能面・面打ち
「雪の小面」について-002
石川龍右衛門重政作・雪の小面
先回は石川龍右衛門重政作の「雪の小面」について書いてみました。小面と言ったら龍右衛門というくらい有名な代表的な面です。15~16歳位の処女娘の顔を表しており、見た目にも京言葉の「はんなり」をそのまま表しております。品格もあり結構な面です。
石川龍右衛門重政は15世紀頃に京都に在住していた能面師ですが、実はそれほど詳しいことは分かっていないのが現実です。能面師の場合、僧侶や武士、能楽関係者が多いのですが、彼がどのような出自の者かは詳らかではありません。
大体において女面や男面などに名作が多いのですが、それ以外の面もなかなかの出来です。打ちあがった面の表情はどれも美しいものが多いのが特徴でしょうか。そのような意味では、桃山から江戸時代初期にかけて活躍した河内家重も似た様な作家に思えます。
唯、各宗家の所蔵の能面集を具に鑑賞してみて分かった事ですが、宗家所蔵の龍右衛門作の面が全て真作であるかどうかは、なかなか断定は難しいように思えます。龍右衛門作の中にも出来不出来が有るようで、別な方の作を「龍右衛門」と称しているのではないかと思われる面も存在します。
また、逆に作者不明の中にも相当の秀作があり、意外と龍右衛門作と見まごうような面もあります。今回はその代表的な小面をご紹介しましょう。
江戸時代初期 作者不明 小面
先ずは真作の本面と上記の面の表情を比較してみてください。若干、写真(口の部分・・筆者の撮影ミス)が歪んでいる部分もありますが、写したとしても良く本面の表情を正確に捕らえております。
本面・小面の裏
作者不明の小面 裏
真作と作者不明の面裏を比較してみてください。鼻の窪みの淵の部分の周囲に、龍右衛門独特の鉋目(隠し鉋)が有ります。さらに、顎の部分に縦長の鑿跡、さらに中央横に3本の微かに斜めに彫った跡が残っております。龍右衛門の焼印は有りませんが、極め書がなくとも、この作者不明の小面は本面(真作)を横において、打ったに相違ないか、あるいは室町時代の作で龍右衛門その人の作ではないでしょうか。
龍右衛門の小面の写しは、可也の面打ち師が写しておりますが、この作者不明の小面を超える面は、資料の中では見たことが有りません。堀 安右衛門師のビデオを丹念に見ておりまして、この事に気が付いた次第です。面の鑑定の際この鉋目は大事なポイントだそうで、このことからこの作者不明の面は大変興味のある面です。
いろいろ能面集を見ておりまして、河内の小面は見当たらないので、案外彼が龍右衛門を尊敬してやまなかった為に、敢えて作者不明のままにて、上記の小面が宗家に伝承されているのではないでしょうか・・・・・・・・
と思っておりましたら・・・・有りました。有りました・・・・・以前、鈴木 慶雲師の著書に・・・・「河内の小面は見たことなし」と書いてあったのを読んでおりましたので・・・・
つい無いと思っておりましたが。
「梅若流宗家」で河内の小面を所蔵しておりました。これをご紹介しましょう。
河内家重 作・小面 (梅若流所蔵)
面裏
裏に間違いなく河内の「焼印」が押されておりました。
赤鶴作 ・ 小面 ・ 室町時代初期
同 面裏
上記の面は丹波篠山にある「篠山能楽資料館」に所蔵されている。赤鶴一刀斎吉成の作とされている小面です。赤鶴は切れ味の鋭い鬼畜系の面で有名な作家ですが、小面を打ってもご覧の通り。金春家に伝わった逸品です。四国の幕末の外様大名・山内 容堂が所持していた面という経緯が有ると言う伝承があります。
中央に「竹田七郎」の刻名があります。これは大変な秀作です。裏は厚く漆を塗りこんであり美しいです。左右の極め書きは後代のものですから確証にはなりません。
次回は別な作家の「小面」をいろいろご紹介しましょう。