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野球日誌

プロ野球を始め、野球に関する私的日誌

山本投手大記録達成

2006-09-20 22:31:04 | 記録に関して思う
山本投手が最年長ノーヒット・ノーランを樹立

 41歳10ヶ月、中日ドラゴンズの大ベテラン、山本昌広投手がノーヒット・ノーランを達成した。この記録は史上最年長というおまけ付きだ。先日の石川投手以上の大記録であり(個人的見解です)、私は中日ファンでも山本ファンでもないが、心から祝福したい。

 だいたいにおいて野球界では40歳を越えて現役でいること自体が難しい。特に投手は、石川選手の項で述べたように、故障を起こしやすく長く現役生活を送るのは困難だ。それにも拘わらず41歳で依然第一線で活躍し、さらには史上最年長のノーヒッターになるなど本当に頭が下がる。きっと普段からの練習や節制に励んでいるに違いない。
 
 それまでの記録は佐藤義則投手(オリックス)であった。確か記憶では柴田投手も35歳くらいで達成して当時の最年長記録を更新したような気がする。年長記録の更新がなされるのは個人の自己管理とともに昔と比べて選手寿命が延びたことも原因として挙げられると思う。山本投手は昭和40年○月生まれ。12球団最年少監督の西武ライオンズ、伊東勤が昭和37年生まれであるから、その凄さが分かる。

 遠い昔は、一流選手も37歳から38歳くらいで引退していた気がする。一流だけに引き際が肝腎で余力を残しての引退もあったかもしれないが、打者でさえ40歳手前で引退していた。中には若林投手などの例外はあるが。40歳を越えて尚現役を続ける選手は希有であった。そう言えば若林投手も何か年長記録を持っていた気がする。勝利投手は浜崎真二投手だったような気がするので(もしかして相手投手?湯浅投手?)、完投勝利かもしれないし、または日本シリーズなど条件付きの記録だったかもしれない。

 山本投手に限らず、工藤公康投手(巨人)は昭和38年生まれ。こういった長命選手が増えたのはやはり食生活が豊かになったのが大きいと思う。体が昔より大きく、尚かつ頑丈になったのだろう。それとスポーツ医学の進歩も大きいか?試合後のケアやトレーニング方法なども昔と違って進歩したのだろう。そういったものとは別に、投手に関して言えば使い方の違いがある。昔のように酷使に次ぐ酷使をしていればいくら頑丈でも潰れるのは時間の問題だ。投手の記録面ではきっちりとローテーションを守るようになったのは一番大きい要素だ。

 今シーズンは残り少なくなったが、まだまだこういった大記録が達成されるのを願っている。

石川投手大記録達成(6)

2006-09-20 01:46:53 | 記録に関して思う
 社会人ルーキー

 社会人出身では江夏・堀内が出ているので平松政次(日本石油~大洋)といきたいところだが、彼は夏の社会人野球大会が終了してから入団したので1年目の勝ち星は当然少ない。
新人20勝の木田勇(日本鋼管~日本ハム)は尻すぼみで一発屋の代名詞(笑)。
 大学卒・社会人出身となるがスーパー・ルーキーなら豪腕・山口高志(松下電器~阪急)がいる。1年目から大活躍で新人王も獲得したが、惜しい!4年で途切れる。と言うか彼の選手生命は事実上4年。関西大学を卒業後すぐ入団していれば達成できたのでは?

 近年のプロ野球を代表する投手はどうだろう?黒田博樹(広島)は完投勝利が多いが二桁勝利を収めたのは何と入団5年目。意外と遅咲きだ。しかも2004年は一桁に終わっており、連続は3年でしかない。川上憲伸(中日)は1年目こそ14勝で新人王を獲得したが2年目から3年連続で一桁勝利。

 現役で連続二桁の長い投手は桑田の6年だが先程述べたように入団以来の条件を満たしていない。近年連続二桁勝利を一番長く保持したのは星の王子様、星野伸之(主に阪急・オリックス)。しかし彼も高卒で入団、二桁勝利を達成するのは4年目からだ。やっぱり石川投手の記録に並ぶのは大変だ。

 これに対抗できそうなのが和田毅(ソフトバンク)で現在新人以来の二桁勝利を4年連続で継続中!頑張れ!和田。ホークスとしてはあの杉浦忠さん以来、45年振りだという(まあ、彼は二桁というレベルではないが・・・)。松坂のような怪物でなくても大卒だと今の時代でも達成できなくはないということか?和田と言えば松坂世代。松坂のライバルと言えば新垣渚(ソフトバンク)。九州共立大学卒業後、ダイエー入団の年は8勝なので1年目から資格なし。同じソフトバンクで甲子園でも松坂と投げ合った杉内はやはり1年目は僅か2勝で、二桁勝利は2年目から。尤も4年目に事件(?)を起こし再び2勝に終わっている。う~ん、やっぱり難しい、新人以来の5年連続二桁勝利。

 それにしても身長170㎝に満たない小さな投手、スピードも時速140㎞に満たない遅球派。そんな投手が怪物松坂や豪腕・山口などが為し得なかった記録を達成するのだから面白い。これからも石川投手の健闘を期待したい。

