ってカラオケ会を予定したが、大雪と緊急入院で実現しなかった。さぞかし残念がっていたことだろう。日増しに病状が進む中、酸素ボンベ―を付けて歩行する機会が多くなったが、なぜかカラオケになると息切れもなく歌い上げて、みんなを驚かせた。一緒にがんと闘い頑張ってきた「ガン友」を失い返す言葉もない。


がん回廊から抜け出したい

2012年02月01日 | 健康医療

昨年12月に食道がんが見つかり、1月30日に癌研有明病院に入院したが、予定より早く2泊3日で退院した。入院当日の午後に内視鏡による切除手術を受け、2日目に再度、切除箇所の内視鏡観察をしたが、出血など異常ないと診断され、退院が決まった。抗がん剤などの投与も必要がなく、通常のポリープ切除と同じ扱いと受け取った。今後2週間は切除部保護のため、体操、水泳、旅行など激しい行動を禁じられているが、自分でも驚くほどの早期退院でびっくりした。

患者の中に同じ食道がんで入院している人がいたが、食道の切開手術をしたため、3カ月近くも入院していると聞き、定期健診での早期発見で良かったとあらためて痛感した。飲酒は2週間禁止だが、しばらく静養して、暖かくなったら旅行に出たい。がんの手術はこれで5回目、食道がんだけでも3回目になる。がん悪魔に取り付かれ、がん回廊からどうしても離れられない。共生しながら負けずに頑張るしかない。

 

前立腺は完治のお墨付き

2011年12月13日 | 健康医療

癌研有明病院の消化器系統の定期検診に続いて、12日は3年半前に慈恵会医大病院で手術した前立腺がんの半年検診。消化器系統で1週間前に食道がんが見つかっているだけに、恐る恐る診察室に入ると、担当医がパソコン画面を見ながら、「PSAが0・9に下がった。手術後3年半でゼロ台への到達は理想的。小線源治療してここまで下がって再発した患者は98%いない」と、ほぼ完治のお墨付きが出た。

友人に紹介されて小線源治療を選択して間違いなかったことを確信した。ついでに再度、食道がんが見つかった話をすると、「7年後に出たんだろう。また内視鏡で切ればいいんだよ。前立腺がんを克服して77歳まで到達したのだから、これからは80歳を目標に頑張れ」と励まされた。

 


3度目の食道がん手術へ

2011年12月06日 | 健康医療

 9年前と7年前に食道がんを内視鏡で切除したが、癌研有明病院で実施した年1回の定期検査で再びがんが見つかったと告げられた。検査で採取した生検では「がんとまだはっきり断定できる段階ではないが、限りなくがんに近い」と言われ、早期の切除を勧められた。長年、担当している主治医の判断なので、年明けに入院して手術する決断をした。振り返ると、がんの手術はこれで5回目、食道がんだけでも3回目になる。がん悪魔に取り付かれ、どうしても離れてくれないが、負けずに頑張るしかない。


七夕飾りの短冊の願い

2011年07月04日 | 健康医療

下咽頭がんの半年ごとの定期検診に行ってきた。診察台に座り、鼻から内視鏡を入れて咽頭部を詳しく診察する。「異常ないです」と診断結果を告げられるまで毎回、何とも複雑な心境を味わうことになる。今年で手術をしてから15年が経過した。癌研有明病院の担当医も転勤などで4人目になった。放射線照射の後遺症か、のど嗄れ(かれ)の症状が続き、カラオケの音階が定まらないが、ぜいたくは言えない。

病院のロビーで笹に短冊を書いて願いを込める恒例の七夕飾りのイベントが開かれていた。入院患者や通院者の家族らが書いた短冊がいっぱい飾られていたが、がんの完治を願う家族たちの短冊がほとんどだった。「父さんの病気が治ったら家族で旅行しよう」。早く願いがかなえる日が来ることを祈りたい。