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せった風情

雑多です。いろいろ書きます。好きなこととか趣味なこととか。

新年あけましておめでとうございます

2019年01月05日 | 日記
2019年。平成から〇〇へ。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

今年は「マメに記事を書く」ということに心掛けていこうと思います。
そんなにネタがあるのかという問題がありますが

継続は力なりという言葉もありますので
コンスタントに続けていければいいなぁと思ってます。

amazonの初売りには乗れませんでした。
思わずmicro SDカードを(カセットテープのメディアコンバート用として)
買ってみようかしらって思ったんですが
気が付けば終わってました。がっくり。

押し入れから40年以上前のカセットテープが出てきたので
早いところ何とかしなければと思っているのですが
なかなか動けないのです。

やることいっぱいあるなー

優先順位を考えると、
トシ取ってくると「あーこれは今すぐじゃなくてもいいかな」とか
思うことも多くなってくるのでした。

「これって無理くりやんなくてもいいよね」って思えることも増えてくるってところが
残された時間がそんなにないってうすうす感じてきてるからこそなのかもw

いやはや。

一番大切なことってなんだろー
そんなことも考えていくトシにしたいと思います。
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御巣鷹山鎮魂

2005年08月12日 | 日記
日航機墜落事故からもう20年。早いもんだ。
今年は20年という区切りの年でもあるせいか
各局軒並みで特番を組んでいた模様。
ドラマ仕立てもあり、検証も含む再現もあり。
そんな中で、事故調査委員会の「圧力隔壁が原因説」に
異論を唱えているひとびとにスポットを当てていた局もあった。

俺からすれば、なぜ、今頃になって?、である。

ネットを見渡しても、著述されている出版物でも
既に立ち上がって運動をしているひとも、この20年の間にいたのである。
それで、20年も経ってしまった今になって
やおら重い腰を上げるようにそういう人たちに注目するのである。

もっと早くできんかったのか。

事故調がなぜ、相模湾に落ちた垂直尾翼の破片をもっと捜索しなかったのか。
圧力隔壁の修理ミスということで
ボーイング社に責任をかぶらせて終結させてしまったのか。
国を挙げて隠蔽しなくてはならなかった原因が
実は垂直尾翼の黒い跡に表れていたのではないか・・

というのを、なぜもっと早くにメディアは
取り上げなかったのかがとても分からない。
それこそ、何らかの圧力が掛かっていたのでは、と憶測してしまう。
メディアの表現の自由は守られているというのが大前提のお題目だけど
国家の力でそういうのは何とでもねじまげてしまえるように
出来ているのかもしれない。

節目の20年で、別に原因があったのでは、と今更だと思う。
でも、本当の事故原因の解明が出来なければ
--もし他に原因があったとしてそれが隠蔽されているとすれば--
これはいくら時間が経っていても、解明されなければ
昇天した500余名の犠牲者が浮かばれない。

ボイスレコーダーは、何度聞いても、悲痛だ。
何とか機体を立て直そうとする機長とコパイと機関士の壮絶な闘いの断片。
支援すると呼びかける米軍。
それに応答出来ないほどコクピットは回復に努めていたのだろう。
そして、降下警報音。そして「もうだめだ」の声と、大きな接触音、録音停止・・

大きな棺に身体の一部分だけしか納められなかった遺体。
それらをてがかりに探す遺族。

いろいろなことが交錯した、この悲しい事故。

これを風化させることなく
たとえ何十年掛かってもいいから、真実をつきとめてほしいと思う。
黙っている人は、真実を語ってほしいと思う。
もうとうに時効は過ぎているのだから・・

参考:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%88%AA%E7%A9%BA123%E4%BE%BF%E5%A2%9C%E8%90%BD%E4%BA%8B%E6%95%85

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日航機墜落:残存機体保存へ資料館建設要望--遺族の連絡会

85年8月12日の日航ジャンボ機墜落事故の残存機体について、事故の遺族でつくる「8・12連絡会」(美谷島邦子事務局長)は11日、保有する残存機体を保存・展示する「保管資料館」建設を求める文書を日本航空に提出した。同会が展示施設の具体的な要望をするのは初めて。同会は事故原因の究明や事故風化を防ぐため、残存機体の保存を求めていたが、日航は約30点について、将来的には廃棄する方針を示している。【杉本修作】