 ”石川投手大記録達成”は今回で最終回です。ご愛読ありがとうございました。

石川投手大記録達成(5)

2006-09-19 08:34:59 | 記録に関して思う
大卒ルーキー 

 大学卒業のルーキーはどうだろう?松坂と言えば同期の“雑草魂”・上原浩治(大阪体育大~巨人)が思い起こされる。彼はドラフト制以降二人目の新人20勝を挙げたが2年目は9勝で早々と脱落。昭和62年の西崎幸広(日本ハム)は確か金田留広(東映)以来の新人以来の3年連続15勝以上。そして5年連続二桁勝利を挙げていたらしい(笑)。

 西崎と言えば阿波野秀幸(近鉄)。ともに大卒の同い年で、ハイレベルな争いを演じた結果新人王はこの阿波野に輝いた。ただ、阿波野は故障で5年目に脱落。その後浮上する事はなかった。西崎も6年目に故障して二桁勝利が途切れるが、こちらは見事復活。新人王を獲得したのは阿波野だが、長持ちしたのは西崎であった。

 大卒ルーキーの超大物と言えば江川卓だが、彼は1年目に9勝。現役生活9年、2年目以降引退までの8年間は常に二桁勝利を挙げたが、惜しむらくはこの1年目の9勝が大記録達成を妨げた。“僅か1勝。されど1勝”か(笑)。説明を要しないが江川は入団時の経緯(いきさつ)があり、デビューの年は開幕から5月一杯まで試合出場停止。2ヶ月弱あれば間違いなく二桁勝利は達成したはず。いや、6月デビューでももう少し味方が援護してくれていたら・・・。プロ初登板以来好投するも貧打に泣きなかなか勝てない江川であった。
 
 えっ、「江川は大卒ルーキーではなく社会人出身のルーキーだろう」って?そうか。彼は法政大学を卒業後、作新学院の職員として就職していました(笑)。同学院職員では初のプロ野球選手か?「ところで作新学院に職員の野球部ってあるの?」・「どうやって練習したの?」って聞くのは野暮なもの。
 でも彼が大卒後すんなりプロの世界に入っていたらこの新人以来の連続二桁は相当の記録まで伸ばしたはず。たとえ弱小の“クラウンライターライオンズ”の投手でも。やっぱり1年間のブランクは大きく、あれがなければ6月からでも二桁勝利は挙げられたはず。しかし、すんなり入団していれば出場停止のペナルティーはなかった。う~ん、パラドックス(笑)。

 江川は翌年15勝で最多勝を獲得。さらに3年目は初の20勝に乗せ、投手五冠王。投手五冠王は昭和34年の杉浦忠投手以来22年振りの大記録で、プロ野球史上6人目の快挙。プロの水に慣れたのもあるだろうが、やっぱりブランクは大きかった。徐々に体が元に戻ってきたのだろう。自業自得とは言え、すんなり入団していればと悔やまれる。

続く

石川投手大記録達成(4)

2006-09-17 21:27:41 | 記録に関して思う
 大卒ルーキーの記録

 大学卒業のルーキーはどうだろう?松坂と言えば同期の“雑草魂”・上原浩治(大阪体育大~巨人)が思い起こされる。彼はドラフト制以降二人目の新人20勝を挙げたが2年目は9勝で早々と脱落。昭和62年の西崎幸広(日本ハム)は確か金田留広(東映)以来の新人以来の3年連続15勝以上。そして5年連続二桁勝利を挙げていたらしい(笑)。
 
 西崎と言えば阿波野秀幸(近鉄)。ともに大卒の同い年で、ハイレベルな争いを演じた結果新人王はこの阿波野に輝いた。ただ、阿波野は4年連続二桁勝利を挙げるも、故障で5年目に脱落。その後浮上する事はなかった。西崎も6年目に故障して二桁勝利が途切れるが、こちらは見事復活。新人王を獲得したのは阿波野だが、長持ちしたのは西崎であった。

 大卒ルーキーの超大物と言えば江川卓だが、彼は1年目に9勝。現役生活9年、2年目以降引退までの8年間は常に二桁勝利を挙げたが、惜しむらくはこの1年目の9勝が大記録達成を妨げた。“僅か1勝。されど1勝”か(笑)。説明を要しないが江川は入団時の経緯(いきさつ)があり、デビューの年は開幕から5月一杯まで試合出場停止。2ヶ月弱あれば間違いなく二桁勝利は達成したはず。いや、6月デビューでももう少し味方が援護してくれていたら・・・。プロ初登板以来好投するも貧打に泣きなかなか勝てない江川であった。
 
