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EASY-GOING

始まりと終わりを繰り返し、繰り返すコトで回る地球

たとえば僕の愛しい人が

2010-11-15 | 日記

たとえば僕の愛しい人が痔を患い。
日常歩くことすら困難なそんなんで。夜は、
風呂からうぎゃああああぁぁぁと断末魔のようなものが聞こえて布団の中では、
うううう、ううう、眠れないよお眠れないよお痛いよお、と、
しみしみ泣いている。そんなとき僕は、
そんな女を不憫に思い、
出来ることなら代わってあげたいと願い、
そうなってしまった原因の一端が自分にもあるかもしれないことを心底悔やみ、
可哀想な痛そうな辛そうな地獄的状況から女を、救ってやりたいと、
強く強く念じても、






どーしても、笑ってしまうのですん






けつが痛いっつー現実に、単純な僕はどーしても笑いを堪えることが出来ないのですん





夜中、苦悶の表情で号泣している女の背を撫でながら、笑ってしまうのですん





それだから女は余計に怒り、絶望落胆して激痛に参りながらも辛辣な言葉で僕を非難中傷罵倒する。




薄情者!!
頼りなし!!
タコ助!!
もう次、首が痛いとか歯が痛いとかゆっても何もしてあげないからね!!タコ助!!
あたしも笑ってやる!!
絶対、笑ってやる!!笑ってやる!!


と、泣きながら言われて収拾不能。


うわ~めちゃくちゃ言われんな~と、客観的に状況を捉えながら反省しながら頭にキテ言い返してしまわないように、
細心の注意を払いながら鉄の忍耐力を磨きながら事柄の根底が「けつ」なのを思い出して




また笑ってしまって火に油。負のスパイラル。





賑やかな悲鳴と怒声の中で、黙々と笑いを堪える午前4痔。








たとえばの話。






来年結婚しようかと思っている。

たとえばの話、
痔も愛も過去も未来もひっくるめて候。

ずーっとずーっと観たかったの♪

2010-11-09 | 日記
いつか出逢うと思って意識的に放っておいたフィンセント・ファン・ゴッホと出逢うべく久しぶりの美術館へ。

美麗珍奇な日本画に比べて西洋画は僕にとって退屈そのものだからわざわざ足を運んでまで観る必要はないのん、というスタンスでこれまでいたけれども二週間ほど前にたまたまつけていた昼間のテレビ番組がゴッホ展の特番を放送していて、単純というか、素直というか、まさに無垢な僕はそれにまんまとヤラれて絵に描いたような「客」として、きゃあ、前々からずーっとずーっと観たかったの♪フィンセントの絵♪と言った。
大学時代に西洋美術史を専攻していたという得意げな鈴木に。一緒に六本木新国立美術館へ。ゴッホとゆかりのある僕の知らない画家や芸術用語やヨーロッパの地名を鈴木に解説してもらいたいという下心があったのに美術館に着いて早々僕の些細な一言が原因で女は機嫌を著しく損ねてしまってその下心おじゃん。「ふんっ」つって女、ケツを振り振り群集の中に消えてゆくのであった。そして僕は独りになるのであった。

そもそも、美術芸術に対して(絵画であり彫刻であり詩や※一部の映画に対して)人は一人でそれと向かい合い、見つめ、絵の具の中に隠された言葉を掴んで、思惑するのが醍醐味であり、それをましてや女と、あろうことか恋人同士で、手なんぞ繋いで、ちゃいちゃいしながら「彼のこれこれアレは当時人気のあったフランスの印象派の云々という誰々のかにかににやれやれと影響を受けているのだよ知っていたかい?まあ知っているだろうね」なんぞテレビそのまんまの知識をぶっ放しながら小股で観衆の行列の中をぬんぬん前進するのは馬鹿馬鹿しいので、それは馬鹿のやることなので、女がいなくなったことは結果的に自分にとっての好都合ではあった。(※ジョン・カサヴェテスの【チャイニーズブッキーを殺した男】や【オープニング・ナイト】などを観た後でそれの感想や衝撃をそのまんま語り合える友人がそう多くいるとは思えないように)
フィンセントファンゴッホは「炎の画家」と呼ばれているのをよく聞いていたので「燃える闘魂」と呼ばれるアントニオ猪木に近いモノを持っているのだろうな、と、自分にとってそこは非常に興味深いポイントではあったよ。でも「炎」どころかいっそのコト燃やしてしまいたくなるほど初期のゴッホの絵は下手糞だったよ。頭デカいし足小さいし絵柄暗かった。「はじめから上手いヤツなんていない」という昔よく聞かされた話はやはり真実なのだのだなーとつくづく思ったよ。それでも彼の場合はその後すぐに狂気的執念と純粋すぎた芸術への信仰心の狭間で技術と神経を磨き続けて覚醒して不遇のまま天才の境域に到達して死後百年が過ぎても絶賛され続ける幾つかの芸術を遺した。



