心人-KOKOROBITO-

亡き先人と今を生きる人に想いを馳せて
慰霊活動や神社参拝で感じ取った事を書き綴った日記と日々の雑感コラム

白梅之塔 慰霊祭15 【あとがき】

2010年08月12日 | 慰霊



慰霊祭まで水面下で色々と準備を重ね、当日をむかえ、恙無くその役目を終えたことに、ほっとした気持ちと、さらなる課題もたくさんある事と、改めて感じている。

沖縄戦で亡くなった同級生の白梅学徒隊の仲間に哀悼の意を込め、同窓生の方々の一部は、平和活動と名づけ戦争を知らない人々に、戦争体験談を現地で行っている。65年前の記憶を今でも鮮明に伝える事が出来るほど、記憶に忌々しく残った戦争体験は、今を生きる人々に、戦争の悲惨さだけでなく、命の根幹までも気づかせてくれるだろう。

人が生きて死ぬまで、どう生ききるのか。生ききるとはどういうことか、平素あまり意識しない内面に対し、深く問いかけたものだった。

きくさんをはじめとする、同窓生の強く生き抜かれた精神の根幹に触れながらも、亡くなった少女達の生きたかった想いも同時に触れられた。たった15歳の少女。生まれてからたった15年しか経っていない。その幼い少女達が、恐怖と苦行の絶頂を連日体感し続け、あげくには生理までも止まってしまった。この看護の中における理不尽さや多くの疑念、これは幼ながらにもこころの内に恐怖と共に抱いた事ではないだろうか。

少女達は、日本軍の一部としてこれまで経験のない培ってこなかった軍隊生活を余儀なくされ、ここで軍の規律によって、任務は勿論のこと、生活慣習や言葉遣いまで軍隊方式を強要されている。

わたしは、先日きくさんから書籍と同窓会だより2冊を送って頂いた。書籍は、『沖縄戦の全女子学徒隊』というタイトルで、青春を語る会が編集し、有限会社フォレストが出版している。平成18年6月23日に第1刷発行がなされ、第2刷発行は、同年10月1日にされていた。その編集を手がけた【青春を語る会】の代表が、中山きくさんである。

この本は、戦争に巻き込まれながらも、生き残られた学徒隊の方々の手記によってまとめられたもので、その一部には、精神面でとても15歳の少女が耐えられないほどのすさまじいものも綴られている。

実に遺憾なことではあるが、沖縄戦の本質的な悲劇は、日本人が日本人に対し遺恨が残っていることではないだろうか。自決を強要されたか否か、など教科書問題でも取り上げられていたが、そんなものはなかったという意見もある。しかしこのことが、戦争体験者のこころにある、日本人に向けられた遺恨を助長させていることに、なぜ気づかないのだろうか。日本人に対する遺恨を癒さず、逆に逆撫でさせられるような言葉の羅列は、根本的な戦後処理のまずさだと言い切れる。この延長線上に、中国や韓国に対する問題の是々非々があると感じている。日本人同士が対立する構図に対し、わたしは、この不毛な論争は、もう終わらせるべきだと強く感じている。

亡くなった人々がその事実は全て知っている。しかし、語れない故に、生き残った人々の不毛な論争は、亡くなった人々に対し、果たしてどう映るだろうか。その上で、戦争を体験したことのない、戦争を知らない、書籍だけで戦争を知った者は、戦争体験をされた人の言葉を尊重すべきだろう。

わたしたち生きている者は、己の都合によって、順番を差し違える事がある。これは、人が生きる上で、目には映らぬリスクを必然として作り、問題を助長されていることをもうそろそろ気づくべきだろうと感じている。

沖縄の現状は、この順番を差し違えた結果、必然として努力しても改善されていないものがたくさんあるだろう。例えば普天間基地の問題もそうだが、この白梅学徒隊の少女達も同じくである。国のために戦い亡くなった少女達の遺骨がそのままの状態で長年放置されてきた。故に、国が関与することなく、ようやく経済的に余裕が生まれてきた同窓生や遺族が現在の立派な慰霊碑を建立し維持している。

この事一つとっても基地問題と学徒問題とは、中身が異なるが、物事(視点)の順番が違うという点では、等しく同じであろう。だから、全ての問題解決が遅れるのだ。それは、結果人が生きる上での精神の不安定に繋がっていることを、国はこれだけ多くの戦争犠牲者を出しながらも未だ、気づいてはいないのは遺憾である。もっと、死者の声に耳を傾けるべきだろう。それこそが、よりよき日本を結果作ることになるのだから。

沖縄の白梅学徒隊の少女達も、本土から沖縄に入り戦った日本兵も、全員等しく生きたかった、命を無駄にはしたくなかったはずだ。国のために命を捧げることが当たり前として、この戦争で全身全霊を捧げ散って逝ったが、彼らは、もっともっと生きたかったのである。

国のために散ると決意した日本兵ですら、少女達を巻き込み、自決への一途を辿られせたことを死んでもなお後悔している苦しみを、どれだけの日本人が感じ取れるだろうか。




わたしは旅から戻り、想いが冷めぬ間に、壕の中で唄った『白梅の少女達』という曲に、4月に訪れた際に撮影した写真を使い、きくさんから頂いた同窓生だよりに投稿されたきくさんの亡き同級生へ奉げた言葉を使わせて頂いた。

曲が生まれた時も、そしてこのクリップを作っている時も、わたしは少女達が少しでも希望を持ってくれることを願った。勿論、生き残られた同窓生の皆さんにも感謝のこころを込めて作った。

このクリップをDVDに落とし、先日きくさんへお送りさせてもらった。手作り感たっぷりの代物で、中身は歌詞のない曲と、4月にお逢いした時の写真ときくさんが亡き同級生に寄せた言葉と、そしてわたしのつぶやきを織り交ぜたものだ。

先日8月7日、同窓会の会合があり、このDVDを皆さんで視聴されたという。歌詞が何を言っているのか、とても気になった様子で、思わず苦笑しながら、歌詞のない歌を初めて『歌詞をつけてみようか・・・』と考えさせられたシーンでもあった。

この歌によって、少女達だけでなく、ご高齢になられてもなお亡き同級生を想い、戦争を知らない若者に向け語られている祈りの魂の根幹を、癒して頂くことを願っている。わたしたちの祖国である日本のために戦って下さった方を看護された白梅学徒隊。たった15歳の少女達。


本当に、ごめんなさい。
気づきが遅かったですが、気づきました。
いままでのこと、どうか、赦してください。

生き残られた同級生の方々の想いも、気づきました。
こころある人々が、また大勢ここに来てくれます。
感受した想いは、みんなで共有します。
だから、もうここにいつまでも留まらなくてもいいのです。

わたしたちは、魂を無駄にしない生き方を考えます。
あなたたちの犠牲にこころから感謝し、
一人一人が今をどのように生きるか考えたいと思います。
そのことが、結果としてこの国をよくするのですから。

だから、
どうか、
わたしたちの祈りに、耳を傾けてください。
どうか。





【追記】
この旅を温かく迎えて下さった白梅学徒隊の少女達や同窓生の皆様、必然としてきっかけを与えて下さった青山繁晴さん、そして同行して下さったこころある心人の仲間達へ、改めてこころから深く感謝しています。ありがとう。




Jack or Jive - Image Clip - 白梅の少女達-THE GIRLS OF SHIRAUME-
http://www.youtube.com/watch?v=rUImHpLmPk4

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