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[埼玉県検定】①  超超・基礎編   ■■=相模・武蔵・甲斐・下総

2008-07-06 23:51:39 | Weblog
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高大連携情報誌「大学受験ニュース」

埼玉県

埼玉県
さいたまけん 地方 関東地方
団体コード 11000-1
ISO 3166-2 JP-11
面積 3,797.25km²
※境界未定部分あり
総人口 7,112,328人
(推計人口、2008年3月1日)
人口密度 1,870人/km²
隣接都道府県 茨城県、栃木県、群馬県、千葉県、東京都、
山梨県、長野県
県の木 ケヤキ
県の花 サクラソウ
県の鳥 シラコバト
他のシンボル 県の魚:ムサシトミヨ
県の蝶:ミドリシジミ
県のマスコット:コバトン
県章:円形に配列された16個の勾玉
県の歌:埼玉県歌
県民の日:11月14日
知事 上田清司
埼玉県庁
所在地 〒330-9301 埼玉県
さいたま市浦和区高砂3丁目15番1号
電話番号 048-824-2111
外部リンク 埼玉県庁

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埼玉県(さいたまけん)は、日本の関東地方中央西側に位置する県である。日本の都道府県中人口と県内総生産は共に第5位、人口密度は第4位でいずれも内陸県の中では最も多い。また農業産出額は第6位であり、千葉県に次いで首都圏へ供給される農産物の一大生産地となっている。南部は東京都のベッドタウンとしての性質を強く持つ一方、北部は農地が、西部は山が多い。 県庁所在地であるさいたま市は、内陸県にある都市では唯一の政令指定都市である。

埼玉県(現在の埼玉県の東半分)設置当時の県庁を南埼玉郡岩槻町(現:さいたま市岩槻区)に置いたため、その郡名から埼玉県と名付けられた。
但し、県庁として使える建物がなかったため、実際の県庁業務は北足立郡浦和宿(現:さいたま市浦和区)にある旧浦和県庁舎で行われた。その後、熊谷県が群馬県と旧入間県部分(現在の埼玉県の西半分)に分けられ、旧入間県部分が埼玉県に編入された際、県庁所在地は引き続き浦和宿のままとなったため、岩槻町(資料により岩附とも記す)が実質的な県庁として機能することはなかった。1890年(明治23年)9月25日には、勅令により正式に浦和町が県庁所在地となっている。
埼玉の名前の由来は諸説あるが、発祥の地は「北埼玉郡埼玉(さきたま)村」(現:行田市大字埼玉)である。
埼玉古墳が由来とする説や、幸福をもたらす神の働きを意味する「幸魂」(さきみたま)から名づけられたとする説がある。魂は玉の意でもあり、県章である勾玉に関連する。
奈良時代の『万葉集』に「前玉」「佐吉多万」(さきたま)という記述がある。また、平安時代の『和名類聚抄』には「埼玉」「佐伊太末」(さいたま)という郡名があり、当時、既にさいたまと呼ばれている事が分かる。
埼玉郡、ダ埼玉、さいたま市#名称問題なども参照のこと。

[編集] 地理
日本、関東地方、首都圏、東京圏
埼玉県は関東地方の中央西側に位置する内陸県であり、東西約103km、南北約52kmと東西方向に長い。日本の都道府県中面積が9番目に狭いが、最も狭い都道府県である香川県の約2倍の面積を有する。
旧律令国においては、現在の埼玉県の領域は下総国に含まれていた東端部の江戸川沿いの地域を除き、武蔵国に含まれていた。武蔵国には東京都、及び神奈川県の北東部も含まれることから、埼玉県は武蔵国の中部・北部にあたるといえる。
東側では江戸川を境に千葉県に接し、北東側には茨城県・栃木県ともわずかに接する。北側および北西側は概ね利根川、神流川(利根川の支流)といった河川、および荒川・神流川の分水嶺を境として群馬県に接している。南側はほぼ東西に真っ直ぐに東京都・山梨県と接している。この南境は、西部では荒川と多摩川あるいは笛吹川の分水嶺にあたるが、東部では一部が荒川となっている他は河川や分水嶺などの地形に見いだすことは難しい。
埼玉県の地形は、児玉・小川・飯能を走る八王子構造線によって、その東側の平地部と西側の山岳部に分けられる。
東側の平地部は古来利根川や荒川、入間川などの流域であり、低地や台地(大宮台地など)が広がるほか、一部に丘陵(比企丘陵など)もみられる。江戸時代、徳川家康により現在の古利根川の流路に近かった利根川の流路は、渡良瀬川(現在の江戸川の流路に近い)、ついで鬼怒川(毛野川)に導かれ、また現在の元荒川の流路に近かった荒川の流路は入間川に導かれ、現在の河川形態となった(利根川東遷事業)。
西側の山地部は関東山地に含まれ、その中央部に秩父盆地がある。秩父盆地東側の比較的標高の低い山塊は特に外秩父山地とも呼ばれる。西側の長野県境は日本海側との分水嶺を形成しており、その南端に位置する甲武信ヶ岳は千曲川、荒川、笛吹川(富士川の支流)の源流であるとともに、埼玉県・長野県・山梨県の県境となっている。その北には県最高峰である三宝山(2,483m)がある。
海に接していないため、内陸性の気候(夏は高温多湿、冬は低温乾燥、昼夜の寒暖差の激しい気候)を呈する地域も見られ、特に海からの距離が離れた県北側・西側でその傾向が強い。



