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ヰタ・セクスアリス

2009-11-26 13:15:51 | Weblog
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森鴎外ゆかりの地を歩く(前編)【検索の達人 ■■■】■■■に文字を記入!


ヰタ・セクスアリス


森鴎外


 金井|湛《しずか》君は哲学が職業である。
 哲学者という概念には、何か書物を書いているということが伴う。金井君は哲学が職業である癖に、なんにも書物を書いていない。文科大学を卒業するときには、外道《げどう》哲学と Sokrates 前の希臘《ギリシャ》哲学との比較的研究とかいう題で、余程へんなものを書いたそうだ。それからというものは、なんにも書かない。
 しかし職業であるから講義はする。講座は哲学史を受け持っていて、近世哲学史の講義をしている。学生の評判では、本を沢山書いている先生方の講義よりは、金井先生の講義の方が面白いということである。講義は直観的で、或物の上に強い光線を投げることがある。そういうときに、学生はいつまでも消えない印象を得るのである。殊《こと》に縁の遠い物、何の関係もないような物を藉《か》りて来て或物を説明して、聴く人がはっと思って会得するというような事が多い。Schopenhauer は新聞の雑報のような世間話を材料帳に留《と》めて置いて、自己の哲学の材料にしたそうだが、金井君は何をでも哲学史の材料にする。真面目《まじめ》な講義の中で、その頃青年の読んでいる小説なんぞを引いて説明するので、学生がびっくりすることがある。
 小説は沢山読む。新聞や雑誌を見るときは、議論なんぞは見ないで、小説を読む。しかし若《も》し何と思って読むかということを作者が知ったら、作者は憤慨するだろう。芸術品として見るのではない。金井君は芸術品には非常に高い要求をしているから、そこいら中にある小説はこの要求を充たすに足りない。金井君には、作者がどういう心理的状態で書いているかということが面白いのである。それだから金井君の為めには、作者が悲しいとか悲壮なとかいう積《つもり》で書いているものが、極《きわめ》て滑稽《こっけい》に感ぜられたり、作者が滑稽の積で書いているものが、却《かえっ》て悲しかったりする。
 金井君も何か書いて見たいという考はおりおり起る。哲学は職業ではあるが、自己の哲学を建設しようなどとは思わないから、哲学を書く気はない。それよりは小説か脚本かを書いて見たいと思う。しかし例の芸術品に対する要求が高い為めに、容易に取り附けないのである。
 そのうちに夏目金之助君が小説を書き出した。金井君は非常な興味を以て読んだ。そして技癢《ぎよう》を感じた。そうすると夏目君の「我輩は猫である」に対して、「我輩も猫である」というようなものが出る。「我輩は犬である」というようなものが出る。金井君はそれを見て、ついつい嫌《いや》になってなんにも書かずにしまった。
 そのうち自然主義ということが始まった。金井君はこの流義の作品を見たときは、格別技癢をば感じなかった。その癖面白がることは非常に面白がった。面白がると同時に、金井君は妙な事を考えた。
 金井君は自然派の小説を読む度《たび》に、その作中の人物が、行住|坐臥《ざが》造次|顛沛《てんぱい》、何に就けても性欲的写象を伴うのを見て、そして批評が、それを人生を写し得たものとして認めているのを見て、人生は果してそんなものであろうかと思うと同時に、或は自分が人間一般の心理的状態を外《はず》れて性欲に冷澹《れいたん》であるのではないか、特に frigiditas とでも名づくべき異常な性癖を持って生れたのではあるまいかと思った。そういう想像は、zola の小説などを読んだ時にも起らぬではなかった。しかしそれは Germinal やなんぞで、労働者のの人間が、困厄の極度に達した処を書いてあるとき、或る男女の逢引《あいびき》をしているのを覗《のぞ》きに行く段などを見て、そう思ったのであるが、その時の疑は、なんで作者がそういう処を、わざとらしく書いているだろうというのであって、それが有りそうでない事と思ったのでは無い。そんな事もあるだろうが、それを何故《なぜ》作者が書いたのだろうと疑うに過ぎない。即《すなわ》ち作者一人の性欲的写象が異常ではないかと思うに過ぎない。小説家とか詩人とかいう人間には、性欲の上には異常があるかも知れない。この問題は Lombroso なんぞの説いている天才問題とも関係を有している。〔Mo:bius〕 一派の人が、名のある詩人や哲学者を片端から掴《つか》まえて、精神病者として論じているも、そこに根柢を有している。しかし近頃日本で起った自然派というものはそれとは違う。大勢の作者が一時に起って同じような事を書く。批評がそれを人生だと認めている。その人生というものが、精神病学者に言わせると、一々の写象に性欲的色調を帯びているとでも云いそうな風なのだから、金井君の疑惑は前より余程深くなって来たのである。
 




