goo blog サービス終了のお知らせ 

野球日誌

プロ野球を始め、野球に関する私的日誌

大物の並んだ平成元年ドラフト(4)

2006-11-29 01:32:18 | ドラフト
栄光の1位指名
 
 話しを野茂に戻そう。「全球団OK」の意思表示をしていた野茂には先程述べたように史上最多の8球団からオファーがあり、交渉権を獲得したのはこの年パリーグを制した近鉄バッファーローズであった。指名に外れた球団は再度指名することなくウエーバー方式となり、日本シリーズで敗れたパリーグを先として、パリーグ・セリーグの交代で順位の低い球団から単独で指名していった。西武ライオンズは潮崎、ロッテオリオンズは、オリックスブルーウエイブは佐藤和弘(熊谷組) 日本ハムファイターズは酒井光次郎(近畿大学)横浜ベイスターズは佐々木主浩(東北福祉大学)、広島東洋カープは佐々岡、ヤクルトスワローズは西村、中日ドラゴンズは与田。 

 野茂を外した阪神は元木指名のチャンスを捨て、法政大学の葛西稔投手を指名、勇気のなさを批判された。その阪神が素通りした元木を、新球団となり新たに田淵幸一を監督に迎えたダイエーホークスが果敢に指名した。思えば新監督の田淵も法政大学を卒業する際には巨人を熱望するも阪神に指名され夢破れた経験がある。今度はその自分が巨人を熱望する一高校生の夢を破った。不思議な運命を感じる。しかもその手助けをしたのがかつて在籍した阪神タイガースというのだから尚更因縁めいている。

尚、元木はダイエー入団を拒否し、ハワイに留学。翌年念願叶いドラフト1位で巨人から指名される。(交渉権を得た球団に入団したかどうかは別にして)江川に続く浪人を経験しての巨人入団であった。これよりドラフトを経ない入団は禁止される。

大物の並んだ平成元年ドラフト(3)

2006-11-28 00:12:56 | ドラフト
元木ショック!甘いマスクは涙にくれた
 
 大学野球に目を向けると、目玉は東京六大学の三冠王、慶應義塾大学・大森剛外野手であった。この大学球界の大物は巨人を熱望していた。後々元木も記者会見を開き巨人を“逆指名”する。ドラフトの注目はこの元木と大森のどちらが巨人から指名されるかであった。“将来性と人気”に掛けるか“即戦力”に掛けるか。そして巨人はこの大森を指名する。選んだのは“将来性”より“即戦力”であった。元木は記者会見場でテレビから大森の指名が映し出されるのを見てショックのあまり涙を流し、途中で退出してしまった。ドラフトはこの“元木ショック”にも揺れた。

大物の並んだ平成元年ドラフト(2)

2006-11-27 01:22:11 | ドラフト
平成のスーパースター誕生! 

超高校級バッター元木大介

 実際新人の野茂の活躍はまさにスーパールーキーと言ってよく、期待に全く違わない活躍をした。ここでは野茂の活躍の程は後回しにして、他の注目選手を述べてみたい。この年は社会人野球の投手に良い選手が多く、野茂以外の注目投手は与田剛(NTT東京)、潮崎哲也(松下電器)、佐々岡真司(NTT中国)、西村龍次(ヤマハ)など1年目から活躍する選手が揃っていた。

 しかし、これらの好選手が平成元年ドラフトで野茂に対抗する存在だったかと言うとそうではなく、このドラフトで野茂に対抗する存在はある意味では大阪の上宮高校・元木大介遊撃手であった。前記の好投手たちはたとえ野茂に次ぐ存在であっても、野茂に対抗できる選手ではなかった。それに対し元木は野茂に人気で対抗できる選手であった。元木のいた上宮高校はその年の春の選抜大会で準優勝を果たし、元木は4番を打っていた。打つだけでなく、その端正なマスクから打者では珍しい甲子園のアイドルとなり、女子中高生の人気を集めた。さしずめ、“実力の野茂”に対して“人気の元木”という位置づけであった、

 しかも元木がただ人気者であった訳ではない。元木は甲子園で通算6本塁打を放ち、桑田真澄投手(PL学園)に並ぶ2位の記録を持っていた。5期連続出場の桑田に対し、元木は3期で6本塁打を打った。ただの4番バッターではなかったのだ。

 勿論高校生がすぐプロ野球で使える訳ではなく、そこは社会人の野茂と実力の差はあったが、高校生では間違いなく実力NO.1であり、久々の超高校級スラッガーであった。そして先程述べたように甲子園のアイドル。甘いマスクと超高校球のバッティングは将来のプロ野球を背負って立つ存在に思われた。実力と人気を兼ね添えたこの元木を当然プロ野球界も放ってはおかなかった。

大物の並んだ平成元年ドラフト(1)

2006-11-26 02:13:02 | ドラフト
 平成元年は”野茂”ドラフト

 1989年、昭和も幕を閉じ、新たに平成の時代を迎えた。この記念すべき(?)平成元年のドラフトも豊作であった。勿論豊作とは有望新人がたくさんいたというだけではなく、実際に新人が1年目から活躍したという意味でである。

 この年のドラフトは言うまでもなく“野茂ドラフト”であった。社会人野球のエース、新日本製鐵堺の野茂英雄投手の一身にプロ野球の注目が集まった。1位は従来通り各球団が好きな選手を指名して、単独であればそれで交渉権を獲得し、重複すればその球団同士で抽選をするというものであった。注目の野茂を指名したのは何と8球団。3分の2が野茂指名という異常人気であった。それまでの記録は昭和54年の早稲田大学・岡田彰布三塁手と同60年のPL学園・清原和博一塁手の6球団であったから、如何にこの野茂が超目玉であったかが分かる。しかも冒頭で述べたように有望選手が他にも目白押しの年であるにも拘わらずに野茂に指名が集中したのだからそれだけ大物だったことが分かる。

かつてのドラフト1位(4)

2006-11-23 04:52:46 | ドラフト
 かつてスポーツ雑誌”ナンバー”を読んでいた際にこの7人衆の記事が出ていた。当時の大学体育会の上下関係は厳しく、特にレギュラーになれなかった上級生からのいじめはひどかったらしい。そして目を付けられるのは下級生でレギュラーになった選手である。

 初めに話題にした投手はホームベースから右翼ポールまでのうさぎ跳びを三往復もさせられたとか。足腰はガタガタ。それでそのまま先発を任せられ、何と弱小で有名な超難関国立大学相手にメッタ打ち!それほどまでに”先輩”のシゴキはひどかったらしい。

 新聞では現況として、宝石商から保険代理業に転職したと書いてあった。言われてみると、確かにその投手が宝石を扱っていた記事が出ていた記憶がある。背広姿で、手にネックレスを持っていた写真が掲載されていた。

 「定年のない職業を選んだ」との事。私もそろそろそんな事を考えなければならなくなった・・・。