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EASY-GOING

始まりと終わりを繰り返し、繰り返すコトで回る地球

詩、夜中

2011-05-13 | 日記

今日の桜島、朝イチは霞が掛かっておりました、
徐々にクリヤになりましたが、
プルトニウムや自殺やら浮世は相変わらずせわしいようで、
駅の裏で珈琲屋で店主に、
此処は何時からやってます?と聞けば
テキトーに・・・日暮れの頃から。と、言われた
壁に、花の絵。路上の隅、風に灰が舞い、
口の中がざらざらするねと、彼女は言った。
夜中、僕らは本籍が同じになりました。

気付け、と言いたい。

2011-04-07 | 日記

ネットカフェーから更新。

相変わらず、fukushimaでは絶望的状況が進行中のようで
「何気なく」過ごしてはいるが、正直、気が気でないのが本音。



そんな折に伯父から、「住所はもう移したのか?」と聞かれて

「うんにゃ、まだや。これからや。なんで?」と聞き返した。

「いや、選挙・・・もごもごもご」と、伯父の尻つぼみ気になって私「なんで?」と、

語尾をわずかに強めて、聞き返した。

どうやら伯父は、地元のとある議員の片棒を担いでいるようで、票うんぬんのお話であった。



唐突に始まった、僕と伯父の未来議論。

僕の生まれ育った町にも原発はあって、



今、この町には"3号機増設"の計画がある。

つまり、fukushimaは他人事ではなく

自分自身のことで、だから僕はここにいるのだ。


伯父が、原発推進派だったことは、僕に薄い嫌悪の幕を被せた。

ありったけの言葉とその熱で、僕は伯父の考えに唾を吐いた。

しだいに伯父の眉は垂れ下がり、

「おれに言われてもきゅうんきゅうん」という顔になって

「お前は考えすぎだ」と言われた。

僕を含めて、考えなかったヤツが多かったせいで今回の事故は起きた。「もっと考えてくれ」と、僕は伯父に懇願した。




3号機増設に伴う大掛かりな工事が予定されているお陰で、

遠方労働者の仮住まいになると思われる民宿やホテルが町に乱設されている。

挙句の果てには暢気な友人の一人から「プチ・バブルが起きるらしいよ、お前も民宿やれば?」と、

阿呆×百みたいなコト言われたもんだから、くそが、

顔にしょんべん掛けてやろうと思ってジーパンのジッパーに指をかけたけど、

したばっかだったから出ないな、と諦めた。20分早かったら、アイツの顔は僕のアンモニヤに濡れていたのにん




この町の、俺ら、若い世代の「無関心」が何よりも敵に思う。

fukushimaの事故も、政府や東電の漏れ漏れだけでなく、それをそこに誘致した人にも責任はあろーもん

「絶対安全だって言うからさー」なんて間抜けなコト言うなよ。

「"絶対"なんて存在しない」って鬱陶しい言葉、阿呆面の学校の先生や親がドヤ顔で教えてくれたはずだ。


東電社員の家族が、イジメや差別の被害にあっているという報道もあるが、

誘致した地元の議員や活動家の皆さん、お前らの肩にもその罪は在ると思うよ。

こうなっても、

反・原発誘致活動をされていた方々の悔しさや悲しさや憤りは、どこにも消化されない、




俺たちは、分岐点にいるんだ、

気付け、と言いたい。

繰り返す過ちの先に、幸福は存在し難いでしょう













桜のトンネルや悪魔の通り道

2011-03-27 | 日記
地震はね、結局地球の鼓動、地球的気まぐれのようなものですから、内心思いっきり怖いけれどもまあ、まあ、仕方無し。カルマ。この、大地の上で、生活を営む全ての人のあらかじめ決められた避けられない運命なのかもしれないよカルマ。なんつってチキン・ハートばくばくの自分に言い聞かすことは出来るのだけど原発は別で。

例えばTOKYOが99%安全だとしてももはや制御不能な炉に全ての言葉や情報はまやかしでしかなくて信じるべきは自分のみだから「巻き込むな!放っておけ!あたしは此処で、平然と暮すから!」なんつってた彼女を100%の愛を以て説得、観念させて、その左手をしっかりと握って、電車とモノレールと飛行機とバスを乗り継いで九州の端、生まれ故郷まで帰ってきた。今日で辞めます、サヨウナラと店長に言って。




