That's the Way I Am

私の好きなものについて

自分の名前 <後編>

2013年06月24日 07時51分18秒 | diary
友達に
「自分の名前は
大切なんだよ」

と、言われて
あれこれ考えてみた話
第二弾



友達は
「言霊(ことだま)と名前」について書かれた本を読んで
名前は大切なんだと改めて感じたのだそうです



言霊というのは
「ことばには霊力が宿っている」という
日本人が昔から信じてきた考え



言霊を信じる人の主張を
信じるか信じないかは
人それぞれだと思いますが



何気ない言葉でひどく傷ついて
死を選ぶ人もいるし

好きな言葉を繰り返し唱えることが
精神的な支えになり
プレッシャーに勝つこともあります

「言葉には力がある」というのは
嘘じゃない



だから、言葉を口にする時は
しっかり選ばないと

そう自重するのは悪いことじゃない



友達曰く
一人一人の名前にも
魂が宿っている
のだそうです



一番最初の文字が何であるかで
その名前の持つ力が決まっているとか

まあ、ここからはちょっとした
名前占いみたいな軽いノリになってきましたが

私もいろいろ探して
私の名前の持つ力、調べてみました



考えることが好きな思考型
情報を収集して「論理的」に分析するのが得意
物事を突き詰めて考える
勉強好きで、知識が豊富
知的なことに、こだわりがある
自分の考えにこだわりすぎると
内にこもるところがある




分析するの得意じゃないけど
知識、豊富じゃないけど
他は、当たってる



今回、友達に
「名前は大切」と言われてから
私が考えたことは



「自分の名前が嫌い」ということは
「自分自身も嫌い」ということなのでは?

ということです



私が、自分の名前を嫌いなのは
両親との不仲が原因の一つです



両親が嫌いだと
両親が付けた名前だって気に入らないし
自分が両親の子どもであることさえ
とてもイヤ

自分の存在も好きになれません



両親との関係が上手くいっていないと
自分自身の肯定感を得ること
自分に自信を持つこと
「自分はOKだ」という感覚を得ることが
難しくなるのでは...?
と、感じました



「自分がなかなか自分に自信が持てないのは
両親のせいだ」
と、言っているのではなくて

両親と良い関係を築けなかったのは
私が悪かったと思っています
私のために頑張っていた両親に感謝せず
一方的に毛嫌いしていたのは私の方です



そうやって私は両親に甘えて
両親を嫌い
自分自身も好きになれなかったのだと思います



名前は、自分と他人を結ぶ接点にある
窓口のようなものです

その「社会とのつながり部分」が
嫌いだと
人間関係も及び腰になって
うまく築けないような気がします



そう考えると
私の名前が
私の性格を端的に表しているのが

分かります



私は「両親が嫌い」という感情と共に成長し
両親が付けた名前が嫌いで
自分に自信がなく
堂々と自分の名前を名乗れなくて
人付き合いも及び腰で苦手です



でも、両親のこと好きになれなかったのは
ティーンまでのこと



今は、「好き」とは言えませんが
嫌いという感情はなく
ただただ、感謝と尊敬しかありません

私好みの名前を付けることは
失敗してしまったけど

両親なりに
私のことを思って付けてくれた名前なんだ
と、今、ようやく思えます



友達の「名前は大切」という
一言のお陰で

今までずっと嫌いだった自分の名前
受け入れられるような気がしてきました



これから、自分の名前口にするときは
オロオロと...ではなく
堂々と
ハッキリと伝えたいと思いました



私の名前に込められた、両親の願いに感謝して
自信を持って自己紹介すれば

「自分はOK」という感覚が
今からでも
少しは持てるようになるかも知れません

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