Dank U wel,Vincent.あんたが燃やした神々しい情念は死んでない、あんたが見た美しい情景は枯れてない、あんたの作品は今、世界中に愛されて、絶賛されている。おめでとう

それはそれでいいなあ

2010-11-03 | 日記

来たからも南からも攻められてたじたじになっている祖国のことをやんわりと考えてみようと思るたびに藤岡弘さんのツイート(侍語録)を思い出している。



・「私の夢は、零戦を操縦すること」


・「【あなたは日本を愛していますか?】という問いに、あなたは何と答えるだろうか。
私の答えはもちろん、「はい、愛しています」だ」


・「これからでも遅くない。日本の子供達や若者達に「日本とは何か」「日本人とは何か」を学ばせる。これが必要だ。」


・「靖国神社問題。敢えて言えば“細かな”議論は控えたい。重要なのは気持ちであり、心だ。
日本の為に命を捧げた人全てに感謝し、現在と未来の平和を祈る。これでいいじゃないか。」


・「私は特別過激なことを言っているつもりはない。右翼だ、左翼だ、とそんな色分けは迷惑至極。
私が目指しているのは「みんな仲良く」だよ。」




ごらんの通りこの方は
"右翼左翼"の「よく」と"みんな仲良く"の「よく」で韻を踏まれている。他にも、
妙に面白いのがある。






・「ピラニアがこんなに美味しかったとは。」

・「女の尻を追っかけるより、ジャングルに行ってジャガーの尻を追っかけろ!!」




日ごろから相当サバイバルしているのが伺える。ガチなんだと思う、
この人と松岡修造は嘘をついていない気がする。マジなんだと思う。

その他には



・「ブルマンでもない。キリマンジャロでもない。いや、モカでもない。初めての味…ガツン!とくる味わい「藤岡、珈琲」



・「レッツゴー!!ライダーキック2006 (歌:藤岡弘、) 」



・「馬とバイクは一生乗り続けたいね。」


・「戦うヒーローが巨大に変身してしまうと「自分とは違う」と思ってしまうけど、仮面ライダーは生身の人間と同じ等身大だった。子供達も、僕もライダーになれるんじゃないか、という風に思って、身近に感じたんじゃないかな。」



ウルトラマンに対してそんなに対抗心があるなんて知りませんでした。声が聞こえた気がしました。

最後に、




・藤岡弘、CDアルバム「愛こそすべて 合掌、」  






ど真ん中の直球160キロを素手で受けたようなタイトル「愛こそすべて 合掌、」

これはこれでジョンレノンと同じことを言っていて、それはそれでいいなあと思った。

満更でもないヒロスエ

2010-10-25 | 日記
そもそも僕は頭も心も空っぽの状態にして「無」私は、只の歩く肉でございます。"鋭意"歩行中であります。てな具合にこの荒く補正された川沿いの道を歩いてゆきたいのだけれども鍛練が足らないせいか単に落ち着きがないからか次から次に湧いて砕ける「雑念」に脳内胸中を侵され続けている。なぜかどうしても思い出せない昨日食べた昼飯や去年産まれた従兄弟の娘の名前、シンシティでミッキー・ロークが演じた不死身の大男の役名、1日千円程度の報酬で雇われた猟友会の爺さんに射殺される餌が欲しいだけの熊の虚しさ、明日の天気、転職したばかりの友人の手取りの金額、さっきスレ違った女子高生の誰にも言えない秘密、幼い頃に住んでいた家の電話番号、レタスの値段、贔屓にしているバンドの新曲の評判、拷問で性器を焼かれたインドネシアのゲリラ兵の屈辱と怒り、民間初の宇宙旅行を来年に控えたパイロットの誇り、そのパイロット試験の最終段階で落選した男の視力、陥没した左乳首に絶望を抱く妊婦、パンクした自転車を担ぐイケメンメッセンジャーの勇敢な横顔、たった今耳元をかすった蝿の羽音、真夜中にロウソクを使用したソフトSMで責められる満更でもないヒロスエ。などなど「無」の状態から程遠い自分の中の「乱雑」に溜息を吐いた直後に一番星を見つけて、なぜかテンション少しだけ上がる。曇り空の合間に