県内部の地域区分としては、中央部、西部、秩父地方、北部、東部の5つに分けられることが多い。
中央部は、郡・旧郡による地区分類では概ね北足立地区にあたる、おおむね荒川と綾瀬川とに挟まれた地域である。その広がりは南は川口から北は鴻巣にわたり、南北に細長い。浦和以北では、この南北に細長い地域の中央を大宮台地(北足立台地)が走っている。江戸時代以降、五街道のひとつである中山道がこの台地上を通り、現在ではこの旧中山道に沿って京浜東北線・高崎線が通っている。これら南北に結ぶ交通路を中心に形成された市街地は、県内最大規模を有する。この中心となっているのが県庁所在地であるさいたま市であり、さいたま市は2003年に政令指定都市となった。このような市街地は現在では東京のベッドタウンとしての性格が強く、近代以降の東京の郊外拡大に伴い人口・経済規模が著しく増大してきた。工業の中心は、鋳物などから携帯電話等の精密機械の製造へと重心が移っている。
西部は荒川から外秩父山地の東側手前に至る地域であり、郡・旧郡による地区分類では入間地区、比企地区にあたる。また、北足立地区の荒川西側、即ち当初は新座郡であった地区もこれに含むことが多い。東端の荒川沿いの低地から西に行くにつれ台地―丘陵と遷移し、秩父地方と接する西端は一部山地にかかる。東京のベッドタウンとしての性格が強い一方、関東旧来の生活風俗が色濃く残る地域でもある。東武東上線を中心とする都市軸、西武池袋線・西武新宿線を中心とする都市軸の二つの都市軸が形成されている。このうち小江戸と呼ばれる川越藩の城下町川越をはじめ志木・坂戸・東松山などが前者、西武ドームのある所沢をはじめ狭山・入間・飯能などが後者に属する。農業については、関東ローム層に属する水はけの良い地質のため、ゴボウ・ニンジン・サツマイモなど根菜類の生産が盛んである。また戦後早くから製造業を中心とした大企業が生産拠点を神奈川や多摩など同じ首都圏西部に比べて地価も安いこの地域に進出するケースが多く見られた。ホンダ(狭山市・和光市)や西武鉄道(所沢市)の本拠地。柳瀬川流域(志木市・新座市・所沢市)には現在も武蔵野の原風景を残している地区があり、宮崎駿監督のアニメーション映画「となりのトトロ」ではその舞台ともなった(所沢市松郷周辺など)。
秩父地方は県の一番西側に位置する。郡・旧郡による地区分類では概ね秩父地区がこれにあたる。関東山地やその周辺の山々とそれらに囲まれた秩父盆地からなり、秩父巡礼などの観光産業が発達。結晶片岩の岩畳を特徴とする長瀞の景勝地は、サメなどの古生物の化石が発掘されることから「日本地質学発祥の地」「地球の窓」とも呼ばれ有名である。
北部は郡・旧郡による地区分類では概ね大里地区・児玉地区がこれにあたる。北端を利根川、南を荒川が流れており低地や台地を主体とするが、秩父地方に接する南西側に近づくにつれ丘陵へと遷移する。熊谷の商業地を中心に、周辺都市や隣接する群馬県から消費者が流入。工業は各地の工業団地を中心に発達。ナシ・ミカン・ネギなどの生産が盛ん。
東部は旧日光街道の沿線を中心とする地域であり、中部同様やはり南北に細長い地域である。郡・旧郡による地区分類では概ね南埼玉地区・北埼玉地区・北葛飾地区がこれにあたる。江戸川・中川などの河川が南北に流れ、流域は低地となっておりその立地を生かした米を中心とした農業が盛んな地域である。そのような立地条件から東京との近接性の割に宅地化は遅れ気味であったが、高度経済成長期以降東武伊勢崎線沿線を中心に、草加市・越谷市・春日部市・久喜市などで急速な宅地化をみた。
このように上記の中央部・西部・東部の南側の地域は日本の首都である東京に近く、近代以降の大都市圏の拡大に伴い、1970年代を中心に急激な人口流入と都市化をみてきた。県の広い範囲がこのような地域に含まれていることから、埼玉県はこの特徴をもって「郊外県」と称されることもある。このようにして形成された市街地は、その多くがスプロール現象によるものであり、このような地域では現在も道路などの社会基盤の整備に難を抱える。
県内は首都高・東京外環・関越・東北・常磐・圏央道などといった高速道路や自動車道が多く集まり、高速道路が比較的整備されているが、一般道については十分に整備されていない地域が多く、自動車の増加や大規模商業施設の郊外立地化に伴い各地で道路渋滞が慢性・深刻化している。また道路・鉄道ともに東京方向の交通網は発達しているが、県の東西を結ぶ鉄道・道路はそれに比べて貧弱なものが多い。
埼玉県の諸都市の特徴のひとつに、同様の人口を持つ自治体が多数存在することが挙げられる。県庁は浦和市にあり、経済規模では大宮市が優位で、市制施行は川越市が最も早かった。一方、2001年に大宮市・浦和市・与野市の合併で「さいたま市」となり(その後岩槻市を2005年に編入)、政治・経済共に中心と呼べる自治体区域が誕生した。国などの関東地方出先機関が集まるさいたま新都心も造成されたことで、東京のベッドタウンから関東地方において独自の重要性を持つ地域になりつつある。
現在こうした県東西の移動・交流の活発化、既存交通網の混雑緩和を狙った「東西交通大宮ルート」と「東西交通県南ルート」と呼ばれる2つのLRT整備計画が検討されている。
「東西交通大宮ルート」は所沢~上福岡~大宮、大宮~さいたま新都心~浦和美園、浦和美園~越谷~吉川の3区間で構成される。大宮~浦和美園区間の11.4kmについては、2015年の開業を目指して調査・検討がなされている。
東西交通県南ルートは川口~南鳩ヶ谷~草加の8.9kmとなっている。
隣接都道府県: 東京都 - 千葉県 - 茨城県 - 栃木県 - 群馬県 - 長野県 - 山梨県
平地
関東平野
秩父盆地
山地
関東山地、秩父山地
主な山
甲武信ヶ岳、三宝山、雲取山、宝登山、両神山、伊豆ヶ岳、武甲山、三峰山
河川 - 荒川、入間川、芝川、高麗川、綾瀬川、利根川、江戸川、中川、神流川、新河岸川、古利根川、元荒川、越辺川、都幾川、柳瀬川
湖・湖沼・用水路-狭山湖、秩父湖、名栗湖、鎌北湖、神流湖、彩湖、宮沢湖、伊佐沼、武蔵水路、見沼代用水、野火止用水


