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つよぽん時々HYDEな日々

草剛とHYDEが好き。の~んびりと更新予定。。。のはずだったのに、ほぼ毎日ですね。

母の言葉とVAMPS当落。

2012-04-07 21:47:17 | 家族の話
う~ん。。。。
VAMPSと母を同列にするのもどうかと思うのだけど、併せて書かないと何だか湿っぽくなりそうなので。

いや、湿っぽいので苦手な方はスルーしてね。



ちょっと掃除をしていたのです。
ちょっと所じゃないか。針箱も整頓したくらいだから。←母歴長い人の言葉。

そうしたら刺繍糸とか詰め込んでた針箱の一番下からのし袋が出てきたのです。

何年前ののし袋かな。
実家の母が長女に何かのお祝いでくれたものだからきっと6年くらいは経ってるんだと思う。

当時長女はとても自信家で、竹を割ったような颯爽とした娘でした。
学年が変わって担任が替わろうと必ず判を押したように娘は表現されました。

「○○に任せておけば大丈夫。不良グループも、おとなしめのグループも、オタク系も○○にはフレンドリーになる。だからといって威張るわけでもない頼れる学級委員だ。」

挫折する前に頑丈な石橋を自力で造るような。ね。

私が嫁の立場で右往左往するのを「なんでそこまで依存するのか分からん。」と一笑し、「ようやらんわ。」と言いながら、唯一の楽しみだったL'Arcのライブだけは付き合ってくれる優しさも持ってた。

その自信に溢れた娘を見ていると誇らしくもあり、そしてどこか苦しかった。
こうなりたかったのになれなかった自分が。ね。

そしてこの性格、実家の母にそっくり。
プライドばかりが高くて、人に弱味を見せられない。
理路整然と道理を説くタイプ。

とにかく、『そっくりだね。そのプライドの塊みたいな可愛くないところ。』
ってよく言った私にこの似たもの同士の二人は通じるところがあったのかも知れません。

のし袋に書かれていました。

プライドというのは優越感のことではないよ。
本当のプライドというのは自分の想いを大切にして、自分の人生を充実させて生きている満足感から来る「誇り」のことです。

豊橋のおばあちゃんより


癖のあるしっかりした字体で書かれた言葉。
長女には分かってもらえると思ったんだろうな。。。。

この時の母と何でもっと話さなかったのかな。私。

真っ黒な心を持て余して自分を責めているのに、その上母に正論で諭されるのが嫌だった。
いつでも公平で、持論は正論と信じて疑わない人。。
後ろめたい思いをいっぱい抱えた私には痛くて痛くてディスカッションする気にもなれなかった。

そして今、この母はどこに行ってしまったんだろう????

こののし袋をなんで長女は針箱にしまったんだろう???
ってそんな何年も前のことに想いを馳せる。
日に当たっていなかったから綺麗なままで出てきたのが、まるで昨日のことのように感じさせられて切なかった。。。。

こういう感情も愛別離苦なんだろうか・・・・・?

母の姿をした母でなくなってしまったニコニコしたおばあちゃんは母の中のどの部分なんだろう・・・・?
もし、何年か先「向こう岸」に逝ってしまったとして、そのまた何年か後に私が逝ったとき、母は私の記憶の中の母でいてくれるのかな・・・・?
いや、私も今の私なんだろうか・・・・・・?

なんて、どうしようもないこと昨日深夜つらつら考えてたら、新聞配達のバイクの音が聞こえるような時間まで眠れなかったって言う。
何に逃避してるんだろうね。


そしてそしてVAMPSの当落結果ですよ。(いきなりの話題転換。)
名古屋土日のみ抽選したら日曜日一日だけの当選でした。
う~~~。
土曜日、ハイモバで即賭けたけど、当たる気がしない。
でも、2日間くらいは行きたいから頑張る~~~。

すいません。変な日記になっちゃった。
きっと寝不足のせいよ。

今日はちゃんと寝よう。

   

  


 拍手コメお返事

あみりんさん:
で、どうでしたか????
思った通りにチケットが取れていますように。
L'Arcの用に計算し尽くされたライブとはダイブ趣が違うし、HYDEさんのフリーダム加減は半端ないですよ~~。


巧さん:
大変でしたね!!。
なんかお話し聞くだけで疲れちゃうくらい。同情しますよ~~。
ひどいわ~~~。暴風雨で交通麻痺するのなんか想定内なのに~~~。
それからABCですが。
私も好きですよ~~。(ファンとまではいかないのですが。)
実は2012のDVD観賞中です~~。
シャングリラは名曲ですね。『痛みから逃げちゃいけない』「疵を忘れない事」って。。。
う~~ん。。。
yasuさん、言葉がはっきりしてるから聞き取りやすい。←そこか!?


tutuさん:
そんなそんな。恐れ多い。
でもそんな風に言ってくださると嬉しいです。
まんまブルーリーアイズって感じですからね~~。(笑)
なんか、私の中の綺麗な部分が今ひたすら求めてる気がするのです。
汚れた部分が現実だとしたら、思いっきり現実逃避場所になってる辺りが情けないんですが。。。。


基本ストーカー気質って事??

