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井伏鱒二  野間文芸賞を受賞。同年に⑩■■勲章も受章した

2008-07-01 09:56:50 | 13 用語集:①人物一覧   
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調べもの新聞  中村惇夫





【井伏鱒二】

文学

ポータル
各国の文学
記事総覧
出版社・文芸雑誌
文学賞
作家
詩人・小説家
その他作家

①■■■■(いぶせ ますじ、1898年2月15日 - 1993年7月10日)は、日本の小説家。広島県福山市加茂町の生まれ。本名、満壽二。筆名は②■り好きだったことによる。学歴は広島県立福山中学校を経て③■■■大学文学部仏文科中退。称号は広島県名誉県民、福山市名誉市民、東京都名誉都民に選ばれている。

目次 [非表示]
1 経歴
2 受賞歴
3 弟子
4 影響
5 主な作品
6 参考文献
7 外部リンク



[編集] 経歴
1898年2月15日に、深安郡加茂村粟根(現在の福山市加茂町栗根)に、父郁太、母ミヤの次男として誕生。井伏家は嘉吉2年(1442年)までさかのぼれる旧家で、家号を「中ノ士居」という代々の地主である。5歳のときに父を亡くし、特に祖父にかわいがられて育つ。1905年、加茂小学校入学。1912年、福山中学校に進学。学校の庭には池があって、二匹の④■■■が飼われており、のちの処女作④「■■■」に結びついた。中学校3年生ころから画家を志し、卒業すると3ヶ月間奈良、京都を写生旅行。そのスケッチを持って橋本関雪に入門を申し込んだが、断られ帰郷。

その後、前々からの兄の勧めで文学に転向し、③■■■大学に入学。青木南八と親交を結び、ともに文学部仏文学科に進む。このころ、岩野泡鳴や谷崎精二を訪ねている。1921年、片上伸教授からのホモセクハラ行為に恐れをなして休学。約半年後に復学手続をとるも、片上からの反対で退学となった。またこの年、無二の親友であった青木を失い、日本美術学校も中退している。

1923年、同人誌『世紀』に参加し、「幽閉」を発表。1924年、聚芳社に入社、退社をくりかえしたのち、佐藤春夫に師事。1927年、「歪なる図案」を『不同調』に発表、初めて小説で原稿料を得た。10月、秋元節代と結婚。1929年、「朽助のいる谷間」を『創作月間』に、「幽閉」を改作した「山椒魚」を『文芸都市』に、「屋根の上のサワン」を『文学』に発表。翌年、初の作品集『夜ふけと梅の花』を刊行、小林秀雄などが出していた雑誌『作品』の同人となる。また、初めて⑤■■治と会ったのもこの年であった。1938年、『ジョン萬次郎漂流記』で第6回⑥■■賞受賞、『文学界』の同人となる。戦時中は陸軍に徴用され、開戦時には南シナ海上の輸送船の中にいた。日本軍が占領したシンガポールに駐在し、現地で日本語新聞の編集に携わった。この経験が、その後の作品に大きな影響を与えている。

⑥■■賞選考委員を1943年(第17回)から1957年(第38回)まで、⑦■■賞選考委員を1958年(第39回)から1962年(第47回)まで、⑧新■■人雑誌賞選考委員を1955年(第1回)から1968年(第14回)まで務めた。

1965年、『新潮』に、⑨「■い雨」(連載当初は「姪の結婚」)を連載。この作品で1966年、野間文芸賞を受賞。同年に⑩■■勲章も受章した。1970年、「私の履歴書(半生記)」を日本経済新聞に連載した。1993年6月24日、東京衛生病院に緊急入院し、7月10日午前11時40分に死去。享年96(95歳没)。戒名は照観院文寿日彗大居士。


