弱腸亭日常 -とぜんさう拾遺-

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CCUから二人部屋

2004-07-29 | 心臓弁膜症
メモが出てきた。
たぶんこの日の朝、CCUから車椅子に乗せられて、大部屋へ。
まだ寝たっきりなのに、CCUが満員になったのだろうか、ストレッチャも使ってくれなかった。
あとで看護師さんに聴くと「顔色が白かった、顔色が無かった、青白かった」等々。
大部屋とはいえまだナースステーションに隣接した二人部屋、ベッド間のカーテンは閉めっぱなし。
ここで一週間ほど過ごす。
となりのベッドに今心臓が三十秒ほど止まったという人が担ぎこまれるなど、なかなかに波乱万丈。

MRI、CT、エコー、レントゲン(寝たまま、立って正面向いたり、横向いたり)いろいろあったのだが、日時どころか、順番も覚えていない。メモもつけてない。

くしゃみをするとメチャクチャ痛い。退院して検査に来た先輩が見舞いに来たので聞いてみると、やはり痛いそうだ。

超能力

2004-07-27 | 心臓弁膜症
思い出して書いておく。
眼を開けていると確かに病室だが、眼を閉じると異国の風景がまざまざと見える。すごいときは左上、右上、中央、左下、右下と同時に五つも。二日くらい続いた。インドあたりの街角の風景、別に事件は起きない。
麻酔の影響か?さすがに恥ずかしく、看護師さんにも訊けなかった。

何しろ気持ちが悪く、ひどい吐き気ですっかり膿盆さんとお友達になってしまった。看護師さんに外国語を習ったんだが、英語だったかドイツ語かも忘れちまったぜ。(ガーグルベースか?) ほっぺに膿盆跡がくっきり残ってて、もちろん食欲なんか無し、喰わなくたって点滴してるからOKなんだってさ。ICUを国際基督教大学と間違うギャグを入院前から用意していたのだが、使うほどの余裕なし。

血液中の酸素量も少なく(97%未満)鼻からチューブで酸素吸入。測定はパルスオキシメーター(指先をクリップ状のもので挟み、爪の色で見ているようだ)

寝る前には導入剤、痛み止め(師長さんに「量は病院の方で管理しているから大丈夫、心配しないで飲んでくださいね」と言われたが、がんばって早く止めた)

大動脈弁置換手術

2004-07-26 | 心臓弁膜症
思い出して書いておく。
前日の二十一時から飲食禁止。時間寸前に見舞いで貰ったみかんをがっつく。下手すりゃこれが最後の食い物なんて、すこしは考えてたりする。念のため、もちろん病院で出される食事以外は禁止なのですよ。
手術着とかいう腰くらいまでの薄っぺらい前の開く衣裳、下着はふんどし(そんなもの絞めたこと無いので看護師さんに訊く)
同室のおじさんと同時の手術、おじさんはバイパス、手術室の手前でストレッチャの上同士で「また合おうね」とエール交換。
看護師さんたちに「がんばって!」とか言われ「がんばるのは私じゃないよ。執刀医さんに言ってくれ」と可愛くなく答えると「手術の後でがんばるの」と返され、負ける。
手術時間が八時半より十六時半までの予定だったが延びたそうだ。貧血、弁の大きさが予定と違ったためだそうだが、本人は寝てただけ。
記憶しているのは、手術室に入ったところで氏名と手術箇所を言わされた事、大動脈弁だけでいいのに閉鎖不全まで言ってしまい、ちょい受け。氏名はともかく、手術箇所まで言わされるとは予想していなかったんだい。そのあと大勢に持ち上げられ、たぶん手術台に載せられたんだと思うが、次に気がつくとナースコールをしっかりと握り締めてベッド上で寝ていた。麻酔が実に良く効いたんだろう。看護師さんの話では、そういう人も時々いるそうだ。
手術後、半覚醒状態で口にチューブの入ったままの状態で、付き合わされた家族と面会したんだそうだが、そんな夢を見たような程度にしか覚えていない。が、ちゃんとウケをとったそうだ。エライね、おれ。
そのままICU=CCU(循環器系の集中治療室)で三日間、最初の夜は十五分おきくらいにナースコールしていたような。右向かせ、今度は反対、etc.担当看護師さま、ご面倒をおかけしました。なんせ体中チューブだらけ、首(たぶん心臓モニター?)腕に点滴、腹にドレーン×2、非常用ペースメーカ用金属線、下腹部にお小水用。薬のカバーを破って中身を取り出す力もない。看護師さん頼り。飲むのも二錠くらいしか一度に飲み込めない、今なんか五、六錠まとめて飲んでるのに。

手術後左手の小指、薬指がしびれていて、「PCが出来ん、ピアノが弾けん!」と担当医を脅かしたが、ドクターの言うとおり二ヶ月ほどで直った。血行が悪かったのであろうか。そういえば現在、足先がすぐ冷えたり、脚を組むと痺れやすくなったようだ。あ、ピアノはもともと片手づつくらいしか弾けんのじゃよ。
 
夢で何か黒い気体が満ちてきて、囲まれると死んでしまうんだと思い逃げたが逃げ切れず、回りが黒くなってしまい、あ~あ、死んじゃったんだと思ってたら、翌朝目が覚めた。

手術準備

2004-07-25 | 心臓弁膜症
思い出して書いておく。
今度は肩から膝まで。前回のがまだ復活していないのに。腋だけ看護師さんに助けてもらう。女の人は大変だなァ。
日曜なのに麻酔医さんが説明にきてくれ、一緒にベッドに腰掛けて、色々と細々聴かれた。歯が抜けそうな状態かまで診られた。日曜だが特別に入浴し体を清潔にする、特に臍だけは看護師さんが後から掃除に来るが、普段からきれいにしている成果でほめられたんだい。

この前日手術時に必要になったときのため(自己輸血)に、400ml採血?結局使わないですんだそうですが、どこへ行ったんだろう。ま、輸血しなかったんだから、肝炎、HLVの心配は要らない。それにしても、それほど失血させなくても心臓手術ができるなんて、医学の進歩は素晴らしい。ちょっとゴマスリモード。ついでに書くと、手術箇所を縫ってないんだ、接着剤使用なので、何針縫った?とか聞かれても困る。

採血のときの機械の調子が悪く、むやみに時間が掛かったが、どうも看護師さんと技術者が妙に仲良しで、わざと長く掛けたんではと…。

二回目の入院

2004-07-22 | 心臓弁膜症
思い出して書いておく。
荷物はほとんど退院したときのままなので、特に準備は要らなかった。
手首のベルトも出来ていた。
今回は検査は現状確認だけで即手術へ。
イソジンでのうがいはきつい。

胸骨を真二つに割って(魚の開きかい)心臓をいじくる、その間人工心肺使用なんだってさ。終わったあと、胸骨は針金で縛っておくんだと。予想とずいぶん違う。
もう覚悟決めてるのに、インフォームドコンセント?、一年に一人くらいはヤバいみたい。
生体弁はブタ、ウシ由来で、ニ、三ヶ月で抗凝血薬ワーファリンの必要はなくなるが、経年変化があり再手術の可能性、高齢者か出産希望の女性に勧めるものだそうだが、ネットで調べるとシュワルツェネッガは生体弁で再手術までを受けたようだ。
人工弁は生涯ワーファリンが必要だが、丈夫なのでそれこそ一生持つ。で、もちろん私は人工弁を選択する。
参照人工心臓弁について

異常に暑い(39℃とか40℃)日が続いた後だった。
病院内は22,3℃のはずなのだが、今年の暑さは病院の冷房能力を超えていたようだ。