毎日新聞 2005年8月12日 東京朝刊

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/archive/news/2005/08/12/20050812ddm012040126000c.html

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だから、なんで「将来的には廃棄する方針」なわけ?
・・って小一時間突っ込みたい気分。
20年前にあれだけ最悪な事故を出したJALがそういう遺物を「廃棄」って。
だめでしょう。

いいじゃないですか、資料館に展示して、事故を風化させない!
JALからはもうそんな事故は起こさない!
真相究明に役立ててもらう!

企業イメージが上がるか下がるか。
どっちが価値が高いかよーく考えてみたら小学生でも分かる話じゃない?

ホント、20年経った今もなお、隠蔽しようとしてるニオイがぷんぷんします。
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谷村新司の純喫茶

2005年06月09日 | 日記
チャリで通勤途中に聴いてるのはMP3プレイヤーで洋楽だけ・・というのをちょっと破ってみたい、って思って、手持ちの携帯ラジオにいつものヘッドフォンをつなぎ替えてチャリをこぎながら聴いてみた。FMを聴いてたんだけど、福岡タワー近辺で混変調のせいかギーギーとうるさくて聞こえないので、AMに変更した。

すると、あの「青春キャンパス」(古いなー)でおなじみだった、ちんぺいこと谷村新司が「純喫茶」っていう短い枠の番組をしてたのが耳に飛び込んできた。話のネタは、通販でなぜか激安だったレース多めのラインが出にくいパンツを買った女性からのハガキからで、さっそくそのパンツをはいて外出したところ、歩くたびにどんどんずれてきて最後にはTバック状態になってしまって、しかも多めのレースがくいこみついでにお股ですれてタイヘンなことになったって話・・。このネタ読みのあとに延々とパンツ関連ネタで盛り上がって、10分枠?はあっと言う間に埋まってた。すごいぞちんぺいさん。

俺が中学生の頃に「青春キャンパス」を聴いて爆笑してた頃を思い出してしまった。もちろん、自転車をこぎながらにやけていたのは言う間でもない。ああ恥ずかしい。

いやはや、AMラジオってあなどれない。ラジオって音楽ばかりが能じゃないんだな、って改めて実感。ながら聴きで楽しめるメディアってなかなかないんじゃないかな。テレビでも音だけ聴いて画は必要だと思った時に目をやる、っていうヒトも多いし。

放送の原点は、やっぱり、ラジオっぽいです。はひー
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警備の警察官

2005年06月09日 | 日記
中国領事館のあたりは最近福岡県警の警察官による厳重な警備が続いてる。
通勤でよく通りかかるんだけど、こん棒?を携えてじいっとしてるのは
いつもなんだか気が重くなってた。

「暴漢とかには容赦なくあの棒でばっしばっし叩くんやろなぁ~」と思うと何だかなぁ。

そんなある日、チャリで急ぎ気味で通り過ぎようとしたら、何と!
「おはようございます!」って朝の挨拶が警官から!!
耳を疑った俺。やっぱりその姿だけでイメージが悪くなってくるということに
気がついたのかどうかは分からないけど、意外で驚いたけど
なんか立場が違うだけで同じヒトなんだよなぁって。挨拶ひとつ出ただけで
そう感じてしまいました。わたくし。

昼の帰り道でも「こんにちはー」って言うひともいる。
しないひともいるみたいだから本部からのお達しというわけじゃないみたい。
せったはチャリ移動の時は何かしらの音を聞くためにヘッドホンをしてるんだけど
挨拶に気づかなかったりすることも多くて。会釈だけですませてる今日この頃。

でもさすがに声を合わせて「おはようございまーす」っては言えないよなぁ。
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JR福知山線列車事故<JRの対応のまずさ