2011-11-17 09:02:10 | 家族の話
L'Arcさんの情報がこれでもか!!!って感じで
HYDEさんの追い打ちににも息切れしそうな今日この頃。

急に寒くなりましたが皆様お変わりありませんか???

1日ネットから離れるとマジで浦島太郎なんだなぁ~~。ちょっとびっくり。
お久しぶりです。せいらです。
あ、風邪とかひいていません、至って元気ですのでご心配なく。(バカは風邪引かないしね!)

まぁ、毎日何やかやで忙しいので追いつけないって事もあったんですが、最大の原因は高橋大輔様でございます。

NHK杯からちょっと虜になってるのです。
これ2010年世界選手権の「道」の時もそうだったんですが、その演技にひきこまれているんです。

暇さえあればニコニコ動画の海外実況(日本語訳付き)を繰り返し見てしまうんですわ。

「ブルース」
なんでこんな起伏のない曲を選んだの???
国別対抗選手権の時のがっかりした印象をものの見事に吹き飛ばしてくれて。
こんな事ならカナダ大会もちゃんとチェックしておくんだった。
いや、カナダ大会は色々失敗続きで3位になっちゃったんだから同じかなぁ???

「ノーミスできるように頑張ります。」
ってよく真央ちゃんがインタビューに答えるけども、「ノーミス」自体が「ミスしない」って事で「ノーミスする」とはなんぞや???
とつっこみながら聞いてはいました。

でも「ノーミス」って事がいかに困難で刹那で緊迫する状態なのかが競技に生きている人ならきっと心から理解するのだろうなぁ。
フィギュアのように一瞬一瞬が技とつなぎが繰り返される長くて短い競技だと、その5分の間の緊張感を伴う気力の持続に敬服してしまうのです。
どこのシーンを取っても美しく、力強く存在感を残す。
振り付けと音の調べを自分のものにする。
曲に振り回されない、もしくは技に振り回されない。
あぁ。。。
すごくすごく感動した。

フリーの競技を終えた後の「うんうん」って安堵の表情を浮かべた去年より数段美しかった真央ちゃん、両手で顔を覆って4Fの失敗のみを悔やんだのかの高橋大輔。
本当に感動したのです。
素晴らしかった。

で、ニコ動を繰り返し視聴。
イタリアの解説者もイギリスの解説者も良いこと言う~~。嬉しい~~。

また見てるの???お母さん。気持ち悪~~~。」
と次女に蔑まれたので(私次女のバレエの発表会のビデオとかもよく繰り返し見てて長女に言われた経験あります。)言ってあげました。
お母さんのこのシツコイ性格、誰よりも色濃くあなたに受け継がれているわね~。」
「・・・・・。」
勝った!!!!
超久しぶりに勝利を感じたどこまでガキなのよ?」なせいらでした。


  



I'm so happyと思える人生。②

2011-10-25 06:53:21 | 家族の話
もたもためそめそしてたら、どうよ。もう今週末神戸でハロウィンよ。
長女に後押しされて参戦です。

その長女、産後一ヶ月を過ぎ、日曜日に社宅に帰っていきました。
がらんとした居間に赤ちゃんやら上のお姉ちゃんやら長女やらの残像を探してはため息吐くくらいは寂しいです

ここ何日間、L'ArcもVAMPSも頭をかすめないって、「ちょっとどうしたのよ!せいらさん!」ってこのブログに来ていただいている方にはにわかに信じられないだろう状況だったんです。
まぁ、先日もちらりと愚痴ってはいましたので察してくださる方も何人かいらっしゃって本当に申し訳なく思っています。

この話はこれで終わりにしますから、ハロウィンを前に心の整理を付ける意味で書かせてくださいね。
あ、ただの泣き言ですから。
こんなHYDEテンションの高い日々に水を差したくない方はスルーで。