 の土手を望む処に宅を構えておられる。二階建の母屋に、庭の池に臨んだ離座敷の書斎がある。土蔵には唐本が一ぱい這入っていて、書生が一抱ずつ抱えては出入《だしいれ》をする。先生は年が四十二三でもあろうか。三十位の奥さんにお嬢さんの可哀いのが二三人あって、母屋《おもや》に住んでおられる。先生は渡廊下で続いている書斎におられる。お役は編修官。月給は百円。手車で出勤せられる。僕のお父様が羨ましがって、あれが清福というものじゃと云うておられた。その頃は百円の月給で清福を得られたのである。
 僕はお父様に頼んで貰って、文淵先生の内へ漢文を直して貰いに行くことにした。書生が先生の書斎に案内する。どんな長い物を書いて持って行っても、先生は「どれ」と云って受け取る。朱筆を把《と》る。片端から句読《くとう》を切る。句読を切りながら直して行く。読んでしまうのと直してしまうのと同時である。それでも字眼《じがん》なぞがあると、標《しるし》を附けて行かれるから、照応を打ち壊されることなぞはめったに無い。度々行くうちに、十六七の島田|髷《まげ》が先生のお給仕をしているのに出くわした。帰ってからお母様に、今日は先生の内の一番大きいお嬢さんを見たと話したら、それはお召使だと仰ゃった。お召使というには特別な意味があったのである。
 或日先生の机の下から唐本が覗いているのを見ると、金瓶梅《きんぺいばい》であった。僕は馬琴の金瓶梅しか読んだことはないが、唐本の金瓶梅が大いに違っているということを知っていた。そして先生なかなか油断がならないと思った。

        *

 同じ歳の秋であった。古賀の機嫌《きげん》が悪い。病気かと思えばそうでもない。或日一しょに散歩に出て、池の端を歩いていると、古賀がこう云った。
「今日は根津へ探検に行くのだが、一しょに行くかい」
「一しょに帰るなら、行っても好い」
「そりゃあ帰る」
 それから古賀が歩きながら探険の目的を話した。安達が根津の八幡楼《やわたろう》という内のお職と大変な関係になった。女が立て引いて呼ぶので、安達は殆ど学課を全廃した。女の処には安達の寝巻や何ぞが備え附けてある。女の持物には、悉《ことごと》く自分の紋と安達の紋とが比翼《ひよく》にして附けてある。二三日安達の顔を見ないと癪《しゃく》を起す。古賀がどんなに引き留めても、女の磁石力が強くて、安達はふらふらと八幡楼へ引き寄せられて行く。古賀は浅草にいる安達の親に denunciate した。安達と安達の母との間には、悲痛なる対話があった。さて安達の寄宿舎に帰るのを待ち受けて、古賀が「どうだ」と問うた。安達は途方に暮れたという様子で云った。「今日は母に泣かれて困った。母が泣きながら死んでしまうというのを聞けば、気の毒ではある。しかし女も泣きながら死んでしまうというから、為方《しかた》がない」と云ったというのである。
 古賀はこの話をしながら、憤慨して涙を翻《こぼ》した。僕は歩きながらこの話を聞いて、「なる程非道い」と云った。そうは云ったが、頭の中では憤慨はしない。恋愛というものの美しい夢は、断えず意識の奥の方に潜んでいる。初て梅暦を又借をして読んだ頃から後、漢学者の友達が出来て、剪燈余話《せんとうよわ》を読む。燕山外史《えんざんがいし》を読む。情史を読む。こういう本に書いてある、青年男女の naively な恋愛がひどく羨ましい、妬《ねた》ましい。そして自分が美男に生れて来なかった為めに、この美しいものが手の届かない理想になっているということを感じて、頭の奥には苦痛の絶える隙《ひま》がない。それだから安達はさぞ愉快だろう、縦令《たとい》苦痛があっても、その苦痛は甘い苦痛で、自分の頭の奥に潜んでいるような苦い苦痛ではあるまいという思遣《おもいやり》をなすことを禁じ得ない。それと同時に僕はこんな事を思う。古賀の単純極まる性質は愛す可きである。しかし彼が安達の為めに煩悶《はんもん》する源を考えて見れば、少しも同情に値しない。安達は寧《むし》ろ不自然の回抱《かいほう》を脱して自然の懐《ふところ》に走ったのである。古賀がこの話を児島にしたら、児島は一しょに涙を翻したかも知れない。いかにも親孝行はこの上もない善い事である。親孝行のお蔭で、性欲を少しでも抑えて行かれるのは結構である。しかしそれを為《な》し得ない人間がいるのに不思議はない。児島は性欲を吸込の糞坑《ふんこう》にしている。古賀は性欲を折々掃除をさせる雪隠の瓶《かめ》にしている。この二人と同盟になっている僕が、同じように性欲の満足を求めずにいるのは、果して僕の手柄であろうか。それは頗《すこぶ》る疑わしい。僕が若し児島のような美男に生れていたら、僕は児島ではないかも知れない。僕は神聖なる同盟の祭壇の前で、こんな heretical な思議を費していたのである。
 僕は古賀の跡に附いて、始て藍染橋《あいぞめばし》を渡った。古賀は西側の小さい家に這入って、店の者と話をする。僕は閾際《しきいぎわ》に立っている。この家は引手茶屋である。古賀は安達が何日《いくか》と何日《いくか》とに来たかというような事を確めている。店のものは不精々々に返辞をしている。古賀は暫《しばら》くしてしおしおとして出て来た。僕等は黙って帰途に就いた。
 安達は程なく退学させられた。一年ばかり立ってから、浅草区に子守女や後家なぞに騒がれる美男の巡査がいるという評判を聞いた。又数年の後、古賀が浅草の奥山で、唐桟《とうざん》づくめの頬のこけた凄《すご》い顔の男に逢った。奥山に小屋掛けをして興行している女の軽技師《かるわざし》があって、その情夫が安達の末路であったそうだ。

