先日、義母の初盆で士別市のお寺を訪ねた。ついでに士別市をぶらり歩いてみる事にした。
市は道北の小さな街で、旭川からおよそ50kmほど北に位置し、人口は23000人ほどのこじんまりした住みよい街である。
士別市の観光ポイントといえば、スイレンの花が咲き誇る九十九水郷公園やサホークランドだろう。
市の中心部から12~3kmほどの所にあるサホークランドを訪ねてみた。サホークとは羊の種類のことで、なだらかにうねった緑のめん羊牧場に、のどかに草を食む羊たち(サホーク種)が夏の陽の中にたたずむ姿は、訪れる人々を癒してくれる。
この辺り一体は「羊と雲の丘」と呼ばれ、37ha(東京ドーム8個分)の広さがあり、およそ400頭の羊が放牧されているそうだ。
晴れた日には大雪山系や雨竜連峰が見渡せ、士別市街が一望できる。エリア内には「羊飼いの家レストラン」があり、眼下の士別市街やその向こうに拡がる山なみ眺めながら羊肉料理を楽しむのは格別である。
ここでは、シープドッグショーや羊の毛刈りショーなどを楽しむことが出来る。また訪れてみたいと思っている。
市は道北の小さな街で、旭川からおよそ50kmほど北に位置し、人口は23000人ほどのこじんまりした住みよい街である。
士別市の観光ポイントといえば、スイレンの花が咲き誇る九十九水郷公園やサホークランドだろう。
市の中心部から12~3kmほどの所にあるサホークランドを訪ねてみた。サホークとは羊の種類のことで、なだらかにうねった緑のめん羊牧場に、のどかに草を食む羊たち(サホーク種)が夏の陽の中にたたずむ姿は、訪れる人々を癒してくれる。
この辺り一体は「羊と雲の丘」と呼ばれ、37ha(東京ドーム8個分)の広さがあり、およそ400頭の羊が放牧されているそうだ。
晴れた日には大雪山系や雨竜連峰が見渡せ、士別市街が一望できる。エリア内には「羊飼いの家レストラン」があり、眼下の士別市街やその向こうに拡がる山なみ眺めながら羊肉料理を楽しむのは格別である。
ここでは、シープドッグショーや羊の毛刈りショーなどを楽しむことが出来る。また訪れてみたいと思っている。
T子さんがパーキンソン病を発症してからずいぶん長い時が経つ。札幌のM病院に入退院を繰り返したが症状は次第に進行していったという。今では車椅子の生活を余儀なくされている。それでも目の前をしっかりと見つめ、生きがいを懸命に求め、今自分に出来る事を追求する姿は美しく輝いている。彼女は水彩画に興味を持ち屋外での作品作りが好きだ。
この日は滝野すずらん公園でヘルパーさんの介護のもとに必至にコスモスを描いた。澄んだ鋭い目で観察したコスモスの映像が彼女の不自由な手を通じて正確に描かれていく。それは彼女独特の色使いで表現され人間味にあふれ、観る者の心に何かホットするものを与えてくれる。私達が小さな子供の頃に描いていた夢を髣髴とさせる。
初秋の陽だまりの中で凛として描き続ける姿は大きく輝いて見える。私をはじめ多くのパーキンソンの仲間に勇気を与えてやまない。ヘルパーさんいわく、「全身が不自由なのに彼女の手はまるで魔法のよう。今までの作品も沢山あるので個展も開けます」
彼女に「おめでとう」と言ったら、聞き取れないような小さな声で「ありがとう」と返してくれた。パーキンソンが進行したために発生がうまくいかないのである。
この日は滝野すずらん公園でヘルパーさんの介護のもとに必至にコスモスを描いた。澄んだ鋭い目で観察したコスモスの映像が彼女の不自由な手を通じて正確に描かれていく。それは彼女独特の色使いで表現され人間味にあふれ、観る者の心に何かホットするものを与えてくれる。私達が小さな子供の頃に描いていた夢を髣髴とさせる。