[編集] 歴史

[編集] 古代
古代の国選史書である『日本書紀』にある安閑天皇元年(534年)に、「閏の十二月…(中略)…是の月に■■国造笠原直使主と同族小杵と国造を相争いて年経るに定めがたし」云々とあり、鴻巣市笠原地区付近に居を構えていたとされる豪族、笠原直使主と同族の小杵による■■国造の勢力争いが起き、朝廷の力を借りた直使主が勝利し、■■国造となった使主は朝廷に横渟(多摩郡または横見郡)・橘花(神奈川県橘樹郡)・多氷(多摩)・倉樔(神奈川県久良郡)の四箇所を屯倉として差し出した。と記述されていることや、6世紀に突如現れたこの地の巨大古墳郡、および後述の鉄剣などから大和朝廷の直接支配まで、長らく■■国の中心だったと考えられる。

1978年には、行田市埼玉にある さきたま風土記の丘(現さきたま古墳公園)の稲荷山古墳のなかから、錆びた鉄剣が発掘され、のち奈良にある元興寺文化財研究所へ持って行き調べた所、表裏に金象嵌で115文字の銘文があることがわかり注目を浴びた。その文中にある「獲加多支鹵大王(ワカタケル大王)」は『記紀』に出てくる雄略天皇であり、『宋書』倭国伝に見える倭王武である。また、冒頭の「辛亥の年」は471年である。との学説が主流である。古代史ブームの巻き起こる中で、鉄剣の解釈をめぐりさまざまな議論がある。


