1994年のリレハンメル五輪のイタリア代表、オラツィオ・ファゴーネ選手(37)。右足切断から9年近くを経て、アイススレッジホッケーの選手として復活を果たした。ファゴーネ選手は今、再び最高の舞台に戻った喜びを静かにかみしめている。
氷上専用のそりに乗り、スティックで氷をかきながら動くアイススレッジホッケーの会場「エスポジツィオニ」で、7日(現地時間)に行われたイタリアと日本の練習試合。慣れ親しんだはずのリンクで、背番号68のファゴーネ選手は、ややぎごちないスティックさばきで必死にパックを追いかけていた。
ショートトラックで、88年のカルガリー大会から3大会連続で五輪に出場し、リレハンメル大会の5000メートルリレーでは金メダルに輝いた。
交通事故に巻き込まれたのは、長野五輪に向けてトレーニング中だった97年5月。オートバイで練習場に向かう途中、対向車線をはみ出したトラックと衝突し、足をひかれた。
はっきりした意識の中で見た自分の足は「もうスケートはできない」状態だった。右足を切断、左足にもマヒが残った。「人生は終わった」。打ちひしがれながら、1年半を病室で過ごした。
それでも、ショートトラックのイタリア代表チームにスタッフとして迎え入れられ、前回ソルトレーク五輪に参加したが、仲間が滑る姿を見るのがつらくて、五輪後、スケートの世界から離れた。
トリノ・パラリンピック組織委員会の会長から、アイススレッジホッケーを勧められたのは、スケートに代わって始めた車いすカーリングに物足りなさを感じていたころだ。昨年5月、トリノ市内のチームに入った。「ホッケーでターンをする時の感覚が、ショートトラックのコーナーを回るのと似ている」。「氷上の格闘技」と呼ばれる障害者スポーツに触れ、眠っていた闘争心に再び火がついた。
氷をかきながら進むため、スケートとは逆に上半身を鍛えなければならない。スティックの扱い方や、チームプレーのイロハなど、学ぶことすべてが新鮮だった。
日本との練習試合は完敗だったが、試合後、ファゴーネ選手の表情は充実感があふれていた。「五輪もパラリンピックも、スポーツにかける思いは全く変わらない。このリンクで戦えることを誇りに思う」。頂点を極めた男の再挑戦が始まろうとしている。
元金メダリストが絶望の末につかんだパラリンピックがんばれ~~