うへっ

渇いた心と冬の風

2010-10-24 | 日記
幅イチメーター弱の舗道の上を雨の中、傘なんて差さずに歩く。対向者の皆さんはもちろん傘の下の人々なので幅イチメーター弱の舗道だと歩きにくいわけですよ、邪魔で、アンブレラが。次から次に襲ってくるわけですよ、向こう側から、僕を、大群が、アンブレラの。それを危ねっ、危ねっ。うひゃっ水かかる。ひゃっ。冷たっ。おひょっ危ねっ。なんつって歩いたら色んな意味でアブないのはお前の方だ、と、傘の人々から言われる可能性も否定できない。

それで僕ははじめの内は「邪魔だな危ねーな、メガネで良かった。目が守られてるから。つーか、差すなよ、濡れようぜ。みんなで。つーか、濡らそうぜ、その渇いた心を。みんなで」なんて眩しいことを考えていたわけですが、そのうち楽しくなっちゃって「次から次に絶え間なく襲ってくるアンブレラ避けゲーム」を始めちゃったの。もちろん当たったら負け。


おひょっ、
ぬおっ、うわっ
ふぅ~、っぶね!
ギリ!ギリセーフ!
ふゎいっ、

てな具合に集中しながらずんずん進む。

赤や黒や花柄やビニールの応酬。交わし交わされ前進する笹塚の夜。

じきに暗闇が吐く息を白に染める。
そんなことを、

今夜の雨に耳元でささやかれた気がして、


なぬっ、と思った矢先に前から来たシャクれたオフィスレディの味気ない傘にぶち当たって終了。


ゲームオーバー、冬の風吹いて

夢でもし会えたら

2010-10-19 | 日記
悪夢。魘されながら汗と、目を覚ました。もうね、書くのも嫌なほど悪夢。ひたすらに泣きながら、自己嫌悪の竜巻に身体中を擦り斬られて、オエオエ嗚咽して仲の良い人間を殴り、仲の良い人間から殴られ。逃げて、逃げては追われ、追われているはずが、追っていて、うわあ、思い出してまた苦しくなる、脳よ、おめえ俺が寝てる間に何考えてんだ馬鹿じゃねぇの切り離されたいのか。ぷんぷん

皆様、改めてこの「魘される(うなされる)」という漢字をよくみてごらん。

この禍々しさを感じてごらん。

「犬」って字がなかに見えるけれども十中八九この犬はケルベロスでしょうね。ギリシャ神話の冥界の番犬、頭がみっつのケルベロス。その犬が鬼の上にいるよ。「魘される」
「鬼」の上で「犬」とじゃれ会う「昌子」、と書いて「魘される」と、ここで「待て待て、昌子って誰だい」という賢い人からの声が聞こえる。

昌子というのは悪女です。資産家の老人を狙って家政婦として平然と屋敷に潜り込み、茶の中に少しずつ混ぜた毒薬、もしくは絞殺、あるいは垂直落下式DDT、および投げっぱなしジャーマンスープレックス等で主の息の根を絶ち、事故や元プロレスラーの仕業に見せかけて、葬式では白々しく号泣して、焦燥して、それでもなるべく健気に明るく振る舞って訪れた弔問客の中から次の獲物を探すような冷酷な悪女。


鬼の上で、
犬とじゃれ合う昌子。と書いて「魘される」と、いうお話。



今夜はいい夢をみたい、なるべく甘いやつがいい。
そんなわけでおやすみ。夢でもし会えたら、そっと抱き寄せて海の話をしてあげるから

グッナイ,世界中のハニー

世界とタコライス

2010-10-18 | 日記
チリ、奇跡の救出劇について「世界は希望に飢えている」と綴られた記事を目にした。つまり、
世界は悲劇に充ちているのか。充たされたり乱されたり結局のとこ感受性って諸刃。

そういえば水曜日と、土曜日はタコライスを作りましたよ。世界を見渡せば確かに希望やら涙やらラクダやら猫やら暴力やら喜劇、その他茶番が溢れていて眩しくて虚しくて仕舞いにゃ目をつむりたくなって、もう、やってられるかこのタコ。タコ助、そうだ、タコライス食べよう、と、思って、食べたのさ。アボガドとトマトの角切りを豪快に散らせてその上にサルサソースを踊らせて。美味い、美味いつって鈴木と。

