しおんさんが、12月10日に亡くなりました。
16歳になったばかりでした。
昨年10月に脱水症状で入院してから、ずっと投薬とご飯でケアしてきました。
11月から徐々に悪化、12月には食欲もなくなり点滴もしました。
とにかく食べてもらいたい一心で、久しぶりに大好きなホタテ、エビ、マグロをあげました。
でも少ししか食べられませんでした。
今年は秋になっても暖かくて、しおんさんはリビングで寝ていましたが、
涼しくなってからは私のベッドで寝るようになっていました。
やっと秋らしくなり、朝晩が冷えるようになってからは、
それまで足元で寝ていたのに、私の顔の横で寝るようになりました。お尻を向けていましたが。
でも、9日の夜は、一度もベッドに来ませんでした。
たぶん、もう上れなくなっていたのでしょう。
10日の朝は、いつもより1時間前に起床、しおんさんはいつも通りでした。
薬の後、いつものようにお風呂場の水を飲みました。そしてそのまま座り込みました。
しばらくすると、ゆっくりと歩いてトイレに行き、その後リビングの猫ベッドに入りました。
元気がないかな、とは思いましたが、久しぶりに、昔のような甲高い声でおしゃべりをしていました。
私もいつも通りに支度をし、出勤時間になったので、
いつの間にか猫ベッドを出て猫タワーの柱の陰にいたしおんさんを猫ベッドに戻そうと抱き上げると、
病院かと思ったのか、全力で抵抗しました。
違うよ、病院じゃないよ、と話しかけ、猫ベッドに寝かせると、しおんさんはまたおしゃべりをし、うとうとし始めました。
一瞬、仕事を休もうかと思いましたが、I love you をたくさん言って、いってきます、また後で会おうね、と声を掛けると、
またきれいな声でお返事しました。
そして、出勤しました。
でも出勤途中、帰宅したらまた点滴してもらおう、でも延命措置だけはしたくない、その日が近づいている、などと考えていたら、
突然、涙があふれて来て止まらなくなり、声を上げて泣きました。
帰宅すると、猫ベッドにしおんさんの姿はありませんでした。
お風呂場にもいませんでした。
私のベッドの上にもいませんでした。
嫌な予感がしていつも病院の日に隠れるテレビ台の下を見ると、そこにしおんさんが倒れていました。
もう、冷たくなって、硬くなっていました。
11日は有休を取っていたので、きれいなうちにお骨にしてあげたいと火葬場へ向かいました。
すると高速道路は珍しく大渋滞。
最後に車の中で、ゆっくりお話ができました。
午後には鳥取に行く用事があったので、そのまま、しおんさんと一緒に行きました。
海外では、棺を乗せた車が、近所や職場など故人に縁のある場所を、ゆっくりとドライブすることがあります。
時に脱走して遊んでいた鳥取の家の周りを、しおんさんと一緒にラスト・ランしました。
いつも丁寧に診てくださった病院の先生は、たぶん尿毒症で最後の2日はもうろうとしていたのではないか、と仰っていました。
おしっこは、もうおしっこの匂いがしませんでした。
延命措置はしたくなかったけれど、本当にできる限りのことをしてあげたのだろうか、
なぜ10日に仕事を休まなかったのか、いろいろと考えました。悩みました。
もう2週間が経ってしまいました。
少し落ち着いてきましたが、しおんさんのいない家は、本当に寂しいです。
I miss her so much.
