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松岡正剛のにっぽんXYZ

セイゴオ先生の「にっぽんXYZ」教室と同時進行。濃~い日本史話が満載!

06 生と死の平安京(X=みやび その1) 王朝の日本的な「みやび」感覚

2004年10月01日 | 06 生と死の平安京
列島の始まりから日本の姿を高速に見てきたXYZも、いよいよ9つ目。今回は、中世が始まるちょっと手前の平安人たちのココロと、平安京の外側に生まれていったセカイの姿を3つのキーワードで見ていきます。それが、X=「みやび」、Y=「念仏」、Z=「東国と西海」。微妙な感覚から激動する列島の勢力図へとダイナミックに広がる歴史のいきづかいが伝わるタイトルですね。まずは王朝を彩る日本的な美のフィール、Xは「みやび」の秘密からです。

これまで話してきたものは、対比的なものが多かったですね。漢詩と和歌、真名序と仮名序、あるいは歌合だってそうです。しかし、平安時代が進むと、その構造が少し崩れてくるんですね。

具体的な例を見ましょう。平安時代には「和鏡」といって日本独特の鏡がつくられる。鏡と言えば、古代から中国製の銅合金の鏡が入ってきて、日本で鋳造するとしても、デザインはほぼそれをまねていたんです。唐時代の鏡である唐鏡には、背面に唐草文様や鳳凰の姿が描かれているものが多い。奈良時代からの日本の鏡の図像文様もそのコピーでした。

このころまでの鏡は、儀式や寺院の荘厳具であり、顔や姿を映すものではなかったのですね。しかし、平安時代にはいると鏡が化粧具となり始めた。王朝の女性たちの華麗な姿をつくる道具として、普及していったのです。そのとき、変化がもう一つ起こりました。

唐鏡の背面は、鳳凰などの文様がシンメトリー、左右対称に描かれています。ところが日本でつくられはじめた鏡は、中国的な鳳凰などを鶴、雁、雀といった日本の鳥に変えて描いた。唐草も桜や松、藤などに変わります。さらにこれがわずかに左右の図をずらして描かれるようになっていくんです。シンメトリーが崩れてきた。

これが「みやび」という感覚なんですね。王朝人はこのちょっと崩れた味が好きだったわけです。崩れることで、何かがトランジットして移っていく。その感じが残っている。これが「うつろい」という感覚です。ちょっとむずかしいですが、これが分かると日本はだんぜん面白くなります。

貴族たちが生活した空間にも、「みやび」「うつろい」の意識が映されていく。平安中期からの貴族の住宅は、何というか、知ってますか? そう、寝殿造(しんでんづくり)ですね。もともと天皇の住居である内裏をモデルにしたデザインです。南に向いた寝殿を中央にして、その東西に向き合うように対屋(たいのや)をおいて渡殿(わたどの)という廊下でつないだ形を基本にしている。

この室内に注目してほしい。絵巻などを見ると、鏡台や、唐匣(からばこ)、二階棚(にかいだな)といった調度類が室内に配置されているのがわかります。平安の貴族生活では、寝殿などで公私の年中行事の時に、それらの調度類のどれを飾るか、あるいはどこに置くかなどが、細かく決められてきた。12世紀半ばには、『類聚雑要抄(るいじゅうぞうようしょう)』という、貴族の行事の次第と寝殿の室礼(しつらい=飾り付け)をくわしく図解したハンドブックまでつくられたのです。

そこではまた、変化に富んだ四季や数多い年中行事に対応できるように、御簾(みす)や几帳(きちょう)、簾(すだれ)とか、格子戸などの仕切類が発達するんです。日本のインテリアデザインは、壁で仕切らないんですね。何か開いているようで閉まり、閉まっているようで、開いている。

なぜそうしているんでしょうか? そこには暖かくなり、暑くなったあとに寒くなったり、揺れながら進む日本の四季があるからですね。御簾や几帳などの仕切を含めた調度、すなわちインテリアは、時候によって変わっていきます。

そうなると、さまざまな調度品には、季節をテーマにしたさまざまな文様がつけられることになる。その文様は、着物の柄とか、筆や硯(すずり)や文箱(ふばこ)などの小さな調度にまでつけられます。ということは、大きな自然という存在が、うつろいながら小さなものに移っていく。しかもその中で左右対称が揺らぎながら崩れていくんです。まさに「みやび」な感覚が形づくられていったのです。

【次回は10月4日(月)、06 生と死の平安京、X=みやびの2回目です】