[編集] 受賞歴
1938年 『ジョン萬次郎漂流記』で第6回直木賞
1950年 『本日休診』などで第1回読売文学賞小説賞
1956年 『漂民宇三郎』などで第12回日本芸術院賞
1966年 『黒い雨』で第19回野間文芸賞、文化勲章
1972年 『早稲田の森』で第23回読売文学賞随筆紀行賞
1990年 東京都名誉都民

[編集] 弟子
太宰治
中村地平
小山祐士
伊馬鵜平
小沼丹
小山清
庄野潤三
三浦哲郎

[編集] 影響
映画
川島雄三が大の井伏ファンとして有名。井伏の「サヨナラダケガ人生ダ」という科白を愛用した。井伏の『貸間あり』を映画化したが、井伏には「下品すぎる」として不評だったらしい。川島の弟子である今村昌平は『黒い雨』を映画化し、カンヌ国際映画祭高等技術委員会賞を受賞。他に井伏原作で森繁久弥が主演した『駅前旅館』は駅前シリーズの誕生のきっかけとなった。

マンガ
つげ義春が大きな影響を受けた。井伏の『言葉について』へのオマージュである『もっきり屋の少女』を初めとして、井伏の作風を感じさせる作品は数多い。

ガンダム
もともと、ガンダムシリーズの製作者である富野由悠季は、井伏の「黒い雨」に影響を受けていた。それが、既存のアニメとは一線を画す、ガンダムシリーズでのリアルな戦争描写の参考のひとつとなる(現に、機動戦士ガンダムΖΖで、マシュマー・セロのコロニー落としによってダブリンに黒い雨が降り注ぎ、ジュドー・アーシタがそれに打たれながら「黒い・・・雨が・・・」と呟くシーンがある)。その後、事情を知った井伏もガンダムを鑑賞し、感銘を受け大ファンになった、という経緯がある。


[編集] 主な作品
夜ふけと梅の花(1930年、新潮社)
「朽助のゐる谷間」「山椒魚」「屋根の上のサワン」「鯉」など。
なつかしき現実 (1930年、改造社)
「谷間」など。
仕事部屋 (1931年、春陽堂)
「丹下氏邸」「悪い仲間」など。
川 (1932年、江川書房)
随筆 (1933年、椎の木社)
「日本漂民」「風貌・姿勢」など。
逃亡記 (1934年、改造社)
「掏摸の桟三郎」「言葉について」「青ヶ島大概記」など。
鶏肋集 (1936年、竹村書房)
集金旅行(1937年、版画荘) →映画化(監督:中村登) 
厄除け詩集 (1937年、野田書房)
ジョン萬次郎漂流記(1937年、河出書房)
さざなみ軍記(1938年、河出書房)
多甚古村 (1939年、河出書房) →映画化(監督:今井正)
おこまさん (1941年、輝文館) →『秀子の車掌さん』として映画化(監督:成瀬巳喜男)。
花の町 (1943年、文藝春秋)
侘助 (1946年、鎌倉文庫)
「経筒」「二つの話」
追剥の話 (1946年、昭森社)
貸間あり (1948年、鎌倉文庫) →映画化(監督:川島雄三)
本日休診 (1950年、文藝春秋) →映画化(監督:渋谷実)
「遙拝隊長」など。
漂民宇三郎 (1956年、講談社)
駅前旅館 (1957年、新潮社) →映画化(監督:豊田四郎)
珍品堂主人 (1959年、中央公論社) →映画化(監督:豊田四郎)
武州鉢形城 (1963年、新潮社)
黒い雨 (1966年、新潮社) →映画化(監督:今村昌平)
早稲田の森 (1971年、新潮社)
「半世記-私の履歴書」など。
荻窪風土記(1982年、新潮社)
鞆ノ津茶会記 (1986年、福武書店)

