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EASY-GOING

始まりと終わりを繰り返し、繰り返すコトで回る地球

フォトグラフィと私2011、きっかけは恵比寿。

2011-01-27 | 日記


ここ一週間、


ずっと前からなんとなーくぼんやりと在ったモノクロの感覚に色彩の弾丸を放たれた気がして。
穴が開いたように、
花が咲いたように、
こころの淵で暴れまわる幾千の野良猫をピストルで威かして飼いならす心地で、


ほぼ毎日、

写真のことを考えている。



僕の場合、その対象が人やモノでない場合が多く、
目の前で起きているその"瞬間"を逃さないように忘れないように消えないように、
という意識でシャッターを切ることはそう多くない。



目の前の"瞬間"じゃなくて、

その景色がぼくの内側にある何かしらの感覚に触れた"瞬間"を撮っている。







なんつって結局、言葉では説明できないし、伝わりづらいから


たぶん撮ってんだろうなーと、思う。








幸い、
恵まれた環境に身を置けているおかげで機材知識、撮影技術、歴史云々を書籍から手探りしながら、
思想や哲学、自分の中の衝動を、かき混ぜて、整理している。






ここ10年くらいほぼ毎日、
目の前の在りのままを気のまま撮ってるから、
写真ってもの凄く身近に在るものなのだけど、
それが普通すぎて当たり前すぎて"考える"対象に成りえなかった。そんなこと、
思ってもなかった。




その中から以下、「壁」シリーズ。

たぶん、撮りたかったのはバランス&アンバランスからくる違和感、

ぶっきらぼうに、或いは偶発的に、完成してしまったデザイン。































































































































「だいたいさー、普段みんな歩いてるけど気付いていないような、気付かないような、

なんの変哲もない壁を、壁だよ?壁。壁をね、

うーんとか、うわあとか、嗚呼ぁ、なんつってソワソワしながら撮ってる君を見てあたしは最初、ナニこのひと?

絶対頭おかしいよ、と思ったよ。いや、たぶん、頭おかしいっていうのは間違いないと思うの、うん、

あなた、その辺もちょっとイカれてるとこよね」






カフェーで珈琲飲みながら鈴木から言われた「僕と壁について」

なんというか、それは僕にとって気持ちのいい褒め言葉以外の何でもなかった。







大宇宙を泳いで辿り着いた場所は

2011-01-20 | 日記
厩舎に、無理矢理押し詰められる養豚の気分で朝から、東京を横断する気狂い列車の中で悶絶。人格破壊システムの一端を担っていると思われるあの非・人間的日常風景。ああやって、人々は、それを努力、或いは仕方のないコト、と、開き直って偽って、おまんまand家族の為に何かの為に、と何度も言い聞かせて言い聞かせてセルフ・マインドコントロール。後ろの正面に立つ他人の股関を自らのケツに押し付けられながら自分の股関を前に立つ他人のケツに押し付けて、自問自答し続けた方がいいよ幸福って何だっけ?


俺も君も、大宇宙を泳いで此処にたどり着いた勇敢なるイチ精子なんだぜ

思い出せ愛を自由を


大寒の、満月の朝に

失敗日記。結局、タイガー&ホース。

2011-01-17 | 日記

婆さんの義理の妹夫婦のことを僕ら従姉妹連中は「もぉの、ばあちゃん、じぃちゃん」と呼んでいるのは僕らが子供時分に「もぉの、ばあちゃん、じぃちゃん」が牛を飼っていたからである。デカい牛を。二頭か、三頭か、四頭か、もっと。つまり、
「もぉの、ばあちゃん、じぃちゃん」の「もぉ」というのは、当然、牛の鳴き声である。

なぜか大人になっても僕を筆頭に29歳、27歳、26歳、24歳、23歳、21歳、20歳(そこから下はよくわからんが何人か居ることは確実。顔はわかる、声も、だいたいの性格や通っている学校や、励んでいるスポーツなどはやんわり知ってはいるものの、それ以外のもっと、大切なことは、まるで知らん。似たような血が、似たような体の中に、だいぶ薄まってはいるものの確実に、今も、流れている。家族ではないが、他人でもない不思議なヤツら)が、全員、何の疑問を浮かべることなくいい年こいて「もぉの、ばあちゃん。じぃちゃん」と呼び続けている。

