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野球日誌

プロ野球を始め、野球に関する私的日誌

史上最高の投手になりそこねたピッチャー

2006-08-23 21:21:40 | 読み切り小説
ドラフト1位の社会人ルーキー

 ドラフト1位で入った投手であった。同期には甲子園で怪物と呼ばれたバッターがいた。同じリーグのライバルチームに指名され入団した。甲子園時代から超高校級のバッターとして騒がれた逸材であり、有名な存在であった。しかもある“事件” がその甲子園での試合で起き、それが社会的騒動となったため知名度は野球を知らない人にまで浸透していた。
 また入ったチームが人気球団でもあり、さらにカリスマ的監督が自ら抽選に赴き指名権を獲得して入団したなどプロ入りの際も話題には事欠かなかった。そしてキャンプではフリーバッティングで豪快な場外ホームランを連発して、マスコミの期待に応えた。しかしこちらは社会人出身。向こうは高卒ルーキー。負ける訳にはいかなかった。

早くもプロの水に慣れた?

 その長打力には無限の潜在能力を感じさせたが、さすがの怪物バッターも高卒ではすぐに先発メンバーには入れなかった。特に名門チームだけに選手層も厚く、実績のあるベテランが多いためその辺りは厳しかった。反して若い伸び伸びしたチームに入団した自分は春先からローテーション入りを果たした。自分は決して剛速球投手ではない。どちらかと言えばキレで勝負するタイプだ。力でねじ伏せる事はできないが、伸びのあるストレートは自信があった。調子が良ければ150㎞/hを出せた。また、それ以上に自信を持っていたのはスライダーであった。自分のスライダーはストレートとのスピード差があまりなかった。それがプロの選手に不慣れなのかこのスライダーでバッタバッタと討ち取れた。周りは“高速スライダー”と持てはやした。投げれば完封か1失点完投の勝利を収めた。

 まさに絶頂だった。「プロなんてこんなもんか」。そんな慢心が心の中に起こった。キャンプでは少し故障すると、辛口の監督から「所詮アマレベル」と辛辣な評価を下された。それを見事に見返してみせた。「投球美人」。監督の評価が変わった。

史上最高投手の終焉
 
 しかし、すぐに終焉はやって来た。肩を痛めた。たいして酷使された訳ではないが肘に違和感があるままスライダーを多投しすぎたのが原因だった。オールスターは辞退した。後半戦に備えた。しかし一向に快復の兆しをみせず、残りのシーズンも棒に振った。それだけではなかった。翌年もさらにまた翌年も肩は快復しなかった。いつしか忘れられた存在になった。

 チーム内には同じ姓の先輩投手がいた。正しくは漢字が違うので同じ姓ではないのだが発音は同じだった。やはり社会人経由で入団した投手で甲子園では準優勝の経験を持つ。社会人NO.1ピッチャーとして期待されて入団し、背番号もエースナンバーを付けた。そして最多勝のタイトルも獲得した。いつしか自分は忘れ去られ、そのチームの○と言えば違う方の○を指していた。

 せめてもの勲章は後半戦殆どマウンドに立たなかったがそれでも新人王を取れた事であった。シーズンを通しての成績は二桁にも満たないので新人王は怪物バッターでも良かったが、何せ記者投票のタイトルだ。はっきり言えば公正さがあるわけではない。何とか新人王は手に出来た。しかしそれだけであった。プロにしがみついたが結局新人時代のキレのある球は戻ってこなかった。球団も温情で年俸ゼロのまま在籍させた。が、一度壊した肩・肘は元に戻らなかった。いや、メッキが剥げただけと言ってもよい。自分が通用したのは相手のバッターがまだ目に慣れない短い期間だけであったのだ。慣れればいつかは打たれた。その前に故障しただけであった。しかし短期間の活躍で素人の野球ファンは「史上最高の投手」とか「故障さえなければどんな投手になっていたか」などと言ってくれる。「故障したのが却って良かったかな」。引退して数年、自分の実力が分かった今つくづくそう思う。

三冠王の罪

2006-08-23 00:50:36 | 読み切り小説
「彼は天才だ」

 三冠王男も罪深いものだ。どんな意図があったか分からないがある好打者を「天才」呼ばわりした。確かに3割をコンスタントに残すなかなか良いバッターだ。長打力もそこそこあり、20本台は望める典型的な中距離打者だ。しかし12球団を探せば他にもいる好打者レベルだった。だが、三冠王男は彼を「一番の天才」と呼んだ。さあ、これに周りが飛び乗った。

“天才説”流行す

 何せ三冠王を獲得した強打者である。70余年の歴史を持つ日本プロ野球でも三冠王を獲得した打者は数えるほどしかいない。怪童と呼ばれた不世出のホームランバッターも僅差で逃すこと実に4度、ミスタープロ野球と称される天才打者でも絶対確実と言われながらもデッドボールによる怪我で掌中から逃した。三冠王を取ることがどれだけ難しいかが分かる。実力以外にも運もなければ取れない、それだけに価値のある勲章だ。だからそれを獲得した打者の言葉は、当然ながらそれだけ影響力があった。それにそれがかなり意外な内容であり、さらに日頃から意表をつく発言で売っていたこの三冠王のキャラクターと相まってこの“天才説”が流行した。

流れに飛び乗れ!