 えっ、「江川は大卒ルーキーではなく社会人出身のルーキーだろう」って?そうか。彼は法政大学を卒業後、作新学院の職員として就職していました(笑)。同学院職員では初のプロ野球選手か?「ところで作新学院に職員の野球部ってあるの?」・「どうやって練習したの?」って聞くのは野暮なもの。
 でも彼が大卒後すんなりプロの世界に入っていたらこの新人以来の連続二桁は相当の記録まで伸ばしたはず。たとえ弱小の“クラウンライターライオンズ”の投手でも。やっぱり1年間のブランクは大きく、あれがなければ6月からでも二桁勝利は挙げられたはず。しかし、すんなり入団していれば出場停止のペナルティーはなかった。う~ん、パラドックス(笑)。

 江川は翌年15勝で最多勝を獲得。さらに3年目は初の20勝に乗せ、投手五冠王。投手五冠王は昭和34年の杉浦忠投手以来22年振りの大記録で、プロ野球史上6人目の快挙。プロの水に慣れたのもあるだろうが、やっぱりブランクは大きかった。徐々に体が元に戻ってきたのだろう。自業自得とは言え、すんなり入団していればと悔やまれる。


続く

石川投手大記録達成(3)

2006-09-15 23:40:47 | 記録に関して思う
怪物出現

 平成10年、甲子園に一人の怪物投手が生まれた。横浜高校、松坂大輔。春の選抜大会を制し、春夏連覇を目指した夏の大会ではPL学園との死闘を勝ち抜き、明徳義塾には奇跡の逆転勝利、そして決勝戦では島清一投手(和歌山 海草中)以来の決勝戦ノーヒット・ノーランを演じて見事夏の栄冠を勝ち取る。昭和62年のPL学園以来、19年振りの春夏連覇の達成であった。続いて秋の国体も制し、史上初の三冠校も達成。尚、近頃知った事だが横浜高校は前年秋の神宮大会も制していたとか。

 この怪物投手は西武ライオンズに入団すると噂に違わぬ豪速球であっと言う間にエースの座を獲得、16勝で最多勝を獲得した。江夏以来の“高卒新人二桁勝利”である。実に32年振りの大記録だ。尚、“高卒最多勝”になると昭和29年の宅和本司(南海)迄遡り、45年振りの快挙となる。松坂の怪物振りが窺える。松坂は翌年も最多勝を獲得。これも宅和以来の快挙だった。余談になるが私は宅和が入団2年目も最多勝を獲得したのは知らなかった。新人でいきなり26勝を挙げ最多勝を獲得したのは知っていて、「この高卒新人最多勝利は永久に破られることはないだろう」と思っていた。しかし2年目も最多勝を獲得したのは知らなかった。宅和の2年連続最多勝を知ったのは松坂のお陰のようなものだ。

 これまた余談だが宅和の活躍のせいで割を食ったのが同期で同じ高卒ルーキーの梶本隆夫投手(多治見工業~阪急)。新人で21勝を挙げながら、新人王に選ばれなかった。二桁勝利を挙げれば新人王を取れ、15勝辺りで最多勝を取れる今の時代、高卒で20勝を挙げた投手が何の勲章も貰えないのは信じられない話だ。梶本はその後も左腕からの快速球で9連続奪三振の記録を作るなど一時代を築くがタイトルとは無縁で、250勝投手では確か唯一の無冠ではなかったか?

 話しを松坂に戻すと松坂は3年目も最多勝を獲得、史上初の高卒新人以来の3年連続最多勝の偉業を達成した。3年連続最多勝自体も戦後はずーっとなく、江川卓・斎藤雅樹の巨人勢も遠藤一彦(大洋~横浜)も北別府学(広島)も達成できなかった。それだけの大記録を松坂は高卒で、しかも入団以来というおまけ付きで達成したのだ。

 そんな怪物ぶりを発揮する松坂でも入団4年目に二桁勝利が途切れる。5勝くらいまでは順調に勝ち進み「進化する怪物」などの文字が新聞を賑わしたがその後肩の故障でシーズンを棒に振った。ドラフト制施行以来、高卒ルーキーでチャンスがあったのは1年目(昭和41年)の鈴木・堀内・森安、2年目(昭和42年)の江夏以来であった訳だが4年目でその夢は潰えた。先程も述べたように故障と隣り合わせの投手が5年連続で二桁勝ち星を挙げるのが如何に難しいかが分かる。高卒二桁勝利なんてたぶん今後また何十年と現れないと思う。つまり石川投手の記録に並ぶ可能性のある高卒入団投手は、その資格(新人二桁勝利)を得るのさえ今後暫くは出現しないだろう。
 
 ただ、過去4人の達成者の内西崎以外は程述べたようにドラフト制施行直後の入団だが、全て高卒ルーキーだ。当時はレベルが違ったのかなぁ?因みに昭和40年の池永が“最後の高卒20勝”。翌41年の堀内と翌々年、42年の江夏が怪物・松坂に更新されるまでの“最後の高卒投手新人王”と“最後の高卒二桁勝利”。昭和40年代に入った辺りからアマとプロのレベル格差が顕著になってきたのかもしれない。
 尚、堀内の“高卒最高勝率”と“高卒最優秀防御率”はまだ更新されてないと思うがこれは“高卒20勝”のように過去にいた訳ではなく、堀内が凄すぎたと思う。


続く