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野球日誌

プロ野球を始め、野球に関する私的日誌

藤川投手の記録達成に思う

2006-07-15 03:48:13 | 記録に関して思う
藤川球児投手(阪神)が球団記録達成!小山氏を抜く 

 阪神のセットアッパー藤川球児投手(現在は押さえ)が連続無失点を47+2/3イニングに伸ばし、1962年の小山投手を抜き球団記録を44年振りに塗り替えた(7月11日)。先日は44+2/3イニングを達成し、堀内投手(巨人)の記録を抜いて歴代7位入りも果たしたばかり。昨年の優勝の原動力、勝利の方程式“JFK”のFは今年も健在だ。


過去の大投手の記録との比較は?

 さて、おめでたい話しばかりでなく、果たして同投手のこの記録、過去のベスト10投手と比べて本当に同様の価値があるのか検証してみたい。確かに藤川投手の記録は立派だ。何より無失点を続ければ、当然ながら相手からは点を取れないのでリードした場面で藤川投手が登板すれば絶対に負けることはない。同点で登板すれば最悪でも引き分けに持ち込める。これだけ頼りになる投手も珍しい。そこで過去の大投手たちとの比較である。歴代ベスト10入りしている投手を見ると通算200勝以上の名球会投手や200勝にはやや及ばない物の杉浦投手のような伝説的投手が見られる。さすがに大エースばかりだ。

中継ぎ・押さえは楽?

 これらの大投手たちと今回の藤川投手との大きな違いは何と言っても先発完投型か中継ぎ(押さえ)かであろう。先発完投型の投手が過去に連続無失点を記録したケースは殆どが1試合を0点に抑えた場合である。所謂完封勝利だ。先発して9回を無失点に抑えるのは投手にとって至難の業である。因みに完封勝利の歴代記録はヴィクトル・スタルヒン投手(巨人など)の83試合が最多。2位が金田正一投手(国鉄・巨人)の82試合。シーズン記録で見ると藤本(中上)投手(主に巨人)の19試合だ。今の時代なら完投すれば1試合当たり130球から140球を投げる事になるだろう。中盤以降は疲れも出てくるだろうし、握力も弱る。球威の落ちる終盤も踏ん張り27個のアウトを取るまでホームを踏ませない。この至難の技を数試合続けた訳である。参考に通算完封時際の歴代記録を以下に記しておく。

順位 選手  完封勝 実働期間 登板

1 スタルヒン 83 (1936-1955) 586
2 金田 正一 82 (1950-1969) 944
3 小山 正明 74 (1953-1973) 856
4 別所 毅彦 72 (1942-1960) 662
5 鈴木 啓示 71 (1966-1985) 703
6 野口 二郎 65 (1939-1952) 517
7 米田 哲也 64 (1956-1977) 949
8 藤本 英雄 63 (1942-1955) 367
9 若林 忠志 57 (1936-1953) 528
10 村山 実 55 (1959-1972) 509

 これに対し中継ぎ・押さえは短いイニング限定だ。特に押さえなら1イニング限定で思い切って飛ばせる。10球から20球を渾身の力を込めて投げれば良いのだ。
強いて例えれば先発完投型は長距離走。中継ぎ・押さえは短距離走と言ったところか。長距離選手の5000メートル走や1万メートル走のタイムとそれらを50メートルから100メートルずつ小刻みに走った短距離選手の通算のタイムと比較するようなもので、タイムで勝負をすれば当然後者の方が圧倒的に速いタイムになるのは火を見るより明らかだ。
 常に全力投球ができる中継ぎ・押さえの投手の方がそう言った意味でこの記録は有利だろう。

シーズン最多登板記録

 話しは変わるが昭和60年、阪神が打棒爆発で優勝を決めた。このシーズンは3番三冠王ランディ・バース、4番ミスタータイガース掛布雅之、5番現監督の岡田彰布のクリーンアップトリオ、そして核弾頭真弓明伸を含めた30発カルテットに代表される新ダイナマイト打線の圧倒的破壊力で対戦相手を破っていった感がある。しかし投手でも立派な記録が生まれた。中継ぎの福間収投手のシーズン最多登板である。昭和36年の西鉄ライオンズ稲尾和久投手の年間78試合登板に並ぶ記録を打ち立てかけた。

 噂に拠れば新記録達成もできたのだが、某コーチから「神様を抜いちゃいかん」との事で残念ながら日本記録の更新はならなかったのだとか。王さんの55号を始め過去の大選手の記録を人為的に抜かせないどうかと思うが、ここでは話題とずれ
のでそちらには立ち入らない。

