土崎港☆下酒田町BLOG☆201○

来年は…。「土崎港曳山まつり」下酒田町のex.曳山実行委員会が発信するブログです。

そもそも・・・(町の紹介)

2005年09月11日 | 町の紹介
ネタ的に祭りという季節でも無くなってきたので
ちょっとの間、町の紹介なんかをアップしていきたいと思います。

まずは、そもそも下酒田町とは?

プロフィールにも書いておりますが、
安藤氏の時代に、お隣山形県酒田市からの移住者によって開かれた町、
と、伝えられており、
古くから湊の玄関口として栄えた町であるそうです。

(秋田藩家老)「梅津政影日記」の慶長19年(1614年)10月の条に
「湊酒田町」の名が見られることから、
佐竹氏が秋田に入った江戸初期のこの頃には、
既に町として形成さらたものと考えられております。

ちなみにこの頃までに現在でも湊8丁と呼ばれている
新城町、上・下酒田町、永覚町、加賀町、小鴨町、萱村町(肴町)、菻町の
町割が同様になされていたとの事。
そうなんですね。

NTT東日本秋田支店企画のWEBサイト「いいまち秋田」http://www.iimachi-akita.jp/」でも
紹介されておりますが、
我が土崎でも有名な寺院「蒼龍寺」さんなんかも
町内にあった回船問屋関係の方が建立に携わっているとの事ですし、
その歴史には重みを感じますし、
やはり、絶やしてはいけない!と、改めて実感もいたします。

続いて、町の鎮守、ですが、これは以前も書いておりますが、
五社神社になります。
神社について詳しくは後日改めて書きたいと思います。

現在の町内会長は細川護さん、氏子総代は谷野総一郎さんです。

また、町紋は“唐扇”、大相撲の行事が手に持っている軍配ですね。
ただし現状由来については不明で、今後調べて行きたいと思います。
お隣上酒田さんとは明らかに違う紋なので何か理由はあるのだと思いますが…
なお、竿燈まつりに参加している
「本町6丁目」さんも同様に唐扇の紋を使っているようですが、
この関係については、まったくもって、不明です。
そもそも商人の町であったはずなのに、なぜ、軍配なんでしょうか。
いろいろ調べなきゃいけないことは山積です。

最後に、現在地は土崎港中央1丁目、西2丁目の一部、で、
東は山道通りの1本本町通りよりの小路、
西は7号線を挟み通りに面した屋や+マンボー釣具さん、
南は細川レコードのある通り、
北はめしやさん、焼肉の松園さんのある通りまでの区画です。
ほんと、狭い(汗
以前は、NTTやつるまいなど目印も多くあったのですが、
現在は…どこなんでしょう?
世帯数は50前後(公称)、班数は5つとなります。

以上、簡単ながら、改めての紹介でありました。

どうにも、文章がまとまらず、ここまで書くのに2日かかりました(苦笑
わかり辛い点もあるとは思いますが、ご愛嬌。ご了承下さい。
と、最後は逃げてみました。

※上記内容の一部を町内岩谷さん調査によるものを参考といたしました。
ありがとうございます。

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