雑記帳

ホームページの日記が壊れたので、こっちに引っ越してきました。
写真のアップも時々していきたいです。

震災について。

2007-01-18 05:40:32 | Weblog
今日はもうすでに1月18日ですが、17日のことを書いてみようと思います。
旧ホームページの方で以前似たような内容を書いたような気もするのですが、もう覚えてる人も少ないだろうということで・・・。

2年前の1月17日は、このブログが始まった日でもあるのですが(テスト期間真っ只中でした
そこからさらに10年前、阪神大震災がありました。
その当時、私は小学5年生、母親の「地震やでぇ~!!」の声で目覚めました。
我が家は大阪市内にあったので、被害としては冷蔵庫の上にあった空箱が落ちてきたのと、寝室の洋服ダンスが少しずれたくらいですみました。
その日は小学校には行ったものの、
「今日は余震が来るかもしれないし危ないのですぐ帰りなさい」
と下校させられ、
次の日からは授業はあったものの、2~3日は給食は流通ルートが寸断されたとかで、パンとミカンと牛乳だけとか、そんな感じでした。
その後1週間くらいしたら、兵庫県から一時的に転校生がやってきて、
3ヶ月くらい一緒に勉強していました。

それから1年と少し経って、私は兵庫県の中学校に通うことになりました。
その学校の隣の学校の運動場には私が高校生になるまで、
かなり長いことプレハブの仮設住宅が建っていました。
その仮設住宅では、お年寄りの孤独死があったとか・・・。
かなり身近なところだけに、結構怖かったです。

あるとき、神戸の友達の家に遊びに行ったら、
周りに空き地が多かったので、よく聞いてみたらそこにはもともと震災前まで家があったのだとか・・。
(ちなみにその友人の家はまだ新しかったので無事だったそうです)
そのときはもう震災から5年は経っていたと思います。

・・と、ここまでは私の阪神大震災の体験を書いてみました。


ところで、阪神間の学校に通っていると震災の話というのは時々話題にのぼるもので、
「○○ちゃんの家は被害どうだった?」
みたいな会話が普通になされることがあります。
中でも面白かったのは、友人A(兵庫県南部出身)、友人B(奈良県出身)と私の会話です。
何かの話から震災の話になり、お互いの小学校と、被災の様子について話したときのものです。

友人A:「私の小学校は震災の時、避難所になって、1ヶ月は休みになったよ。
    もう授業どころじゃないって感じだった。」
私  :「私のところは1日目だけ休みになったよ。しばらくは給食も変だったし。」
友人B:「私のところなんか、「今日の地震大丈夫でしたか~」「は~い」
    だけで、後は普通に授業だったよ。ニュース見てびっくりした。」

・・とまぁ、これだけで近畿地方の被害状況の差がはっきりとわかってしまうということになってしまいました。
個人的には奈良では被害がそこまで少なかったのかということに驚きましたが・・(^^;

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