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【松方コレクション】

2010-02-28 09:24:28 | Weblog
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【松方コレクション】

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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松方コレクション(まつかたコレクション)とは、実業家松方幸次郎が大正初期から昭和初期にかけて築いた美術品コレクションのこと。

目次 [非表示]
1 収集の経過
2 コレクションの行方
2.1 返還の経緯
3 フランスに残された作品
4 脚注
5 関連項目


収集の経過 [編集]
1916年(大正5年)頃、松方がロンドンで、当時社長を務めていた川崎造船所のために、貨物船の売り込みや資材の買付をしていた際に、興味本位でオークションで絵画を購入したことが収集のきっかけであったという。画家フランク・ブラングイン(Frank William Brangwyn,1867-1956年)と知り合い、1916年から1918年までのロンドン滞在中に1000点以上の作品を収集した。この他、フランスの実業家が持っていた浮世絵8000点を購入した。

1921年(大正10年)にロンドン・パリに渡った。このときは海軍の依頼で潜水艦の設計図を入手するのが密かな目的だったという。松方の名は既にコレクターとして知られており、モネやロダンとも直接に交友し作品を購入した。画商などから購入するときも剛胆で、ステッキで「ここからここまで」と指して購入したとの逸話も伝えられる。このパリ滞在時には矢代幸雄が同行しており、画商で見かけたゴッホの『ファンゴッホの寝室』とルノアールの『アルジェリア風のパリの女たち』を希代の傑作として購入を勧めたという。当時、松方は「私が自由に使える金が三千万円できた」と矢代に語ったということであり、これは現在の通貨価値に換算すれば300億円程度と推定される[1]。

1926年(大正15年)から1927年(昭和2年)にかけても、ヨーロッパに滞在しコレクションを増やした。

対象は絵画、彫刻、工芸品、海外に在った浮世絵などでその点数は絵画2千点、浮世絵8千点におよぶといわれたが、現在はその正確な点数は分かっていない。

コレクションの行方 [編集]
松方は共楽美術館という美術館を設立する構想をもっており、ブラングィンが設計図を作成していた。しかし、1927年に世界恐慌の影響で川崎造船所の経営が破綻し、負債整理のため松方も私財を提供せざるを得なくなった。そのため、日本にあったコレクションは十五銀行、藤木ビル等の担保となり、売立てにより散逸してしまった。それらの一部が現在ブリヂストン美術館、大原美術館に収蔵されているものである。浮世絵のコレクション約8000点は皇室に献上され、のちに帝室博物館(東京国立博物館)に移管された。

一方、海外で保管していたコレクションは散逸を免れたが、1924年に実施された10割関税(関東大震災の復興資金のため、買値の10割の関税、つまり買値と同額の税金がかかった)が障害になり、昭和初期の軍国化の傾向の中で西洋美術のコレクションは軍部に悪印象を与えるのを恐れたこと等もあって、そのまま海外に保管されていた。

ロンドンに保管していたコレクション(約300点と推測されている)は1939年に火災で焼失してしまった。パリに保管していたコレクション(428点との説がある)は、ロダン美術館に預けられていたが、第二次世界大戦のドイツの侵攻により、元日本海軍大尉日置三郎によりパリの近郊、アボンダンに疎開していた。ナチスの押収は免れたものの、戦後にフランス政府に押収されてしまった。

返還の経緯 [編集]
1950年から松方コレクションの返還交渉が始まったが、難航していた。1951年のサンフランシスコ講和会議の際に、首相吉田茂がフランスの外務大臣に要求し、返還されることが決まった(平和条約によれば、連合国に管理されている日本の財産はそれぞれの国が没収するが、個人の財産は所有者に返還されるはずであった)。しかし、その後の交渉の中で、コレクション中、重要なゴーギャンやゴッホなどいくつかの作品についてはフランス側が譲らず、結局、絵画196点、素描80点、版画26点、彫刻63点、書籍5点の合計370点の作品が、美術館を建設して展示するという条件付きで返還された(フランス側は「寄贈だ」と主張したため、「寄贈返還」という言葉が使われた)。受入れのための美術館が建てられ、1959年に国立西洋美術館で公開された。

返還交渉にあたった矢代幸雄らは特に『ファンゴッホの寝室』と『アルジェリア風のパリの女たち』を要求したが、前者の返還は認められなかった。

フランスに残された作品 [編集]
オルセー美術館、ルーブル美術館などに所蔵されている。

ゴーギャン4点
セザンヌ、3点
ボンヴァン、3点
スーティン、2点
クールベ、1点
マネ 「ビールジョッキをもつ女」 計1点
ロートレック、1点
モロー、1点
マルケ、1点
ピカソ、1点
ゴッホ 「ファンゴッホの寝室」 計1点
ルノワール、1点
脚注 [編集]
^ 矢代幸雄『芸術新潮』昭和30年1月号、岡泰正『「アルルのゴッホの寝室」、松方コレクション、眼力示す。』2006年11月17日、日本経済新聞
関連項目 [編集]
神戸川崎財閥(松方コンツェルン)
「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%96%B9%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3」より作成
カテゴリ: コレクション | 日本美術史

最終更新 2009年9月30日 (水) 14:20