明日はどっちだ

2010-10-15 | 日記
全国津々浦々のケーキ職人が自身の全ての発想と経験と技術を駆使して作り上げたそれが一同に披露されるJapanCakeShowTokyo2010という催しに行ってみた。と、いうのも僕の長年の友人で歯を磨かないチシキケイスケという虫歯が数年前から「オラ、パティシエになる」つってモンシェリーの普通のチーズケーキしか食べたことないくせにソレになって今回のJapanCakeShowにも己のケーキを出展してるもんだから見に行ってきた3年ぶり2度め。

これが意外と面白いのだ。


各職人の芸術性と情熱が込められた作品にはいわば現代アートにも通じる観賞の楽しみが生まれる。へえ、これ全部チョコレートなの?マジで?もはやオブジェじゃん。と感心するものや、明らかに手の込んだ天才の確信的一作もあって、ショービジネス色プンプンの渋谷の雑居ビルなんかでやってそうな世紀の騙し絵展なんかよりも幾らかマシだ。見飽きたエッシャーよりも見応えのある名もなき職人たちの色鮮やかな芸術の数々、そんな中、虫歯友人チシキケイスケ自画自賛の細工ケーキを見つけた。




チシキケイスケ
「ど…どう?」


「嘘ついていいの?」

チシキケイスケ
「いやいやいや本音でズバンと」


「マジで?」

チシキケイスケ
「ズバンと」





「明らかにお前のケーキだけ色がくすんでるよね。
ババアの腋に3日くらい挟んだような色してんじゃんズバン」




チシキケイスケ
「ん?」





「ババアの、腋に、
3日くらい挟んだような色したケーキが、
君の、
ケーキですズバン」

チシキケイスケ
「挟んでないけど…」


「黒はほんのりと灰色だし、ピンクなんてヤル気のなさすぎる寿司屋のサーモンの方がまだマシだよ、まだピンクしてるよ。なんだお前のピンクわ」

チシキケイスケ
「で、ババアの?わき?」


「お前な、アレ見てみろ(と言って金賞を受賞したケーキを指差す)な?完全に色が違うじゃん。もはや夢の淵にかろうじて存在するメルヘンの世界から出てきたような鮮やかで暖かい色だろアイツらのは。何これ(と言ってチシキケイスケのケーキを指差す)地獄で一人暮らししてるババアの腋からコンニチワ。だよ」

チシキケイスケ
「うわ、うわうわうわ、凹む。地獄の、ババアの、腋って何よ?」


「知るか凹め」

チシキケイスケ
「…言われてみれば確かに。色が、全然違う」


「だろ?ジュニアの部より酷いぞ。」

チシキケイスケ
「ヤメロ、言うな。それは言うな。それは言うな」




「ジュニア以下だなお前わ」

チシキケイスケ
「うわ、うわうわうわ、凹む」



「…来年、ガンバレ」

チシキケイスケ
「うん、来年だな
それまでに俺も感性を磨かなきゃなー」


「その前に歯を磨け。
歯を磨いたり風呂に入ったり、人並みに、
これは美的センスも芸術的感覚も何も関係ないことだから。ね?
風呂に入って、
ぬくまったなーと思ったらチャっと上がって歯を磨けばいいのだから。簡単よ、簡単。ね?」




出逢って12年、
退屈だらけの学校から抜け出して川のほとりで寝っ転がってタバコ吹かして夢語り合って飛行機雲指差していた心の友が、共にどんどんおっさんに変わってゆく今日この頃。俺たちの明日はどっちだ。

キチガイすれすれ物語

2010-10-12 | 日記
ハロー世界。朝に焼かれる前の静寂が染みる青い闇の中、朧気に尖る三日月と昨日寝すぎた私のまなこが、ギンギラギンにさりげないから読書する、映画観る、詩を思想する、性行為する、独りで、あるいは二人で、そんな、芸術の秋。10年前に小学生だったアイツと吉祥寺で再会すれば10年前は小学生だったのにニキビ面の好青年になっていた。嬉しくてハグしたかったけどしなかった。再会の喜びに絆の再開を約束したよ、雨降りのビューティフル・サタデー。時を越えて、血の繋がりに奇跡を実感するんだ兄弟よ。パチンコなんかに金を時間を浪費する意識があって、その他に伸びる矢のような好奇心が未だ見つからないのならパチンコよりもいっそのことチンコを鍛えろ。その方が幾らか、君の未来の役に立つはずさ。以上、不良の、自覚的ハミ出し者の、兄ちゃんからの愛の手紙。読んだら破り捨てろ、もしくは燃やせ。あるいは燃えろ、


君はまだ何にだってなれる。なんだってやれる。夢を見る自由を、放棄するには10年早いよ。今はまだ、青春を唄い続けるんだ。

燃えろ