 一人のスポーツジャーナリストがこれに便乗した。スポーツジャーナリストと言っても実は大してスポーツなど分かっていない。見せ物の相撲取りを「史上最強の格闘家」なんて平気で書いている輩だ。野球も詳しくはない。中学でやっていた程度だ。しかし、何と言っても三冠王の言った言葉だ。鵜呑みにしてしまった。いや、決して信じた訳ではなかった。要は自分が、そして本が売れれば良いのだ。発言の中身なんかどうでも良かった。第一、この“天才”のバッティングを見ても天才かどうかなんて分からない。取材で時折球場に足を運ぶが、自分からすればプロの打者は皆が天才に見えた。なまじ部活動で野球をしていただけにその凄さが分かった。フリーバッティングで見るプロの選手はその打球の速さ、飛距離全てが見たこともないレベルで、全員が自分より雲の上の存在だった。だから、その雲の上での優劣の比較などできなかった。自分には見えないフィールドで競い合っている選手たちは、誰が天才で誰がそうでないかなんて自分には全然分からなかった。
 
 しかし、彼はこの選手を“天才”として扱うことにした。野球は素人でも文章を書くのは、下手とは言えプロだ。この選手を天才として祭り上げれば売れるかもしれない。会話やエピソードなども聞きかじった事を誇大広告した。そして天才像を創り上げた。やがてそれはプロ野球ファン、特に素人の野球ファンに浸透した。
これには当の三冠王も驚いた。

素人ファンの反応

 普通の野球ファンはこの選手が天才と言うことに違和感を覚えた。経験者からは失笑が漏れた。「また、三冠王がやってくれたか(笑)」。それはそうだ。タイトルなど何一つ獲得していない。しかしそんな選手を“天才”と呼ぶことに一種の昂奮を覚える野球ファンが一部にいた。当然素人ファン、“にわか野球ファン”だ。イチローを天才と呼んでも昂奮は沸き上がって来ない。毎年毎年当たり前のように首位打者を獲得、しかも余裕を持って獲得しているそんな選手を天才と呼んでも自分が野球通だとは思われない。イチローが天才だと言うことは素人でも、野球に興味のない人でも分かり切った事だ。それはあたかも物理学の素人でも、一般相対性理論を知らなくても、「アインシュタインは天才だ」と誰でも知っているのと同じであった。
 
 ところがこの選手は違う。タイトルはまだ獲得していない。しかも幸か不幸か田舎の不人気チームに在籍しており、野球に詳しくない人にはその存在さえ知られていない。そのためこの選手を“天才”と呼ぶ意外性に快感を覚えた。彼を天才と呼ぶことで自分自身が野球に詳しくなったような錯覚に陥り、周りに野球通を自慢できるかもしれないと誤解した。そして「○は天才」と呼ぶ事でいつの間にか知らず知らずのうちに自己陶酔に浸っていた。

そして失恋

 ある日、知り合いの女の子に言ってみた。かねてからこの女性が好きだった。「○って天才だよ」。「えっ、○って誰?」。「知らないかなぁ?△の三番を打っている打者だよ」。「へぇ~、知らなかった。有名じゃないけどそんなに天才なの?イチローなら知っているけど」。「そのイチローが尊敬しているんだぜ。本当に天才だよ」。「ふ~ん、そんなに天才なんだ。□君ってホントに野球に詳しいのね」。「ハハハ、まあね」。

 そこで止めとけば良かった。しかし好意を寄せている彼女から褒められた。それはもう天にも昇る気持ちだった。まさに有頂天。ついつい調子に乗り過ぎてしまった。「イチローが天才なんて言う奴は素人だぜ。本当の野球通は○を天才って見抜けるんだ」。「ところでイチローより凄いならタイトルとか毎年取っているんでしょ?」「いや、まだなんだ」。「えっ、それで天才なの?」。「そうさ、天才さ」。「ねぇ、何で天才なの。どんなところが天才なの?」。「えっ、それは・・・、え~と、その、つまり天才なんだよ」。「え~、それじゃよく分からないわ。私、野球好きだからもっとちゃんと解説してよ。どういうことろが天才なの?」。「う~ん、それはだな・・・。とにかく天才なんだよ」。「何だかよく分からないわ」。「だって、雑誌に書いてあったぜ、○は天才って。それに、ほら、あの三冠王も天才って呼んでたんだ」。「なぁ~んだ。□君の意見じゃなく雑誌の受け売りなのね。□君って本当は野球知らないんじゃないの?私、もう帰る」。
「えっ、おい、ちょっと待ってよ」。

 受け売りの知ったかぶりで今、一つの恋が終わった。ただし、三冠王はこの失恋の補償はしてくれない。