初秋の陽だまりの中で凛として描き続ける姿は大きく輝いて見える。私をはじめ多くのパーキンソンの仲間に勇気を与えてやまない。ヘルパーさんいわく、「全身が不自由なのに彼女の手はまるで魔法のよう。今までの作品も沢山あるので個展も開けます」
彼女に「おめでとう」と言ったら、聞き取れないような小さな声で「ありがとう」と返してくれた。パーキンソンが進行したために発生がうまくいかないのである。
鶴の湯温泉の蓮沼。今や盛りと咲き誇る真紅の群れの中に、その一生を終えようとする光景がある。
ハスは生まれたばかりの釈迦が歩き出した跡に咲いた花と、言い伝えられ強い仏教思想を内に秘める。艶やかな花園の中での終焉。それは生ある物の無常観をそこはかとなく現している。
ハスは生まれたばかりの釈迦が歩き出した跡に咲いた花と、言い伝えられ強い仏教思想を内に秘める。艶やかな花園の中での終焉。それは生ある物の無常観をそこはかとなく現している。
咲き誇るハス。注意深く観察すると、これから美貌を現そうと待機しているグループも少なくない。その花言葉のとおり優雅さの中に神聖な姿を雄弁に主張している。
燦々と輝く夏日。痛いほどに暑いその時空間には静寂が漲っていた。
燦々と輝く夏日。痛いほどに暑いその時空間には静寂が漲っていた。
安平町、早来の鶴の湯温泉。沼一面に咲きほこるハスの花が訪れる人々を楽しませる。今年は気温が高いせいか、例年より早い開花をむかえている。
この花を一人静かに見つめていると、そこはかとなく深い仏教感が伝わってくる。
言い伝えによると、生まれたばかりの釈迦が歩き出し、その足跡から咲き出したのがこの花。釈迦はハスの花の上に立ち、「天上天下唯我独尊」とこの世での第一声を上げたと言われている。
花言葉は「神聖」「沈着」「雄弁」「離れゆく愛」などがあるそうだ。
絢爛と咲き誇るハスに取り囲まれていると夢の世界を浮遊しているようだ。
この花を一人静かに見つめていると、そこはかとなく深い仏教感が伝わってくる。
言い伝えによると、生まれたばかりの釈迦が歩き出し、その足跡から咲き出したのがこの花。釈迦はハスの花の上に立ち、「天上天下唯我独尊」とこの世での第一声を上げたと言われている。
花言葉は「神聖」「沈着」「雄弁」「離れゆく愛」などがあるそうだ。
絢爛と咲き誇るハスに取り囲まれていると夢の世界を浮遊しているようだ。
第37回「難病患者・障害者と家族の全道集会」がこの8月7~8日に旭川市で行われた。私は毎年参加しているが、多くの仲間達から学び、感激し、そして元気とエネルギーをもらって帰ってくる。
今回も顔見知りの仲間と再会し体調や薬の事、困っている事、楽しかった事などを話し合って旧交を温めた。
さて、旭川での「全道集会」は1994年以来16年ぶりの2回目の開催になるという。この時の記念講演で、今は亡き三浦綾子さんが「難病患者の一寸先は光」という言葉を残されたそうだ。三浦綾子さんはパーキンソン病を患いながら、人間の生きる意味、命の尊さを追求してきた旭川市出身の偉大な作家だ。
「一寸先は闇」というフレーズはよく聞くが「光」とは聞いた事がない。彼女が16年前の記念講演で語りかけた事は何かを考えた。
発症して何年か経ち、症状が静かに確実に進行していく中で「難病患者の一寸先は闇」だと思った。以前の何でも出来た頃の憧憬が払拭出来ずに暗く悲しい思いに沈んでいた事を思い出す。「全道集会」で車椅子に横たわり辛そうに参加している仲間に会うと、何年か先の自分自身を想像し大きな寂寥感に襲われたものだ。症状は秒針のない時計のように確実に進んでいくのだから........
