草莽の記     杉田謙一

教育・防衛・慰霊・エネルギー・歴史についての意見

3月10日東京大空襲を糾弾する

2008-03-08 15:12:23 | Weblog

三月十日は陸軍記念日である。明治三十八年、日露戦争において奉天(現在の瀋陽)を陥落させた記念日。
 昭和二十年のこの日に何がなされたか。
 十九年年十一月二十四日にヘイウッド・ハンセル准将の指揮によりはじめられた本土空襲は、軍需工場、製油所などの目標地点のみ攻撃す二十一にカーチス・ルメイ少将と交代した。「軍需工場の労働者の家や使用する道路、鉄道を破壊することが効果的だ。」というヘンリー・アーノルド大将の意を受けたルメイは、大規模な無差別攻撃を立案、その手始めに東京を選んだのだ。
 猛将とよばれたルメイすら、この違法性は承知しており、一睡もせずに攻撃隊の返事を待っていたという。失敗は許されない。万が一分が悪く敗戦ともならば、戦争犯罪として裁かれるのは必定。
「この空襲が成功すれば戦争は間もなく終結する。これは天皇すら予想できぬ。」「我々は日本降伏を促する手段として火災しかなかったのである。」とルメイ自身証言している。  ルメイは後年、「自分たちが負けていたら、自分は戦犯として裁かれていた」と述べている。ルメイの前任者ヘイウッド・ハンセル少将は高高度からの軍事目標への精密爆撃にこだわった故に解任されている。無差別戦略爆撃は、原爆投下も含めてアメリカ大統領たちの選択であったと断言できる。。同じアメリカ軍内でもチェスター・ニミッツ元帥などはルメイをあからさまに批判しており、ペリリュー島に於ける日本軍の見事な戦いに対する賛辞を残しているだけのことはある。
 これ以降も、日本側の産業基盤を破壊し、また戦意を挫くため、全国各地で空襲が行なわれ、その結果多くの一般市民が犠牲となった。建前では軍施設や軍需産業に対する攻撃であるが、実際には多数の民間人(非戦闘員)が犠牲になっており、これこそ戦争犯罪である。
 明日への遺言の主人公岡田資(たすく)氏が「法戦」をなしたのも当然のことである。
しかし日本政府は、サンフランシスコ平和条約により賠償請求権を放棄している。のみならず、日本政府は、日本本土爆撃を含む対日無差別爆撃を指揮したカーチス・ルメイ少将に対し、航空自衛隊の育成に貢献したとの理由で勲一等旭日章を授与した。戦勝国政府に対する極端な迎合であり、看過できない。
 真珠湾空襲に大きく関わった元衆議院議員源田実は当時この勲章授与を賞賛した。何たることであろう。筆者にとった若かりし頃源田実氏と情宣活動を共に行なったことがこれを氏って痛恨の出来事と反省せざるを得ない。
彼らはその無差別殺戮を勝利への必然と強弁する。終戦を早め、日本の犠牲を最小限に抑えるためなどとさえ語り、その非道さを隠蔽する。果たしてそうか。
 サンケイ紙の昨年八月十四日正論欄に「原爆投下と終戦の三つの誤解」と題して戦史評論家、鳥居 民氏の研究論文が載った。以下抜粋。
《事実は違う。日本が和平仲介を求めてソ連に特使を派遣しようとしていたことは、アメリカ側が日本の外交電報を解読していたから、トルーマンは全てを承知し原爆の都市実験を終えるまで、日本を降伏させないことが彼の最も留意することとなった。
 そこでポツダム宣言なるものは日本側が必ずや「黙殺」するように作った。まずは正式の外交文書ではなく。宣伝文書の形にした。もともとあった天皇保全の条項を彼自身が削った。実験終了の後にそれを復活させる策を弄しもしたのである。(中略)  新編成のアメリカの太平洋艦隊がギルバート諸島を制圧したとき、ルーズベルトの明日の課題は既に日本の事ではなく、日本敗北のあとに起こる中国の内戦を阻止することにあった。こうして日本を一日も早く降伏させ、中国大陸の日本軍を混乱なく降伏させることが対日政策の基本となった。そこで何らかの理由で原爆が使用できなくな
れば、ルーズベルトの後を告いだトルーマンは、五月末に天皇保全の条項を明記した対日宣言を発表し、日本は六月中に降伏したはずである。》

 鳥居氏によればアメリカは是が非でもウラン型プルとニーム型実験を2種類とも成し遂げねばならず、それまで日本の敗戦を遅らせねばならなかったというのである。日本にとって天皇・国体の護持は譲れない大前提であったことをアメリカは知り抜いていた。
 天皇保全条項の削除は開戦時の「ハルノート」と同じ効力を持ったといえる。
 阿南陸相らの国体護持にかかわる受諾危惧論や大陸兵士帰還計画案に対する米側無返答とはぐらかし、さらに敗戦後のポツダム宣言不履行(カイロ宣言―領土的野心を持たずーの尊重、海外邦人の速やかな帰国の保障など)その後の戦勝国の取ったポツダム宣言無視方針との矛盾が実に判りやすい。
 ポツダム宣言は正義面したアリバイ工作でしかなかったのである。少なくとも原爆投下は野蛮な人体実験そのものであった。
 われらは三月十日の東京大空襲初め、原爆投下までを、米国によるジェノサイドとして捉えるほか、ないのである。いまだ米国善玉論の理をとく為政者をもつ国は不幸極まりない。一刻も早く東京裁判史観からの脱却を目指さねばならないのである。






2 コメント

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杉田先生へ (江田一成)
2008-03-13 19:51:01
杉田先生
何時も有難う御座います。
篤く読ませて戴いております。
いつも羨ましく思います、先生の生徒さん達が。
お逢い出来る事を楽しみにしております。
靖国神社の桜ももうすぐ開花します。

九段より
江田一成
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Unknown (杉田謙一)
2008-03-14 00:22:18
お読みいただいて嬉しいです。三ヶ根通信では政治問題が書けず、いいたいことすべきことが表現できず、こちらにシフトしております。自由に書けるからブログはいいですね。またおたよりお願いします
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