月曜日のくそジジィ 2013-09-02 | 日記 なんというか、またしても お嫁さんの明るさや、優しさに救われてばかり。 なんとかせにゃならん、という心地。 方角は必ず間違ってはねえで、腐らず、 惑わされずに、このまんまで。 いつもありがとう。
暗黒舞踏を観ているときの感覚の言語化 2013-03-01 | 日記 暗黒舞踏と詩のコラヴォレイションをしてみないかい?という粋なオファーをいただいて昨日、作楽の有機的芸術祭に参加させてもらった。というか、やはりこんな形で自分の「言葉」で、他人の「創造」と戯れている最中の頭蓋内側アドレナリンの溢れっぷりは凄まじい。 年を取ったら取るだけ増えていくものは何? 年を取ったら取るだけ透き通る場所は何処? 十代はいつか終わる 生きていればすぐ終わる 若さはいつも素っ裸 見苦しい程ひとりぼっち 生きていて良かった そんな夜を探してる 生きていて良かった そんな夜は何処だ? こんなときは、フラカンの名曲「深夜高速」の詞が、益々胸に染みる。 と、ここで、 「舞踏」を目にしているときのあの「感覚」を、 言葉にしたくてしたくて昨晩から落ち着かないことも綴っておこうと思う、 もちろん、物事の落とし所の一つとして「言葉にしなくていい」「感じたままでいい」「それ以外の余計なものはいらない」という概念があることは自分でもよくわかるし、それに間違いはないと思う。しかし、今の自分の"性分"として、今の自分の"位置"も意識しつつ、暗黒舞踏の感想をドンピシャの言語でまとめてみたかった。たとえば、 作家がメッシのドリブルを観ながらそれを文章に換えてショートストーリーを生み出す訓練のように、 アレを言語化しなければならない!という理由のない概念に襟首を掴まれている、昨日から。 帰宅途中に奥さんと会話しながら、独りでシャワーを浴びながら、寝る前も、寝ている時も、目覚めた後も、出勤中も、朝の清掃中もずっと、ずっと、暗黒舞踏を観ているときの感覚の言語化に励んでいる。その結果、つまりね、 アレが美しいのも、 禍々しいのも、 不思議な心の落ち着きも、 なぜか悪夢を観ているかのような胸騒ぎも、全ては、 「暗黒舞踏」が"人の中に宿る神の姿だから"。という結論に落ち着いた。 人と獣の中間のような、 進化と退化の狭間のような、 幸福と畏怖の感情掻き乱されるあの姿は、 人の中に宿る神本来の姿に思えて仕方ない。
昼にパンを食べながら、 2013-02-11 | 日記 「側転のコツ」をググった。 土下座よりも効果的な妻への謝罪を色々と企てるうちに「側転」に辿りついた。 廻りながら「すみません」を繰り返すつもりだ、 一回転につき、 一すみません。 まずは柔軟体操から始めようかね。
生きることや死ぬことや 2013-02-09 | 日記 久しぶりに、だれかが綴った詩をよんだ。 やっぱり言葉っていいな、この場合「ことば」と書いた方が似合うのかもしれん 久しぶりに、僕も言葉を綴りたくなった。
怒りの表現。 2012-08-04 | 日記 1年半ぶりにマー坊と再会すると頭に手ぬぐいを巻いていた。子供の頃から知っているもんで、おもろいが。この今の形が彼の"最終形態"なんだろうなあと勝手に痛感。ストリートカルチャーの最前線からパーマカルチャーの最深部へ。ま、「カルチャー」なんて言葉で片付けてしまえば安易だけども彼は、いつも前戦で奮闘している修羅であり童子のような。非常におもろい。「怒りの表現は暴力だけじゃないから」という言葉が印象的で。 さて、俺もそろそろ田を探し畑を耕すべく身体と精神をチューニングしなければ。 ここで故郷、薩摩川内市に心から住みたいと思わないのは我ながら非常に残念極まりない。 あすこに住むのは原発なくした後でしかありえない。これは幻想ではない、闘争なのだ。
心に引き摺られる身体 2012-08-03 | 日記 心が腐り気味で肉体を引き摺る時は潔くそれに従い立ちこぎで滝のような汗を流し息を切らし太陽に皮膚を焼かれてコーエンへ、チャリで。タビトあにぃとしばし言葉を交わし、相変わらず塞ぎがちな心と重い身体を引き摺り下山。屋久島帰りの山内さんが居た。山尾三省夫人の偶然の手招きに導かれて寺に入り、短期的な修行を経て山に篭り"執着心"を捨てることに成功したとのコト。500枚を超える、写真を見てへんからまだわからんわ、また来月来るわ、ほな。と行って志布志港から大阪に向かった。
電気代が足りない。 2012-03-07 | 日記 先日、これで払っておくように、といって愛嫁様から渡された電気代の一万円札は何冊かの小説代、バス代、小籠包代、お菓子代として稲造以下になってしまい払込期日の今日中に不足分をなんとかしなければまた愛嫁様から罵倒と説教を喰らい今月こそは下手すりゃ殺られるピンチなのです。 それでも今の私は本屋の端くれ、今日、頑張って売った分をなんとか一時的に電気代として補えば明日からまたなんとかなるや、と思い朝からお客に念を送りまくり、まくり。一生懸命愛想を振り撒き精魂込めるも生憎の雨が邪魔をして終わってみれば電気代に1000円ほど届かず冷や汗が垂れる、仕方がないもんで近くで働いている看板屋の友人兼高校の同級生の元へ。レジ袋に文庫本を三冊ほど持って行き『1000円で買ってくれや大統領』と煽てて1000円をGET。その後、大急ぎで家へ帰ると案の定、九電野郎は配電を停止していやがったクソが。(玄関先に置いてある)コンパクトサイズの懐中電灯を口に咥えて室内を移動、無事、払込票を確保。コンビニへと急ぐ、払う。九電野郎に電話を掛けて、すみませんでした遅れましたが電気代の方はしっかりとお支払いいたしましたので何卒、通電の再開を早急にお頼み申し上げます。と丁寧に告げ現在に至る。 愛嫁様の帰宅が先か、 電力の再開が先か、 願わくば、 何事もなかったように、 煌々とした部屋灯りの下、 玄関先で愛嫁様を迎え、 おかえりと言いたい。 暗闇の中、携帯電話でこれを綴る僕の明日が今日よりも明るく、希望に満ちているコトを信じている。 ピース
悲しみを蹴散らす小さな喜び 2012-01-06 | 日記 変化の多い2011年だった。 祖母が亡くなり震災が起きて、革命が続き独裁者が消えて、タイでは国土は3分の1が水の中に沈み、日本は汚染され続けている。 FEEL WELL,自分の"感情"を掴みなさいとコリータは言った。己に,自信のない奴が常識に従うと談志が言った。 今年は、昨日の悲しみを蹴散らす小さな喜びをたくさん集めていきたい、と心から痛烈に思っている。 今年も、宜しくお願いします。 ペット