私は元々母一人子一人の状況で育ちました。
そこに兄が加わったのは兄が大学受験、私が高校入学の時からです。
母は幼稚園の先生をしていました。
何事にも信念があり、偏屈で頑固で。
私は一歩間違えば虐待じゃないかと声を大にして訴えたいくらい毎日叩かれて育ちました。
後ろ盾が何も無い女性が子どもを育てながら生きていくのは(今よりもっと保護のない時代で)簡単な事じゃなかったので、母には背負う物や守らなくてはならないものが普通よりかなり大きかったはずなんです。
母子家庭も1クラスに1人いるかいないかの時代。
生き抜く上での母の感情の発露の先は幼い私しかなかったんだろうと、理解していますし、子どもの頃でも分かっていました。(子どもって聡いんです。オトナが考えるより。)

とにかく恐ろしい人で私はいつも顔色をうかがってくらしていましたし、逆鱗に触れるのが死ぬほど怖かったのを憶えています。
でも、信頼していました。
彼女はすごくまっすぐな人だったので。
そして大きくなるにつれ、「愛されている」と感じられることが増えてきました。
子どもだから気付かない母親の気持ちが、自分が成長することでくみ取れるようになっていったんです。
あれほど殴られたのはどうしてだったのか、一分の反抗も許さなかったのは何故だったのか。
それは「片親だから(こういう言われ方した時代です。)こんな子になった。」
と世間に言わせたくない母のプライドがそうさせたのかと。

無事社会人になり、嫁ぎ、母とは同志のような関係になっていました。
良き理解者で、それでも娘が間違いそうな時は「そうじゃない」と言ってくれた人でした。
盲目的には娘の言うことを鵜呑みにしないって言うね。

そういう公平なバランス感覚を含め女手一つで私を育て上げた母を本当に尊敬していました。
パーキンソン病にかかり、腰の骨を折って介助なしでは歩けなくなっても。

そんな母が。
「あんた、名前はなんていうんだっけ?」
って。。。。。。

徐々には進んでいたけど、ほんの2週間前までは
「やっぱり○○だね。靴音で来たなってわかるよ。」
って言ってたのに。
「○○だよ。」
って答えたら
「そうだよね。そうだと思った。でも、ちょっと違って見えたんだよ。」
と。
その後も通じているようで通じていないやりとりが続き、食事をするために看護士さんが車いすに移してくれている時にカーデガンを着せてあげるまでが精一杯だった。

泣けてしまって・・・・・。

食堂に向かった母を待たずに逃げ出してしまった。
半分くらいになってしまった小さな背中も、あれほど着道楽でおしゃれだった片鱗もなく、今初対面で母を見たらば軽い認知症の老婆でしかない。

こんな悲しいことはないです。

母となった今、「私が」一番大事に思う人ではなくても、「私を」一番に思ってくれた大切な人を失ってしまったのだと実感させられて。

泣きながら片道40分を運転していました。
カーステレオが「XXX」から「I'm so happy」。

「どんなに変わっていこうと笑い飛ばしてよ」

笑えないよ。hydeちゃん。
ただただ泣けるだけだよ。

この歌は「そのとき」を迎える本人の歌であって残される人の気持ちを歌ったものじゃないから。

オリジナルを初めて聴いたときも衝撃を受けたけれど、ラコースティックバージョンはこちらの年齢も重ねてきてるから心臓を鷲掴みされたような「ぎゅっ」って圧迫感を感じる。
辛くて辛くて初めて大好きなL'Arcの曲を飛ばしました。

正しく号泣って感じで帰った私を長女も次女もすごく心配してくれて
「仕方ないことなんだから泣かないでよ。」
って言うけれど。
「でもね、お母さんのことを愛してくれた人は、もうどこかに行っちゃったんだよ。死んでしまったんだよ。」
子どもに駄々こねてどうするんだって感じだけれど。
「そうしたら正気だったおばあちゃんの心はどこに行っちゃったの?その正気な心を弔ってあげたいと思うんだよ。今日は命日みたいなものだと思ったら悲しくて。」
「人間ってね、上手にできてるんだって。分からなくなるのが防衛本能なんだと思ったらいいんじゃない?」
まるで私を諭すような長女。
「でもこのたった2週間の間でおばあちゃんはどこかに行っちゃったんだよ。さよならもありがとうも言えなかった。」
ああ、このかみあわない会話。
さっき病院での母と私の話のよう。

私はどこかで想像してた。
母の最期の時。
「お母さん今までありがとう。心から感謝してる。」
って母の手を握る自分の姿を。
でも、それは母がちゃんと理解して旅立つという大前提があって。。。。
その最期を、母の心は既に迎えていたのかと思ったら寂しくてたまらなかった。
知らない間に逝ってしまったのか。と。


