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怪談 黒の森 2

2020年03月06日 | 怪談 黒の森(全30話完結)
 闇がひたひたと迫ってくる。おくみの足が速くなる。鬱蒼とした樹々の間から月が時折照らしては隠れる。人家らしきものが全く見えない。
「あ~あ、こんな事なら、右へ行くんだったよ!」
 おくみはぼやいた。このままお天道さんが顔を見せるまで歩いてやろうか、おくみは自棄になりながらそう考えていた。速まっていた足がゆっくりになった。
 しばらくすると、脇道が繋がっていた。細い道だったが、荒れた感じはしない。ひょっとして誰かの家に通じている道かもしれない、おくみはそう思い、その道を進んだ。
「ダメだ、こりゃあハズレだねぇ……」しばらく歩いては見たものの、何も無い。おくみは足を止めた。「……困っちまったねぇ……」
 不安そうに空を見上げる。月は遥か天上に見えた。月明りはおくみまでは届いていない。ほうほうとふくろうの鳴く声がすぐ近くに、聞き慣れない獣の声も遠くに聞こえた。
「……引き返した方が利口だね」
 今歩いている脇道は一本道だった。そのまま戻れば、さっきの大きな道に出る。そこに戻れば、こんな所よりは何とかなる、おくみはうなずきながら踵を返した。
 と、それほど遠くない所に明かりが見えた。あの明かりは人家のものに違いない、おくみは思った。今立っている脇道から森の中へ入って行かなければならないが、ここからさっきの大きな道に戻るよりは近い。おくみは躊躇う事無く、森の中へと足を踏み入れた。
 手にした笠と杖で枝葉を掻き分けて進む。しかし、足元が覚束ない。何度も転びそうになり、その度に舌打ちをしたり笠と杖を振り回したりと、八つ当たりを繰り返した。
「全くの話、こちとらこんなに苦労してんだからさ、明かりの方から寄って来てくれないもんかねぇ!」おくみは理不尽な事を言いながら歩いた。「これじゃ、辿り着く前に死んじまうよ!」
 それでも、何とか明かりにまで辿り着いた。明かりは掘っ立て小屋から漏れていた。小屋の周りはいくらか手入れされていて剥き出しの土と短い草が生えていた。小屋から漏れてくるのは明かりだけではなく、焼き物の香りもしていた。途端に、おくみの腹の虫が大きな声で鳴いた。
「ちぇっ! 腹の虫は正直だねぇ……」
 おくみはぽんと自分の腹を叩いた。それから襟元を整え、鬢に手櫛を入れ、着ている物を打ち払って付いていた草葉や小枝を落とし、ううんと軽く咳払いをすると、出入りの戸をとんとんとこぶしで叩いた。
「……もし、こんばんわ……」おくみは思い切り余所行きの声を出した。「夜になって難儀をしております。一晩お邪魔させて頂けませんでしょうか……」
 言い終わると、おくみはじっと聞き耳を立てた。ごそごそと動く音がする。……しめしめ、上首尾だ。おくみはほくそ笑む。
 突然、戸が開いて、目の前に男の顔が現われた。
「わっ!」
 おくみは驚いて腰を抜かした。男は座り込んでいるおくみを見下ろした。月代と無精髭の伸びた無愛想な浪人者だった。


つづく

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