 ただ、仮に抜かれたと言っても稲尾投手の価値が下がる訳ではない。神様・仏様・稲尾様と謳われた一代の鉄腕投手。特に昭和36年と言えば稲尾投手が年間42勝の日本記録を打ち立てた年で、神様が一番脂の乗り切った年だ。先発に押さえにとフル回転で働いた事は容易に想像できる。

試しにその年の稲尾投手と、昭和60年の福間投手の登板の内訳記録を調べてみた。

 稲尾和久 先発30試合 完投25試合 救援48試合 404イニング
 福間 収 先発10試合 完投0試合  救援67試合 119回1/3イニング

 言っては失礼ながら稲尾投手と福間投手とでは大人と子供の違いくらいの実績の差がある。しかし、何故に登板数で並ばれたのか?ひとえに昭和30年代のプロ野球と昭和60年のプロ野球の違いがある。今から20年以上も前になるが、昭和60年だったら近代野球との違いと言っても差し支えあるまい。昭和30年代は、正確に言えばその時代まではと言えるだろうが、先発投手は、特にエースはKOでもされない限り完投して当たり前だった。そしてエースは押さえもこなすのが当たり前だった。そう言った時代だった。3連戦の初戦で先発、当然相手チームもエースが出てくる。エース同士の対決だ。そして、3戦目は押さえ。そんな登板が日常茶飯事の時代だった。稲尾を始め、阪急なら米田が・梶本が、大毎なら小野が、何回なら杉浦がみんなそうしていた。因みにこの36年にデビューし、新人王を獲得した権藤博(中日)は来る日も来る日も登板。35勝を挙げ最多勝などタイトルを独占した。いつの日か権堂の登板は「権藤、権藤、雨、権藤」と表現された。こんな時代の78試合登板と中継ぎ専門での77試合は当然価値は異なる。

 勿論福間投手の年間77試合登板にケチをつける気は毛頭ない。優勝の貴重な戦力になった事は間違いない。ただ、先発で勝ち星を挙げ続け、先発しない試合では押さえに登板し今で言うセーブの記録を挙げ続けての78試合とは明らかに価値は違う。

中継ぎや押さえの方が簡単か?

 話を藤川投手に戻そう。彼の無失点記録と歴代の投手との無失点記録にはやはり明らかに難しさの違いはある。チームの勝ちに貢献するという意味では価値にさほどの違いはないかもしれないが、難しさという観点から見れば中継ぎや押さえの方が圧倒的に簡単だろう。今後このように中継ぎ投手が種々の記録に絡んでくることが多くなるかもしれない。
 しかし、では中継ぎなら簡単に出来るのかと言えばそんな事はない。藤川投手の名誉のためにそれは言っておく。簡単ならばとっくの昔にベスト10入りの記録が出ているはずだ。

 そこで近代野球のセットアッパーや押さえ、そしてエースにも言い分を聞いてみよう(笑)。
「確かに僕たちは1イニングとか短いイニングなのでスタミナを考えずに全力投球ができます。でも、その代わり毎日が登板ですよ。だから体力の消耗が激しいんです。春先から投げて夏に入れば疲れも溜まります。そりゃ、試合展開に拠って登板しない日もあります。でもそれは結果論であって、ブルペンで肩は作りますからね。先発型の人みたいに投げない日が決まっていて、登板したら5日間の“休日”を貰える人たちとは違いますよ」(某在阪球団中継ぎ)。

 「僕なんか登板するのは決まって1点差ですよ(笑)。しかも時には前の人が途中KOされて塁上にランナーがいる所で出る。これなんか凄いプレッシャーなんですよ。とにかく1本もヒットを打たれたら駄目な場面なんですから。押さえて当たり前。打たれれば戦犯扱い。溜まりませんよ」(某在京球団押さえ)。

 「昔とはレベルが違うでしょう。今の時代完投をさせるなんてのが時代錯誤で、それよりも先発は6回とか7回まで全力投球をして後に繋いだ方がチームのためにもなりますよ」(某セリーグ球団エース)。

 「打撃力が今と昔では大幅に違います。バッティングマシンの普及や室内練習場の完備で冬でも雨でも夜でも練習が出来ます。今の時代完封なんてのが珍しいのに、何試合も連続完封するなんてあり得ないですよ」(某パリーグ球団エース)。

 これらの投手は実在する訳ではなく、筆者の考えた想像のインタビューだが、確かに昭和30年代と現代とではプロ野球も大幅に様変わりしている。レベルも上がったのはもちろんだが個々のレベル格差が縮まり、圧倒的な成績を残しにくくなっている。一概に先発完投型で連続無失点を残した過去の大投手の方が偉いとも言えなくなってきているのではないか。今回の藤川投手の記録達成でふとそんなことを考えさせられた。


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