        *

 十六になった。
 僕はその頃大学の予備門になっていた英語学校を卒業して、大学の文学部に這入った。
 夏休から後は、僕は下宿生活をすることになった。古賀や児島と毎晩のように寄席《よせ》に行く。一頃悪い癖が附いて寄席に行かないと寝附かれないようになったこともある。講釈に厭《あ》きて落語を聞く。落語に厭きて女義太夫をも聞く。寄席の帰りに腹が減って蕎麦《そば》屋に這入ると、妓夫が夜鷹《よたか》を大勢連れて来ていて、僕等はその百鬼夜行の姿をランプの下に見て、覚えず戦慄《せんりつ》したこともある。しかし「仲までお安く」という車なぞにはとうとう乗らずにしまった。
 多分生息子で英語学校を出たものは、児島と僕と位なものだろう。文学部に這入ってからも、三角同盟の制裁は依然としていて、児島と僕とは旧阿蒙《きゅうあもう》であった。
 この歳は別に書く程の事もなくて暮れた。

        *

 十七になった。
 この歳にお父様が、世話をする人があって、小菅《こすげ》の監獄署の役人になられた。某省の属官をしておられたが、頭が支《つか》えて進級が出来ない。監獄の役人の方は、官宅のようなものが出来ていて、それに住めば、向島の家から家賃があがる。月給も少し好い。そこで意を決して小菅へ越されたのである。僕は土曜日に小菅へ行って、日曜日の晩に下宿に帰ることになった。
 僕は依然として三角同盟の制裁の下に立っているのである。休日の前日が来て、小菅の内へ帰る度に通新町を通る。吉原の方へ曲る角の南側は石の玉垣のある小さい社で、北側は古道具屋である。この古道具屋はいつも障子が半分締めてある。その障子の片隅に長方形の紙が貼ってあって、看板かきの書くような字で「秋貞」と書いてある。小菅へ行く度に、往《いき》にも反《かえり》にも僕はこの障子の前を通るのを楽にしていた。そしてこの障子の口に娘が立っていると、僕は一週間の間何となく満足している。娘がいないと、僕は一週間の間何となく物足らない感じをしている。
 この娘はそれ程|稀《まれ》な美人というのではないかも知れない。只薄紅の顔がつやつやと露が垂《したた》るようで、ぱっちりした目に形容の出来ない愛敬がある。洗髪を島田に結っていて、赤い物なぞは掛けない。夏は派手な浴衣《ゆかた》を着ている。冬は半衿《はんえり》の掛かった銘撰《めいせん》か何かを着ている。いつも新しい前掛をしているのである。
、僕の識っている宮内省の役人の奥さんになられたが、一年ばかりの後に病死せられた。