その日は一晩中泣いて眠れなかった。
翌日の瞼はそれほどでなかったけれど、目の乾きが酷くて参った。

昨日も会社帰りに次女を連れてお見舞いに行ってきました。
母はにこにこして(あり得ない笑顔)それでも病院と自宅を錯覚していたり夢うつつでした。
とりあえず私と次女のことは認識してくれて「来てくれてありがとう」とは言っていました。

これから先母の療養がいつまで続くか分からないけれど、きっと病状はもっと進むんだろうけれど、この人の人生をちゃんとみとれる娘でありたいと思います。


長い長い泣き言にお付き合いいただいてありがとう。


母の話はこれで封印します。
自分も老いて行くのだけど、親のスピードには愕然とさせられる日々です。
でも、もうすぐ神戸だし、元気出して行く意味でも書いて良かった。
いや、書けて良かった。


  
  





次女の帰宅とその心意気

2011-08-29 19:26:09 | 家族の話
次女帰宅しました。
ほんとうにたどり着くまでと帰り着くまでの時間を考えたら5日間とは所要日数ってだけで、正味3日間のボランティアと言っても過言ではないです。

家路に就くときメール貰いました。
行きがてら「電源切るからメールするな」っていわれていたので、ほんとうに電話もメールもしなかったの。
それでもと思ってテレホンカード持たせたけど、それからも電話は来なかった。

色んな意味ですごくしんどい。
でも、行って良かった。
行かなくちゃ分からないことだらけ。
私にもできることあったよ。
とにかく湯船に浸かりたい
。」


まぁ、これが次女の第一声って事なのかな。

大学から行くボランティアだったのでそれなりに安心はしていたんだけど、こうして無事な顔を見るとほっとします。
そこが被災地であろうと、バカンスの地であろうと子どもの心配をするのは親の性だと思うのです。

次女の感動は、いつもそれほど喋らないのに、あれこれいっぱい話してくる勢いからも感じられます。

お風呂は一度も入らなかった。
でも被災地の人達は自衛隊が来て設営してくれるまで40日くらいは入れなかった。
それを聞いたらたいしたことじゃないと思った。(毎日シャンプーしなくちゃいられない子なんだけど。)
トイレにヒップバックに入れていた眼鏡を落としてダメにした。(裸眼でなんとか耐え抜いた。)
「被災地の人が元気になるための祭り」の準備を手伝った。

写真の修繕作業をした。
そのときの様子を写した写真が何枚もあったんだけど、みんなマスクをしてる。
「いや、写真やアルバムがカビや泥汚れで空気がホコリ混じりになって喉をやられちゃうから、暑くてもマスクはしていてくれって言われたの。」
そうか。
ほんとうにそうだよね。
そこに行ったから写真の修復が簡単な作業じゃないって分かったんだね。

それから津波が押し寄せてきた場所を現地の指導員さんに案内して貰った。
校舎の外にかかっている時計は地震の時間にストップした。
教室の中にある時計は津波の時間にストップした。
背の高い杉の木が全て津波の力で一方方向に傾いているんだけれど、津波が引いたとき、その枝には沢山の洋服が引っかかっていたと。
そして洋服と同じくらいの数のご遺体もそこに。。。。。

がれきの撤去は進んでいるようでも末端まで行き届いていないことも、それでも現地の人達は力強いことも肌で感じてこられた。

晩ご飯は毎日宴会みたいだった。
「宴会??」って大ひんしゅくじゃないか!!。と思ったら、
「違うよ。毎日炊き出しみたいにしてて、知らない人達とみんなで食べるから賑やかで楽しかったの。」
って、そうか。早とちりした。

「ボランティア弾丸ツアーなんてわけわかんないで終わっちゃう。でも行かないより絶対良いよ。ちゃんと知っておくべきなんだよ。」
「また大学で募集が掛かったら、今度はもう少し長く行ってきたい。」


うんうん。
何だか日に焼けた顔して誇らしそうな表情がステキだな。とは思うのだけど。

でも、ちょっと待って。
お姉ちゃんが赤ちゃん産んで実家にいる間は我が家の力になってくださいませ。
なんてお願いした情けない母でした。。

そして私と同じように次女を心配してくださった皆さんありがとうございました。

  
  