それから12日が過ぎた。

先月、死んだ婆さんの家で彼女と、母親と三人で暮らしている。


朝はウグイスが鳴いている。
救急車や、パトカーや、荒い、クラクションの音は聞こえない。

夜は、流れ星を見上げている。
救急車や、パトカーや、荒い、酔っ払いの怒鳴り声は聞こえない。



先のコトはわからないが、過去の反省や後悔を改め、つまり東京の日常のコンセントの向こう側に福島原発があったコトなんて知りも考えもしなかった無知を嘆いて本気で泣いて、現地の自衛隊や消防隊や下請け労働者の家族にスミマセンでしたスミマセンでしたと心の中で繰り返しながら山から薪を拾ってきてノコギリで丁度いいサイズに拵えて、風呂を、焚いている。電気やガスで沸いた湯に比べて、火で温めた湯は冷めにくいし身体の芯までよく温まる。身体の芯とは何か、


それは心でしょう。



物欲や自我に踊らされる都会の刺激的な生活は止めた。



俺は、俺の直感とか愛とか素朴な人と人の繋がりとか案配の良い弛さとか鳥の鳴き声とかビルに遮られない純風とか好きな人の笑顔とか、形ではない、愛しいモノを、

全力で守るし、作ってゆくコトに決めた。





プルトニウムの風に吹かれてたまるか、



未だ、未来は僕の手の中にある。

いま、ドラゴンボールでいうと

2011-03-10 | 日記





4万とゆったのは私ですが今月は2万しか無理で、でも

いま、ドラゴンボールでいうと、
ようやく、
ラディッツのとこに入ったな、って感触です。

頼むぜ、

ピッコロ。






【友人へ送った借銭返済期限、引き延ばし嘆願メールより抜粋】











返信はまだない。












思春期に教室で銃乱射とかしてなくて

2011-03-01 | 日記

さみぃつって、依頼されてるWEB作成の仕事手につかず。
さみぃつって、この寒い中、宅急便が届けてくれたルーターやらガスコンロやらの設置作業手につかず。
さみぃつって、何もせず。
何もせずつってもお知り合いからまたFacebookのお誘いが来て、山下悶々で登録して。

登録してイジってたら豪州人のトレントを見つけて、メッセージのやり取りをして、それは2年ぶりで。
10年前に高校生だった彼も今は大人で、完全なるオタクで。
うれしかった。思春期に教室で銃乱射とかしてなくて、ホっとした。
友達はいなくて、いつもPCイジってて、部屋から漏れてくる爆音のSlipknotは、
この未来を明確に映し出していたのかもしらん。そのまますすめ



★★★★★★★★



テレビをつけてみた、先日の沢尻エリカの記者会見のVTRを観ながら
臨床心理士の肩書きを持つおっさんが彼女のいちいちの表情を「これは演技です」「この表情は本当です」なんつって、
丁寧真面目に解説していて萎えた。やっぱりテレビなんかつけなきゃ良かった、と思った。



こんなことしてないで、
近所の肉まん屋で七個入りのシューマイを買ってきて冷凍庫にある白飯を解凍して、頂戴して、
支度してさっさと仕事に行こうと思う。前髪整えた後で、




★★★★★★★★






資金繰りがマズいのなんのなんつって

2011-02-25 | 日記

婆ちゃん死んだけどミャーミャーミャー、

俺には、俺には俺にはね、

やらねばならぬことがあるのだよ、

ひれ伏せい、ひれ伏せい、俺の可能性の前に皆ひれ伏せい!つって、店(古本屋)に出勤したら
珍しく、病弱の猿の顔(表情)をした店長に呼ばれて「社長に言われたんだけど~」つって、
3月イッパイで辞めてくれ。の、悪魔宣告。会社の操業、資金繰りがマズいのなんのなんつって、嗚呼無情。
テンション。モチベーション。笑顔。その他諸々、「あがりません今夜は」つって、

すぐに帰ってきた昨日。






もうね、試練とか苦難とか運命とかじゃなくて、これが俺。



これが俺の選んでることだし、これが俺の生きている場所なんだよね。





さあ、どう生き抜くか。




もはや愛してる人もいるし、その人が絶句昏倒発狂しない選択を念頭に入れて

なおかつ、自分にナニがあるかを考えて




ナニを得て、ナニを殺すのか、これからの俺は。





一寸先は、いつだって光





安定よりマシってゆーいつかの俺の選択や俺自身の価値観生き方を踏まえたうえで、
こういう「現実」って、空気や水や愛と同じですぐソバに在るというのは、覚悟の上。





自由だよ、俺は。





とても悲しかった二月のこと

2011-02-24 | 日記

東京が大雪に見舞われた日。仕事中の僕は田舎の婆ちゃんが病院に担ぎ込まれて、
「十中八苦もう無理だ。
なるべく早く帰ってきて」っつー母親からの連絡を受けて、泣き崩れた。