2005年05月03日 | 日記
体質だけの問題か。ひたすら不利益なものは覆い隠そうとするJR西日本の態度にはほんとにはらわたが煮えくりかえる思い。 被害に遭ったマンションの住民の一部に「家賃補助は15万円まで」とか「GW中は(一時的な仮住まいのための)ホテルも混み合うのでどこか旅行に出かけられてゆっくりされたらいかがか」ってぬけぬけと言い放ったらしいJR西日本。15万じゃないでしょ。精一杯の誠意を見せてあげなくちゃ。自分の住まいでたくさんの負傷者が出てしまったのに、旅行出来るような気分じゃないでしょ?普通に考えたらそんな逆撫でするような言葉は出てこないはずなのに・・。 遺族の元で謝罪をしている社長から出る言葉も、どうしてそういうシチュエーションでそういう言葉しか出ないの?って思えてしまうような言葉を選んでしまっているのが本当に情けない。 それと、遺族らが立ち上がって被害者の会を結成するために名簿の提供をJRに申し入れたご遺族の方に「プライバシーの観点からお伝えすることは出来ない」と言い切ったらしいけど、そういうのも何で堂々と提供してあげないのかな。プライバシー云々っていうお題目で断れるような状況じゃないと思うけど。火の粉が降りかかるような種は蒔きたくないっていうのが理由だろう? 置き石があったものとみられそれが原因で脱線したのではないか、とか、事故直後によく会見で言えるもんだな。運転士と車掌のオーバーランの口裏合わせとか車掌と会社の間で「スピードは出ていなかっただろう」と調書を勝手にまとめたり。こまかいことでどんどんどんどん信用をなくしていることに、早くJR西日本のえらいひとたちは気づかなくてはいけない。って思う。
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教えるということ

2005年04月27日 | 日記
人にものを教えるということがこんなに大変なことなのか、と 毎年のように思う、春。 自分の経験をもとに仕事のテクニックやごまかしかた(!)を 教えるんだけど、これがまた何とも難しいったらありゃしない。 まず、自分が出来ないことは教えられない。 だから、自分が出来るようになってなくちゃいけない。 じゃないと、教えたことを自分が失敗してたら とても恥ずかしい思いをしなくちゃいけないから。 だから、がんばるんだけど、疲れる。 教えるということは、伝えるということ。 伝えるということは、言葉にしなくちゃいけないということ。 言葉にするのには、エネルギーがいる。 わかりやすい言葉で、できるだけ正確に、端的に表現しなくてはならない。 きちんと相手に伝わっているのかどうか、時々は確認もしなくちゃいけない。 ひとりよがりにならないように・・。 だから、がんばるんだけど、疲れる。 春は疲れる。 もうこういう春を何度経験してきたことだろーか。 22で就職して、2年は教えられる立場。先輩には迷惑を掛けただろう。 そのあと、転職。転職後すぐは職場の先輩から教わる立場だったけど 翌年からは新人の先生として、この疲れる春がスタートしたのだが・・ と考えると、もう10年弱もこういう春を迎えてるということになる。 今まで育てた後輩がやらなくちゃいけないことだろうと思うんだけど みんなしっかりやってくれてるんだろーか。 ・・と思うと、自分がやってきたことが果たして 正しかったのか間違っていたのか 誰か教えてくれ!って思うこともある。 いやはや。春は何かと疲れる季節だ。
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越路伽哩

2003年11月29日 | 日記
ふっと思い出した。六本木時代に六本木通りのすぐそばの雑居ビルの1階にあったカレー屋で食べてたことを。入り口に「なんとかかんとかの店」って書かれてあったなぁ、とか。 で、Googleで調べてみたところ、あった。名前を「越路伽哩」といい、「入口に「勤労青年の店」という不思議なボードがでていたが、今はない。」とそのホムペには記されていた。なんか、ヒルズが建つ前に六本木六丁目再開発地域ということで移転したらしぃ。確かにこないだ行った時に跡形もなく雑居ビルはなくなってたけど。 あぁ。早く思い出しとけばよかったよ。今は西麻布三丁目で営業してるそうな。今度とーきょー行く時は絶対行こう。 参考ページ:http://homepage2.nifty.com/azabu-wine/restaurant/hontonocurry1.htm
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