拍手コメお返事

巧さん:
そうなんですね~~。
私は2部しか購入していなかったんですが、2部も結局kenちゃんの生電話とマオさんのビビカラのために1500円使った感が否めません。シクシク。。。
寝ちゃったしなぁ。。。
ラルカフェの巧さんのメールがすごく「行って良かった~」って感じが出てて、私も幸せな気分になりましたよ~。
そう、やっぱり幸せな人を見ると幸せになるんだなぁ。。なんて思ったのでした。
Tシャツ!
わわ、全然気にしてなかったわ~。
あのロゴは案外カワイイですよね!!。


cocoaの災難o(TヘTo) くぅ

2011-08-23 01:27:06 | 家族の話
もうすぐ臨月の長女が着てたワンピース。
借りてみたけど臨月の長女の姿よりバランスがおかしくて笑えるのは何故???
う~ん。
私本当にこのカッコで東京に行っちゃうのかしら~~。((((;゜Д゜))))
「知らんわ。東京でそんなおばさん一人気に止める人なんか誰もおらんから安心しな。」by次女
はい。いちいちごもっとも。
でもね、周りが気にしなくても私が気にするのよ~。シクシク。。。

気を取り直して。
写真は階段の突き当り。
歩くようになったGrandchild(というのだね。)のために旦那がチャイルドフェンスを手作りしてふさいだものです。
この子達の顎乗せになってるっていうね。(´▽`*)v。

  
な感じのビフォーアフターでございました。

さて、タイトルですが、去年買ったばかりのcocoaがバックしてきた車に当てられた話を書きましたが、今度は知らない間にぶつけられたって話です。

気づいたのは日曜日。
次女がバイト先から「cocoaぶつけられてる!」って電話をよこしたの。
( ̄▽ ̄;)!!はぁ?
もうね、ちょっと前バックでこすったことのある次女がやったって実は疑っていましたわ。私。←ひどい親。
話を聞くと土曜日は気付かなかった。
夜旦那がガソリンをセルフに入れに行ったときも気付かなかった。
じゃぁいつやられたんだ???って話になり。。。

日曜日にバイト先の前日の売上金を午前中に信金(実は私が勤めている信金の他支店)の夜間金庫に入庫して車に乗ろうとしたところで気づいたと。
フロント左側のバンパーしっかりこすられ白い塗料べったり、おまけにボンネット浮いてますけど!!!。って。
なんてこと!
なんてこと!
私のcocoaちゃんが~~~。
ビースト君ウォッシュタオルがぶら下がり、ミッキーミニーのクッションが飾られ、VAMPSのお守りが方向指示機のバーにゆらゆら揺れる。。。
内装ほとんどディズニー仕様の、「見た目若いおねえちゃんの車だ。」と人に陰口を叩かれる
私のcocoaちゃんが~~~!!!゜(゜´Д`゜)゜
もう、ショック。。
これやった人は当て逃げだし見つからないね。
今年車両保険はバカみたいに高いから外しちゃったんだよ。←泣き面に蜂状態。

見積もってもらったら15万くらいするって言うじゃない!?
そんなそんな~~。
そうしたら私L'ArcもVAMPSもこれ以上頑張れないよ~~~。
って今持ってる権利については引く気がないところが私らしいが。。

ショックでショックで出勤した私にペット用品店の奥様から電話が。
「〇〇さん、車ぶつけられてない?」
「ぶつけられました!!!」
「いや、金曜日に車ぶつけたかもしれないって言ってきた人がいるんだけど。」
え????あんなにひどくぶつかっていたのに気付かなかった???

話をかいつまむと、私が金曜日このお店で買い物をしたときに駐車場に停めておいた車にバックでこすったらしいのだけど、爆音で音楽聴いていてしっかり気付かなかった。
帰宅したら自分の車に明らかにぶつけた痕跡と黒い塗料が付いていて、当てたとしたらそこのお店でしかありえない。
って申告してきたらしいのです。
で、そこのお店の奥様が私のことを知っていたので月曜日に会社に電話してくれたっていう。
うわ~~ん。
よかった~~~。
即警察に届けたんですが「こういう場合泣き寝入りがほとんどだからよかったですね。」って言われて。
「いまどきこんな正直な人がいたんだ~~。」
って感激してた私。
「すいません」と「ありがとう」の応酬で帰宅したんですが。
そのとき一緒にいた次女に
「どっちがぶつけた人なんだよって突っ込みたくなるくらいへりくだってたね。母は。」
と笑われました。
「こっちなんにも悪くないのに。」
って。
でも、嬉しかったんだよ。まだまだ捨てたもんじゃないな~って。
15万払わなくて良くなって。(まだ言う。)
「いや、もともとぶつけられてなければ使わなくていいお金でしょ?15万は!」
「そうだけどね。ごにょごにょ。」
「どこまでお人好しなんだよ~。もう~。」
な次女とのドライブ中の会話でございました。

満員電車で「足を踏まれたのに謝っちゃう」小市民だからさ。(「小市民」って嘉門達夫だっけか?)