[編集] 参考文献
現代日本文学「盗作疑惑」の研究 竹山哲

[編集] 外部リンク
早稲田と文学・井伏鱒二
福山誠之館・井伏鱒二
猪瀬直樹 『黒い雨』と井伏鱒二の深層



カテゴリ: 文人関連のスタブ | 日本の小説家 | 日本の詩人 | 直木賞受賞者 | 1898年生 | 1993年没 | 広島県出身の人物 | 福山市の歴史

最終更新 2008年2月10日 (日) 10:43。 Wikipedia®
















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調べもの新聞  中村惇夫





【井伏鱒二】

文学

ポータル
各国の文学
記事総覧
出版社・文芸雑誌
文学賞
作家
詩人・小説家
その他作家

井伏 鱒二(いぶせ ますじ、1898年2月15日 - 1993年7月10日)は、日本の小説家。広島県福山市加茂町の生まれ。本名、満壽二。筆名は釣り好きだったことによる。学歴は広島県立福山中学校を経て早稲田大学文学部仏文科中退。称号は広島県名誉県民、福山市名誉市民、東京都名誉都民に選ばれている。

目次 [非表示]
1 経歴
2 受賞歴
3 弟子
4 影響
5 主な作品
6 参考文献
7 外部リンク



[編集] 経歴
1898年2月15日に、深安郡加茂村粟根(現在の福山市加茂町栗根)に、父郁太、母ミヤの次男として誕生。井伏家は嘉吉2年(1442年)までさかのぼれる旧家で、家号を「中ノ士居」という代々の地主である。5歳のときに父を亡くし、特に祖父にかわいがられて育つ。1905年、加茂小学校入学。1912年、福山中学校に進学。学校の庭には池があって、二匹の山椒魚が飼われており、のちの処女作「山椒魚」に結びついた。中学校3年生ころから画家を志し、卒業すると3ヶ月間奈良、京都を写生旅行。そのスケッチを持って橋本関雪に入門を申し込んだが、断られ帰郷。

その後、前々からの兄の勧めで文学に転向し、早稲田大学に入学。青木南八と親交を結び、ともに文学部仏文学科に進む。このころ、岩野泡鳴や谷崎精二を訪ねている。1921年、片上伸教授からのホモセクハラ行為に恐れをなして休学。約半年後に復学手続をとるも、片上からの反対で退学となった。またこの年、無二の親友であった青木を失い、日本美術学校も中退している。

1923年、同人誌『世紀』に参加し、「幽閉」を発表。1924年、聚芳社に入社、退社をくりかえしたのち、佐藤春夫に師事。1927年、「歪なる図案」を『不同調』に発表、初めて小説で原稿料を得た。10月、秋元節代と結婚。1929年、「朽助のいる谷間」を『創作月間』に、「幽閉」を改作した「山椒魚」を『文芸都市』に、「屋根の上のサワン」を『文学』に発表。翌年、初の作品集『夜ふけと梅の花』を刊行、小林秀雄などが出していた雑誌『作品』の同人となる。また、初めて太宰治と会ったのもこの年であった。1938年、『ジョン萬次郎漂流記』で第6回直木賞受賞、『文学界』の同人となる。戦時中は陸軍に徴用され、開戦時には南シナ海上の輸送船の中にいた。日本軍が占領したシンガポールに駐在し、現地で日本語新聞の編集に携わった。この経験が、その後の作品に大きな影響を与えている。

直木賞選考委員を1943年(第17回)から1957年(第38回)まで、芥川賞選考委員を1958年(第39回)から1962年(第47回)まで、新潮同人雑誌賞選考委員を1955年(第1回)から1968年(第14回)まで務めた。

1965年、『新潮』に、「黒い雨」(連載当初は「姪の結婚」)を連載。この作品で1966年、野間文芸賞を受賞。同年に文化勲章も受章した。1970年、「私の履歴書(半生記)」を日本経済新聞に連載した。1993年6月24日、東京衛生病院に緊急入院し、7月10日午前11時40分に死去。享年96(95歳没)。戒名は照観院文寿日彗大居士。