[編集] 中世
中世にはそれまで原野であった北■■の丘陵地や台地を開拓した■■武士が出現し、畠山氏や河越氏ら諸氏を分出した秩父氏の一族や、同族集団として形成された■■七党など中小規模の在地土豪となった。平治の乱を経て■■国が平氏の知行国になると■■守には平氏一門が任じられると■■武士は被官化し、新恩地を得て西国へも進出した。治承4年(1180年)の源頼朝の挙兵では主に秩父一族が頼朝に味方し、治承・寿永の内乱における合戦で活躍する。畠山氏や比企氏、足立氏らは鎌倉幕府の創設期に重用されて政務に参画するが、幕府権力の確立課程ではそれぞれ没落し、■■武士の地位は低下した。

中世には鎌倉幕府の成立を契機に街道が整備され、北■■には南北に鎌倉街道の上道や中道が通じて奥州方面と結ばれ、物資の流通路となったほか軍事的にも重視され、沿道には城館が分布する。幹線道の整備に伴い脇道や水上交通も発達し、多くの市や宿が成立する。

戦国時代には、北■■は相模国から■■方面へ進出した後北条氏の領国となる。天文10年(1541年)には重要拠点の川越城を巡り関東管領の上杉憲政や古河公方と結んだ扇谷上杉氏と城の救援に向かった北条氏康との間で川越夜戦が行われ、敗北した扇谷上杉氏は滅亡した。後北条氏の勢力圏となった北■■には多くの支城が築かれ、氏康は扇谷上杉氏を支援した上杉憲政を圧迫する。憲政は越後国守護代の長尾景虎(のちの上杉謙信)を頼り、関東管領職と上杉家家督を譲り受けた景虎は関東出兵を行い氏康と争った。後北条氏は甲斐国の武田氏や駿河国の今川氏と三国同盟を結び景虎と争っていたが、同盟破綻後の永禄12年(1569年)には越後と和睦して越相同盟を結び、武田氏の秩父方面への侵攻を招いている。後北条氏は天正年間に最大領国となるが、織田信長・豊臣秀吉による天下統一過程で圧迫され、天正18年(1590年)には秀吉の小田原攻めにより滅亡する。後北条氏の滅亡後、北■■を含む関東へは徳川家康が移封され、徳川氏の家臣団が配置された。


[編集] 近世
江戸時代になると江戸幕府により江戸を起点とした五街道の整備が進められ、埼玉県内には中山道に9つの宿場(蕨宿、浦和宿、大宮宿、上尾宿、桶川宿、鴻巣宿、熊谷宿、深谷宿、本庄宿)、日光街道(奥州街道)に6つの宿場(草加宿、越ヶ谷宿、粕壁宿、杉戸宿、幸手宿、栗橋宿)が置かれた。五街道に準ずる脇往還は、県内では川越往還、川越児玉往還、日光脇往還、日光御成街道、関宿往還、秩父往還、秩父甲州往還が整備された。

また、川越藩や岩槻藩・忍藩といった城下町が発展。他に岡部藩があり、特に川越は江戸北方の防衛拠点として親藩・譜代の重臣が治め、「小江戸」と呼ばれるほど栄えた。


[編集] 明治時代以降
明治時代の1883年から85年にかけて、秩父地方で松方財政の不況の中借金に苦しむ負債農民が困民党を結成して秩父事件とよばれる騒擾を起す。

1871年 - 廃藩置県を受けて、埼玉県(現在の中央地域・東部地域に相当)入間県(現在の西部地域・北部地域・秩父地域に相当)が誕生。埼玉県の県庁所在地は当初岩槻町とされたが、旧浦和県庁を流用する形で浦和宿となった。入間県の県庁所在地は川越町に置かれた。
1873年 - 入間県が群馬県と合併し熊谷県となる。熊谷県の県庁所在地は熊谷町に置かれた。
1876年 - 熊谷県は分割され旧入間県域が埼玉県と合併、現在の埼玉県が成立。
地元出身の渋沢栄一、福澤桃介などが活躍、日本の近代化に貢献する。
1883年7月28日 - 日本初の私鉄「日本鉄道」が開業。
1922年 - 埼玉県で初めての市として川越市が市制施行。