2年前の第35回「全道集会」は道南の大沼公園を主会場にして行われた。初日の歓迎レセプションに出演した「よさこいソーラン」の演舞が今も脳裏にはっきりと残っている。
このチームは、主として難病患者と身障者で編成されており、各自の身体的な事情によって演技の持ち場や分担が決まっているように思えた。
演舞の前列には、車椅子の仲間達が手だけを使って懸命に演技する姿が目に焼きついた。ステージの中ほどはよく動ける仲間達が担当し通常のよさこいとあまり変わらない激しい踊りを見せていた。そして後段では少々動きに不自由を感じる仲間達が上半身をフルに動かしながら踊っている。
仲間達の懸命な演技がよさこいの大音響と重なりながら見る者の胸に押し寄せてきた。
私は思わず涙ぐんだのを覚えている。この仲間達は、今自分に出来ることに全力を傾注している。個々の力は微弱であっても仲間の力が一つになった時、想像出来なかった結果を生み出した。体の事情による三つのグループの演技は一つの完成された芸術作品として見る者の胸を振るわせた。仲間達は喜々として踊りぬき、鳴り止まぬ大きな拍手に笑顔で答えた。
私はここに「難病患者の一寸先の光」感じた。
「一寸先は光」という事は今よりこれから先のほうが明るいということだ。
発症当時、忍び寄る体の異変に恐れおののき言い知れぬ焦慮感に打ちのめされていたものだ。そのうちにパーキンソンは単独ではなく欝と連れ立って訪れるようになった。その度に、家族や友人、同病の仲間達からの温かい励ましをいただき、彼らの生き方を学んだ。「以前に出来た事をふり返ってはいけない。今、出来る事は何かを考え、それに向って懸命に進むこと」これが彼らの無言の答えだった。「ほんの少し動作が緩慢なだけで大抵のことはやれば出来る」という自信と、どうしても出来ない事は「私はPD(パーキンソン病)です」と言って他に援助を求めることにした。このように切り替えると今までの希望を持てない生活に張りが出てきたように感じた。発症当時、ほぼ投げ出し状態だった写真にも全力で取り組めるようになり、それなりの作品を撮れるようになった。さまよい続けてきた長いトンネルの向うに一条の光が見え始めた。早く、このトンネルを抜けだして、より活気のある自信に満ちた毎日を送りたいと思う。「難病患者の一寸先に光」が見え始めた。
今回も顔見知りの仲間と再会し体調や薬の事、困っている事、楽しかった事などを話し合って旧交を温めた。
さて、旭川での「全道集会」は1994年以来16年ぶりの2回目の開催になるという。この時の記念講演で、今は亡き三浦綾子さんが「難病患者の一寸先は光」という言葉を残されたそうだ。三浦綾子さんはパーキンソン病を患いながら、人間の生きる意味、命の尊さを追求してきた旭川市出身の偉大な作家だ。
「一寸先は闇」というフレーズはよく聞くが「光」とは聞いた事がない。彼女が16年前の記念講演で語りかけた事は何かを考えた。
発症して何年か経ち、症状が静かに確実に進行していく中で「難病患者の一寸先は闇」だと思った。以前の何でも出来た頃の憧憬が払拭出来ずに暗く悲しい思いに沈んでいた事を思い出す。「全道集会」で車椅子に横たわり辛そうに参加している仲間に会うと、何年か先の自分自身を想像し大きな寂寥感に襲われたものだ。症状は秒針のない時計のように確実に進んでいくのだから........
2年前の第35回「全道集会」は道南の大沼公園を主会場にして行われた。初日の歓迎レセプションに出演した「よさこいソーラン」の演舞が今も脳裏にはっきりと残っている。
このチームは、主として難病患者と身障者で編成されており、各自の身体的な事情によって演技の持ち場や分担が決まっているように思えた。
演舞の前列には、車椅子の仲間達が手だけを使って懸命に演技する姿が目に焼きついた。ステージの中ほどはよく動ける仲間達が担当し通常のよさこいとあまり変わらない激しい踊りを見せていた。そして後段では少々動きに不自由を感じる仲間達が上半身をフルに動かしながら踊っている。
仲間達の懸命な演技がよさこいの大音響と重なりながら見る者の胸に押し寄せてきた。
私は思わず涙ぐんだのを覚えている。この仲間達は、今自分に出来ることに全力を傾注している。個々の力は微弱であっても仲間の力が一つになった時、想像出来なかった結果を生み出した。体の事情による三つのグループの演技は一つの完成された芸術作品として見る者の胸を振るわせた。仲間達は喜々として踊りぬき、鳴り止まぬ大きな拍手に笑顔で答えた。
私はここに「難病患者の一寸先の光」感じた。
「一寸先は光」という事は今よりこれから先のほうが明るいということだ。
発症当時、忍び寄る体の異変に恐れおののき言い知れぬ焦慮感に打ちのめされていたものだ。そのうちにパーキンソンは単独ではなく欝と連れ立って訪れるようになった。その度に、家族や友人、同病の仲間達からの温かい励ましをいただき、彼らの生き方を学んだ。「以前に出来た事をふり返ってはいけない。今、出来る事は何かを考え、それに向って懸命に進むこと」これが彼らの無言の答えだった。「ほんの少し動作が緩慢なだけで大抵のことはやれば出来る」という自信と、どうしても出来ない事は「私はPD(パーキンソン病)です」と言って他に援助を求めることにした。このように切り替えると今までの希望を持てない生活に張りが出てきたように感じた。発症当時、ほぼ投げ出し状態だった写真にも全力で取り組めるようになり、それなりの作品を撮れるようになった。さまよい続けてきた長いトンネルの向うに一条の光が見え始めた。早く、このトンネルを抜けだして、より活気のある自信に満ちた毎日を送りたいと思う。「難病患者の一寸先に光」が見え始めた。