傍から見れば滑稽かもしれないが、僕らにとって、もぉの、ばあちゃんは、もぉのばあちゃんであり、
もぉのじぃちゃんは、もぉのじぃちゃんなのよ、それは呼吸するのと同じで、それは物凄く当たり前のことで。

(残念ながらもぉのじぃちゃんは数年前にクモ膜下出血でほとんどイカれてしまって、
盆暮れ正月などの宴に姿を表すことがなくなってしまった。それでも、初孫である僕の顔や、
名前の響きはなんとなく覚えていてくれているようで、5年前に会ったときは、
「こんにちわ!もぉのじぃちゃん!」と呼ぶ僕の声に反応して柔らかな、子供のような、仏のような、白い花のような、
笑みを浮かべてくれたけど、
顔色とか、匂いとか、そういう肌触り手触りはもう、はっきり言って精気がなくて、魂の抜け殻のようなそんな感じで、僕は、
本当に悲しくなった。15年前に、死んだジィさんの姿。病院のベッドの上で、
鼻に突き刺さる病院器具のグダグダの管(くだ)を思い出して、心底萎えた。

それはそれで愛なのかもしらんが、病室の死に掛けたジィさんに対して、その年輪が醸し出す尊厳や、威厳を、
まるでシカトするように、まるで子供に語りかけるように話す親戚の姉ちゃんや伯母さんの態度も気に食わんかった。

「じぃちゃん、ほら、セイイチロウが来てくれたよ。ほら、良かったねえ。ほら、じぃちゃん、セイイチロウだよ!ほら!
お見舞いに来てくれたんだって!良かったねえ!」

15歳だった僕はマジで病院ごと親戚丸々爆破して、
それでも、巻き添えで死んだジィさんからは感謝されるんじゃないかって錯覚したよ。これって、間違いなく僕の中の虎馬)




ダメだ。




ほんとは、その「モォのばあちゃん」が軽トラで明大前のウチの前に来て、

「セイイチロウ!セイイチロウがもぉのばぁちゃんちの今月の家賃払ってくれるんだってねえ。ありがとうねえ、
ありがとうねえ、本当にありがとうねえ」と、何度も何度も感謝された夢を見た話を書きたかっただけなのに。
隙間なく繋がる記憶の糸のせいで、余計なことまで色々と思い出してしまって虎馬。ノーグッド,




あおぞら細かな雪舞って。







結構いいこと書いてあったのに。

2011-01-07 | 日記
あれま。と、僕は言った。
気づけば今年も7日が過ぎていた。の、あれま。

もはや盆暮れ恒例となったWAKAJETこと細身の細松くんの来京の儀と称して、
歩いて寿司屋を探したのだけれども明大前~下高井戸近辺。
このあたりで年末年始もがんがん握ってまっせ,Heyお待ち!的な、前のめり的な、
寿司屋的な小店なんて当然なくて木枯らしに晒されて。
寒波と空腹で、
もはや皮のみになった細松くんから「新宿に出ないか」と提案されて。僕は、
「いいけど、魔都だぜ。あすこは」と答えた。

ほんで寿司食って、高価なタラバほじくって、汁すすって、店を出て。眉間に皺寄せて「人多いなあ」
なんてとぼけた愚痴をこぼしながら、寒さに四肢をしぼませて家に戻り、
また陽が昇るまで語り明かした。正月早々細松くんが持参したスプラッター映画を観たせいか、
なぜかキッチンに置いてあった人肉が弾け飛ぶ初夢を見た。グロ夢(GUROYUME)と、僕は名づけた。
翌日、「ほな、さとっさんとトロン・レガシー観に行ってくるでの!」と言って去り行く細松。