[編集] 受賞歴
1938年 『ジョン萬次郎漂流記』で第6回直木賞
1950年 『本日休診』などで第1回読売文学賞小説賞
1956年 『漂民宇三郎』などで第12回日本芸術院賞
1966年 『黒い雨』で第19回野間文芸賞、文化勲章
1972年 『早稲田の森』で第23回読売文学賞随筆紀行賞
1990年 東京都名誉都民

[編集] 弟子
太宰治
中村地平
小山祐士
伊馬鵜平
小沼丹
小山清
庄野潤三
三浦哲郎

[編集] 影響
映画
川島雄三が大の井伏ファンとして有名。井伏の「サヨナラダケガ人生ダ」という科白を愛用した。井伏の『貸間あり』を映画化したが、井伏には「下品すぎる」として不評だったらしい。川島の弟子である今村昌平は『黒い雨』を映画化し、カンヌ国際映画祭高等技術委員会賞を受賞。他に井伏原作で森繁久弥が主演した『駅前旅館』は駅前シリーズの誕生のきっかけとなった。

マンガ
つげ義春が大きな影響を受けた。井伏の『言葉について』へのオマージュである『もっきり屋の少女』を初めとして、井伏の作風を感じさせる作品は数多い。

ガンダム
もともと、ガンダムシリーズの製作者である富野由悠季は、井伏の「黒い雨」に影響を受けていた。それが、既存のアニメとは一線を画す、ガンダムシリーズでのリアルな戦争描写の参考のひとつとなる(現に、機動戦士ガンダムΖΖで、マシュマー・セロのコロニー落としによってダブリンに黒い雨が降り注ぎ、ジュドー・アーシタがそれに打たれながら「黒い・・・雨が・・・」と呟くシーンがある)。その後、事情を知った井伏もガンダムを鑑賞し、感銘を受け大ファンになった、という経緯がある。


[編集] 主な作品
夜ふけと梅の花(1930年、新潮社)
「朽助のゐる谷間」「山椒魚」「屋根の上のサワン」「鯉」など。
なつかしき現実 (1930年、改造社)
「谷間」など。
仕事部屋 (1931年、春陽堂)
「丹下氏邸」「悪い仲間」など。
川 (1932年、江川書房)
随筆 (1933年、椎の木社)
「日本漂民」「風貌・姿勢」など。
逃亡記 (1934年、改造社)
「掏摸の桟三郎」「言葉について」「青ヶ島大概記」など。
鶏肋集 (1936年、竹村書房)
集金旅行(1937年、版画荘) →映画化(監督:中村登) 
厄除け詩集 (1937年、野田書房)
ジョン萬次郎漂流記(1937年、河出書房)
さざなみ軍記(1938年、河出書房)
多甚古村 (1939年、河出書房) →映画化(監督:今井正)
おこまさん (1941年、輝文館) →『秀子の車掌さん』として映画化(監督:成瀬巳喜男)。
花の町 (1943年、文藝春秋)
侘助 (1946年、鎌倉文庫)
「経筒」「二つの話」
追剥の話 (1946年、昭森社)
貸間あり (1948年、鎌倉文庫) →映画化(監督:川島雄三)
本日休診 (1950年、文藝春秋) →映画化(監督:渋谷実)
「遙拝隊長」など。
漂民宇三郎 (1956年、講談社)
駅前旅館 (1957年、新潮社) →映画化(監督:豊田四郎)
珍品堂主人 (1959年、中央公論社) →映画化(監督:豊田四郎)
武州鉢形城 (1963年、新潮社)
黒い雨 (1966年、新潮社) →映画化(監督:今村昌平)
早稲田の森 (1971年、新潮社)
「半世記-私の履歴書」など。
荻窪風土記(1982年、新潮社)
鞆ノ津茶会記 (1986年、福武書店)

[編集] 参考文献
現代日本文学「盗作疑惑」の研究 竹山哲

[編集] 外部リンク
早稲田と文学・井伏鱒二
福山誠之館・井伏鱒二
猪瀬直樹 『黒い雨』と井伏鱒二の深層



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