        *





 中年増が女の櫛道具を取って片附けた。それから立って、黒塗の箪笥から袿《かけ》を出して女に被《き》せた。派手な竪縞《たてじま》のお召縮緬《めしちりめん》に紫|繻子《じゅす》の襟が掛けてある。この中年増が所謂《いわゆる》番新というのであろう。女は黙って手を通す。珍らしく繊《ほそ》い白い手であった。番新がこう云った。
「あなたもう遅うございますから、ちとあちらへ」
「寝るのか」
「はい」

 同じ年の六月七日に洋行の辞令を貰った。行く先は独逸である。
 独逸人の処へ稽古に行く。壱岐坂《いきざか》時代の修行が大いに用立つ。
 八月二十四日に横浜で舟に乗った。とうとう妻を持たずに出立したのである。

        *

 金井君は或夜ここまで書いた。内じゅうが寝静まっている。雨戸の外は五月雨《さみだれ》である。庭の植込に降る雨の、鈍い柔な音の間々《あいだあいだ》に、亜鉛《あえん》の樋《とい》を走る水のちゃらちゃらという声がする。西片町の通は往来《ゆきき》が絶えて、傘を打つ点滴も聞えず、ぬかるみに踏《ふ》み込む足駄も響かない。
 金井君は腕組をして考え込んでいる。
 先ず書き掛けた記録の続きが、次第もなく心に浮ぶ。伯林《ベルリン》の Unter den Linden を西へ曲った処の小さい珈琲《コォフイィ》店を思い出す。〔Cafe' Krebs〕 である。日本の留学生の集る処で、蟹屋《かにや》蟹屋と云ったものだ。何遍行っても女に手を出さずにいると、或晩一番美しい女で、どうしても日本人と一しょには行かないというのが、是非金井君と一しょに行くと云う。聴かない。女が癇癪《かんしゃく》を起して、〔me'lange〕 のコップを床に打ち附けて壊す。それから Karlstrasse の下宿屋を思い出す。家主の婆あさんの姪《めい》というのが、毎晩|肌襦袢《はだじゅばん》一つになって来て、金井君の寝ている寝台の縁《ふち》に腰を掛けて、三十分ずつ話をする。「おばさんが起きて待っているから、只お話だけして来るのなら、構わないといいますの。好いでしょう。お嫌ではなくって」肌の温まりが衾《ふすま》を隔てて伝わって来る。金井君は貸借法の第何条かに依って、三箇月分の宿料を払って逃げると、毎晩夢に見ると書いた手紙がいつまでも来たのである。Leipzig の戸口に赤い灯の附いている家を思い出す。※[#「糸+求」、第4水準2-84-28]《ちぢ》らせた明色《めいしょく》の髪に金粉を傅《つ》けて、肩と腰とに言訣《いいわけ》ばかりの赤い着物を着た女を、客が一人|宛傍《ずつそば》に引き寄せている。金井君は、「己は肺病だぞ、傍に来るとうつるぞ」と叫んでいる。維也納《ウインナ》のホテルを思い出す。臨時に金井君を連れて歩いていた大官が手を引張ったのを怒った女中がいる。金井君は馬鹿気た敵愾心《てきがいしん》を起して、出発する前日に、「今夜行くぞ」と云った。「あの右の廊下の突き当りですよ。沓《くつ》を穿《は》いていらっしっては嫌」響の物に応ずる如しである。咽《む》せる様に香水を部屋に蒔《ま》いて、金井君が廊下をつたって行く沓足袋《くつたび》の音を待っていた。〔Mu:nchen〕 の珈琲店を思い出す。日本人の群がいつも行っている処である。そこの常客に、稍《や》や無頼漢肌の土地の好男子の連れて来る、凄味《すごみ》掛かった別品がいる。日本人が皆その女を褒《ほ》めちぎる。或晩その二人連がいるとき、金井君が便所に立った。跡から早足に便所に這入って来るものがある。忽《たちま》ち痩《や》せた二本の臂《ひじ》が金井君の頸《くび》に絡《から》み附く。金井君の唇は熱い接吻を覚える。金井君の手は名刺を一枚握らせられる。旋風《つむじかぜ》のように身を回《かえ》して去るのを見れば、例の凄味の女である。番地の附いている名刺に「十一時三十分」という鉛筆書きがある。金井君は自分の下等な物に関係しないのを臆病のように云う同国人に、面当《つらあて》をしようという気になる。そこで冒険にもこの Rendez-Vous に行く。腹の皮に妊娠した時の痕《あと》のある女であった。この女は舞踏に着て行く衣裳の質に入れてあるのを受ける為めに、こんな事をしたということが、跡から知れた。同国人は荒肝を抜かれた。金井君も随分悪い事の限をしたのである。しかし金井君は一度も自分から攻勢を取らねばならない程強く性欲に動かされたことはない。いつも陣地を守ってだけはいて、穉《おさな》い Neugierde と余計な負けじ魂との為めに、おりおり不必要な衝突をしたに過ぎない。