そっから後のことはもう情けないほど覚えてなくて、

翌日の始発で鹿児島に向かい、その足で病院へ。そしてまた泣いて。











13人も生まれることになる孫連中の、一番さいしょのソレが僕で。

みんなより数年ぶん思い出が多い僕は、

生まれて初めて直面する「死」をうまい具合に受止めることが出来ずに、

どこから来るのかわからない大袈裟な悲しみに何度も何度も打ちのめされた。















奇跡的に、"命"は数日ほどもったものの、
治る可能性のない、
手術すら出来ない状態になった婆ちゃんを直視することは
自分の両目を潰したくなる程、辛く悲しく切なく苦しく、
人工呼吸機器や点滴の管に心臓を動かされている婆ちゃんを早く殺せ、と、
顔や身体がむくみ始め、口や身体を動かすことの意識もない婆ちゃんを早く楽にしろ、と
伯父さんや叔母さんに向けて容赦のない言葉を浴びせさせてしまったコトは、
後になって猛省しつつも、家族に見守られて、無事、
金曜の真夜中に婆ちゃんが息をしなくなった瞬間は、正直安堵もした。



それから次の瞬間には葬儀の場所や段取りや参列者の数や連絡について、
アレこれ談義する親戚一同を観て、この世はなんて残酷なんだとまた泣いた。
本来なら自分の母親が死んで、一番の悲しみの淵に立たされているはずの彼等が、
わいわい黙々と動く姿に泣かされた。
口を尖らせて、命ってなんよ、運命ってなんよ、
家族ってなんよ、なんつって3ヶ月ほど思考していたい心地だろうに、
浮世はシビヤだねえ、

ゆっくり悲しむ暇もなけりゃ数時間後には仏となった婆ちゃんの胸元に分厚いドライアイス乗せられて、八方を囲まれて、冷やされて、魚市場のマグロ状態、マジっすか。

仕方ないにせよ、そこに愛はあるのかい?と葬儀屋の胸元を掴んで怒鳴りたくなる気持ちを抑えながら外に出て星見上げながら煙草吸ってたらUFO見つけて、取り乱して。これマジで。あんなにはっきりと確認出来た未確認飛行物体は初めて見たよ。婆ちゃん、まさかそれに乗って行ったのかい、なんつって。



その後、

有名人でも政治家でも教師でもなんでもなく、田舎の農家、
どこにでもいる小柄で質素で皺くちゃの婆ちゃんの通夜葬儀に400人も500人もの人が参列してくれて皆泣きながら婆ちゃんとの別れを惜しみ、笑いながら生前の話を聞かせてくれた。その参列者の数にも驚いたし、坊さんまでもが説教をしながら泣き始めたことに驚愕した。おめーが泣くな、頼む。やるべきことをやってくれ、と怒りの念を飛ばしそうになったが流石の坊さんも人の子、俺の婆ちゃんの生前の仏じみた慈悲の心に勇気やら愛やらを貰っていたらしく、そうかそうか、みんな悲しいんだよね、ハゲもロン毛も。と合点して、またぐちゃぐちゃ泣いた。







死んでなお、僕の中で存在感を増した婆ちゃんの生き様はたぶんこれから一生僕自身がよく考えて向き合っていかなければならない大切な問題だと認識している。















東京に帰ってきて仕事場まで、甲州街道の脇を歩きながら「日常」が僕に寄り添ってくるのを感じた。僕のルーツを語る上でも大切な人が死んだわけだが世界は変わりなく進む。

人の生や死にわき目もふらず、時間は進む。

僕自身、死や家族について一ヶ月ほど考えたり悩んだりしたい気分ではあるが、
そうはやってられない暮らしや、それ以上に大切な未来があるしね。



色々あるけど生きようと思う。



そうやって人の死を乗り越えて、新しい生を息吹かせる為にも、




弱くて脆いけど、陽気で強気に、


これからも暮らしていかなければならない。




ありがとう婆ちゃん、

もうあの悲しみに襲われるのは勘弁だから、いつもどおり散文的に、
言葉を散らせてしまったけれども、感謝の気持ちで合掌してます。





これからは記憶の中から見守って下さい。

78年の人生、おつかれさまでした。

長らくぶりに、爺ちゃんと逢えたね。良かったね、

二人で仲良く、これから末永くお幸せにお過ごし下さい。



またいつか会おうね、








合掌






今夜が山だね

2011-02-14 | 日記

鈍痛。にぶい、痛みと書いてどんつう。ワァーのキャーのゆって、
病院に駆け込むほどの弾ける痛みではなく、グッと堪えて、石の心地で、
耐え難きを耐えればなんとかなんじゃねーのっつー歯の痛みなう。