そして、別の日、四国から来京した元・少年愚連隊、肌の色の黒い佐藤くんを迎えた。着メロがPerfumeだった。
色々とつらいことがあったのだろう、顔がまた渋くなっていた。
髪の毛のある頃の武藤敬司を彷彿させる遠い目をした時の横顔。
彼の半径30cm以内にはずっと、缶ビールかジョッキがあった1泊2日。翌日、菅原神社に詣で。大吉、
読んだら結構いいこと書いてあったからもって帰って鈴木にも読ませよう、いいこと書いてあったから。と、
思って木に結ばずにポケットに入れたのが悪かったのか、「なんよ、これ」と言って、
コンビニの外にあるゴミ箱に捨てたアレがきっとアレだったんだ嗚呼。結構いいこと書いてあったのに。

あけましておめでとうございました。






合掌

月曜の朝のベッキー。

2010-12-27 | 日記

好きな人が得体の知れない宗教にハマり、もう一緒には帰れないと言った夢を見た。海沿いの
堤防の上だった、その直後、囚人になった小学校の同級生とヤった、正確には、ヤル前に、
その娘のことを舐めたら、山ちゃんザラザラしていて、痛い。と言われてヤメた。おれは猫かっつーの、と言った。
小学校のときの友達は、皆、おれを山ちゃんと呼ぶの。

山ちゃん、マンデイモウニング、久々に環七をチャリで疾走する、まあ、吸ってるのは9割9分排気ガスなわけだが、
そんなこと置いといて、良かった。ジワる汗。

俺はね、生まれ変わったらポルノ女優になる、というのは決めているけど、前世はね、
琳派の面々に憧れて日々、木箱や茶碗や屏風や柱や自分ちや近所の塀に下手糞な日本画を描いたゲリラのね、絵師。
絵師だったらいいなーと思ってるわけよ。まあまあ上手いんだよね、癖があって味があって、でも下手糞。

ミニスカートを履いている携帯電話会社のキャンペーンガールがカーネル・サンダーズになにか説明をしている。
クスリをやっているのだろうね、速い系のね、ビッキビキにキマってるんだと思った。ビッチ。




【インセプション】を観た、ややこしかったけど面白かった。ダークナイトの次、嫌でも期待してしまう。
最後のカットは僕にとって理想的、
物語には必ず「結末」が描かれるけど最後に読み手の想像をブワっと広げて(ある意味、無責任に、丁寧に)終わる結末がやはり、好きで
あの「無責任さ」にセンスが問われるはずで。ずっと前に観たメメントの面白さも孕ませてきたクリストファー・ノーラン。
【リミッツ・オブ・コントロール】評判悪かったわりに凄く良かった。
寝起きのせいもあり、ヴォリュームを強めて観たのが幸いした、小さな、
音の遊びが聞こえてぞくぞくしながら目が覚めた。景色、その景色の中の色、役者の言葉、音楽、イマジネーションを終始、
くすぐられた。鑑賞の際は、音、大きめでどうぞ。【ミレニアム~ドラゴンタトゥの女~】ああいうサスペンスに、
どうも乗れない。面白いのはわかるけど、
観方がよくわからない。面白いのはわかるけど。二度いうけど。

漫画は長尾謙一郎氏の【PUNK】
リアリティを孕みつつ逸脱して混沌。微妙に散らばるメッセージと質のいい笑いのツボ。

M-1、一年間楽しみにして来て、休みまで取って、観るも最終決戦で寝る。チラっと起きたら笑い飯がトロフィー持ってた、
ロフトに移動して僕は寝た、12時に目が覚めて、腹減ったなあ晩御飯食べたのになあ、つってラーメン作ってもらって食べた。
デブになる、いやすでにデブだ、痩せろ、マジで痩せろ、とお互い罵り合い深けてゆく日曜の夜。








宇宙に一番近い場所

2010-12-20 | 日記
近頃、あんまんばかり食べている。肉やらカレーやらピザやら中華やら豚トロやら色々食べたけどここに来て「あんまん」
あんまんが一番美味いし、ホッとする。