それにしても金曜日に傷物になってたcocoaに誰も気付かなかったって、相当ですね。私たち親子。


   


拍手コメお返事

巧さん:
あはは(´▽`*)なんだかほのぼのと巧さんとご主人のやりとりを想像しちゃいましたよ~~。
そうそう、ご主人さんのご機嫌はちゃんととっておいてくださいね。
でんろくまめの写真で癒されてくださるなんて、本望です。
それにしても、女性ですかね???その方。(O.O;) (o。O;)。
で27日ラルカフェなんですね~~。近くにお勤めなんて羨ましいなぁ。。。
次女ですが、日曜日でバイト一旦終了してボランティアなんですが説明会が明日で全部決まるようです。
若いってすばらしいね。
なんだか輝いていますよ。
何かつかんで帰ってきてくれれば嬉しいです。
ありがとうございます。

いつも通りのマザーズデイ。

2011-05-09 08:41:53 | 家族の話
昨日は母の日だったのに、何度か電話をかけてきた長女にも「母の日をアピールされると腹が立つ」と言い切った次女にも
「お母さん、ありがとう。」
とも言ってもらえなかったせいらですよ。(´_`。)グスン
GW完全に終わった月曜日ですね。おはようございます。

ええ、ええ、夕飯作ってもらえたわけでもなく、カーネーションもらえたわけでもなく、全くもっていつもの日曜日でございましたよ。
そうかいそうかい、感謝されてねぇって事だね。ふん。

HYDEモバイルに年齢設定があってさ、「おかあさん感謝してるよ。」とかHYDEで送ってくれたら嬉しいのに。←ホントか??
んでもって、私自身は実家の母(こちらは前もって財布のリクエストがあったのでそれ)と姑(「物より現金にして」と言われていたのでキャッシュ←信じられないでしょ?)をお渡ししました。

いい加減「ど~せ。ど~~せね~~~~!!」とやさぐれかかった頃、クール宅急便が!!
ネットのお取り寄せNO.1とかいうスイーツのセットが届きました。
依頼人は長男じゃございませんか。∑(・д・ノ)ノビックリ!!
いや、あり得ない。
長女次女ならまだしも、この何年長男からこんな物いただいたことございませんから~。
もう、即電話です。
電話に出た長男に四の五の言わせずお嫁さんに替わって貰い、心から感謝の言葉をお伝えしましたよ。
「いえいえ、ちゃんとそちらに行ってお渡ししなくちゃいけないんですけどすいません。」
だって~。
良い子じゃ~~~。何もしてあげてないのに。
うまくいく距離感って必要なのね。
気遣いっていくら近くても離れていても嬉しいものです。


さて、愚痴はこのくらいにして。(やっぱり愚痴なのか!とセルフツッコミしてみる)

いよいよ今日オンエアですね!
タイトルすら知りませんが。
で、もしかしてTVで何か情報があるのかも??といくつかの局録画しておきましたが無いですよね~。
アンテナ張ってるときは引っかかりもしないのよねぇ。
何にしても楽しみです!。
ラジオの前で正座しそうです。


  


拍手コメお返事

巧さん:
あ~。私勘違いしていました~。
そうか、そちらのグループのライブも参加見合わせておられるのですね。
春秋2回のツアーがあるんですね。
私もL'Arcのために出費は控えなくちゃと心では分かっているんですが。。。浪費家なのかなぁ。やっぱり。
まめちゃん、良い感じで経過していると思います。
今日獣医さんに行って、良ければカラーは取ってもらえるんじゃないかと思います。
ご心配ありがとうございます~~。

iPhone4のVAMPSケースとまた火のマイハ

2011-04-21 09:00:26 | 家族の話

   ↑
たまたま見ていたバラエティ番組で二重に掛かる虹の映像があって思わず撮った写真。
記事内容とあまり(ってか全く)関係ないんですがせっかくなので載っけておきます。

昨年12月、ただただVAMPSシェルケース欲しさに契約した(旦那が)iPhone4。
まともに使いこなせないうちに月日は過ぎているわけですが。。。
ちょこちょこ届き始めているようじゃありませんか~~~。
ウチはまだです。
つい最近ディズニースマホを契約した次女の特典ケースの方が先に届いてますがな~~~。

