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私の好きなものについて

映画 ■■灼熱の魂■■

2012年01月31日 01時57分57秒 | 映画
全然観る予定じゃなかったのですが
急遽、スケジュールに空きが出来たので
日比谷まで行ってみました。

最後の最後で秘密が明かされて
衝撃大どんでん返し!となるのですが
淡々と、静かに進んでいくので
ポカーンとしているまま終わってしまいました。



映画 ■■灼熱の魂■■





日本の Yahoo ムービーの評価 4.27(5点満点)



すごい高評価!
でも、私はそれ程でも...
もう一つ、ガツンと来ませんでした。

見終わって、家に帰って
少しずつじわじわと来ています。



しかしまあ、なんという運命。
なんという苦しみ。

壮絶な傷を心に受けても
溢れるほどの愛を、我が子に注ぐ母親。



こういう映画観る度に
ちっちゃい悩みに、いつまでもダラダラと苦しんでいる自分が
情けなくなります。

「ああ、なんて私はちっちぇーんだ!」
と、自己嫌悪してしまいます。

この映画を観るまでは
「もう、この世の終わり」...くらいに
「出口がない、救いがない!」
と、悶々と悩んでいたことが
「本当に、取るに足らない、下らないことだ」と思えて
ポーンと、ゴミ箱に捨てました。



「あなたたちの『父親』と『兄』を探して
この手紙は父親に
この手紙は兄に渡してください」

という母親の遺言通り
カナダからレバノンに
母親の秘密を探しに旅立つ双子の兄弟の物語。






























ネタバレ感想




レバノンで明かされた秘密とは...



母が見つけるように遺言を残した
双子達の「父親」と「兄」は

実は、同じ人物だと分かります。



キリスト教徒の母と
イスラム教徒の父親との
禁じられた愛の末、「双子達の兄」は生まれますが
すぐに孤児院に入れられます。

数年後、激化した内戦のため
その孤児院は
建物の形がなくなるまで攻撃され

「兄」は殺されたと思った母親は
報復のためキリスト教右派のリーダーを暗殺します。

戦犯として戦犯収容所に15年間収容されていた時
「兄」と再会しますが
母親も、「兄」も
自分たちが親子だとは気づいていません。

「兄」は看守になっており
拷問として、女性戦犯を繰り返し繰り返しレイプする
恐ろしい男になっていました。



「兄」は自分の母親を
そうとは夢にも思わずレイプし
やがて、妊娠。
双子は収容所で生まれたのでした。



つまり、双子が探すように言われた父親とは
自分達の兄でもありました。



この衝撃的な真実は
最後の最後に明かされます。

看守が出てきた時点では
まさかこの男が
この母親の探し続けていた息子だとは
観客は知らないままです。



双子達は
自分がレイプされた結果
出来た命だと知った時
どんな気持ちだったでしょう?

自分だったら、どんな風に受け止めるでしょう?

自分は、望まれて生まれてきたのではないのです。

愛の結晶ではなく
母親が陵辱された証。
卑怯な暴力の末、出来た命。

存在自体が、罪。
負の存在。



どうして自分の存在を誇れる?
どうして胸を張って生きていける?

どうして母親に、愛してもらえる?



しかし、母親は
刑務所の中で双子を出産した時は
「双子は捨てられた」と知らされるのですが

15年の刑期が終わった後
「実は、双子達は生きている」と教えてもらえて
ごく自然に、涙ぐみ、喜ぶのです。

悪魔のような男に、レイプされて出来た
望まれていなかった双子なのに。

どんな形で身ごもったとしても
「我が子」である以上
無条件に愛情を注ぐことができる対象になるのでしょうか。

まるで神様の愛だと思いました。



こういう子どもを思う母親の心理は
自分が子どもを持ったことがないので
ピンとこないのですが

母親なら誰でも
自分のおなかの中に宿った命を
例え誰の子でも、無条件で慈しむ...

という訳でもないと思うのです。

自分の子どもでも愛せない母親だっているし。



母親をレイプした「兄」は
自分の母親を探すため、カナダに移住していました。
なんとも皮肉な話です。

そして、母親は偶然「兄」を見つけ
それが、看守だったと気づいて
放心状態になります。

しかし、看守の方は
自分の顔をのぞき込む女性が
自分が以前拷問した元戦犯だと
思い出すことはありませんでした。



ついに自分たちの「兄であり父親」である男を
カナダで見つけた双子は
母親の遺言通り、2通の手紙を渡します。

1通は「双子の父親へ」
1通は「愛する息子へ」



手紙を読んで初めて男は
自分は、自分の母親をレイプしたのだと知り
愕然とします



母親からの手紙には
恨む言葉などは全くなく

「心から愛している」と綴られています。

そして、それは母親の本心なのでしょう。



全ての悲劇は
我が子を手放してしまった自分のせい

そして、キリスト教徒とイスラム教徒の対立のせい
虐殺が報復を呼び
憎しみが新しい憎しみを呼ぶ
その負の連鎖に囚われてしまったせい

憎しみはここで収め、新たな負の連鎖を終わらせることが
残酷な運命への仕返しになるのでは?



ただ単に、負の連鎖を終わらせるため...だけの理由で
「心から愛している」と書いたのではなく
それは母親の嘘偽りのない気持ちなのだと思います。

自分をレイプした看守だと分かっても
母親は
自分の息子を憎む気持ちにはなれなかったのだと思います。



生まれてすぐに引き離された時の胸の痛みや
命をかけて息子の消息を探して回った時の
「どうか生きていて」という悲痛な祈りは
今も母親の胸の中に残っているのでしょう。

母親としての惜しみない愛情は
卑劣な看守に対する憎しみよりも
遙かに強かったのだと思うのです。



残された双子も「兄であり父親である男」も
整理のつかない、複雑な心境に突然突き落とされ
とてもハッピーエンドとは言えません。



なんと言葉にして良いやら迷ってしまう
やりきれない気持ちで映画は終わりますが
母親の持つ、無限の愛の深さが
唯一の救いのように思えました。

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