[編集] 最近の出来事
2000年(平成12)5月5日 - さいたま新都心街開き。
2001年(平成13)3月28日 - 埼玉高速鉄道線が開通。
2001年5月1日 - 浦和市、大宮市、与野市の3市が合併して「さいたま市」となる(初のひらがな書き県庁所在地)。
2001年10月13日 - Jリーグ公式戦オープン記念試合において、Jリーグ史上最大の観客を動員する。
2002年(平成14)6月 - サッカーワールドカップが開幕。埼玉スタジアム2002では準決勝などが催される。
2002年8月1日 - 人口が700万人を突破。
2003年(平成15)2月1日 - 川口市にスキップシティがオープン。
2003年4月1日 - さいたま市が政令指定都市に移行。
2003年4月1日 - 川越市が埼玉県内で初の中核市に指定される。
2003年9月 - 上田清司が埼玉県知事に就任。
2004年(平成16) - 彩の国まごころ国体開催。
2005年(平成17)1月1日 - 飯能市に名栗村が編入し「飯能市」となる。
2005年4月1日 - 岩槻市がさいたま市に編入し、「さいたま市岩槻区」、秩父市に吉田町・荒川村・大滝村が合併して「秩父市」(県内で面積が最大の自治体)となる。
2005年10月1日 - 小鹿野町と両神村が合併して「小鹿野町」、春日部市と庄和町が合併して「春日部市」、熊谷市と妻沼町・大里町が合併して「熊谷市」、鴻巣市が川里町・吹上町を編入して「鴻巣市」、上福岡市と大井町が合併して「ふじみ野市」となる。
2006年(平成18)1月1日 - 神川町と神泉村が合併して「神川町」、行田市が南河原村を編入して「行田市」、深谷市と岡部町・花園町・川本町が合併して「深谷市」となる。
2006年1月10日 - 本庄市と児玉町が合併して「本庄市」となる。
2006年2月1日 - 都幾川村と玉川村と合併し「ときがわ町」となる。
2006年7月9日-副知事二人目に農林水産省出身、前厚生労働省官房審議官の岡島敦子氏(51)の就任
2007年2月13日-熊谷市が、江南町を編入して、「熊谷市」となる。



[編集] 名産品

[編集] 食品
深谷ねぎ(深谷市)
草加せんべい(草加市)
さつまいも料理・芋菓子(芋羊羹・芋せんべいなど)(川越市)
五家宝(熊谷市)
狭山茶(入間市・所沢市・狭山市ほか)
天然かき氷(秩父郡長瀞町)
忠七めし(比企郡小川町) - 日本五大名飯の一つ
■■野うどん(比企郡)
加須うどん(加須市)
秩父そば(秩父市、秩父郡)
おっきりこみ(秩父市、秩父郡)- 平めんの煮込みうどん
蒲焼(さいたま市浦和区、川越市ほか)
ゼリーフライ(行田市)
行田のフライ(行田市)
東松山やきとり(東松山市) - 豚カシラ肉の焼き鳥
十万石まんじゅう(行田市) - テレビ埼玉で放映されるCMで県民には有名
煮ぼうとう(深谷市)
なまず料理(吉川市)
鮎料理・鮎飯(大里郡寄居町)
秩父味噌・秩父おなめ(秩父市、秩父郡)
秩父酒造 -秩父ワイン、秩父錦、武甲正宗など
四里餅(飯能市)
袋屋すまんじゅう(秩父郡長瀞町)
うまい棒(八潮市)
ガリガリ君(深谷市)

[編集] 民芸品
雛人形(さいたま市岩槻区、鴻巣市、越谷市)
和紙(比企郡小川町、秩父郡東秩父村)
植木(川口市安行)旧北足立郡安行村
絹織物(秩父市)※秩父銘仙
鯉のぼり(加須市)
鋳物(川口市)
かわら(深谷市)
足袋(行田市)※江戸期から足袋が製造されている。日本国内の8割が行田から出荷されている。
だるま(越谷市)
桐箪笥(春日部市)
桐箱(春日部市、越谷市、宮代町、さいたま市岩槻区)
麦藁帽子(春日部市)※農家が副業で作られている。日本国内で数少ないの生産地。
押絵羽子板(春日部市)
凧(春日部市西宝珠花)(旧北葛飾郡庄和町←宝珠花村)
盆栽(さいたま市北区盆栽町←旧大宮市)
竹箒(ふじみ野市←旧入間郡大井町)
スリッパ(行田市←旧北埼玉郡南河原村)

[編集] 有形文化財建造物
重要伝統的建造物群保存地区
川越 (川越市)




最終更新 2008年4月22日 (火) 11:13。Wikipedia®