たぶん、悪いことをしている人を支持してしまうと、
下で支えている人たちが失われるのかな??
と、思っています。
何の罪もない子供が犠牲になってしまう場合があります。
それは親の罪の身代わりになってしまった場合もあるのではないでしょうか?
ダビデ王の子供も王の罪によって失われています。
本当に子供が大事なら、親や上の人たちがきちんと改心しないといけないのではないでしょうか?
たぶん、悪いことをしている人を支持してしまうと、
下で支えている人たちが失われるのかな??
と、思っています。
何の罪もない子供が犠牲になってしまう場合があります。
それは親の罪の身代わりになってしまった場合もあるのではないでしょうか?
ダビデ王の子供も王の罪によって失われています。
本当に子供が大事なら、親や上の人たちがきちんと改心しないといけないのではないでしょうか?
使徒言行録以降を読みすすんでいくと、だんだんと
それぞれの独断が入ってきてなんだか少しイエス様から離れていくような
印象を持っていました。
でも、最後にヨハネの黙示録で、イエス様の教えから少し離れてしまったから
改心しなさい、といったことが書かれています。
それは七つの教会あてにイエス様が言われたことなのですが、
現在の聖書のような順番で編成されているということには、
もしかすると知らず知らずのうちに使徒言行録以降の書簡についても
イエス様の思いが込められているのかな?と、ちょっと思ったりします。
ちょっとですけど・・・
第一章に天上のイエス様の姿が表現されているのですが、
口から鋭い両刃の剣が出ている、とあります。
以前、何でイエス様はこんなこわいお姿なんだろう?と、あまり
この箇所が好きではありませんでした。
けれど、最近になって、もしかするとこれはイエス様の怒りを表現されたものなのかな?
と思ったりしています。
そうやって読んでいくと、以前とはまた違った見方ができるようになるのかもしれません。
パウロ様がみんなとともに船出するときに、
厳しい航海になるからやめた方がよい、と言ったにもかかわらず
出港してしまい、難破してしまうというお話しがあります。(使徒言行録27章)
今回の大震災の前の私の言動が少し似ているな、とちょっとだけ思ってしまいました。
震災前何が起きるのかわからないけれど
かなりの危険を感じていたので警告していたのですが、
結局誰も言うことときいてくれませんでした。
地震は予知されていたようですが、どうしたら規模が小さくなるか、ということは教えてくれなかったと思います。
私は地震を防ぐか規模を小さくする方法をお伝えしてきたつもりです。
日本にはキリスト教のように毎週神社やお寺に通う、という習慣がありません。
毎週通えればそれがベストかもしれませんが、
クリスマスやイースターなど何か行事があるときだけでも良いのではないでしょうか?