ツイッターに画像載せてくれている方がいて見てきたんですが、当初のデザインとはちょっと違っていますね。
あながち先日問い合わせした内容(アーティストが納得いく仕上がりになるまでもう少し。云々)がプレゼント事務局の言い逃れじゃなかったようで安心しました。←

だってラピニュグッズも届いてないし(やっぱりクマがネック??)忘れられてるとか漏れてるとかいや~な感じで不安になるんだもんなぁ。。。

あ、VAMPSアプリの存在も昨日ようやく知りまして、無料だったので登録。
いや、何か美味しいエサがあればホイホイ食い付く根性はあるんですけどね。
これがなかなかよろしくて、写真をクリックすると画像が大きくなったり、BEAST画像をクリックするとジャケットが回転してレボリューションがほんのちょっと聴けたりするんですよ。
マンプスの裏表紙に載ってたのはこのアプリの事なのかしら?????
それとも他にあってあのアニメの2人が出てくるのかしら?

情報がもしあればどなたか教えてくださると嬉しいわ~。
あ、そうそう、マンプスと言えばweb書籍って事で1冊700円で買えるんですね~~。
いや、紙で持ってるのにその上webで購入する必要はないんでしょうけど、いつでも手元に持っていられると思うとちょっとくすぐられます。


それからようやくまた火を見始めています。
いやぁ。。。。
マイハってL’7で聞いたときの記憶に塗り替えられてしまったんだけど、そういえば後ろのスクリーンに電光のバレリーナが踊っていたんでしたね。。。。
この歌を聴くとき,L'7の思い出の前に、ちょっと切ない思いが蘇っていたのがなんだったのか。。。。

そうだ。。
次女がバレエを辞めるってタイミングの時だったかからなんだって思い出したんですよ。。

パッセ、パッセ。ジュテ。グランフェッテ、イタリアンフェッテ。
このバレリーナのバランスが大人の完成されたボディじゃないかったことが、すごく嬉しくて。
少女なんだろうな。もしくはちょっと頭の大きな女性。(頭が大きいのはバレリーナとしては欠点)
チビの私より小さな次女。
人間関係がこじれて病みそうで辞める決心をしたんだっけ。

本人も私も辞めるなんて思ったこと一度もなかったのにね。
大きくなるにつれ、体の欠点(足の長さや、足首の柔らかさ、甲が出る出ない)をコンプレックスに、それでもそれを補う表現力を磨く努力を惜しまない子だったんだけど。

いやぁ。。。
切ないですが、今となっては良い思い出です。
マイハの印象が今はそんなに辛くない。
時間って優しい癒しなんだな。。。。





  

好きとか嫌いとか努力でどうにかなるモンじゃない。(削除しました)

2011-03-28 00:31:54 | 家族の話

深夜の感情に走った日記、削除しました。

あまりにあまりなことがあって我慢できなかった。

すでにお目通しされ、嫌な想いをされた方がもしいらっしゃったらすいません。
拍手もコメントもありがとうございました。

落ち着いてちゃんと気持ちが整理できたら、また聞いてくださいね。

「がばいばあちゃん」はすごいね。
夜考え事しちゃイカン。
マイナーな方向にしか考えられなくなるよ。






それでも明日はやってくる。

2011-03-21 14:04:28 | 家族の話
19日は舅の四十九日の法要でした。
天気が良く、暖かで、納骨の時も墓地で寒い想いをすること無く、豊川稲荷の位牌堂で寒さに震え上がることもなく滞りなく終了しました。

あ、滞ったこともあったけれど、何せ亡くなった家族を仏様にする儀式自体が初めての経験だったので色んな部分で大目に見て貰ったことは多かったな。。。

法要後の食事会でもやはり話題は震災のこと。

大変な被害で、息子の会社の資材調達が難しい事や、娘婿の会社が動きの止まった被災地の会社の供給を補うために忙しいことなど、話は尽きません。

舅が亡くなって四十九日。
いや、正確には47日。
お彼岸に引っかかり前倒しになったんです。

終焉の時の苦しみがやはり目に焼き付いているので可哀想だったなという想いがあるんですが、こんな災害に容易く命を奪われた本当にたくさんの被災者を思うと、
「幸せな最後だったね。」
という結論に到達します。
家族に看取られながら往生できるのは実は本当に幸せなことなんだね。


がれきの中から救出されたおばあちゃんと16歳のお孫さん。
助かって本当に良かった。
こんな経験をしてしまうと人生観も変わってしまいそうですが、どうかその辺はしっかり保護して貰って悪夢に囚われる日々など襲ってこないように心から願っています。


