東京が大雪に見舞われた日。仕事中の僕は田舎の婆ちゃんが病院に担ぎ込まれて、
「十中八苦もう無理だ。
なるべく早く帰ってきて」っつー母親からの連絡を受けて、泣き崩れた。
そっから後のことはもう情けないほど覚えてなくて、
翌日の始発で鹿児島に向かい、その足で病院へ。そしてまた泣いて。
13人も生まれることになる孫連中の、一番さいしょのソレが僕で。
みんなより数年ぶん思い出が多い僕は、
生まれて初めて直面する「死」をうまい具合に受止めることが出来ずに、
どこから来るのかわからない大袈裟な悲しみに何度も何度も打ちのめされた。
奇跡的に、"命"は数日ほどもったものの、
治る可能性のない、
手術すら出来ない状態になった婆ちゃんを直視することは
自分の両目を潰したくなる程、辛く悲しく切なく苦しく、
人工呼吸機器や点滴の管に心臓を動かされている婆ちゃんを早く殺せ、と、
顔や身体がむくみ始め、口や身体を動かすことの意識もない婆ちゃんを早く楽にしろ、と
伯父さんや叔母さんに向けて容赦のない言葉を浴びせさせてしまったコトは、
後になって猛省しつつも、家族に見守られて、無事、
金曜の真夜中に婆ちゃんが息をしなくなった瞬間は、正直安堵もした。
それから次の瞬間には葬儀の場所や段取りや参列者の数や連絡について、
アレこれ談義する親戚一同を観て、この世はなんて残酷なんだとまた泣いた。
本来なら自分の母親が死んで、一番の悲しみの淵に立たされているはずの彼等が、
わいわい黙々と動く姿に泣かされた。
口を尖らせて、命ってなんよ、運命ってなんよ、
家族ってなんよ、なんつって3ヶ月ほど思考していたい心地だろうに、
浮世はシビヤだねえ、
ゆっくり悲しむ暇もなけりゃ数時間後には仏となった婆ちゃんの胸元に分厚いドライアイス乗せられて、八方を囲まれて、冷やされて、魚市場のマグロ状態、マジっすか。
仕方ないにせよ、そこに愛はあるのかい?と葬儀屋の胸元を掴んで怒鳴りたくなる気持ちを抑えながら外に出て星見上げながら煙草吸ってたらUFO見つけて、取り乱して。これマジで。あんなにはっきりと確認出来た未確認飛行物体は初めて見たよ。婆ちゃん、まさかそれに乗って行ったのかい、なんつって。
その後、
有名人でも政治家でも教師でもなんでもなく、田舎の農家、
どこにでもいる小柄で質素で皺くちゃの婆ちゃんの通夜葬儀に400人も500人もの人が参列してくれて皆泣きながら婆ちゃんとの別れを惜しみ、笑いながら生前の話を聞かせてくれた。その参列者の数にも驚いたし、坊さんまでもが説教をしながら泣き始めたことに驚愕した。おめーが泣くな、頼む。やるべきことをやってくれ、と怒りの念を飛ばしそうになったが流石の坊さんも人の子、俺の婆ちゃんの生前の仏じみた慈悲の心に勇気やら愛やらを貰っていたらしく、そうかそうか、みんな悲しいんだよね、ハゲもロン毛も。と合点して、またぐちゃぐちゃ泣いた。
死んでなお、僕の中で存在感を増した婆ちゃんの生き様はたぶんこれから一生僕自身がよく考えて向き合っていかなければならない大切な問題だと認識している。
東京に帰ってきて仕事場まで、甲州街道の脇を歩きながら「日常」が僕に寄り添ってくるのを感じた。僕のルーツを語る上でも大切な人が死んだわけだが世界は変わりなく進む。
人の生や死にわき目もふらず、時間は進む。
僕自身、死や家族について一ヶ月ほど考えたり悩んだりしたい気分ではあるが、
そうはやってられない暮らしや、それ以上に大切な未来があるしね。
色々あるけど生きようと思う。
そうやって人の死を乗り越えて、新しい生を息吹かせる為にも、
弱くて脆いけど、陽気で強気に、
これからも暮らしていかなければならない。
ありがとう婆ちゃん、
もうあの悲しみに襲われるのは勘弁だから、いつもどおり散文的に、
言葉を散らせてしまったけれども、感謝の気持ちで合掌してます。
これからは記憶の中から見守って下さい。
78年の人生、おつかれさまでした。
長らくぶりに、爺ちゃんと逢えたね。良かったね、
二人で仲良く、これから末永くお幸せにお過ごし下さい。
またいつか会おうね、
合掌