野球の練習で、1000本ノックというものがある。
ボクは、野球はやっていなかったので、映像で見るだけだったけど、今でもそういった練習はあるのだろうか?
次々にノックを放ち、それを取り巻くる。
ヘロヘロになって、それでもかけ声をあげながら、そしてついにグランドに倒れこんでしまうまで。。。
ボクは、テニスだったので、そういったものはない、と言うことはなくて「ふりまわし」っていうものがあった。
それも、今あるのかどうかは知らないけれど、根性論全盛だったあのころは当たり前のトレーニングだった。
ネット際に先輩が立ち、ボールを一度バウンドさせる。
エンドラインにいるボクは、その瞬間にダッシュしてボールを拾いに行く。
そしてラケットを伸ばして打ち返す。
でも、先輩は意地悪なほど微妙なところにボールを打つので、手が届かない。
ネット際にダッシュすれば、ロブをあげられてまた後ろへなんてこともある。
あるいは、先輩二人とボク一人でストロークをしながら、右へ左へ前へ後ろへと振り回されることもあった。
いったいどれくらいの時間やったのかは思いだせないけれども、本当に倒れてしまいそうなくらいにきつかったのを覚えている。
何であれ、おかげで体力もメンタルも鍛えられた。
子ども未来研究所は、子どもたちのためのアートセラピーを提供する。
「子どもたちにアートセラピーの場を提供したい」と言う夢を持った、クエストの卒業生たちが、教室を主宰していく。
自分の住む地元で、あるいは縁のある地域で。
かれこれ15年以上たって、30教室以上が独立し開校している。
その開校にあたって、セラピストになる卒業生に、ボクは「10本ノック」と称して、それはそれは厳しい厳しい(^^)トレーニングをしている。
スタート前に、いろいろな準備があるのだけれど、その中でボクは彼らが創るプログラムの内容を指導している。
10種類のプログラムを作ってもらって、それについてビシバシとフィードバックをしていく。
「これオモシロくない」
「幼児に、この言葉わかんない、むずかしすぎ」
「このワーク、オリジナリティがない」
などなど、結構辛辣なことを言ってしまう。
でも、そのプログラムのもとで、子どもたちがイキイキと自分らしく表現をするには、とても大事なこと。
ここは、手は抜けないのです。
セラピストたちは、ボクのフィードバックに(多くの場合)ガックリきてしまうのだけれど、必ずその中に、きらりと光る、そのセラピストならではのプログラムがある。
自分のことって、意外と自分ではわかっていない。
いいもの創ろうとすればするほど、本人らしさから遠ざかってしまうことがある。
いいもの、じゃなくて、自分が楽しくて面白いって思うことを、プログラムにしていけばいいのだけれど、最初はなかなかそういうわけにはいかない。
実は、この10本ノック、ボク自身がそのきらりを見つける楽しみがある。
セラピストたちは、こわごわやってくるのだけれど、ボクは内心ニマニマなのであります。
今夜も、クラスを主宰する、新しいセラピストがやってきます。
さて、どんなキラリが見つけられるのか、、、、オタノシミなのであります。
ボクは、野球はやっていなかったので、映像で見るだけだったけど、今でもそういった練習はあるのだろうか?
次々にノックを放ち、それを取り巻くる。
ヘロヘロになって、それでもかけ声をあげながら、そしてついにグランドに倒れこんでしまうまで。。。
ボクは、テニスだったので、そういったものはない、と言うことはなくて「ふりまわし」っていうものがあった。
それも、今あるのかどうかは知らないけれど、根性論全盛だったあのころは当たり前のトレーニングだった。
ネット際に先輩が立ち、ボールを一度バウンドさせる。
エンドラインにいるボクは、その瞬間にダッシュしてボールを拾いに行く。
そしてラケットを伸ばして打ち返す。
でも、先輩は意地悪なほど微妙なところにボールを打つので、手が届かない。
ネット際にダッシュすれば、ロブをあげられてまた後ろへなんてこともある。
あるいは、先輩二人とボク一人でストロークをしながら、右へ左へ前へ後ろへと振り回されることもあった。
いったいどれくらいの時間やったのかは思いだせないけれども、本当に倒れてしまいそうなくらいにきつかったのを覚えている。
何であれ、おかげで体力もメンタルも鍛えられた。
子ども未来研究所は、子どもたちのためのアートセラピーを提供する。
「子どもたちにアートセラピーの場を提供したい」と言う夢を持った、クエストの卒業生たちが、教室を主宰していく。
自分の住む地元で、あるいは縁のある地域で。
かれこれ15年以上たって、30教室以上が独立し開校している。
その開校にあたって、セラピストになる卒業生に、ボクは「10本ノック」と称して、それはそれは厳しい厳しい(^^)トレーニングをしている。
スタート前に、いろいろな準備があるのだけれど、その中でボクは彼らが創るプログラムの内容を指導している。
10種類のプログラムを作ってもらって、それについてビシバシとフィードバックをしていく。
「これオモシロくない」
「幼児に、この言葉わかんない、むずかしすぎ」
「このワーク、オリジナリティがない」
などなど、結構辛辣なことを言ってしまう。
でも、そのプログラムのもとで、子どもたちがイキイキと自分らしく表現をするには、とても大事なこと。
ここは、手は抜けないのです。
セラピストたちは、ボクのフィードバックに(多くの場合)ガックリきてしまうのだけれど、必ずその中に、きらりと光る、そのセラピストならではのプログラムがある。
自分のことって、意外と自分ではわかっていない。
いいもの創ろうとすればするほど、本人らしさから遠ざかってしまうことがある。
いいもの、じゃなくて、自分が楽しくて面白いって思うことを、プログラムにしていけばいいのだけれど、最初はなかなかそういうわけにはいかない。
実は、この10本ノック、ボク自身がそのきらりを見つける楽しみがある。
セラピストたちは、こわごわやってくるのだけれど、ボクは内心ニマニマなのであります。
今夜も、クラスを主宰する、新しいセラピストがやってきます。
さて、どんなキラリが見つけられるのか、、、、オタノシミなのであります。
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