そうそう、この災害のあまりの悲惨な状況に文字にするのも躊躇われましたが報告を。。。

VAMPS写真集+MEKURIやってきました。
それからハガレンの主題歌をL'Arcが担当することも知りました。

写真集を見れば思い出が蘇り口元がほころぶし、L'Arcの情報が出れば嬉しくて心躍る。
ノンスタイルのhydeものまねも(青木さん効果か)選曲が「虹」で、コント仕立てだったから腹抱えて笑いましたよ。
「ハイちゃん」と言われて「きゃ~」と思ったのは私だけではあるまい。

長女と見ていて「出だしだけは似てたね。」なんて話しつつ、
「こうして聞くとhydeって本当に歌が上手いんだなって再確認するわ。」
って言った私に、
「何言っとるの。hydeは歌ウマイよ。」
なんて力説してくれて。
いや、「情景が浮かぶ語り部的な歌唱力」と言う意味なんだけどなぁ。。。なんて(心の中で)ツッコミ、やっぱりにんまりしたんでした。

どんなことがあっても人間は絶望しきったりしないんだよね。
だから避難所でも笑いがあるし、笑いのパワーは必要なんだな。





拍手コメお返事

巧さん:
>今回の地震で被害に遭われた方も5月のラバニに全員笑顔で参加が出来き、20周年をお祝いしたいですね。
  ↑
本当にそう思います。
これがあるからがんばれるってツイッターで言っておられる方を拝見しました。
ラニバが希望になってるんだと思うと、L'Arcにもがんばって欲しいです。

それから不便な生活に多少なりとも慣れて来られたと聞き安心しました。
今はみんなが少なからず不便を感じながら暮らして便利な世の中を感謝し直す時なのかもしれませんね。。。

そしてそして「あなた」だったんですね!!!なんて言うかこういうメッセージ色の濃い歌はこの時期だから余計ぐっと来ますよね。
DVDも良かったと思って貰ってまたまた安心しました。
ありがとうございます。

I'm so happyと思える人生。

2011-02-05 01:32:27 | 家族の話
舅が亡くなりました。

本当に職人気質で横柄で何かにつけて『オレがオレが』の人で。。。
とても愛せない人でした。
自分の考えが全て正義で、反論も別の観点もかれには『反逆』でしかなかった。

でも、最期は何だか可愛いおじいちゃんになっていました。

長女が病院に見舞いに来たんですが、長女の子をみて「ばいばい」って手を振ったんですよ。

青天の霹靂でした。
気むずかしくてそんなことする人ではなかったんです。

意識のあった最期の日が土曜日。
日曜日は呼吸器が付いていて、月曜日の月末を終えて直接病院に出向いたときには100%の酸素なんていう聞き覚えのないような装置付けられていました。

大きく口を開けたままの呼吸は本当に苦しそうで、うっすら開いたままの目はずっと涙目でした。
こんな苦しみのまま一晩過ごすのはかわいそうだと思ったり、それでも頑張れと思ったり。

不謹慎かもしれないけれど「I'm so happy」の歌詞が脳裏をかすめました。
「たったいま君たちに写るオレは とても苦しそうに見えるかもしれない」
「それでもどうか殺さないでくれ 本当に目を閉じてしまうまで。」
舅は目を閉じきりませんでした。
目をつむるにも筋肉が必要なんです。

その明け方近く午前3:46についに力尽きてしまいました。

舅にとって良い人生だったかな・・・。
最期の尋常ではない苦しみ方には心から同情したけれど、その後の安らかな表情には救われる思いがしました。
舅にとって最後の瞬間が[happy]であったら良いなと思う。
「I LOVE YOU」って慟哭できるような。。。。

2日に通夜、3日に告別式でした。
今日はあちこちに支払いに走り、何だかまだまだ落ち着きません。
この後は相続関係で書類集めが大変そうです。

この慌ただしさの中で舅がいないことに慣れてくると良いな。。
あらゆる意味で大きな人だったので色んな喪失感も生まれます。

「殺しても死なないタイプ」と思われるような人で怒りにまかせてよく怒鳴られた。
この人達のためになんか絶対泣かない。
って元気なときは何度も思わされたけど、結局は号泣でした。
ひ孫を見て涙を流した舅を見たとき、
「終わりゆく人生と始まったばかりの人生」
が交差する自然の摂理を見た思いがして切なかった。

今はただ安らかにと祈るばかりです。

そんなこんなで本当に慌ただしく、お友達ブログもお邪魔できず申し訳ありません。
お返事もうしばらくお待ちくださいね。。。