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SurfinSkiの冒険

古希を迎えて0年、いつまでもサーフィンとスキーをやりたいがもう引退すべきオジサンの徒然なメモリー。

桜散って徒然考

2013-03-31 13:03:11 | 社会・経済・生活

波チェックするも花冷えの寒さが優り早々に波乗り中止を決定。

アベノミクスなるキーワードがマスコミを賑わしてその独り歩き効果で円安株高にトレンドしている。実体経済は何も好転していないというのが実態であろう。果たして日本経済は復活するのか?

・少子高齢化と生産人口の減少=消費(内需)の縮小

自分はこの構造を変えない限り日本経済は復活しないと考える。外需に邁進しようにも従来のように「日本製なら」という状況ではなく特化された技術は多くない。

とにかく若者に正規雇用と希望を与え子供を生み育ててもらう・・・・・には現在の逆の発想はどうだろう?

1.企業の労働力を若手にシフトする。例えば55才定年として代わりに若者を雇用する。

2.定年された方には年金を支給(1次的に消費税upか新たな国債発行が必要)。年金は有効期限付き商品券で支給し1年以内に消費していただき国庫に還元される。

3.結果、消費(内需)は拡大しその余裕で研究開発や外需への取り組みも強化できる。

従来型の箱物公共投資よりも効果があるのではないでしょうか


鎌倉

2013-03-24 19:26:15 | 鵠沼の文化

今日は3mmウエットのヒップの剥がれをゴムで修理する。よって乾くまで数日使用禁止。サーフィンも小休止だ。妻と江ノ電で花見にいざ鎌倉へ。のりおりくん利用。Ie2


自宅-柳小路駅から江ノ電-鎌倉駅-徒歩で農協-小町通-市役所通りを北へ-大仏-長谷駅から江ノ電-稲村ヶ崎駅から徒歩-七里ヶ浜駅から江ノ電-江ノ島駅から徒歩-浜野水産でシラスとメカブ購入-境川桜-湘南海岸公園駅から江ノ電-柳小路駅-自宅

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2013-03-23 14:09:25 | 生涯スポーツ

晴れているが薄く雲がかかりやや予報よりも寒さが残る。1006いつものゴッデスデッキ前から入海。オフショアのセット腰。アウトから大きめを待ってうねりからテイクオフ、レギュラーにボトムターンして斜めにスピードに乗る・・・・が岸の手前30mでスローダウン。今日はインサイドに深みがあってほとんどがこのパターンだ。岸まで乗り継げたのは2.3本のみ。1203フィニッシュ。終了前後は風が止みしっとりメロウな波でああ好い感じ(清少納言なら「いとをかし」)。

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腿腰

2013-03-20 16:26:16 | 生涯スポーツ

1028鵠沼海岸ゴッデスデッキ前からロングボード9.4で入海。波は腿腰だが予報よりやや早く風は北から南へ。祝日で混んでいるがなんとかテイクオフ、レフトへ回して斜めに岸まで・・・。気温も暖かく3mmのロングジョンに長袖タッパーでちょうど良い。徐々に南風が強まり面が凸凹してきて1130フィニッシュする。いつもより短めの1時間だがそこそこ楽しめたかな。ありがとう。

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そうそうボードを積んで海まで行くビーチクルーザーのギアとチェーンが滑り出してきた。もう少し頑張ってほしい。

 


腰腹

2013-03-06 16:46:02 | 生涯スポーツ

今日は午後から定期健診で会社はお休み。1001から1130までゴッデスデッキ前にて入海、腰サイズの形良い好い波、アコちゃん遭遇でコミュしながらロングボードサーフィンを楽しむ。人数も少なく予想外の当たりでした。

夕方の好い写真が撮れたらアップする予定。

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サーフィン/スキー考ー1

2013-03-03 17:38:34 | 生涯スポーツ

本ブログを書く上ではやはりサーフィンとスキーに関する自分の所見を述べておくのが順序なのかもしれない・・・・・・・

確かにユーミンのサーフ&スノーという一斉風靡した文化が自分のリソースに相当な影響を与えていることは否定できない。
自分が大学に入学した
1974 年にはサーフィンなんてやる気も経験も皆無。スキーだけに集中しこれ以上のスポーツは無いなんて思っていた。志賀高原の雪山という大自然と向き合いその優しさに癒され、その厳しさにたたかれ、その偉大な力に挑んでいた。

大学4年間は毎年100日前後スキーをしていた。志賀高原一の瀬の下から見て左の回転バーンがホームゲレンデ(ピステ)、宿舎は老舗のホテル大六山荘だ。1978年卒業し会社に勤めだすと休日スキーということで車で金曜の夜発、万座温泉や苗場に25:00頃着、日曜の昼過ぎに帰路について20:00頃自宅着というパターンを繰り返した。1984 年万座スキー場での出会いから結婚、新婚旅行はスイスはサンモリッツスキー。1987年ちょうどホイチョイプロの「私をスキーに連れてって」がヒット、スキー場は若者で溢れていた。今は懐かしきバブルの時代である。

・・・・続く・・・・

子供が生まれてもスキーへの情熱は冷めづ、渋峠スキー場で生後数カ月の子供をおんぶして滑っていた。おかげで子供たちはスキーを覚えた。人生80年の前半、スキーというスポーツが自分の生活スタイルや生き方を定める大きな要素となった。

1994年40才、藤沢に転居して3年程経過したある日、片瀬山PINYで学生時代のスキークラブ友人(MK子)とばったり遭遇、さっそく食事会をして聴けば彼女のご主人が39才でサーフィンを始めたという。アルコールパワーで誘われて7日後には中古のロングボードがガレージに届いて8日目には早朝6時に鵠沼海岸で初めてのサーフィンにトライしていた。海は深いし波はあるし40才のおじさんが若者のスポーツ、サーフィンなんてできるのだろうか?そんな40才の6月ある日、M君が数本解説付きの手本を見せてくれた後、腰サイズの波に合わせてテイクオフした。テールを手押ししてもらうことでボードはうねりから滑り出した。後ろから「立て」の声に立ち上がるとスピードにのったボードは以外にも安定して水族館までのロングドライブ・・・・その気分は感動以外の何物でもなく一瞬にしてとりこになった。

それから週末サーフィンを続けて18年が経過、スキーは止めて冬の週末もスキーじゃなくてサーフィンをした。2013年60まであと2年、そろそろスキーを復活させてこれから70才まではサーフィンとスキーを両方のんびり楽しむ期間としたいと考えている。スローでメロウなライフステージを楽しみたいなあと思う・・・・のだが日本国の事情で年金の減額や支給年齢延長、会社の定年延長などどうも仕事をさせられそうな気配濃厚だ。諦めることなく冷静に健康と筋力を維持し来るべきその日々にそなえることが重要である・・・・・・・・・・本ブログはそんなオジサンの計画と実現までの経過を都度ライブでつづる徒然メモリーである。


リハビリサーフィン

2013-03-03 13:58:17 | 生涯スポーツ

1/27以来33日ぶりにサーフィン。1010ゴッデスデッキ前からロングボードで入海。インフルエンザにノロウイルスで海から遠のきつつ復帰できるか一抹の不安を感じていたが、喪失していたパワーと勇気を海からもらう。まるでリハビリのような状態だったが徐々に慣れてきて後半は小波を狙ってそこそこ楽しめた。少しづつパドリング筋を鍛えていこうと思う。1151フィニッシュ。

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