こないだ仕事帰りに環七の陸橋でバイクの上から西の方角に見た悪夢のような大きさの月の、興奮と関心と幻想にまみれて。鈴木の家の近くにバイクを停めてすぐに電話を掛けて白い息吐きながら午前2時。「外、出てきて。月、見に行こう」
次の日、仕事で早起きな鈴木はさすがに一瞬躊躇するも「はーい」と、パジャマから着替えてジャケットを着込むと眠たそうな目でゆっくりと階段を降りてくる。それから、丘のない東京の杉並の下町で、今にも沈んでしまいそうなほど低くふわと浮かんでいた月を探す小さな大人の冒険が始まるのだ、好奇心に迷いはない。


悪意なき不法侵入を赦す慈悲深いマンションを見つけると自動ドアを抜けてエレベーターで最上階に昇る。8階。西側の通路に立てば、眼前に広がる東京の町。赤い月、まばらな星の光、まばらな民家の光、時がゆっくりと流れ始める。




五分後、赤い月は小さくなりながら遠くの山の先、西の果てに消えた。


ゆうっくりと回転する地球の上に僕らが立っていることをゆうっくりと流れる時間の中で実感した。僕らは、記憶と感覚を共有する。砂時計やキャンドルや地球を、一緒にゆっくりと眺めるコトが出来ればそれは幸せです

撫でて撫でて撫でて

2010-12-13 | 日記
明日は雨だっちゅー話や。日がな、雨戸の外から聴こえるささやかな雨粒の合唱を肴に酒でも飲んでぐうたらに過ごして居たいのに夕方から丑三つ時まで仕事があるし、そもそも私は酒なんて呑めないし。だから相変わらず下手くそな絵ぇ描いて、金にならねえ散文でも走り書きして、映画でも観て、本でも読んで。アダルトビデオ観ながら股関を撫でて撫でて撫でて。

そんなんだから「もお!ちゃんとして!」と、誰かに怒鳴られて「ハイハイ」なんつって眉間に皺寄せて深刻な面持ちで、足元に転がっている20年以上も前に出版された「にっぽん芸人劇場/著・神津友好」の中に紹介されている明治34年生まれの柳家語楽師匠の珍芸、膝小僧に顔を描いて服を着させてどじょうすくいを踊らす、というのを思い出して笑いを堪えるのだ。




雨が降ったら寒くなる、ああ、鼻がくせえ




また蓄膿かちくしょう

そんなささやかな幸せな日々を

2010-12-12 | 日記
気のあう奴等と飯食って毒吐いて唄って。原宿に移動して友人のイベントに顔を出して、最終に間に合うように箱を出て満員のフライデートレイン。一つ前の駅で降りて鈴木と。道中のコンビニで寄り道してあんまん買って、頬張りながら、影を重ねて、笑い声と、白い息と、見上げれば三日月で。



そんな、




そんなささやかな幸せな日々を、




僕は、




僕は、
一生を掛けて過ごしてゆくのです。

傘がない、金もない

2010-12-06 | 日記
相変わらず生きている。生きて、引越しをした。
高円寺、北沢、笹塚、高円寺、明大前。東京、五回目の引越し、四回目の街、すでに10日以上、微微に風邪を引いていて咳。鼻水が止まらない。家の近所に、旨いカレー屋を見つけた。カレー以上に、店内の雰囲気が良くて。35年間、タイム・ストップしているかのような。

浮き世は、中国ロシヤとの領土問題の云々が酔いの席の海老の戯れで、霞んでいる。みんな阿呆。世界では、一人の天才レジスタンスの出現によりアメリカの暗部が光に晒されて、歴史上の、大きな転換期を迎えている。真実は、インターネットによって暴かれた。天才は神の使者か、或いは・・・


ある時はアルコール、ある時はドラッグ、それを肯定するわけじゃないから擁護する気はないけれども
大衆的正義側に立つコトで安心して他人を容赦なく罵倒叱責する人々を虚しく思う。退屈な、報われない暮らしを誤魔化す為に次々と標的を探すその姿勢に僕は唾を吐き続ける。鼻水を噛んだ後で。













私信

引越ししたから金がない。ボーナスの恩恵を受ける友人諸君。偉大なる企業戦士諸君、日本の誇り、宝、太陽の戦士諸君。贅沢は言わん、寿司が食いたいがハンバーグでも構わんよ。パンをかじって連絡を待つ。





ピース