今まで、しおんさんを応援してくださったみなさまに、感謝いたします。
どうもありがとうございました。
別れはとても悲しくて寂しくて辛くてどうしようもないけれど、
家が必要な子が、日本にはたくさんいます。
もし、皆さんが猫か犬を迎えてあげられるなら、ぜひ、シェルターから迎えてあげてください。
そして、その子を、幸せにしてあげてください。
しおんさんとマミーからのお願いです。
しおんさんのお骨は、いつか生まれ故郷のウェリントンに散骨するつもりです。
紫苑
16歳になったばかりでした。
昨年10月に脱水症状で入院してから、ずっと投薬とご飯でケアしてきました。
11月から徐々に悪化、12月には食欲もなくなり点滴もしました。
とにかく食べてもらいたい一心で、久しぶりに大好きなホタテ、エビ、マグロをあげました。
でも少ししか食べられませんでした。
今年は秋になっても暖かくて、しおんさんはリビングで寝ていましたが、
涼しくなってからは私のベッドで寝るようになっていました。
やっと秋らしくなり、朝晩が冷えるようになってからは、
それまで足元で寝ていたのに、私の顔の横で寝るようになりました。お尻を向けていましたが。
でも、9日の夜は、一度もベッドに来ませんでした。
たぶん、もう上れなくなっていたのでしょう。
10日の朝は、いつもより1時間前に起床、しおんさんはいつも通りでした。
薬の後、いつものようにお風呂場の水を飲みました。そしてそのまま座り込みました。
しばらくすると、ゆっくりと歩いてトイレに行き、その後リビングの猫ベッドに入りました。
元気がないかな、とは思いましたが、久しぶりに、昔のような甲高い声でおしゃべりをしていました。
私もいつも通りに支度をし、出勤時間になったので、
いつの間にか猫ベッドを出て猫タワーの柱の陰にいたしおんさんを猫ベッドに戻そうと抱き上げると、
病院かと思ったのか、全力で抵抗しました。
違うよ、病院じゃないよ、と話しかけ、猫ベッドに寝かせると、しおんさんはまたおしゃべりをし、うとうとし始めました。
一瞬、仕事を休もうかと思いましたが、I love you をたくさん言って、いってきます、また後で会おうね、と声を掛けると、
またきれいな声でお返事しました。
そして、出勤しました。
でも出勤途中、帰宅したらまた点滴してもらおう、でも延命措置だけはしたくない、その日が近づいている、などと考えていたら、
突然、涙があふれて来て止まらなくなり、声を上げて泣きました。
帰宅すると、猫ベッドにしおんさんの姿はありませんでした。
お風呂場にもいませんでした。
私のベッドの上にもいませんでした。
嫌な予感がしていつも病院の日に隠れるテレビ台の下を見ると、そこにしおんさんが倒れていました。
もう、冷たくなって、硬くなっていました。
11日は有休を取っていたので、きれいなうちにお骨にしてあげたいと火葬場へ向かいました。
すると高速道路は珍しく大渋滞。
最後に車の中で、ゆっくりお話ができました。
午後には鳥取に行く用事があったので、そのまま、しおんさんと一緒に行きました。
海外では、棺を乗せた車が、近所や職場など故人に縁のある場所を、ゆっくりとドライブすることがあります。
時に脱走して遊んでいた鳥取の家の周りを、しおんさんと一緒にラスト・ランしました。
いつも丁寧に診てくださった病院の先生は、たぶん尿毒症で最後の2日はもうろうとしていたのではないか、と仰っていました。
おしっこは、もうおしっこの匂いがしませんでした。
延命措置はしたくなかったけれど、本当にできる限りのことをしてあげたのだろうか、
なぜ10日に仕事を休まなかったのか、いろいろと考えました。悩みました。
もう2週間が経ってしまいました。
少し落ち着いてきましたが、しおんさんのいない家は、本当に寂しいです。
I miss her so much.
今まで、しおんさんを応援してくださったみなさまに、感謝いたします。
どうもありがとうございました。
別れはとても悲しくて寂しくて辛くてどうしようもないけれど、
家が必要な子が、日本にはたくさんいます。
もし、皆さんが猫か犬を迎えてあげられるなら、ぜひ、シェルターから迎えてあげてください。
そして、その子を、幸せにしてあげてください。
しおんさんとマミーからのお願いです。
しおんさんのお骨は、いつか生まれ故郷のウェリントンに散骨するつもりです。
紫苑