 金井君は初め筆を取ったとき、結婚するまでの事を書く積であった。金井君の西洋から帰ったのは二十五の年の秋であった。すぐに貰った初の細君は長男を生んで亡くなった。それから暫く一人でいて、三十二の年に十七になる今の細君を迎えた。そこで初は二十五までの事は是非書こうと思っていたのである。
 さて一旦筆を置いて考えて見ると、かの不必要な衝突の偶然に繰り返されるのを書くのが、無意義ではあるまいかと疑うようになった。金井君の書いたものは、普通の意味でいう自伝ではない。それなら是非小説にしようと思ったかというと、そうでも無い。そんな事はどうでも好いとしても、金井君だとて、芸術的価値の無いものに筆を着けたくはない。金井君は Nietzsche のいう Dionysos 的なものだけを芸術として視てはいない。Apollon 的なものをも認めている。しかし恋愛を離れた性欲には、情熱のありようがないし、その情熱の無いものが、いかに自叙に適せないかということは、金井君も到底自覚せずにはいられなかったのである。
 金井君は断然筆を絶つことにした。
 そしてつくづく考えた。世間の人は今の自分を見て、金井は年を取って情熱がなくなったと云う。しかしこれは年を取った為めではない。自分は少年の時から、余りに自分を知り抜いていたので、その悟性が情熱を萌芽《ほうが》のうちに枯らしてしまったのである。それがふとつまらない動機に誤られて、受けなくても好い dub を受けた。これは余計な事であった。結婚をするまで dub を受けずにいた方が好かった。更に一歩を進めて考えて見れば、果して結婚前に dub を受けたのを余計だとするなら、或は結婚もしない方が好かったのかも知れない。どうも自分は人並はずれの冷澹《れいたん》な男であるらしい。
 金井君は一旦こう考えたが、忽ち又考え直した。なる程、dub を受けたのは余計であろう。しかし自分の悟性が情熱を枯らしたようなのは、表面だけの事である。永遠の氷に掩《おお》われている地極の底にも、火山を突き上げる猛火は燃えている。Michelangelo は青年の時友達と喧嘩をして、拳骨で鼻を叩き潰《つぶ》されて、望を恋愛に絶ったが、却《かえっ》て六十になってから Vittoria Colonna に逢って、珍らしい恋愛をし遂げた。自分は無能力では無い。Impotent では無い。世間の人は性欲の虎を放し飼にして、どうかすると、その背に騎《の》って、滅亡の谷に墜ちる。自分は性欲の虎を馴らして抑えている。羅漢《らかん》に跋陀羅《ばつだら》というのがある。馴れた虎を傍《そば》に寝かして置いている。童子がその虎を怖れている。Bhadra とは賢者の義である。あの虎は性欲の象徴かも知れない。只馴らしてあるだけで、虎の怖るべき威は衰えてはいないのである。
 金井君はこう思い直して、静に巻《まき》の首《はじめ》から読み返して見た。そして結末まで読んだときには、夜はいよいよ更《ふ》けて、雨はいつの間にか止んでいた。樋の口から石に落ちる点滴が、長い間《ま》を置いて、磬《けい》を打つような響をさせている。
 さて読んでしまった処で、これが世間に出されようかと思った。それはむつかしい。人の皆行うことで人の皆言わないことがある。Prudery に支配せられている教育界に、自分も籍を置いているからは、それはむつかしい。そんなら何気なしに我子に読ませることが出来ようか。それは読ませて読ませられないこともあるまい。しかしこれを読んだ子の心に現われる効果は、予《あらかじ》め測り知ることが出来ない。若しこれを読んだ子が父のようになったら、どうであろう。それが幸か不幸か。それも分らない。Dehmel が詩の句に、「彼に服従するな、彼に服従するな」というのがある。我子にも読ませたくはない。
 金井君は筆を取って、表紙に拉甸《ラテン》語で
[#天から2字下げ]VITA SEXUALIS
と大書した。そして文庫の中へばたりと投げ込んでしまった。



底本:「ヰタ・セクスアリス」新潮文庫、新潮社
   1949(昭和24)年11月30日発行
   1967(昭和42)年11月10日27刷改版
   1989(平成元)年8月20日69刷
入力:真先芳秋
校正:Juki
1999年10月12日公開
2006年4月25日修正
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