エジプトの人の、30年の「痛み」に比べればオイラの歯の痛みなんて、つって。




「今夜が山だね」

知った顔で鈴木に言う。

「バカじゃないの、はやくいきなよ歯医者」と鈴木に言われる。

「いやだね」

とクールに言い返す。怖いからね、歯医者は。




【毒を以って毒を制す】という粋な言葉が好きで、

この痛みには(毒には)毒を以って制すしかないですね、と観念めいた私は、

仕事帰りに寄ったラーメン屋で、そのラーメンを、虫歯に侵された奥歯を使って思いっきり噛んでみることにした。






案の定、それがいかんかった。我ながらバカなことをした。






痛みは100倍にも200倍にも膨れ上がり私に跳ね返る。【策士、策に溺れる】とはまさにこのコトで、

毒を以って制す予定だった毒にさらに汚されて猛毒。泣きそうなくらい、悶絶。




家に帰り、さらに増す痛みやイラつきに観念させられ、

朝までやってる歌舞伎町にある歯医者に電話して急行。

麻酔を3本ぶっこんで神経抜いて、痛み止めのメディスンもらって現在に至る。もうどこも痛くない。鼻歌。






僕は歯医者がなにより苦手だが、歯医者さんには誰よりも感謝してる。






いつもありがとうございます。







サラサラしてんじゃねーよ

2011-02-08 | 日記
エゴを超えた先に、芸術は存在するのか。真夜中の往復電子書簡より抜粋、猿と。

「人の【ソレ】を美と、芸と、呼ぶこと、捉えること、実際のとこ・・・ソレってどうなのん?」確かに、
と、思いつつも。う~む、と、

振ればカラカラ音の鳴る(スペース過多な)頭蓋、熱を帯びて"思考"詰めて唸る。う~む、と。















鈴木から、ずっと前に「超いきたい。超いきたい。連れていってくれよコンサート、オザケンのコンサート」と、
言われたことがある、日ごろ音楽をまるで聴いていない人間から、
こうも懇願するされると、なんだか連れていってあげたいなぁという気持ちになった。でも、オザケンなんだよね。
スチャダラパとの「今夜はブギーバック」以外、
ぼくの思春期青春期にオザケンはいないんだよね、残念ながら。髪の毛がサラサラ過ぎて。ケンの。
テンパ側としては「サラサラしてんじゃねーよ」って感じだったんだよね。
「何サラつかせてんだよね」ってね。
だから、
すずきの切実なそれに対しても「嫌だね」とシンプルに即答した。


ポッピーでラヴィーでシャラ臭いリリックの中に深い真理と神からの啓示めいた一節、
ふわっと、
印象的な情景を詩間に絡ませてくるケン。
あの頃、キラキラすぎるほどキラキラでサラサラしていたケンは最近じゃ反グローバリゼーション全開らしいです。














長友選手のサンシーロ・デビュー戦を見届けた午前6時。

普段ヨーロッパチームの試合を多く観ている自分ではないが、感動して、涙が出そうになった。
スナイデルに変わって、スタジアムの芝を長友の足が踏んだ瞬間が、日本人の新しい軌跡になった。

下の動画、
試合後のスタジアムの外、歓声を上げるサポーターが歩きながら長友を連呼してるとこで、泣いた。


インテル長友佑都 デビュー戦!









こちらは日本。サッカー、もう一つの感動編、

マリノスを退団したDF松田が今期から所属する「松本山雅FC」が09年の天皇杯2回戦でJ1浦和レッズを破った試合。
完全なる奇跡的ジャイアント・キリング、

2009 天皇杯2回戦 松本山雅 vs 浦和レッズ 2点目








やっぱね、弱いヤツらが強いヤツらを負かすとか、

悪いヤツらが、正義の味方を負かすのが俺は好きだな。矢は、下から上に放つもんなんだ。






それにしても東京は

2011-02-04 | 日記

フェイスブックにぼちぼち誘われているものの、
最近ミクシーも触ってないしツイッターは自分的には"情報源に近いもの"という認識で全然ノれてないし。
生活、というか"言葉"の露出はまあ、ブログで、まあイマのとこ、まあいいかなー私、という感じなの。

だいたいBLOGの更新頻度も少なくなったぬん。書くことがないわけじゃないのだよ、





路地裏の電柱や古民家の壁周りに水の入ったペットボトルを置く仕事(黒魔術)の資格を取ったり、
腹を壊さず珈琲を飲めるようになったり、NAGATOMOのインテル入りにとてつもなく興奮したり、
世界中で相次ぐ火山の噴火に「2012年地球滅亡説」のリアリティを感じて震えてみたり。洗濯物たたんだり、
自慰したり、天気が良い日はひたすら影送りしたり。「ジョニー・マッド・ドッグ」観て、
リアルを凌駕するリアリティに絶望したり。誕生と死、大人と子供、男と女。それにしても東京は、雨が降らない。












peace