さとる君はそこにいるのね。
ナムルはそこで寝てるのね。
と、写真を撮っていたら
さとる君はすかさず
こうしてねぇたんのそばに行きます。
ナムルも長年の習慣もあってか、さとる君が張り付くとより落ち着くらしい。
夕方になると
ナムルの活動が始まる。
全ては夕ご飯をもらうため。
昨年1年間はコロナ禍もあったり、ナムルのこともあったりで自分のことはすべて後回しだった。というか、考えられないし、自分のことはどうでもよかった。
ナムルの体調が落ち着いた今、ふと思い出したことがあった。
髪切りに行こう。昨日、1年ぶりにバッサリ切ってもらいました。
久しぶりに他の方に髪を洗ってもらったり、手入れをしてもらったりしたら、あまりの心地よさに寝てしまいそうでした。
髪が短くなったおかぁーはんにさとる君がしばらく戸惑ってそばに寄ってこなかった。
ビビリのさとる坊ちゃん(笑)
昨日は亡きあすかの家族記念日でした。
2000年1月29日。
あすかを迎えるにあたり、我が家ではぱぐおさんの賛成を得ることも出来ないまま、無理やり私が迎えたいきさつがあります。
超箱入り息子で育った慎之助が受け入れるかどうかの心配もあったり、他の諸々の事情もあったりで、とにかくぱぐおさんが
絶対認めませんでした。
ぱぐおさんにも申し訳ない気持ちがありましたが、何度も慎之助を連れてあすかがいたペットショップに行き、慎之助と対面をさせ、
2匹の相性も確認したりしていました。
いつも慎之助はあすかが背中に乗っても怒らず、あすかも安心したように慎之助にべったりくっついて寝たりする。
何度対面させてもそんな様子があったので、慎之助が受け入れてくれていると判断し、これは縁が絶対ある!と思った私は
ぱぐおさんに相談しましたが、当然反対され彼は怒るだけ。もめにもめ、最終的には強引に私が連れてきたのでした。
そんな経緯があったことは私は一生忘れられないと思います。
私が悪いのだと分かっています。それが分かっていても、これだけは譲れなかった出来事でした。
それだけの強い思いと覚悟を持ってあすかを迎えました。
だからどんなことがあってもあすかのことは私が守る。それだけでした。
正直苦しかったこともありましたが、時間は掛かりましたがぱぐおさんも受け入れてくれました。
我が家の初めての多頭飼いはこんな感じで始まりましたが、
あすかは慎之助のことが大好きで、慎之助亡き後はナムルを迎えてみたら、あすかがナムルのことを大好きになってくれて
そしてレスキューでチャッピーがやってきたらどうなるかな?と心配しましたが、3匹になってもあすかはナムルのことが
大好きで、ナムルとチャッピーが大の親友になり、頼りない兄貴あすかを上手にあしらいながら元気印の妹達が盛り上げる、
そんな時間が続いていました。
あすかとチャッピーと続けて失い、ナムルが体調を崩してきたこともあってさとる君を迎えたことでナムルの元気が復活し、
その後はナムルがとにかくさとる君を大事大事に育ててくれて今に至ります。
この時期になるといつもこんなことを思い出します。
私にとって子供のころから犬は家族でした。兄弟でした。いない生活なんて考えられないことでした。
その思いを100%理解してもらえるとは思っていませんが、ただ、全否定されることは耐えらないです。
人それぞれ、色々な思いを抱えている。
その人にしか分からない思いがある。
間違っていたとしても、思いがあることで救われることもある。
それが正しい道ではなくても、頭から否定しないでほしい、私は常にそう思っています。
そして、今もまだこうして犬との暮らしを続けさせてもらえることに心から感謝しています。
決して、当たり前に出来ているとは思っていません。周りの理解があるからできていると思っています。
あすかを迎えた時からずっとこの思いを抱えてきました。
ぱぐおさんに申し訳なく、義理の両親にも申し訳なく思ってきました。
そして、ふと何気なく、犬友達から「ご主人が可哀相」と言われた時は胸に突き刺さり、
落ち込みました。自分なりに精いっぱい頑張って主人のことも、犬のことも思いお世話をしているのに、
それでも主人が気の毒に見えてしまうのか・・・・と知った時は本当に悩みました。
自分勝手に生きてるように見えているのだと知りました。
今の自分は人並以下なんだと本当に辛いことでした。
どうしようもないバカと陰で言われ続けたこともあります。
でも今の私は立ち止まることは出来ません。
立ち止まってしまったら・・・・